第12話 滅びの言葉を言ってはならない


 あれは、この家にやって来て間もない頃のこと。


 わたしが何をするでもなく屋上の小屋に居て、窓からぼんやり空を眺めていたときだった。


 「おーいオルタ。こっちでまきを割るのを手伝ってくれ」


 窓の下の方から、わたしを呼ぶアルさんの声が聞こえてきた。


 「はいはいっ、今すぐ」


 そう大声で応えたわたしは、大急ぎで窓から飛び出して、にゃんにゃかにゃんと外壁の蔓草つるくさを伝わりおりると、裏庭にいたアルさんの前に飛び降りた。

 なかなかの早業の上に、我ながら、あざやかな身のこなしだったと思う。


 ふんすかと鼻息もあらく目の前のアルさんを見上げたとき、アルさんの顔にあったのが、あの何か困ったような表情と似ていたような気がする。


 そのときは、アルさんはただうなづいて壁に立てかけてある斧をあごで示し、


 「薪割りはできるよな」


 それだけ言って、アルさんは自分の作業を始めた。


 アルさんが持っているのはわたしに示した斧の数倍の大きさで、相当の重さがあるように見えるのだが、アルさんは軽々と斧を振るっていた。


 というかあれはまき割り要の斧なんだろうか。なんとなく高級そうな飾りが彫り付けてあるように見えるし、形も、わたしが使うように言われたものと少し違っている気がする。


 アルさんは脇にあった木の根っこのかたまりみたいなのにすこんと軽く刃を沈ませ、ひょいと持ち上げると、輪切りの木の土台にいかにも手馴れた手つきでそれを打ち下ろして、すぱんと二つに割った。


 「俺が先に大まかに割るから、お前は大きさをそろえていってくれ」


 そう言って、アルさんは真っ二つになった片割れにすばやく刃をすこん、と沈ませ、これもまたすぱんとあっさり二つに割ってみせる。

 その拍子ひょうしに飛び散った細かな木片が、ぴしぴしとわたしの顔にあたった。


 ……あれ、木材ってこんな野菜切るみたいにざくざく切れるもんだっけ?

 そう不思議に思いながら、わたしがアルさんの動きから目を離すことができないでいると、


 「なあ、オルタ」


 アルさんが話し出した。


 「窓から出入りするのを、お師匠さんから何か言われたことはないのか」


 「いいえ、特に何も」


 ちょっと考えてわたしは答えた。


 「そうか、ならまあ、しかたないが、窓というのはな、出入り口じゃあ、ないんだ。少なくとも街の人間連中はそんなふうに使わない」


 すぱん。


 そう話している間にも、もうひとつの塊が、首を切り落とされるかのようにあざやかに真っぷたつにされる。


 「お前にとってはそりゃあ簡単に出来ることかなのもしれん。でも、出来るからといって何をやってもいいってことはないんだ。窓から出入りするってのは、あまり行儀のいいことじゃない」


 さらにそう言っている間にも新しくもうひとつの塊が、すぱん、すぱん、すぱんと四等分にばらばらにさばかれる。つくづくどうやったらそんな千切りするみたいに簡単に薪が割れるのだろうか。

 飛びちった木の破片がぴしぴしとわたしの顔に当たる。


 四等分にされた塊のひとつに刃を当てると、アルさんは、それをまたさらに細切れにしていく。わたしは思わず何かをらしてしまいそうになる口をあわててふさいだ。


 「オルタ、残りは、お前の方でこれくらいの大きさにそろえてくれ」


 アルさんは、たぶん千切りにしたぶっとい薪のひとつを持ってわたしに話しかけたと思うのだが、わたしのほうはちょっとそれどろではなくなっていた。


 うにゃぁっ、目に、目に木片があぁっ。


 「ーーお前だけの話ではないんだよ。オルタ。行儀が悪いってのは、お前を預かっている俺たち夫婦や、ひいてはお前のお師匠さんにも関わってくることなんだ。聞き分けてくれないか」


 アルさんはそういって振り返ったとおもうのだが、アルさんがどんな顔をしていたかはわたしには見えなかった。

 ただ、「その格好はなんだ?」と心底困り果てたような声をしていたのは覚えている。


 目がっ、

 目ガアァァァッ。


 わたしは立っていることができずに、両手を大地につけ、額を地面に押し付けていた。足は器用に折りたたんで、尻尾の下にしまいこんでいる。


 「……わたくしもよくわかりませんが、何か体が自然とこのようなかたちに」


 なんとかそう答えるだけでせいいっぱいだった。


 「そ、そうか?なあ、オルタ。わかってくれないと、俺もどうしていいものやらーー」


 アルさんが薪でとんとんと地面を叩きながら言葉を捜す気配がわかった。


 ははあ、その薪でぶん殴るってわけですかにゃあ。

 と額を地面にこすりつけ、目の痛みに絶えながら、なぜかわたしはそんなことを考えてしまった。どうにでもなれとでも心の奥底で思っていたのかもしれない。


 目の痛みと、流れ出てくる涙と鼻水が、わたしの判断力をどこかへ押し流してしまっているようだった。そうでなければ、何でアルさんがこんな、ほとんど殺害予告めいたことを考えているなんて思いうかべてしまうというのか。


