二五式、起動

 奏志が見つけたのは初期のAFである、AF-2日本での通称は二五式である機体だった。


 初期のAFであるのに整備が行き届きすぎている感が否めないと彼は思った。しかし、そんなことはこの状況下ではどうでもいい。生きのびるためにはこれに乗ってあの塊を殺すか、逃げるかしかない。現実味のある選択肢は後者であろう、奏志はそう判断した。


 幸いなことに、彼らのような宇宙に住む人々は大半が学業の一環、または有事の際の対処法としてAFの操縦法を学んでいた上、奏志はバイトで人型作業機械(民生用二五式、退役機が払い下げられて作業用の改造を施されている)のパイロットを行っていた。


 経験はある、この期に及んで考えている暇など微塵もない。奏志は素早くタラップを駆け上がると、彼女に早く乗るように促した。


 「乗って! 」すぐそこまで来ている黒い塊と半ば相対しつつ、コックピットのサブシートに彼女を押し込むようにして乗せると、奏志はパイロットシートに座り、OSを起動した。コックピットのハッチがズシリと重い音を立てて閉じる。一瞬の静寂の後、全周囲モニターが作動し、外界の様子が映し出された。中央のディスプレイには計器類や武装等がところ狭しと並んでいた。その中の一つで確認した機体ロットはAF2-A/H、重武装型、遠距離砲撃戦を得意とする機体で追加の装甲もついている、逃亡にはもってこいの機体だ。


 奏志がディスプレイから視線を戻すと、既にモニターには黒い塊がすぐ近くに映っている。その臭そうな息がかかりそうな程だ。


 「火気管制はお願いします! それから……かなり揺れます! 」彼女に声をかけると奏志はフットペダルを踏み込んだ。


 各部の駆動系にエネルギーが伝達され、二五式は立て膝の姿勢から立ち上がった。背部に搭載された二門の荷電粒子砲が格納庫の天井を擦りつつぼろ布のように引き裂き、夕方の陽光が射し込む、ついに彼の機体は立ち上がった。


 そのまま格納庫を突き破って跳躍し、もう一度、今度は大きくペダルを踏み込む。機体に搭載されたタキオン粒子ドライブが唸りをあげる、各部のスラスターはこれでもかと蒼い焔を吹き上げ、二人はシートに押し付けられた。やっぱり軍用機は民生機とは比べ物にならないくらい速い、学生服のままAFに乗るなんてイカれてたな、奏志は苦痛に顔を歪めた。


 塊に背を向けて飛び、万が一戦うことになったときのために彼は再度武装の確認を行った。右腕に装備されたアサルトライフルの残弾は八十、左腕のシールド裏にライフルのカートリッジが二つ、肩部ユニットにはミサイルポッドが二、背部ユニットには荷電粒子砲が二門、確認出来た。

 

 これだけあればなんとか逃げ切るぐらいなら余裕だろう……奏志は深呼吸をひとつすると、汗ばんだ手で操縦棹をもう一度、きつく握り直した。


 奏志は後退しながら機体の走行形式をホバーに設定し、市街地を疾走はしり始めた。レーダーで黒い塊がこちらに向かって来るのを確認した彼は、機体を反転させて塊に背を向けた。


 途中、街灯を二、三本へし折ってしまったが、このような状況下では仕方がない。国連軍の交戦区域まではなんとか無事に逃げ切らねばならない、それ以外のことは後回しだ。そう考えて奏志はひたすらに機体を前進させた。

 

 黒い塊は機体の少し後ろにくっついたまま、彼等を追っている。しかし、なにかをしようとはしなかった。本当に言葉通りに追っているのだ。

 

 奏志はそれを不可解に思った。奴のことだから、どうせさっきのように溶解液を噴射するのだろう。彼の予想は間違ってはいなかった。四本目の信号機をへし折り、少し機体の速度が落ちた、その僅かな瞬間を図って、奴は触手を伸ばし、機体を掴んだ。


