それは早すぎる「再会」〜その3〜

 奏志が拳を握りしめたまま、ホームルームは終わった。そうなると僅かな休み時間とはいえ、新しいお友達のことが気になった生徒は明希の机の周りに集まった。押し寄せる大量の女子、「じゃま」一言だけ冷たい言葉を頂いた奏志は渋々ながら自分の席を離れた。


 「追い出されちったよ」大袈裟に肩をすくめる奏志に仙崎は言った。


 「当たり前だろ? あんなとこに平然といられたらジュース三本奢ってやるよ」


 「三本じゃ割に合わねぇよ、なぁ? 」康司も口を尖らせた。


 「まぁ、しばらくの辛抱だ、頑張れよ」


 「ありがとな、仙崎」奏志が自分の席を見ると、早くも打ち解けた様子で明希が周りの女子たちと話をしている様子が伺えた。良かった……何故自分でもそう思ったかは分からないが、奏志は確かな安堵を覚えていた。


 「どうしたよ、ボーッとしちゃってさ」小西が奏志の肩を軽く小突いて悪戯っぽい笑顔を見せる。少しの沈黙の後、奏志に三人の視線が伸びる。終いに彼らは奏志の視線をなぞってからゲスな笑みを浮かべた。


 「やっぱり、一目惚れってヤツか? 」ニヤニヤと嬉しそうに仙崎は聞いた。


 「いや、そんなんじゃ……ないっすよ」顔は平然としたまま、上ずった声で言った奏志の背中を仙崎はバシバシと無遠慮に叩いた。


 「無理だと思うけど、頑張んな」仙崎の口から出た意外な言葉に奏志を含めた三人は目を丸くして仙崎を凝視した。


 「いいのかよ? 珍しいね、お前がこんなこと言うなんてさ、明日は雪でも降るんじゃない? 」康司はニヒルな笑みを浮かべた。


 「いや、コイツがそんなに上手く立ち回れるわけないでしょ。まぁ、仮に上手くいったら邪魔する、それだけの話だよ」


 「流石IQ84なだけあるな」と奏志が言うと


 「桁が違うよ、桁が、8の前に一つ1が入るって」仙崎は下卑た笑みを浮かべた。同時にガラガラと戸が引かれて、現代社会の担当教員である大川名おおがわなが現れた。


 定年間近という年齢で、頭髪は一部が薄くなっている。軽妙な喋り口による授業中の余談の腕前は学年の教師の中でもトップクラス。授業のおよそ半分が余談で占められる程だ。そんなこんなで一回の授業でそこまで単元が進む訳でもないので「寝れる授業」と名高い。その割にテストは苛烈を極める、中々に見どころのある教師である。


 「さっさと戻ろうぜ、川名翁が来ちまった」仙崎がそそくさと席に戻っていくのに合わせて、奏志も席に戻った。

 

 「はい、じゃあ授業始めるヨ、図表の青年期のページを開いてね」大川名は少しだけおどけたような声で言った。いつもの事であるが、奏志は少し嬉しくなったのであった。


 「すいません……」突如明希が口を開いたため、奏志は狼狽した。


 「あ、そうだ! 教科書……まだだったね」照れくさそうな顔をして奏志は言った。机をくっつけようとしてひきずった音は教室中の視線を集めた。男子からの視線は殺意を帯びており、同様に女子からの視線もまるで1ccでも明希と同じ空気を吸えば殺すというような恐怖に満ち溢れていた。

 

 ひきつった顔で机をつけ終わると、視線は元に戻った。しかし、授業中代わる代わるに奏志を視線が刺し貫いたというのは言うまでもない。


 くわばらくわばら、奏志は出来る限り友人達に恨みを買わないよう、クラスメートに殺意を向けられないように午前の授業を受け終えた。あんまり心配したものだから彼の胃は数百本の針で串刺しにされたかのように痛んだ。顔には苦悶の色が浮かんでいる。


 「大丈夫ですか? さっきから顔色が悪いですよ? 」明希が心配そうに奏志に聞いた。


 「あはは、今日は少しお腹の調子が悪くて……セーロガン持ってるから大丈夫だよ」


 「それならいいんですけど……」そんな明希の言葉に奏志は照れくさそうにしながら頭を掻くのが精一杯だった。なんて素敵な娘なんだろう……こんな俺の心配をしてくれるなんて……奏志は一瞬間の幸福を噛みしめたが、殺気を帯びた視線に萎縮してしまった。


 そそくさと机の上を片付け終えると、奏志は弁当と水筒を掴んで、逃げるようにして席を立った。どかす手間が省けてよかったと次々と女子の群れがワラワラと明希の元へなだれ込む。なんか色々と心配してたみたいだけど、大丈夫そうじゃないか、奏志は安堵して男子の待つ席に着いた。


 「お疲れ様」そう声をかけたのは仙崎だった。


 「何がだよ」奏志はぶっきらぼうに聞き返した。


 「とぼけるなって、蛇に睨まれたカエルみたいな顔しちゃってさぁ」なんだか酷く嬉しそうな様子である


 「ふん、他人事だと思って馬鹿にしゃーがって、お前も非難するような視線を向けてただろーが」


 「それは至極人間的な衝動に従った結果だよ、僕に落ち度はないね」仙崎は目を閉じると満足そうな顔をして首を横に振りつつ、白米を口に入れた。

 

 「それにしても……」どこか訝しげな様子で仙崎は続けた。


 「どうしたんだよ、勿体ぶらずに言えよ」さっきまでパンを食んでいた康司が急かすと仙崎は奏志の方をまっすぐ見て言った。


 「お前、さっき原嶋さんと話してたろ」


 「え……まぁ、そうだけど」


 「さらに付け加えると、ここまでの間に、お前は一度も原嶋さんに対して自己紹介をした素振りはない」

 

 「なんだって!? 」スクリーンに目を落としていた小西も立ち上がった。


 「どういうことか説明してもらおうか」この変な洞察力は一体どこから来ているのであろうか、そう思いながらも、奏志は汗を拭いながら言った。


 「いやまぁ、これには深い訳が……」目を逸らしつつ、絞るようにして一言一言呟く、


 「そんな面白い話があるなら早く聞かないとなぁ」康司、小西も奏志の方を見ている。


 「いや、まぁ、その」奏志は狼狽した。


 「いいから、早く事情をハッキリさせないか! 」仙崎が力一杯拳を机に叩きつけた。奏志の弁当に入っていた唐揚げが軽く跳ねる。


 (進退ここに極まれりと言った状況だが、どうにも逃げ出すことは出来なさそうだ……)奏志が精一杯の思考を巡らせていると、遠くから彼を呼ぶ声があった。


 「ちょっと〜ジュース買ってきてくんない? 約束でしょ! 」奏志が逃げ出そうと「何がいい? 」と聞いた声は仙崎が口を押さえたために涼子の耳には届かなかった。


 「悪いねぇ〜今、うちの篠宮はお取り込み中なんだ」康司が近づいてくる涼子の前に立ちふさがった。


 「何よ、どうせ猥談でしょ」涼子は毅然とした態度で言った。


 「そんなに低俗な話じゃないよ」澄ました顔をして仙崎は眉をあげた。


 その後もあーだこーだと言い争っているうちに昼休みが終わった。ひとまず命拾いした奏志はおとなしく席に戻った。


 


 

 

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