第11話 店主夫婦は犬耳です


 店の中に、客の姿は見えなかった。


 木の貼ってある床の上に、四人がけのテーブルが左手にみっつ、右手にふたつ。

 店に入ってきたわたしから見て、並んでいる。


 とくに飾り気はないけれど、みんなよく磨かれ、背もたれのない木製の椅子をきちんと従えて並んでいた。右側の列の奥には、厨房へと続く入口がひかえていた。

 店内は、木の床と同じ材質でできた木製の柱と壁材が張り巡らされていて、石造りの建物の中にいることを忘れてしまう。


 「よう、おかえり。思ったより遅かったな」


 店内に灯るランプのひとつを消していた犬耳の店主が、首だけをこちらに向けてわたしを迎え入れた。

 アルバートというのが正しい名前らしいけれど、みんな、アルの大将、とかアル、と読んでいる。

 大家夫婦は、どちらも犬の獣人だった。


 アルさんは、がっしりとした体格で、ぴん、と、とがった灰色の大きな耳と、短く刈った同じ色の髪に、どちらかといえば、外で仕事をしている労働者のような日に焼けた色合いの肌をしていた。


 空色の瞳をした細めの眼は、表情が読みにくかった。

 ふだんはあまり表情を変えず、お客さんの相手はおかみさんに任せ、主に厨房で調理に専念をしていることが多い。


 今はエプロンを外して、店じまいの作業を始めたばかりのようだった。

 たまに顔をしかめるように、にっ、と笑うこともあるのだけれど、そんな時、わたしはなぜかはぎゅっと力を込めた握りこぶしの姿を思わず頭に思い浮かべてしまう。


 「ただいま、です。アルさん。片付けなら、わたしがやりますよ。それよりも、あの、なにか……」


 と、わたしが言葉を捜すふうを見せると、アルさんは軽くうなづいて、奥の厨房に声をかけた。


 「リリ、オルタが帰って来た。夕飯を持って来てやれ」


 「はーい」


 奥から顔だけのぞかせたおかみさんが、わたしににっこり笑いかけた。


 「オルタ、おかえり。夕飯用意してあるから食べてきなさい」


 それだけ言って奥さんは奥へ引っ込こむと、 厨房のほうで何か用意してくれる音が響いてきた。

 アルさんとたいして年は離れていないということだったけれど、それにしては、おかみさんはずいぶん若く見える。


 アルさんとは対照的に、顔の両側を覆うように大きく垂れた耳と、好奇心の強そうにぱっちり開いた眼は、すこし青味がかった灰色の瞳をしていた。

 肩の辺りまで伸ばしている真っ白な髪に、ふわふわと大きく垂れた耳は少し色が濃く、銀色のように見えた。


 リリオーソ、というのが正しい名前らしいけれど、りり、と皆は縮めて呼んでいる。

 わたしは、おかみさんと、呼んでいた。


 「思ったよりも、遅い時間になったな。何かあったのか?」


 荷物を降ろして、入り口の札を「準備中」に付け替えようとしたわたしにアルさんが尋ねてきた。


「いえ、ちょっと師匠の所でもたもたしてたもので」


 日程は、あらかじめ余裕をもって取ってあったので、師匠の所で一日つぶすくらいは問題なかったのだが、到着する時間の方は、広場の寄り道で思わぬ時間を取られてしまったようだ。

 ただ、今回の仕事では、一日、二日の予定がずれることはあらかじめ伝えてあったはず。


 「でも、今日帰ってくるとよくわかりましたね」


 「リリの奴がなあ、必ず予定通りの日に帰ってくるって言ってな。――仕事の方は首尾よくできたか」


 「はいっ、あとは明日ギルドに報告に行くだけです」


 「なら良かった」


 扉の札を「準備中」に裏返し終えて、鍵を閉め、いちばん奥のランプひとつだけをのこして、店内の明かりを消し終える頃には、おかみさんが奥の卓に、夕飯を用意してくれていた。

 ほくほく芋と豆のシチューにパン。それにでっかいソーセージまで付いている。


 にゅっ、肉だ。

 わたしの尻尾がぴんと立つのがわかる。


 「ふふ、冷めないうちにおあがりなさい」 


 厨房の入り口の所まで下がったおかみさんが微笑んで夕飯を勧めてくれた。


 「ありがとう、おかみさん。すごいうまそうですよ。後のかたずけはわたしがやりますから、おふたりは上がってください――にゃっと」


 椅子に腰掛けようとした所で、思い出したことがあったので、荷物の所まで飛んでいって、中から包みを取り出した。


 「これ、塩と、あと香辛料がいくらか。師匠から渡しておくようにと」


 「うん? あのお師匠さんからか?」


 包みを渡すと、アルさんはちょっと困ったような顔をしてわたしに聞いてきた。


 「はい、オルタのことをよろしくと」


 ふんす、と鼻息をはいて笑顔をつくり、わたしは何の迷いもなく答える。


 アルさんはやっぱりちょっと困ったような顔でわたしの方をじっと見てきた。

 その隣でおかみさんは、微妙にびっくりした表情でアルさんの持っている包みを見つめている。

 ふう、とアルさんが息をついていった。


 「わかった。ありがたく使わせてもらうよ。お師匠さんに、ありがとうといっといてくれ。――俺たちはもう上がるぞ」


 それだけ言い残して、アルさんは包みを持って厨房へと体の向きを変えた。


 「わたしからもね」


 隣でおかみさんがふふふと笑い、手を振ると、そろって「おやすみなさい」と言い残し、ふたりは裏口から店を出て木の外階段の方へと消えていった。


 にゃん。あとは夕飯だ、お肉だぁっ!


 ほくほく芋は柔らかく、豆は噛むほどに味が染み出してくる。シチューにパンを浸して食べるのも格別だ。何よりソーセージは歯ごたえがあって。噛み付いたときに外側の皮がぱりっとはじけて熱々あつあつの油と、なんとも言えないうまみが口の中に広がるのがこたえられない。


 食事中というのは、何よりそれ以外のことを考えてはいけません。

 楽しむことに集中すべし。

 わたしは本能的にそのことを知っている。


 なので、さっきのアルさんの困ったような表情を思い出したのは、皿の中身を平らげたあと、一息ひといきつきながら、水差しから注いだ水をごくごく飲みはじめたころだった。


 そういえばあれ、前にもいちどだけ見たことがあったにゃあ、と。



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