 やっぱりやりやがったか……奏志がそう思ったのも束の間、塊は機体をガッシリと掴んだまま、その背部に液体をぶちまけた。モニターに次々と警告が表示される。アラートがけたたましく鳴り響き、奏志の鼓膜がちぎれそうになった。


 「外部燃料タンク損傷率67%! 排除します! 」奏志の後ろで女の子が叫び、ボタンを押す。外部燃料タンクが弾け飛ぶ。パァンという音がして、後方に大きく投げ出されたタンクは、まだ機体を掴んでいる塊の頭に激突した。


 頭部に鉄塊の当たった塊は機体を解放し、ズルズルと力なく触手を引きずっている。


 今が好機と見た奏志は素早く機体をターンさせると、ロックオンカーソルが奴の中心を捉えたところでアサルトライフルを乱射した。閃光とともに銃口から放たれた弾丸は正確に目標を貫いている。しかし、奴は何度撃っても倒れない。


 「くそったれェ! なんでまだ生きてんだよ! 」彼は叫び、もう一度トリガーを引くも、弾は出てこない、乾いた音が響くのみ、弾切れだ。まぁいい、カートリッジは十分にある。彼がそうたかをくくった時だった。さっきまでダラリと下に垂らしてあったはずの黒い塊の触手が伸長し、二五式の胴体を凪ぎ払った。


 ガラン、という音と共に増加装甲が崩れ落ちる。間一髪のところで機体を傾けて回避する。危なかった……彼の口から僅かに息が漏れる、大事には至らなかったため、もう一撃喰らったら即死であるのを忘れ、ホッと胸を撫で下ろした。


 サブシートに座った女の子はヘッドセッドを装着してモニターの前で構えている。おおよそ被害状況の確認と戦闘継続可能な時間の計算等の煩雑な作業を行っているのだろう。すごいな……等と呆気にとられている間に奏志は黒い塊を見失ってしまった。


 しまった! 彼は自らの不注意を悔いて、レーダーを注視するも、市街地では上手く塊を追えない。目視できる範囲内にも見当たらない。絶対にその辺にいるのに──


 「二時の方向から来ます! 」後ろからの声を聞いて奏志は脚部のバーニアを急噴射し、機体を反転させる。斜め前のビルの真ん中をぶち抜いて奴が襲いかかってきた。機体を反転させる際、誤ってビルを引っ掻けてしまった、酷い音がして、ビルの五階部分をくりぬかれる。


 「これ以上の市街地での戦闘は危険です! 」轟音に混じって女の子の声が響く、確かに住民の避難は完了しているから死人は出ないが、バレればただじゃすまない、訴訟の嵐だ。確かに彼女の言っていることは正しい、奏志は声を張り上げた。


 「市街地を出ます! 何処なら大丈夫そうですか? 」


 「タルシス台地が一番近くて開けてます! 」モニターの隅に映った地図を一度見ると、奏志は二五式の背部ブースターを全開にして、市街地上空に舞い上がった、しかし先刻燃料タンクを排除したため、飛べる距離はそう長くない。


 上空からも地上で首を振っている奴にめがけて奏志は二、三度ライフルを乱射した。やはり奴は倒れることはなかったが、それでも注意を引くには十分だった。


 「ばぁ~ばぁ~」不快な声を漏らしながら奴はぼろきれのような翼を広げて機体を追ってくる。


 「そうだ、こっちだこっち、いいぞ…そのまま、ついてこい」等と余裕ぶってみたものの、そうは上手くいかない、最新鋭の正式量産機のAF-8でも奴を追いきれていなかったのに、旧式、重武装、鈍重の三拍子がきっちり揃ったこの機体であわよくば逃げ切ろうなんてことは虫が良すぎたようだ。


 「二十秒後には追い付かれます! 」かなり慌てた様子で女の子が叫んだ。


 「ミサイルで牽制して! 」負けじと奏志が叫ぶと、彼女は肩部のミサイルポッドからミサイルを発射した。シュボシュボシュボッ! 間抜けな音がした後背後で爆発が起きた。流石の爆圧に塊がバランスを崩した。


