第23話 どうしてこうなった


 「さて、と」


 ちらり、とわたしを横目で見てから、がらんとしたギルドの事務所を見わたして、爺さんがつぶやいた。


 ひとまず話がついて、さっそく明日の支度に取り掛かるわよ、とグリシーナが勢いよく部屋を飛び出し、その後をゆっくりとした足取りで満足げに体をそらし、ボビーが立ち去った後だった。

 どちらもそれぞれに上機嫌であろうことが伺えた。


 「どうしてこうなった」


 爺さんが誰もいない部屋の真ん中あたりに向けていった。答えは期待していないように見える。

 ただ、不機嫌そうではなかったので、わたしはそれほど心配してはいなかった。


 「わたしの読み間違いです。植木屋の親父にそれとなく、グリシーナを押さえるよう仕向けてみようとしたんです」


 「親父さんも、譲ちゃんも、まだまだお前の器には余るよ」


 わたしは、ただ尻尾をあいまいに揺らして、にゃー、とだけないた。


 「まあ、おかげで、思ったよりも早くことが動きそうだからいいさ」


 爺さんはそういうと、わたしに目で合図して、自分の前に座るように示した。

 わたしが座りなおすと、茶を飲み終えたわたしの茶碗に爺さんは水差しから、ゆっくりと水を注いでふちまで一杯にした。


 「器からこぼれてしまったものは今は考えても仕方ない。むしろ、こぼれるほどに器の中にまっているものがあるということを忘れるほうが問題だ。ちょっとでも揺らすとせっかく溜めている分までともすると失ってしまうことになるかもしれん」


 「すいません、何言っているのかよくわかりません」


 「物の受け取り方、見方のことだよ、オルタ。読むといえば――そういや、お前、師匠さんから、砂時計をもらってないか?」


 「貰いましたけど、妹弟子に巻き上げられました」


 「弱っ、兄弟子の立場弱っ」


 「その立場をまもるためです。体力的にはもう負けてるようなので、やつがそれに気付く前に手を打っておく必要があるんですにゃ。ていうか何で爺さん砂時計のこと知ってるんだにゃ」


 「そのにゃって言うのなんとなくイラっとするな」


 まあいい、というふうに爺さんは方をすくめると、わたしの質問のほうは軽く無視して、テーブルの上の茶碗を指差した。


 「これでも別にかまわんしな。オルタ、この水面を見ながら、エーテルを探ってみな」


 そういや、爺さんもエーテルを感知できるんだったな。すっかり忘れてた。わたしよりはるかにベテランなのだが。


 確か、似たようなことを、師匠にもやらされたことがある。

 エーテルを感知する、ということは、つまり、自分の中の言葉にできないような感覚をはっきり意識するということでもある。とかなんとか。


 硝子ガラスや、鏡、水面といった、光を歪めたり反射するような物を幻に見立てて、そこから何かを読み取る、というような練習を師匠に何度かやらされた。


 わたしには、水は水、硝子は硝子、プラスチックにはプラスチック以外の意味を見出すことはできなかったのだが。

 しかし、逆らっても仕方ないので、わたしは、いっぱいに水を湛えた茶碗を集中して見つめる。


 一瞬、温度が下がり、窓からの光が弱まったような気がして、薄暗くなった事務室の中に、鏡のように平板な水面が丸く浮き上がってくるように見えた。

 だが、それだけだった。日中の街中ということもあり、エーテルをつかまえる感覚はとても弱い。

 水のように透明で、そこにあることはわかるのだが、はっきり捉えることは難しい。かたちを持って受け止めるためのしっかりとした器が必要なのだ。

 とりあえず思いつくことを言葉にして言ってみる。


 「水、……みずうみ、溢れそうに水をたたえている。岸辺の草々はもう水につかり、森の木の根のところまで水は届きそう。いや、これは一度溢れてしまった後なのかもしれない。後は水が引くのをじっと待っていればいい……」


 「それで?」


 「つまり、溢れそうな茶碗のようなものですにゃ」


 「では、どうすればいい?」


 わたしは、茶碗をそっと手に持つた。


 「湖なら、水が引くまで待つ。茶碗なら入ってる水を飲む。当たり前のことをするだけです」


 ゆっくりと視線をずらし、爺さんの目を覗き込みながらわたしは言った。


 「まあ、それでいいじゃろ」


 爺さんはうなずく。


 わたしはぐっと茶碗を傾けて、中の水を飲み干そうとした。

 飲み干そうとしたが、ブボッとむせて、半分以上こぼしてしまった。


 何かのツボにはまったのか、自分の頭をばしばし叩いて笑い転げる爺さんに、少しイラっとした。



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