第16話 果ての森へと続く道



 「オルタ」


 グリシーナの声が後ろから飛んできた。


 「にゃっ何」


 彼女はすばしこく動いてわたしの横に並ぶと、並木道を指差していてきた。


 「この木、わたしと同じ名前だっての、あんた知ってた?」


 「うんにゃ」


 「でしょうね」


 わたしは正直に答えたのだが、彼女の評価基準には、正直さというのは入っていないようで、鼻で笑われてしまった。

 どちらかというとため息交じりというか、力の抜けた感じの仕草だった。

 なにを考えているのか、さっぱり見当がつかない。


 グリシーナの木も、ちょうど花を付ける時期になっているようで、葉を透かした緑の光が淡く並木道に落ち、腕を伸ばした木々のそこかしこに、ふさになったグリシーナの花が、ランプを吊るすように、垂れ下がっている。


 淡い色合いの紫や、桃色が、匂うようにひろがり、時おり白い色をつけた花が、たっぷりと水気を含んだ花房はなふさに日の光をうけとめ、それ自体で光を放っているように見えた。

 その下を歩いていくと、朝露の残りなのだろうか、時折つめたいものが肌をかすめていくような気がした。


 わたしは、グリシーナから離れて、足をはやめると、ボビーの隣へと追いついた。


 「あいつ、植木屋の娘なんです。何かとちょっかいかけてくるんですよ、なんであんなに意味なく自信満々なんだかにゃ」


 そうボビーにぼやいてみせると、ボビーは少し考えこむ風だった。

 その様子は、耳元を過ぎていく風の音に耳を済ませているようにも見えた。


 「じぶん自身を信じているということは、生きること、じぶんの生き方を信じているということです。信念というものが、自分の中に確かにある、と知っているということは、けして悪いことではないと思いますよ」


 ボビーはわたしのほうに身を傾けて、ささやくと、グリシーナの方に振り返った。


 「グリシーナさんが初めて覚えた花の名前というのは、きっとこの花たちなんでしょうね」


 かたわらの花を見上げて歩きながらボビーが言った。


 「その花と言葉、そのままのかたちを、ずっと覚えていられるとはうらやましい。きっと誰でも最初に覚えた言葉というものは、ひとつの花、ひとつの木、ひとつの顔と一対いっついの手、それらと具体的につながっていたはずなんです」


 考え込みながら、ボビーは両手を上げて、空中の何かを受け止めるような仕草をした。


 「でもいつの間にか、それは風のようにすぎさってしまう。……いや通りすぎていくのは言葉のほうでしょうかね。新しいものにどんどん出会っていくので、いつの間にか始まりの一対の手を離してしまうのです」


 いちど受け止めたかのような形で掌を沈ませると、その受け止めたものを軽く空中に放り上げる。

 もちろん手の中には、何も持ってはいないのだけれど。


 「普通は、それでいいのだと思います。始まりの場所から離れなければ、旅に出ることは出来ませんから。私のように商売を生業なりわいとする人間は、旅をすること、場所を変え続けることが生活の基本です。私は気に入っていますけれど。だからこそグリシーナさんのようにじぶん自身を示す目印をしっかりと持っている人に会うと、うらやましく思います」


 ボビーはグリシーナの方を見やって言った。


 「そ、そうですか、ありがとう」


 「とはいえ、旅をするのはよいものですよ。新しい出会いには常に新しい発見があります。それに自然と方向感覚のようなもの、正しい道を探り当てる直感とでもいったものが身に付くんです」


 グリシーナはおとなしくボビーの話を聞いていた。


 並木道を抜けると、少し開けた湿地が目の前に広がり、その向うにはうっそうと繁った針葉樹の森が広がっている。

 北の森のほとりに出たのだ。


 急に日差しが強くなり、吹き付ける風が強くなったように感じた。


 「ああ、でも、あれはどこへ行っても同じだな。きっとはじめて空という言葉を覚えたときの色と同じだ」


 ボビーが上空をまっすぐ指差して言った。


 遠く笛のような鳴き声が聞こえた気がしたが、見渡した空に鳥の姿は見えない。

 よく晴れた青空がひろがっていた。


 湿地帯の終わるあたりから、遺跡時代の舗装された道路が防壁に着くまで森の木々の間を突き抜けるように残っている。


 それは峡谷の底を流れる川のように森の間を抜け、奥まで続いていた。

 さすがの森の根も、この道の舗装を突き破ることはできないらしく、道の上には、一本の木も生えていなかった。変わりに幾世代もかけて積み重ねた落ち葉が降り積もり、土に変わって層を作っていた。

 森の中に入ってしまうと、その道は一見、普通の山道と見分けることができなかった。


 しばらく歩いていくと、道に立ちふさがるような形で防壁が行く手をふさぐ。

 行く手をふさぐといっても、防壁そのものは、簡単に駆け上がることのできる程度の傾斜が着いた丘のようになっていて、どちらかというとただの土手といったほうがふさわしい。