 ちょっと間をおいてアルさんがいった。


 「ことによると、お前をこの薪で思い切りぶん殴らなきゃいかんことになるかもしれん」


 口に出して言ッタアァァァー。


 まじか! やられんのか。


 びくっと涙をぼろぼろ流しながら顔を上げてみると、細い目をさらに細めて笑っているらしいアルさんの顔があった。


 冗談だったらしい。


 ただ、とめどなく流れる涙でにじんでぼやけてしまっていて、アルさんの笑顔は、わたしにはなんだか固く握り締めた拳骨げんこつのようにしか見えなかった。


 そんなことがあったのを、思い出したのだ。


 「まあ、お見通しなのかもニャー」


 ため息混じりにわたしはつぶやいた。


 「師匠の非常識さも含めて」


 後半も、うっかり口に出してしまったことに気付いて、わたしはすばやくあたりを見回してみたが、当然誰もいやしなかった。


 意味なく振り上げた尻尾の力をゆっくり抜いて、わたしは店のかたずけをさっさとおわらせた。

 なんとなく、わたしは自分の拳をきゅっと握りしめ、しばらく見つめた。


 本日の仕事は、すべて終了である。



 裏口の戸締りをして、階段を上りきったところで、北の方角からこちらに近づいてくる灯りが見えることに気付いた。

 ちょうど屋上と同じ高さを流れるようにゆらゆらと進んで来る。


 近づくにつれ、それは舳先へさきにランプを掲げた小船の姿をあらわしてきた。

 灯火の照り返しを受けて、ぼんやりとした人影が、船の上に座っている様子がうかがえる。


 街中では珍しい。エーテルの踊りだ。


 よく見ると、小船が水面を掻き分ける境に泡立つ波が、それ自体光を発しているようで、その照り返しを受けて、小船の船体が燐光を放つように光って見える。


 波が立つということは、水があるということだ。

 下を見下ろしてみると、街は完全に水の中に沈み込んでいた。

 その上を音をまったく立てずに、小船は進んでくる。小船を中心として光の粒と波のうねりが起きる。


 水面の鈍く光る泡立ちが、鍵穴から漏れてくる光のように、開きはじめた扉から滲む光が、リボンが自然にするりとほどけてしまったというように波打って、こちらへ伸びてくる。そこに不自然さは何も感じられない。

 もう灯火を落として眠りについているはずの街のそこかしこに光が散らばり、ゆらゆら揺れていた。


 よく見れば、それは家の灯ではなく、いつの間にか街を覆っていた透明な水の膜が、星々と月の光を波打つ水面に写しているのだった。


 澄み切った水の底に街は眠りこけるように押し黙っている。


 その膜の上を、時の流れに揺られるように、小船は近づいてきて、手を伸ばせば触れられそうな距離を横切り、そして、南へと過ぎ去っていく。


 船の上には、影絵のような人影がひとり、船の真ん中にゆったりと座っていた。

 両腕は前へと差し伸べられ、何かを受け止めようとしている姿にも見えたし、受け止めた物をじっと眺めているようにもみえた。両手の間に何か実際にあるのかは。はっきりとわからない。


 正直なところ、舳先にともっている明かりは、星を集めたような淡い光で、物の形をはっきり見分けられるほどの強さは無かった。

 いや、そうではなく、わたしは手に触れるほどの近さで、灯火に照らされて浮かび上がる船上の人影の顔をたしかに見極めたはずだ。そのなにものかにむかって開かれた瞳は、わたしの眼に焼き付いていたはずなのだ。


 だけど、船がわたしの脇をすり抜けた瞬間、その顔かたちをもうわたしは思い出せなくなっていたのだった。


 「これは、帰るべき所を、たしかに承知している、そういう顔だ」


 ただそういう印象だけが残っていた。


 船の底からわきあがるような輝きをあたりに放ちながら、船は通り過ぎ、空を流れる流れ星たちのように、音もなく、街の中心部へと流れ去っていった。


 自然と眠気が訪れてきたので、早々に小屋にもぐりこんで、朝まで夢も見ずにふにゃふにゃあと眠りに沈んだ。


 船を追うように、水底の街路をとぼとぼと南へあゆんで行く人影が、闇のなかに消えていくのを見かけたような気がしたのは、きっとわたしが夢の中で見かけた記憶にすぎないのだろう。



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