第9話 北の砦と三人の王


 陽が少しずつ傾いてゆき、薄闇が沼の奥底をのぞき込んだときのように、物の形をかくし始めていた。


 わたしは市街に入り、人影のまばらになりつつある街路をにゃんにゃんにゃんと急ぎ足ですり抜け、近道は使わずに道をひとつまがって、町の中央部へと続くほうへ折れた。


 このささやかな旅の最後は、中央広場に寄ってから帰ることにしよう。そう思ったからだ。

 その目的をかなえるためには、すこし急いで歩いたほうがいい。時は、もうすぐ街を沼底の暗闇へ沈めようとしている。


 広場の中央にある石像の前に出たのは、陽が沈みきってしまうほんの少し前のことだった。

 わたしは、住処すみかに帰る前に、どうしてもこの石像を見ておきたかった。

 確かめたいことがあったのだ。


 石像は、わたしの背丈せたけみっつ分ほどを重ねたほどの高さで、遺跡時代の後に作られたものらしく、かなり輪郭があやしくなっていた。それでも、とぐろを巻いた竜を土台として、その上に、人が三人立っているという形をしていることがわかる。


 中央の人物は北を向いて両手を空中に差し出して、なにか丸い形のものを受け止めようとするかのような様子をしている。あるいは昔はそのてのひらの上に何か乗っていたのかもしれない。


 その脇にいる人物は両手で短剣をもち、剣で東の方角を指し示している。ただし、石像の剣は途中で割れてしまっていた。


 もう一人は、西に向かって左腕を突き出し、おそらくは弓を引いているのだろうが、手首から先がやはり割れてしまっていた。

 だが、この石像は、まちがいなく、ここがノルクナイの中心地であることを示すものだった。


 昨日の晩、何度か聞いたことのある話を、師匠がチェリに話してやっているのをぼんやり聞いたばかりで、わたしは、街へ戻ってくる道すがら、かつて聞いたことのあるその昔話を繰り返し思い出しながら歩いてきた。


 それはこんな話だ。




 ……むかし、むかし、まだ竜がこの世界から飛び去り消えてしまう前のこと。まだあちらこちらでその毒のある炎をきちらし、ふしぎな幻がいたるところで人を惑わしていたころのはなし。


 ある国に年老いた王様がおりました。王様には三人の息子がいて、年上の二人は力もつよく、かしこいと皆に噂されていましたが、末っ子の王子はというと、兄たちのおまけのとんま。というのがもっぱらの評判でした。

 ある日、王様は三人の王子を呼び寄せて言いました。


 「お前達、自分の持っているもので、命とおなじくらい大切なものをひとつだけ持ってきなさい」


 兄弟たちは、さっそく王様の命令にこたえて、それぞれの品を持ってきました。

 一番上の兄は、代々伝えられてきた王家の石剣。

 真ん中の兄は、外国から取り寄せた自慢の弓矢。

 末っ子は、いつもそばに置いている飼い猫を、それぞれ王様の前に持ってきました。


 「よし、では一番上の兄は、剣を倒してその剣先の向いた方向へ、二番目は、弓矢を真上に射てその矢が落ちていく方向へ、末っ子は猫を放して猫が向かった方向へ、それぞれ進んでいきなさい。そして何か手に入れたなら、わたしに見せにくるように」


 そう命じられた三人は言われたとおりにして、上の兄は東へ、二番目は西へ。そして末っ子はぶらぶらと歩き出した猫の後について北へと向かいました。


 何日かすると、まず一番上の兄が、戻ってきて、王様に大おおかみの牙を見せました。


「わたしが東へずっと進んでゆきますと、東部の草原地帯で、この大おおかみ率いる群れが村々を襲い、皆を困らせておりましたので、わたしの剣で首と胴体を切り離してやりました。そのあかしとしてこの牙をもってまいりました」


