第2話 少女と出会い
「あれ、華恋ちゃんどうしたの?」
美由が病室に戻ってきたときの事だ。さっきまで元気に話していたはずの華恋がベッドに入ったまま重苦しい顔でどこか一点を見つめていた。
それはまるでこの病院に運ばれて来たときみたいな面影をしていた。
「ん、あ、な、なんでも、ないよ」
さっきよりも声が出なくなっているのは明らかだった。美由もすぐに異変に気づいて戸惑うが、それもすぐに消えた。
「もしかして私のこと色々聞いちゃったかな?」
何も答えない華恋と、終始ニコニコしている美由。美由が華恋のベッドにそっと優しく腰掛ける。
「友達同士なんだから隠し事は無しだよね……」
「え、あぁ、うん……」
「私も記憶喪失なんだ。まだ半分しか思い出せてない」
「……!」
唖然とした。自分から話すなんて想像していなかったから華恋は目を丸くした。
「なんか階段で足滑らせて頭打っちゃったみたいでさ、怪我はあんまりなかったけど記憶が飛んじゃったみたいっ」
そんな重いことをスラスラと喋っていた。まるでさっきまでしていた世間話と同じような感覚で、ずっと口を開き続けていた。
「最初は戸惑ったけど、すぐに色々思い出してこれたよ。だから華恋ちゃんもさ……安心して」
「うん……ありがとう、美由ちゃん……」
その天真爛漫な姿に勇気付けられたのかもしれない。ちょっとだけ華恋の表情も和らいだ。
「記憶がなくなるってなんか不思議だよね。だって何も覚えてないんだもん。リンゴの剥き方もわかるのに、九九だってスラスラ言えるのに、お母さんの顔でさえ覚えてないの。今はもう大丈夫だけどね、ある一点でプッツンと切れちゃってるの。怖いよね、今でも怖いよ」
華恋は静かに頷くのが精一杯だった。自分と同じ境遇の人間の言葉を重く受け止めた。戦ってるのは自分ひとりだけじゃないという事が前を向くための勇気をくれる気がした。
「もしかしたらこれ以上記憶が戻らないかもしれない」
「そうなの……?」
「分からないよ、医者の人に聞いても分からないって。結局は運命なんだよね、そういうことっ」
「……」
「でもその時はその時って私は決めてるのっ」
「え……?」
「戻らなかったら、また楽しい思い出をこれから作っていくのっ。美しい毎日を、perfect days!!」
「……」
美由の明るさを理解出来ないままでいた。理解出来ないけど、これでいいと思った。"Perfect days" とても良い響き。
「そりゃもちろん記憶は戻った方がいいよね。でもこれからの事考えるのもいいんじゃないかな、華恋ちゃんも」
「……ありがとう、頑張るよ美由ちゃん」
ボロボロ、ボロボロと大粒の涙を流していた。そんな華恋の姿を見てすぐに美由が抱きしめた。
そろそろ陽も落ちてきた頃だろうか、明日の夕方は変わらず雨らしい。
「あっ愛美ちゃんだ。やっほ」
記憶喪失の件を聞かされてそれほど時間は空かなかった。華恋の涙も引いて、いつもどおり笑い話をしていると愛美が病室に入ってきた。
「年上の人をちゃん付けで呼ばないの!」
「だって愛美ちゃん可愛いんだもん」
まるで姉妹のような二人だった。見ていてなんだか穏やかな気分な華恋が居た。美由が一人いるだけで病室がにぎやかになるのに、愛美までそこに加わったら宴会状態だ。
「愛美ちゃんも華恋ちゃんと仲良くなったの?」
「ついさっきね。貴女、華恋ちゃんって言うんだ」
本当の名前じゃないんだけどねと美由が付け加える。良い名前ね、と愛美がさらに付け加える。
「華恋ちゃんに私のヘアピンをプレゼントしたの。すごい似合ってるでしょ」
「うん、とっても可愛いよ。でもプレゼントして大丈夫なの? それってずっと大切にしていたヘアピンなんだよね?」
「大丈夫だよ。一番大切なのは友達なの。ヘアピンは友達の証なんだから」
美由がニコっと華恋の方を向いて笑った。さっき交わったばかりなのに、もう友達として、もう大切な存在として自分を見てくれている美由の存在がとても愛おしかった。
「はぁ若いって良いわねぇ」
「愛美ちゃんは永遠の二四歳なんでしょ?」
「普通に二四歳です! どうせなら永遠の一八歳とかみたいに若くしなさいよ、なんて中途半端なのよ」
「愛美ちゃんは大人の魅力が武器なんでしょ?」
「完全に馬鹿にしてるでしょ!」
