覚醒~その2~

 フットペダルを踏み込み、大きく足を一歩前に踏み出すと、爪先に荷重を集中させる。ディスプレイに映るインジケータは脚部が危険であることを示している。


 なに、そう無理はさせないさ、それに、そんなに脆い機体な訳がない、奏志はそのまま反動とスラスターを利用して雲がすぐ近くまで見えるほど高くまで跳躍した。


 かなりのGがかかり、二人はシートに押さえつけられ、全身がギシギシと軋んだ。本当は対G用の装具が必要なのに……彼は急激に胸を突き上げるような痛みに襲われた。


 「ウッ! カハァ! 」彼の肺が胸にたまった空気を無理矢理絞り出した。意識が遠のいていく──マズイ、気絶してしまう。


 最大限の高度まで上がりきると、奏志は苦痛に顔を歪めながらも不敵に笑みを浮かべ、背部ユニットからサーベルを引き抜いた。光の刃が素早く伸長する。


 眼下に見える火星の街並みは落ちていく夕陽の余韻に照らされ、街の灯の色に染まってゆく。彼の下にいる塊は目標を見失って錯乱したのか、触手を体の前面に集めている。


 奏志は自由落下に機体を任せた、眼下に見える火星の街並みと赤い台地が猛スピードで機体に近づいてくる。奏志が地表ギリギリで機体の姿勢を変えると、触手が突っ込んできた。


 その瞬間──スラスターを微噴射し、軌道を僅かに変える。目標を外して大きく宙を切った触手を横目に見ながら、最大出力のサーベルを塊に食い込ませた。


 肉が焦げるような音がして塊の胴体に光の刃がめり込んでいく。


 「ばぁぁぁ! ばぁぁあああ!! ばぁぁぁぁああああああ!!!! 」塊の声が一層不快に響く。うるさいなぁ……ぐっと手首に力を入れ操縦桿を強く握ると一気に塊の身体を真っ二つに引き裂いた。


 最期の時、塊はその頭をこちらに向け、恨めしそうに奏志達を見た。まるで、どうして? どうしてなの? とでも言いたげだ。こっちの知ったことか、そんなもの……お前がいけないんだよ。まったく……奏志は冷たい目で塊を見つめた。既に、奏志達に向けられていた塊の首も力を失ってだらしなく垂れ下がっていた。


 彼がサーベルのスイッチを切って塊を軽く手で押すと、上半身が綺麗に整った断面を滑り落ちていった。


 鈍い音とともに、多少の土埃が舞い上がる。


 奏志の胸に柔らかな安堵がおりてくると同時に緊張からだろうか、それとも煩雑はんざつな試験機の操縦を長時間続けたからだろうかか、奏志の全身が一気にだるさを帯びはじめた。頭が痛い……シートに深くもたれ掛かり、大きく深呼吸をした奏志は後ろの女の子のことをすっかり忘れていたことに気づいた。


 ゆっくりと振り返り、ヘッドレストから頭を出して後ろのシートを見ると、ぐったりと目を閉じたまま動かなくなってしまった女の子が見えた。マズイ……急加速した瞬間のGがこの女の子にとっては致命的なものだったのかもしれない……どうしよう……俺だってキツかったんだ……ましてや女の子だったら……もしかしたらもう二度と意識が戻らないのかもしれない……一刻も早く病院に連れていかなくては、そう考えた奏志は女の子の肩を強ばった手で抱くと前後に軽く揺すった。


 頼む、起きてくれないと決まりが悪い、それに加えて申し訳が無い、それに俺は、まだキミの名前を聞いていない──奏志が祈るようにしてもう二、三度揺すると、大きな欠伸をひとつして伸びをして、女の子は目を覚ました。急加速の瞬間、彼女はそこから僅かな間ではあるが眠っていたようだ。しきりに目を擦りながら彼女は奏志にこう訊いた。


 「あれ? さっきの黒い塊はどうしたんですか?」どうやら本当に意識がなかったらしい……我ながら危ないことをしたものだと奏志は深く反省した。

 