 まもなく、二番目の兄も戻ってきて、王様に化けがらすの爪と羽を見せました。どちらも真っ白な色をしていました。


 「西の山脈にたどり着いたとき、近くに大きな化けがらすが住み着いて、人をさらっており、あぶなくて山の街道が使えなくなっているという話を聞きましたので、一人で街道を辿たどっていきますと、たしかに真っ白な化けがらすがおそいかかってきましたので、わたしの弓で、額の真ん中に矢を当て、倒しました。そのあかしとしてこの爪と羽を持ってまいりました」


 さいごに、末っ子が戻ってきました。出て行ったときに着ていたものと違って、うすよごれたマントをはおり、マントの中は、やはり出かけたときとはちがうぼろぼろの服を着ていました。


 王様が、


 「末っ子の王子よ、お前は何を手に入れてきた」


 とたずねますと、懐から真っ黒なまるい石をとりだしました。


 「わたしが、北の荒地を、果ての砦目指して進んでゆきますと、ぼろぼろのマントと服を着た、ひとりの老人が倒れておりました。そのものは高名な賢者で預言の力を持っており、重大な調べごとがあるために、北の荒地までやってきたものの、途中で路銀が尽きてしまい、困っているというのです。


 わたしは、それほどのえらい賢者様が困っていることがみすごせませんでした。何かわたしにできることはないかと賢者様に尋ねたところ、賢者様は、わたしと服を交換して、路銀を恵んでくれれば、その代わりにわたしについての予言をしてあげようと親切にも言ってくださいました。


 そこでわたしは賢者様と服を交換し、持っていた銀貨も全て渡してあげました。賢者様は懐から水晶玉を出しますと、わたしにこの中に何か見えるか、と聞きいて来ましたので、水晶を覗き込んで見ました。


 すると、なんと中には大きな竜が火を噴いてあばれまわっているのがはっきりと見えます。ーー竜だ、竜が暴れている。わたしがそう答えますと、賢者はわたしの顔をじっと見て、ーーならば、近いうちに、あなたの前に竜が立ちふさがることになるでしょう。この水晶玉をあげますから持っていきなさい。きっと役に立ちます。ーーそう言って、賢者様がわたしにこの水晶玉を授けてくれましたので、いそぎ戻ってきたのです」


 そう言って、末っ子はその黒い石を王様に見せました。


 「それは、水晶かね、わたしには黒い石っころにしかみえないが」


 王様は、末っ子の手にある石をみて困ったようにこたえました。


 「ああ、お前は、だまされたんだ。弟よ」


 白からすの王子がため息をつきます。

 末っ子は、


 「いえ、わたしが見たときには、たしかに透きとおっていて、中で竜が暴れているのが見えたのです。もし賢者の予言がたしかなら、わたしの未来、つまりこの国に竜があらわれると思い、わたしは大変なことになると……」


 そう言いかけた末っ子をさえぎって、


 「黙れ」


 と大おおかみの王子がどなりつけました。


 「いい加減なことをいうな。だまされたのではなく、お前がわたしたちをだまそうとしているのではないのか。王様の言いつけも守らず、そのあたりの石ころでも拾ってきたんだろう」


 そう言うと、大おおかみの王子は自分の石剣を抜き払い、王子が持っていた石を切りつけました。

 すると剣先が、石にあたったまさにそのとき、大おおかみの王子の剣が根元からぽっきりとおれてしまったので、お城の中はおおさわぎになってしまいました。

 末っ子の王子は、地下の牢屋にとじこめられ、反省するようにと言いつけられました。


 その翌日のこと、ずたずたに傷ついた騎士がひとり南からやってきました。そして、南の街に、みたこともない大きさの竜が空からあらわれ、街を襲っていると知らせたのです。


 王様は、すぐに騎士達を集め、上の二人の兄に率いらせて、竜の退治に向かわせました。


 しかし、竜はとんでもなく強く、二人で力を合わせても倒すことはかないません。

 騎士団の兵たちも、ひとり、またひとりと竜の爪に裂かれたり、竜の吐く炎に焼かれ、数を減らしていきます。


 竜の吐く炎には、特別な毒がまじっているということで、その炎で空の光を汚しているといわれていました。

 たしかに、そのころから、夜になると今まで見たこともないような奇妙な光や、不思議な幻が夜空に見られることが前よりも多くなり、それは竜の吐く毒がいつまでもただよっているからだといわれていました。


