第15話 グリシーナ



 ギルドの建物を出て、ボビーとふたりで北の森の防壁を目指して出発した。


 中央通り界隈かいわいの地理は、ボビーもおおよそ判っているということだったので、三人の王が、その肩や腕に鳥たちを休ませている姿を横目に中央広場を抜け、街の北部へ入った。


 建物の表面が、植物におおわれはじめるあたりに差しかかると、わたしの体から、少しだけ力が抜けて、そのぶん尻尾がぴんと立つように感じた。


 そのへんからは、ボビーも足を伸ばしたことのない区域だというので、わかりやすいように、表通りのほうを選んで、北街の大きな門を潜りぬけた。

 何かを記念するために作られたのか、道をまたいで石造りの門だけが単独で立てられていて、これもまた表面はつたなどの植物でびっしり覆われていた。


 たとえ門の表面にどんなレリーフや碑文が記されていたとしても、もう読み取ることはできない。

 もっとも、ここに門を造り置いたその由来や意味などは、誰も知らなかったから、そのような記録がたとえ表面に彫りつけられてあったとしても、誰も気に留めようとする者はいなかったろう。


 「このあたりに来ると、よほどさしさわりがないかぎり、森の植物が生えたいようにほうっておいているんです。住んでいる人も街の中心よりは少ないですし、森の力も強まっていますから、正直、どうにかしようとしても人手が足りないというところもありますけど」


 通り過ぎた門を指差して、わたしはボビーに説明した。


 「なるほど、でも、私はこういう雰囲気は好きですね。半分森の中にある街のようです」


 「わたしも、こっちの方が落ち着きます。このあたりに住んでいる人はたいていそういう人が多いですね」


 通りは、門を過ぎて、そのまま北へずっと続いていたが、実はこの道からは防壁にたどり着くことは出来ない。

 森に飲み込まれた北部の街が壁となって、行き止まりになってしまっているのだ。


 遺跡の間を埋めるように生い茂った巨木が、完全に道を塞ぎ、なんとも利用しがたく、近寄りがたい一帯を造っていた。


 そこで、防壁へ向かうためには、いったん建物のある区域を抜け、市外のほうから回り込んでやる必要があった。

 そのことをボビーに説明して、表通りから脇道へ案内していく。

 道幅が狭くなると、なんとなくわたしのこころは逆に大きく、気安くなるようだ。


 「ホーク・ラーマって街は、どんなところですか?」


 「いいところですよ。すくなくとも、私にとっては」


 「南のほうって言うけど、ぜんぜん聞いたことないなあ。ずいぶん遠いんでしょ?」


 「とても、とても。ただ、今はその話よりもノルクナイのことが聞きたいですね」


 ボビーがわたしに並んできて笑いかけながら言った。


 「にゃっ、そうですね」


 「ところで、さっきの中央広場の像のことですが」


 「ああ、三人の王様の?」


 「先頭の王様の足元にいたのは猫ですか?」


 「そういう人もいます。ーーわたしの師匠は黒耳の子犬だと言っていました」


 「ずいぶん具体的ですね」


 「どうも、とっかえがきくみたいです。わたしもつい先日知ったばかりです」


 やがて建物がまばらになり、ひとつの門にたどり着く。

 先ほど通り抜けた表通りの門ほど大きいものではなく、二人が並んでやっと通れるほどの道幅だが、やはり石造りのものだ。


 こちらは、表面の植物がきれいに取り払われ、後ろの緑の壁を背景に石造りの地肌が白く浮き上がって見える。表面に特に彫刻などはなく、実用的で、清潔な印象だった。

 門の脇からは、よく刈り込まれた植木で作られた壁がずっと延び、門の奥は北の森のものとはちがう種類のさまざまな植物で溢れかえっている。


 「ここは?」


 ボビーがわたしに並んで尋ねた。


 「植木屋が管理している公園です。ひょっとすると全部植木屋の土地なのかもしれないけれど、中に入っても誰も気にしやしません。ここを通り抜けると、すぐに防壁に着くんです」


 わたしは門の中に入り、すぐ脇に立っているこれも白い地肌を見せた石造りの小屋を覗き込んでみたが、人気ひとけは感じられなかった。


 わたしはボビーを先導して、反対側の門を目指して公園の中に入った。


 南側には花畑もあって、なかなか見事な眺めなのだが、今回の仕事とは関係ないだろう。公園の中には、自然に生えている木々の他に、植木屋がどこかからか持ってきて植えている見慣れない木々もたくさん混じっていた。


 公園内の散策路には、大小様々な鉢がところどころに置かれ、色鮮やかな花々が顔を寄せ合うように並んでいたり、厚い花弁はなびらを持つ白い花をつけた木がすっきりと立っていたり、曲がりくねった奇妙な木が、鉢の上で気が抜けたような格好でくつろいでいたりする。