そんな馬鹿だけど愛らしいやり取りが愛美が婦長に連行されるまで続いた。婦長曰くいつも世間話が止まらなくなって仕事をすっぽかすので困っているらしい。
「はぁ喋り疲れたなぁ」
「私も笑い疲れたよ。本当にあの人は面白いね」
本当に疲れてしまったのか少しの間二人とも黙ってしまった。華恋に関してはまだ体力が戻ってない状態だったのでなおさら疲れたであろう。それでも楽しい一時を過ごせて良かったと思っている。
そんな状態であるが、華恋にはどうしても一つだけ美由に聞きたいことがあった。
「なんでこのヘアピンを大切にしてるの?」
華恋はヘアピンを指して尋ねた。さっきの会話でとても大切にしていると聞いたので何か気になったらしい。
すると美由は少し困った表情をした。
「んー、よく覚えてないんだよね。あんまり記憶は戻ってないから」
言っていることは美由にとって辛いことだが、いつもの自分を崩さない。
「そうなんだ。ごめんね、辛い思いさせちゃって」
「大丈夫だよっ」
笑顔のまま、美由が少し話題を変えた。
「記憶が戻ったら、一番最初に何がしたい?」
「な、何しようかな? まだ決まってないかな」
「私は早くお父さんと会いたいな。お母さんはけっこう顔出してくれるけど」
「お父さんかぁ……」
それを聞いて華恋は思うところが少しだけあった。それでもまだ聞き手に回ったまま。
「お父さんは北海道で働いててね。私が病院に運ばれたときに一回帰ってきたんだけど、仕事があるって言ってすぐに戻っちゃったの」
楽しそうだった。早くお父さんに会わせてあげたいな、と心から願っていた。
「そういえば」
華恋が強引に話に割り入るかのように強くそう言った。
「私のお母さんとかお父さんはどうしたんだろう……」
「ダメ」
美由が華恋を抱きしめて短く告げた。
「考えすぎだよ……今は変な事考えちゃダメ……とにかく元気になる事が一番、愛美ちゃんも言ってたでしょ?」
「……うん」
「ちゃんと約束は守らないとねっ」
「……うん!」
病院の昼ごはんを二人でおいしく食べたあとの午後の事、美由の母親がお見舞いに来ていた。第一印象は美由とは正反対である。美由に不本意な言い方ではあるが、とても気品のある清楚な女性という表現がふさわしかった。
サラサラの長い黒髪で優しそうな雰囲気にまとわれていて、華恋も見惚れるほどの美人であった。果たして本当に親子なのかと言うくらいに真逆な印象であった。
「全然、美由ちゃんと違う。とっても美人さん……」
「ふぅん、ってちょっと待って!」
思わず口に出してしまって美由に怒られていた。無意識に口に出してしまうほどのギャップらしい、美由の母親も静かに苦笑いしていた。
「この子は華恋ちゃんって言うの。今日、友達になったばっかり。良い子なのっ」
「華恋ちゃんって言うんですか。はじめまして、美由の母親の美奈子です」
「あ、よ、よろしくお願いします」
オドオドとした挨拶を見て美由がくすくす笑い、華恋がちょっと頬を膨らませて対抗した。
「ちょっとトイレ行ってくるね、二人で話しててっ」
「え、え」
突然、美由がトイレで席を外したので華恋は突然二人きりの状況に立たされてしまった。
一度華恋は美奈子に目を合わせる。とても優しい目で返事をしてくれた。目の下にあるホクロが何か大人な雰囲気を醸し出しているのかもしれない。
「ごめんね、華恋ちゃん。美由ったら一日中喋りっぱなしでうるさいでしょう」
「いえ、話していて、とても楽しいですよ」
「まぁ悪い子では無いことは確かなのだけれどもね」
「とても良い子で、大切な友達です」
まるで主張するような堂々とした声だった。
「そうですか……友達は大切にしないと、ね」
一つ呼吸を入れてから美奈子さんが気のせいか重々しくそう言い放った。
「どうか、しましたか?」
「いえ、大丈夫よ。ごめんなさいね、この歳になると突然何かを思い出すことがあるのよね。悲しいことだったり辛いことだったり」
「そ、そうなんですか……」
「こんな事言われても困るだけよね、本当にごめんなさい。華恋ちゃん」
「い、いえ、大丈夫です……」
二人の間には何だか不思議な空気が流れていた。美奈子はあまり華恋と目線を合わせず何かたじたじした印象だ。人見知りなのか分からないがそういう印象を華恋は感じ取った。
「んー、どうしたの二人とも?」
助け舟の如く美由が病室に戻ってきた。やはり初対面同士の二人、ましてや片方は数時間前に目覚めて記憶を失っている少女なのだから良い雰囲気になるわけがない。