 よし、もうじきタルシス台地だ……奏志は機体を着陸姿勢に持っていくと赤い地表を削って着陸した。そのままの勢いでターンし、奴を迎撃する体勢を整えた。


 十数秒遅れて奴はフラフラとしたまま岩場に激突し、破れた翼をバタバタとせわしなく羽ばたかせている。今ならやれる、背部の荷電粒子砲で焼き払える、奏志はライフルを乱射しながら奴を正面に捉えた。


 「今だッ! 」後ろでトリガーを引く乾いた音がすると同時に荷電粒子が前方に光の尾を引いて行く。轟音と土煙、そして一瞬の静寂。


 「やったか…? 」


 「効果の判定はB、仕留めてはいないと思います」後ろに座った彼女の言う通りだった。すぐに黒い塊は煙の中からその巨体を起こし、再び突進してきた。薄気味悪い咆哮をあげながら。奏志は左腕のシールドを構えてショックに備えた。


 シールドが軋む音、奏志は咄嗟に横に飛び退き、機体が奴の正面を捕らえた、その瞬間を見計らって女の子がミサイルを発射した。白煙を引いた最後のミサイルは目標の胴体にぶつかって爆発し、風穴を開けた大きな音をあげて倒れる黒い塊、胴体に空いた穴から吹き出した体液は火星の赤い大地をキャンバスにして染みを広げていた。


  二人は紅い大地に倒れた黒い塊を見つめた。奴の体液は胴体の穴からビュクビュクと噴き出している。薄気味悪い野郎だったが、死んでいるのだろうか? そう気になった奏志は機体を僅かに前進させて塊の側についた。念のため、と言って二、三発浴びせられた弾丸はミチッ、ミチッと虚しい音をたてて塊に呑み込まれていった。完全に死んでいるようだ。


 「死んだみたいですね、コイツ」奏志は落ち着いた声で言った。さっきまでの恐怖は嘘のように彼の中から姿を消していた。


 「そうみたいですね」女の子は頷きふぅ…と小さく溜め息をつき、安全な地域に戻るべくマップを奏志に見せた。


 「戻りましょうか」彼女が言う。


 「そうだね」危ないところだったが、上手く切り抜けられて良かった。


 「本当に良かった、なにもなくて」安心した表情で彼女は奏志に言った。


 その声を聞いて奏志は思った。そういえば、まだこの女の子の名前を聞いていない、俺は──


 「そうだ、君の名前──」

 

 ズシリと重い音が響くと、近くの大岩が崩れ、中からあの薄気味悪い触手が空を切って飛んでくるのが彼等の目に映った。この台地にも一匹潜んでいたらしい。


 「もう一匹いたのか! 」どうにも俺はついてないきっと天文学的確率の壁に阻まれて彼女に声をかけられないみたいだ。或いは、呪われているのかも知れない。どちらにしろ不幸なのには変わりはないが……奏志は自らを嘆いた。

 

 楽しい自己紹介の時間を邪魔された彼は怒りに任せて引き金を引いた。最早戦闘は危険だと思って逃亡したことなど、一ミリたりとも覚えてはいなかった。


 弾丸に当たった触手が次々と地面に落ちる。正面に向き直り、アサルトライフルの下部に装着されたグレネードを放つ、円筒は夕日に照らされてチカチカと光ると、塊の頭上で爆発した。


 辺りに舞い上がる土煙──また突進してくるに違いない、そう踏んだ彼は先程ひしゃげてボロボロになった盾の残骸を奴に向け、回避運動に入る。円弧を描いて右へ左へ揺れる彼の機体。


 しかし、彼の予想に反して塊は突進して来ない。


 まさか──土煙を引き裂いて大量の触手が伸びてくる。ある程度は予期していたことであったが、彼の予想以上にそのスピードは速く、ほんの一瞬だけ回避が遅れた──

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