 ボビーはそのひとつひとつに立ち止まり、ものめずらしそうに眺めやっていた。

 ぴいぃぃっ、という笛のような鳴き声と共に、一羽の鳥が上空へ上っていった。

 わたしと同時にボビーも空を見上げ、気流をうまく捕まえ、高く上っていくその姿を指差した。


 「もうあんなところまで。ーーあそこからこちらをみたら、どんなふうに見えるんでしょうね」


 ボビーは目をほそめてうらやましそうに鳥の飛び去っていった方を見上げてつぶやいた。


 午前の日差し、光を透かして地上に影を落す木々の葉たち、風にいっせいに揺すられて、せわしなく光と影を交叉こうささせる濃淡のある影と光の群れ。

 まだらに動く光を浴びて、ぽつん、ぽつんと立っている二人の人影。

 わたしの頭の中で、そのような印象が形をつくろうとする。


 「何してんの? オルタ」


 むふう、と首筋に息がかかるのがわかった。


 「うにゃあぁぁぁ。しっぽ握んな」


 「なんであんたこんな時間にこんなとこのいるのさ」


 身をよじらせて、距離をとると、植木屋の娘がわたしの前にいた。


 ちょうどわたしと同じくらいの年頃の娘で、作業用のつなぎの服を着て、たっぷりとかさのある亜麻色の髪を、二つにわけて結んでいる。

 顔の両脇にぶら下げた髪の間で、青色の大きな瞳を見開いて、こっちを睨みつけていた。


 それどころか、地面をでだん、とふみつけて威嚇までしてきたのだ。


 「なーにしてんのさ、質問に答えなさいよ」


 グリシーナの強い視線から眼をそらさないようにしてわたしは答えた。

 こいつはこういうやつだ。必要以上に声を荒げる必要はない。


 「仕事中。ーーお前もそうなんじゃないの? グリシーナ。自分の仕事にもどりなよ」


 「あら、おしごと?」


 といぶかしそうに眉をひそめたグリシーナの眼から視線をずらし、傍らにいるボビーのほうへ導く。


 「南の街から来た商人さんだ。街の防壁を見に行きたいというので案内してるんだ」


 「ボビーといいます。よろしく」


 ちょっと戸惑ったように突然あらわれた女の子をみていたボビーは、何かに気付いたように笑顔をみせて挨拶した。


 「へえぇ、ボビーさん? 商人さんなのおぉ……?」


 グリシーナがボビーの顔から眼をそらさず、すすす、と吸い寄せられるように近づいていくのがわかったので、わたしも音をたてずぴったりその後ろに着いて跡を追った。


 「ぎゃっ」


 「引っぱろうとすんな。失礼だろ」


 「威張るな、オルタ。どうせアンタだって引っぱって確かめてみたんじゃないの?」


 グリシーナがわたしの手を振り払ってこっちを睨む。


 「オルタさんは、頼んだらすぐ離してくれましたよ」


 「ソウデシタネ」


 グリシーナがふん、と鼻で笑う。


 「南の方は、こういう見かけの人の方が多いんだってさ。わかったら行った、行った。ほれほれもう仕事に戻れ」


 しっしと手を振るわたしの仕草しぐさを無視して、グリシーナがまたふんと鼻で笑った。


 「あんたに指図されるいわれはないわよ。なーに、ちょっと街の外ひとり歩きできるからって、威張っちゃってさぁ」


 「威張ってにゃい」


 「ふん、まあいいわ。ーーそういえば、わたしも防壁に用があったの思い出した、一緒に行ってあげるわ」


 「にゃ、何だってぇ。何の用があるんだよ。べつにお前一人でだって行ける所だろうに」


 「ちょうど仕事で用があったの。そっ、仕事でね。それ以上あんたに言ういわれはないし、わたしのやることをアンタはとめられない」


 鼻を上に向けて、ふん、と息を吐き、グリシーナが言った。


 「グリシーナ」


 そう呼びかけるボビーの声に反応して、彼女がきっと振り向いたが、ボビーは別の方向を指差している。

 

 「あれは、グリシーナの木ですね」


 「え、ええ、そうよ」


 気が抜けたようにグリシーナが答えを返す。


 「ああ、その並木道を抜けた向こうが北の森のほとりです」


 ボビーはわたしの説明を聞くと、ひとつ頷いて、並木道へと足を向けた。

 わたしは、彼女のほうにちらりと視線をずらして尋ねた。


 「親父さんたちは?」


 「街に、花をおさめに行ってるわ、あとは花篭はなかごの手入れもあるしね」


 「留守番してなくていいんか」


 「してるじゃない。動きのあやしげな猫を捕まえたわ」


 「しっぽにぎんな!」


 わたしは、グリシーナの手を振り払うと、一旦いったん彼女は無視することにして、ボビーの跡を追った。


 たとえ振り返って見なくても、何歩も離れないところをグリシーナが着いてきているのがわかった。



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