 そんなさわぎの中で、お城の地下牢に閉じ込められている末っ子と猫は皆からすっかり忘れられてしまっていました。


 「なあ猫や、見張りの兵隊が最後にご飯を持ってきてからどれくらい経つかな。そろそろ何かしないと、わたし達は飢え死にしてしまうよ」


 末っ子が猫に話しかけましたが、猫の方は王子を気にも留めず、牢屋の片隅で爪を研ぐのに一生懸命でした。


 ところが、猫が引っかいていた壁の隅のところから、石がごろごろとくずれ、さらに地下へと続く階段が現れました。

 猫は迷わず階段を下りていってしまったので、あわてて末っ子も後を追いました。


 長い階段を下りていきますと、やがて大きな部屋にたどり着きました。あたりが暗くて、どれだけ大きな部屋なのか、わかりませんが、部屋の真ん中に末っ子の背よりも大きな一匹のがま蛙が座って、王子が来るのをうすく青く光って待ち構えていました。


 「よく来たな、末の王子よ。どうやら上では竜が暴れて大変なことになっているようだ」


 「やはり、竜が現れたのですか」


 「まあ、わしくらい長いあいだ生きていると、あんな力まかせの小僧なんぞほっとけ、と言いたくもなるが、お前はわしの弟子を助けてくれたらしいからな」


 「弟子といいますと」


 「水晶の賢者じゃ、旅先で会っただろう」


 「どうしてあなたが知っているのです」


 「末の王子よ。世界というのは、どこまで行ってもめぐりめぐって、必ずひとつにつながっているものなのだよ」


 「賢者様の師匠なら、教えてください。この黒い水晶は一体どうしたのでしょう」


 「役目を終えたから、そしてまた役目を果たすため、見た目を変えたのだ」


 「役目とはなんでしょうか」


 「もともと、あの水晶は竜の体の中にひとつだけあるものじゃ。今、地上で暴れている竜は他の竜を殺し、その体の中にある水晶を奪い、そこに自分の命を封じ込め、不死身の力を手にいれた。

 そして自分を襲うものにはけっして手出しできないように、手に入れた水晶を北の荒野の果ての果てにひそかに隠していたのだ。

 だが、わたしの弟子がついにその隠し場所を見つけ出し、持ち出すことにも成功したのだが、弟子はそこで持っている知識と力を使い果たしてしまったのだ」


 「ーー王子よ」


 大蛙は呼びかけました。


 「役目とはその水晶そのもののことだ。もしひきうける覚悟がお前にあるなら、手に持っているその球をここで飲み込んでみせなさい。その覚悟がないのなら、わたしによこしなさい。次に引き受けるものがあらわれるまで、わたしがあずかっていよう」


 大蛙の話を聞いた王子は、迷わず水晶の玉を飲み込みました。球を飲み込んだ末の王子は、そのままその場にばったりとたおれこみました。


 猫が近よって、爪で引っかかれた王子が目を覚ましたとき、もう大蛙の姿は見えませんでした。まもなく部屋の出口を猫が見つけたのを追って、王子がどんどん進んでいきますと、やがて城の庭に出ることができました。

 庭の片隅にある枯れ井戸から地上につながっていたのでした。


 城の中では、地下牢から消えた王子を探して、たくさんの家来が走り回っていました。

 末の王子が不思議に思って、親しくしていた厩番うまやばんの小僧を捕まえて話をきいてみますと、王子が経験したことを、城の全員が夢の中で見て、不思議に思った家老が牢屋を確かめに行ったところ、中が空っぽだったため、さわぎになっているということでした。


