第20話 わたしは何も知ってない、いや本当



 予感に振り回されてばかりもいられないので、背負い鞄に水を切ったチコリー草の根を入れると、水筒の水を全て飲み干し、わたしは足早に町へと戻った。


 日ざしはずいぶんと高くなり、汗がひっきりなしに流れて眼に入った。汗でしみた目に景色が歪んで見えた。


 道の先には、ゆらゆらと水の流れるような輝きが見えていたが、あれはきっと逃げ水だ。

 そこにほんとうの水は流れていないのだ。今見えている輝きの元にたどり着いたとしても、そこにあるのは日にさらされて乾ききった土と砂、ほかは灰色に焼けた熱い石があるだけ。


 街が見えてくる頃にはのどが渇いて足元もおぼつかなくなってくるような気までしてきた。

 逃げ水のまぼろしの中に迷い込んでしまった気分だ。

 わたしは水筒の水を飲み干してしまったことを後悔した。


 砦の食堂に戻ってくると、真っ先に裏の井戸から水を汲み上げて、水を思い切り飲んだ。喉元を冷たいものが過ぎていくと、現金なもので、それだけで気分がはっきりと戻る。

 そもそも腹ごなし程度の気分で出かけていたはずなのだ。冷たい水を何度か顔に振り掛けて、頭を振って、余計なことも一緒に振り落とし、わたしは目の前の仕事をかたづけることにする。


 それが猫の流儀ってものだにゃん。


 屋上に上ると、わたしは荷を降ろし、採ってきたチコリー草の葉だけ持って階下におり、おかみさんに渡す。そのまま裏庭の井戸から水を汲み、手ごろな桶に入れて、屋上に持っていく。

 今度はチコリー層の根を荷から出し、このあいだ師匠からもらった石のナイフを使って、細かく切っていく。


 後で乾かしてから、つぶしやすいように、ひとつひとつが、一定の大きさの粒のようになるように、遅すぎも速すぎもせず、確実に、ただ精確に刻んでいく。


 それが終わったら、さっき汲んできた水に刻んだ根をさらす。

 夕方には水を切って桶から取り出し、何日か日に当てて干しておく。

 乾いた粒を、アルさんかおかみさんに渡しておけば、それをフライパンで色が付くまで焦がしていくのだが、ここでけっこう香りや風味が変わってしまうらしく、わたしはまだまかされたことがない。いい色が出てきたら、壷にいれて保存する。

 あとは飲む前に壷から適量取り出し、すりつぶしてお茶を淹れるのだ。


 まあ、とにかく、予定していたところまで仕事は終わった。

 根っこの方は、余分な苦味が取れるまでのあいだは、水にさらしたままほうっておくしかない。


 わたしは尻尾をぴんと立てると、部屋を出て、植木屋の公園を目指した。グリシーナに会うためだ。


 まず間違いなく、ガドルフ爺さんとの話をグリシーナに聞かれている。とわたしは確信していた。

 あいつは、こういうことになると、猫以上にすばしこく、耳ざといのだ。

 問題は、それを知って、あいつがどうするか、だ。

 間違いなく後をつけてくるんじゃないかとおもうのだが、それなら街を出て早いうちに見つけ出し、追い返せる、かも知れない。


 「それとも、先回りとかされたりして」


 わたしは思わずつぶやいた。


 本当にやられそうでこわい。わたしは空を見上げて、力なく尻尾を垂らした。

 日が落ちるまではまだまだ時間がある。

 やれることはやっておくのだ。

 

 公園の石造りの門の前に、酒樽のようなものが見えた。


 たぶんグリシーナの親父さんだ。正直名前は覚えてない。植木屋、とか、おやっさんとしか呼んでいない気がするし、心のなかでは酒樽と名付けていることは秘密にしておかねばならない。気のいいおっさんなんだけどね。