 その気になれば、子供でも簡単に登って行けるのだ。はたしてこの設備で一体何から街を護れるというのか、不思議に思っても、答えを知っている者はいなかった。


 それでも防壁は、ノルクナイの住人の誰よりも古くからこの土地にあり、今もそれはずっとノルクナイ北部の外周に沿って伸び、おそろしい年月を重ねながら、ここに在り続けてきたのだ。


 「ほんとにただの土手よねえ、これ、壁の残骸ってことなの?」


 「それにしては、形が整っているように見えるけどなあ。ただ街のひとたちがそう呼んでるだけだろ? もともと何のために作られたかは実のところわからないもんなんだしさ」


 「ここまで続いてきている道と同じですね。落ち葉の下にも厚く腐葉土が積もっている」


 それぞれが思い思いの感想を言いあうなかで、ボビーは身を屈めて地面の落ち葉を確かめるように触りながら言った。


 「それに、大きな木は、防壁自体からはまったく生えていない。せいぜいくさむらしげっている程度です。土の下に、よほど頑丈で大きい土台がすえつけられているんでしょう」


 防壁に登ると、上部は平らにならされているのがわかる。

 上部の平面は大人数人が手を伸ばしてもまだ余裕があるほどの横幅で、かなりの広さがあり、表面は落ち葉でおおわれていた。


 防壁は、ノルクナイの北部を包みこむような曲線を描いて、森の中を伸びており、そのため、壁の上はさえぎるものがなく見通し自体は良かったのだが、防壁の伸びている遠くの方角は、壁の描く曲線の向うに折りたたまれて、木々にさえぎられていまっている。


 もしこれが垂直に切り立った壁であれば大規模な防壁と言ってなんの問題もない大がかりな造り物だが、実際の断面はなだらかな傾斜を両脇につけた台形をしていて、とても壁として作られているとは思えない。


 「まあ、つくづく防壁というよりはただの土手よねえ?」


 グリシーナはうたがわしそうにあたりを見回した。


 「そうですね、でも、ノルクナイでしか見ることのできない景色です。他の地ではこのような遺跡は見たことがありません」


 ボビーは防壁の続く先を見透かしながらいった。


 手の届かない書架の上段の本でも見上げているような視線だった。その背表紙の題名は読み取れるものの、中身を読むためには、実際に手に取り頁をめくる必要がある。だけど、いまのところその場所は手に届く位置にはないのだ。


 「時々、はじめて見るのに、私を妙にひきつける景色というものがあります。何かを思い出させる景色、とでも言えばいいのでしょうか。ーーこの防壁もそうですね。気に入りました。高くかさ上げされ、水はけがよく、程よく乾いた地面。そしてそれが遠く遠く森の奥まで続いているようだ。ちょっと休みませんか?」


 わたしたちは、森の中に突如として現れた謎の土手の上にたたずんで、戸惑うようにあたりを伺っていたのだが、ボビーの提案で、防壁の上に座って落ち着くことにした。


 「ホーク・ラーマは街道の交じり合う土地に自然と人が集まり、石と木で作られた背の低い建物の立ち並ぶ、商人の街でした。道だけはいやに立派でね、その上をほこりっぽい風がいつも吹いていているんです。子供のころは、生まれた家の面した横丁の道一本が私の世界の全てでした」


 皆が腰を落ち着けたところで、ボビーが話し出した。


 「おふたりは、ノルクナイの街中よりも、北の地区の方が落ち着けるでしょう?」


 わたしとグリシーナが、同時に頷き、「わかるんですか?」とわたしが訪ねた。


 「ええ、見ていればね。私も、ホーク・ラーマの街の道を全て歩きまわるような年頃になると、街が、私そのものとなっていました。その街角ひとつひとつの景色を心に折り畳んでとどめ、私自身もその一部だと感じられることがうれしかった」


 「でもそれだけじゃ詰まんない」


 グリシーナが後ろに手を伸ばして斜めに傾けた体を支えながら言った。


 「植木みたいに、おんなじところからずっと動けないでいるのは、わたし、いやよ」


 「そうですね」


 ボビーが笑っていった。


 「私もあるとき、気付いてしまったのです。この街だけでは満足できないと。新しい景色を見て回りたくなったのですね。商人の街ということもあって、思いたったとおもったら行商人の一行に仲間入りしていました。それからはずっと旅暮らしです。振り返ると成長した、というよりも、ただ新しいものを求めて場所を変え続けてきただけのような気もします」


 わたしとグリシーナは黙ってボビーの話を聞いていた。ボビーが一息つくと、あたりはしんとして、ただ風が吹き抜けていく音だけが耳をかすめていった。


 「故郷や家族からはずいぶん遠く離れて、長いあいだ、十分つらい思いも味わって、旅を続けていますが、気に入った景色に出会うと、その数だけ故郷との距離が近くになったような気がするんです。心に残る眺めは、のこしてきた心の分だけ、私を支えてくれているのでしょう。何かを思い出させるような風景は、思いをかけた分だけ、私を受け入れてくれるのでしょう。今となっては、不思議なもので、普段からずいぶん故郷が近くに感じられるようになったんですよ」