 末の王子が、王様のところへ出向き、事情を話していると、やはり、同じ夢を見た二人の兄が馬を飛ばして城へ戻ってきました。

 兄達に、末の王子が言いました。


 「わたし達三人が力を合わせれば、倒すことはできなくとも、竜を封じこめることはできるはずです。もう、竜は命の水晶が隠し場所から消えていることに気が付いています。わたしにはそれがわかります。まもなくわたしを追ってくることでしょう。わたし達は北の果ての砦で竜を向かえ打つことにしましょう」


 末の王子の話を聞いた二人の王子は、うなずいて、北の砦を三人だけで目指すことにしました。三人が城を出るとき、王様がやって来て、一番目の王子に短剣を渡しました。

 それは、折れてしまった石剣を元に、国じゅうの職人を集めて、作り直した石の短剣でした。


 三人が北の果ての砦に到着するとまもなく、南の空に竜の姿が見えてきました。

 白からすの王が飛び出して次々と矢を射掛けると、矢は竜の目に突き刺さり、竜はくるしんで地上に落ちました。すかさず大おおかみの王が飛び掛り、短剣で竜の眉間を切り開きました。


 すると、竜のひたいの中から透明な水晶の球が現れました。

 水晶の王が竜の頭に飛び乗って、その球を取り出しますと、水晶の王の胸のあたりから黒い玉のようなものが浮き出してきて、竜のひたいの水晶と重なりました。


 そのとき、竜の命は消え、一緒に、どちらの水晶玉も透明になって空の中に消えてゆきました。


 竜はぐったりと力をなくした格好のまま、ずぶずぶと地面の中に沈み込んでいきました。

 竜が地に封じ込まれたのを見届けた水晶の王は、


 「わたしは、竜が水晶をかくしたという北の果ての果てを、探しにいこうと思います。賢者様はきっとそこにおられるので、わたしはそこで賢者様にお仕えしようと思います」


 そう言い残し立ち去っていったということです。


 その話を伝えた二人の王子は、その後、国の東と西とにそれぞれの領地を治め、お互い助け合いながら国をゆたかに栄えさてせてゆきました。


 ただ、北の果ての荒地は、水晶の王がいつか戻る土地としてのこされました。

 荒れ果てていた土地は、時が流れるにつれ、やがて緑豊かな草原と深い森のある土地へと変わっていったそうです。


 しかし、水晶の王がその領地へ戻ることはありませんでした。


 きっと今もまだ旅を続けていることでしょう。



 ーーにゃん。にゃん。


 話の中で、「猫」となっている所がぜんぶ「黒耳の子犬」になっている話を、師匠がチェリに話してやっているのを隣で聞きながら、わたしが今までにない衝撃を受けていたのは、まあここだけの話なのだが、たぶん二人にはばれてないはずだ。というか気にもしていないだろう。


 だが、わたしには確かめる必要があったのだ。この石像の足もとには確かに水晶の王に忠実に従う猫の像も彫られていたはず。

 わたしは記憶の中のあいまいな輪郭りんかくをああでもないこうでもないと必死に研ぎ澄まして道中自分を勇気付けてきたのだ。


 水晶の王の足もとには、確かに四本足の生き物の像がその主人の足もとに寄り添うように彫りつけられていた。


 そしてとりあえずそれ以上のことが何もいえないくらいあいまいな形にってしまっているのだった。

 頭のところなんて、耳が付いているかどうかもわかりゃしない。


 手を伸ばしやすいところにあるから、きっと何万人もの人の手でなでられて磨り減ってしまったんだろうね。それだけ、愛されているってことさ。


 この猫に見えないこともない、生物いきものの彫刻は。


 わたしは、その猫みたいな形をしている気がする石像から目を離すことができなくて、それが沼の奥底の泥のような闇に落ち込んでしまう時間まで、その場を離れることができなかった。


 ここは、ノルクナイ。この言葉は、かつて、北の砦を示すものだったという。

 人はこのノルクナイこそが、かつて三人の王が竜を封じ込めた伝説の地であるという。


 あやしいものだとわたしは思う。



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