 土色の作業着を着て、うずくまって何やらやっているところは、遠目には本当に酒樽が鎮座しているようにしか見えない。小奇麗な門がそれを一層引き立てているようだった。


 「お疲れさん、親父さん」


 わたしが声をかけると、おやっさんはこっちを振り返り、にやっと笑いかけてきた。


 「よう、オルタ。帰ってきてたんだな。グリシーナならいないぞ」


 「どこに行ってんの?」


 「知らん」


 「それでいいんかい、おやっさん」


 「まあ、言いつけた仕事だけは、しっかりやってあるからなあ。――それ以外はぜったいやってないだろうけど」


 酒樽は、そこでニヤニヤと笑い出しわたしを肘でつついた。


 「悪かったな、あいつの居場所を教えてやれなくて。まあ、諦めろ。あいつをひとつの所にとどめておくことはできんぞ?俺がよく知ってる」


 「べつに、午前中に会ってるからいいよ」


 「ほう、午前中にも来てたのか、オルタ。そりゃ熱心だな」


 親父はいっそうニヤニヤする。


 「そりゃわたしは仕事だから」


 「仕事?」


 「南の方から来た旅の人を防壁まで案内してたんだ」


 わたしは尻尾を浮かせながら、何気ないそぶりで話した。


 「ああ、ボビーとかいうんだっけ?街の市場で会って少し話したよ」


 おやっさんが、ボビーのことを知ってるのが、ちょっと予定外でわたしは迷った。

 ゆれていた尻尾がぴたりと止まる。


 「くっついてきたのはグリシーナのほうだよ。――まあ、わたしの方にじゃないだろうけどね」


 「どういうことだ」


 そのとたん、親父から笑顔が消えた。


 「あいつのやることを止められない、って言ってたのは親父さんだろ」


 わたしは再びなにげないそぶりで話を続ける。


 「まあ、色々と旅をしてきた人らしくて、珍しい話もしてくれてね。グリシーナもぽーっとして、おとなしく話を聞いてるだけだったから、べつに問題はないんだが」


 それから一呼吸おき、尻尾を立てて呟いた。


 「そう、それだけだったら、……」


 「何かあるのか?」


 「いや、別に」


 「言え、知っていることは全て吐き出せ!」


 「知ってることは今話したことだけだよ。本当だ。ただ、今話したこととは別に関係なく、ただ予感がするというだけなんだけれど……」


 「どんな予感だ」


 「グリシーナは近いうちに、街を出て行くかもしれない」


 「なっ何だってー」


 「まあ、あくまで予感……」

 「その商人と一緒にかああ!」


 「え? まあ、にゃん?」え?


 「はっきりしろ」


 「し、知らない」


 わたしはじりじりと植木屋から後ずさりながら言った。


 「わたしは何にも知らないぞ!」


 そう言い残して、わたしはその場から逃げ出した。

 酒樽には追いつかれないという自信があった。親父さん自身もそれは承知しているようで、その場から動くことはなかった。


 「何を知ってるんだー」


 そう叫ぶ親父さんの声がずっと背中にはりついているようで、恐ろしかった。


 だから、後のことは考えないことにした。


 食堂にひきあげると、桶の水を捨て、ざるに移したチコリー草の根を乾かすために、屋上に並べ終えると、早々に夕食を取り、眠りについた。




 ◆◆◆


 翌朝、ガドルフ爺さんに会うために、ギルドに向かって中央広場を横切っていたとき、人ごみの中から伸びてきた手に、両肩をがっちりとつかまれた。


 振り向くと、グリシーナとボビーがならんで、さわやかな朝にふさわしく、とてもいい笑顔で微笑ほほえんでいた。


 ふたりの笑顔を前に、わたしはこの時まで、何を考えないでいようとしていたのかを悟った。同時に自分が無力であることも。


 認めたくなかったのだ。

 いやな予感ってけっこうあたるよね。の法則がこの世に存在することを。



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