「さっきの奴は君が気絶しちゃってからすぐやっつけたよ。ごめんね、なにも言わずに急加速して……体はなんともない? 」心彼は聞いた。


 「うん、全然大丈夫」


 「本当に? 」


 「うん、それに、嘘をつく必要なんてないじゃないですか」


 「それもそうだね、でも本当によかった……もし何かあったらどうしようと思ってすごく心配で気が気じゃなかったんだ……」


 「そう……ありがとうございます」そう言うと彼女はクスクスと笑った。可笑しなことがあったのだろうかとキョロキョロと辺りを見回す奏志の様子を見て、さらに女の子の笑い声が大きくなった。


 俺が彼女を心配する、その様子が彼女からすると相当滑稽こっけいだったようだ。汗だくのまま血相を変えて、まなじりが裂けるんじゃないかってほど大きく見開いた目で彼女に話しかけた自分の姿を想像すると、自分でも気恥ずかしくなって、奏志も一緒になって笑った。


 コックピット内に二人分の笑い声が大きく響く。ひとしきり笑い終えると、一番奏志が聞きたかったことを聞いた。


 「そういえば、君の名前は? いや、特に深い意味はないんだけど、名前も聞かずに飛び出して来ちゃったからサ……ちなみに俺は篠宮奏志、高校二年生」


 「私は原嶋明希はらしまあき、あなたと同じ高校二年生、よろしくね」


 「こちらこそ、よろしく」奏志は微笑みを浮かべながら返事をした。差し出された小さな手をしっかりと握りかえす。(やっぱ女の子の手は柔らかい! はっきりわかんだね! )奏志は有頂天だった。彼の嬉しそうな顔を見てから、明希も彼に訊きたかったことを質問した。


 「そう言えば……随分と名前を訊きたがっていたけれど、それはどうしてなんですか? 」死の間際に叫んでしまうほど、大事な理由があったのだろう、純粋にその「理由」が気になったのだ。


 明希のその質問に、奏志は顔を真っ赤にした、どうしよう……ホントのことを言うわけにもいかないしなぁ……


 「いやぁ、一緒に死んじゃうかも知れない人の名前も知らないなんて嫌でしょ? 嫌じゃない? 少なくとも、俺は嫌だった……名前も知らない最期なんてね」


 「そうなんですか……確かに、そうかも知れませんね。今回は生きていたから良かったけど……」彼女は驚くほど素直に彼の言葉を受けとった。


 「分かってくれる? 」


 「何となくですけど」


 「良かった……」


 コックピットの外には、夕陽の残照すら消えて、遠くに街の灯りが輝き始めていた。暫くの間、シートに座ったまま黄昏たそがれる二人、


 「本当に今日は大変でした……助けて貰えなかったら死んじゃってたかも知れないません」火星の宵闇を見ながら彼女が呟く。


 「そうだね、すごく大変だった。君を助けることが出来て良かったよ」奏志は今日の事に確かな「運命」の流れを感じてしみじみと話した。彼の瞳は真っ直ぐに夕焼けよりもずっと向こう、どこか遠くを見つめていた。


 「私も、あなたに助けて貰えて良かった」明希は心からそう思っていた。こんなに真っ直ぐな瞳をした人なんだもの。こんな人じゃなかったら、きっと助けてくれなかったはず。


 「そうかい? たまにはモヤシにも出来ることがあるって分かって良かったよ」


 「モヤシ……? 」


 「あぁ……俺はよく、自分のことをちょっとだけ卑下して見るときにこの表現を使うんだよ。モヤシみたいになよなよしてて、芯の無さそうな感じだからサ……俺って」


 「ヘンな人……」明希はクスクスと笑った。


 和やかな時間が流れていたのも束の間、轟音とともに近くの岩塊にAFが着陸したのが見えた。AF8+ファランクスカスタム、指揮官用の機体だ。


 機体が停止したのが見えた直後、パイロットから通信が入った──


 やはり新型試作機の無断搭乗がまずかったのだろうか……当たり前だよな、奏志は明希と顔を見合わせると、言い訳を考えながら回線を開いた──

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