 空の高いところから、さあっと強い風が吹き付けてきて、ボビーのからみ合った髪をかき回し、通り抜けていった。ひととき、風の収まるのをまって、髪を整えたボビーがふと気付いたように訊いてきた。


 「防壁は、向うの街外れまでで終わりですか?」


 「いえ、そうじゃあないです。街の東の方で大きく曲がって、そこから、ずっと北のほうまで続いていきます。おそらくは、あの山の向うまで」


 わたしは、遠くエーテルを湛えた大気に蒼くかすんで見える北方の山並みを指差して答えた。


 わたしは、グリシーナを気にしながら、ボビーの方へ身を傾けて言った。


 「街のひとには話したことないですけど、一度ずっと辿たどってみたことがあるんです。ほんとにずっと北のほうまで続いていて、ほどほどのところであきらめちゃったんですけど」


 一息ついて、わたしは聞いてみた


 「あの、これって」


 「まず、大昔の街道跡とみていいんじゃないでしょうか。それも、かなり大掛かりなものです」


 わたしの方をじっとみてボビーは言った。


 「でも、ここ何百年も果ての森のむこうから言葉を話す者がやって来たことはないと聞いています」


 「では、それよりも昔に造られて、忘れられてしまったのでしょう。何かが、失われてしまったのです。かつてノルクナイを造り上げた人たちがここを立ち去る前に、何か大きなものが、この土地を立ち去ってしまったのではないのでしょうか」


 「それは何でしょう」


 「私には、わかりません」


 壁の上にはわたしたち以外の姿はない。


 防壁の影に身をひそめて森の向うをうかがう兵士はここにはいない、見回りをする見張り役も見えない。

 勝利を願う歌声もなく、襲撃を迎え撃つ歓声も聞こえてはこなかった。

 兵士たちの詰め所らしき場所も見渡すかぎり見当たらなかったし、防壁以外に防衛施設らしき痕跡こんせきもあたりには見当たらない。


 およそ何らかの戦いのための拠点として使用したことがあったのか、そもそもそのような目的に利用できるかどうかも疑わしかった。


 それでも人はかつての街の歴史として、あるいはただ歴史があったことを想像させるための仮初かりそめの手がかりとして、ここを「北の砦の防壁」と読びならわしていたのだ。


 「いつか、この街道を辿って、北へ足を伸ばしてみたいものです。この道がどこにつながっているのか、その先を見極めてみたい」ボビーが、遠くの山並みを見透かしながらつぶやいた。


 「あの、それ、わたしも何か興味あります……」


 わたしが、そう言いかけたとき、


 「なーんの話してるの?」


 またもや、わたしの首筋に生暖かい息がかかる。


 「うにゃあっ、尻尾」


 「つかんでないわよ?」


 なので、思いっきり体をひねった上に尻尾を大きく振り回してしまったわたしは、体重の釣り合いを失なって、地面に倒れこんだ。


 「面白そうな話してるじゃない。ここ、ほんとうは壁じゃなくて街道なの?」


 「あくまで、もしかしたら、の話ですよ」


 ボビーは落ち着いた声で答えた。


 「それに、何となく珍しい場所へ行ってみたいな、という旅人が気まぐれに考えただけの話でしかありません」


 「ふーん。オルタ、アンタもついていく気なの?」


 「だから、もしかしたら、の話だろ?」


 わたしはグリシーナを見上げながら言った。


 「ふん、いずれにしてもここに来るにはウチの庭を通り抜けないことには、簡単にはこられないってことはオルタも知ってるでしょ。へんなこと始めようってんなら、あたしがしっかり見張りに着きますからね」


 わたしはそれにただ、「にゃー」とだけ答えた。


 「いずれにしても、今日はこれで、街に戻りましょう。実は『砦の食堂』の食事が楽しみでしかたがなかったんです」


 ボビーがわたしをたすけ起こしながら言った。


 「わたしも、お腹がすいてきましにあぁっ」


 コイツ、またしても尻尾を。


 きっと振り返ったわたしの視線をグリシーナは迷いなく受けとめた。


 「オルタ」


 「にゃんだ」


 ぴいぃぃっ、という笛のような鳴き声と共に、一羽の鳥が上空へ上っていった。


 わたしに向かって親指を立てながらグリシーナは言った。


 「あたしたちの旅は、これからよ!」


 ーーそのときわたしが考えたことをどうにかして言葉にしてみれば、


 「おまえがそれを言うのか」


 というものが近いと思うのだが、なぜそんな言葉が頭に浮かんできたのだろうか、という疑問を押しつぶすように、残念なというような、名状しがたい気持ちが心の底から染み出してきて、あえてその言葉を口にすることはついにわたしにはできなった。


 にゃんだかニャア。



第2章 おわり


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