「何でもないわ。お母さん、そろそろ仕事に戻るから華恋ちゃんと仲良くしなさいね?」
「はーい、またねー」
美奈子は律儀に畳まれたコートを持ちながら立ち上がり、一度華恋の方をじっと見た。
「……華恋、ちゃん。美由のことお願いしますね」
「は、はい! 分かりました!」
最後に微笑んで美奈子は去っていった。最後の言葉は挨拶の一種なのだろうが、華恋の胸の中に大きく突き刺さった気がした。
「美由ちゃんのお母さん、綺麗だったね」
「そうかな?」
美由がちょっと照れながら返す。
「早く治してお母さんを喜ばせてあげられるといいね」
「うんっ! よし、じゃあそろそろ始めようっか!」
「え?」
美由が何かの開始の合図を告げると、華恋のベッドの横においてある小さめのキャリーバッグに手を出した。
「恒例! バッグの中身チェック!」
「えー!」
絶対に恒例ではないイベントが行われようとしていた。美由は戸惑う華恋を横目に手早くキャリーバッグの中身をチェックした。
「華恋ちゃんの荷物の中に写真とか入ってないの?」
「え、いやたぶんないと思う。何でそんなこと聞くの?」
急に話題が変わって華恋はさらに戸惑っていた。華恋はあまり自分の荷物を調べていないのでよくわからなかった。というよりも、自分の荷物を調べる勇気が無かった。
「もしかしたら記憶が戻る手がかりになる物があるんじゃないかなーって思っただけ。私も手がかり持ってるんだよ。大切にしている写真なんだけどね」
懸命に中身を漁っているがそういう類のモノは出てこない。
そして今度は自分のバッグの中身に手を入れて先ほど話していた写真を取り出そうと思ったが、これもまた見つからなかった。
「あれ? いつもここに入れているんだけどなぁ」
探しても探しても出てこない。美由は困った表情のままだ。
「一緒に探そうか?」
「いや、別にいいよ。こういうものは忘れた頃にポロっと出てくるものだから」
予想に反してあっさりと探すのをやめた。大切にしていた写真なのでもっと根気良く探すと思っていたが、美由の性格にはそういうものは当てはまらないらしい。
「お母さんから聞いたんだけど、李帆ちゃんっていう女の子と写ってる写真なんだけどね。ピンクの写真入れのアクセサリーの中に入れてあるから写真というよりはプリクラかな。とっても仲良しだったらしいんだ、いつも一緒に居て毎日遊んでいたらしいの。でも遠い場所に引っ越しちゃったから離れ離れになっちゃったんだって。そのプリクラは三年前とかに撮ったらしいよ」
まるで他人事のように美由が喋る。それも当然でその頃の記憶が戻っていないから他人事のような語り口調になってしまうんだろう。
「そうなんだ……また会えるといいね」
「んー、記憶が戻ったらね。戻らないで会ったらタダの他人だからね、えへへ」
確かに美由の言うとおりだが、そんな残酷な事を笑いながら話している美由自身に対して華恋は違和感を感じていた。
「出てこないものは仕方ないね! 腹いせにもっと華恋ちゃんの中身いじっちゃおうっと」
「あんまり面白い物とかないと思うよ」
「なんかお菓子とかばっかりだね。あっ財布だ」
美由はピンク色のキラキラした財布を取り出した。なかなか高級そうな財布で美由も目をキラキラさせながら見惚れていたが、華恋は自分の持ち物という感覚がないため一緒に見惚れていた。
「へぇ、すごい……こんなモノ持ってたんだ、ワタシ」
「うわ、七万円も入ってるよ。お金持ちじゃん」
なぜかテンションが上がった美由がさらに中身を漁ると、流行の恋愛小説が数冊をはじめとして、音楽プレイヤー、そして数日分程度の衣服が見つかった。
小説を開いてはパラパラとめくり、音楽プレイヤーを持ってはカチカチと操作をし始めて、荷物の全てに接触していた。
自分の荷物を弄られているわけだが、華恋には実感が無いので特に止めにも入らない。ひたすら他人事だった。
「この本の作者の他の本なら私持ってるよ。お父さんが大好きなんだって。あっ華恋ちゃんもこのアイドル好きなんだー。ほとんどの曲が入ってるよー」
なんで彼女がこんな荷物を持っているのかは当然本人にも分からない。
誰が何と言おうと、このリュックの『持ち主』の好みなのだ。その事を華恋もしっかり理解していた。懸命にまだまだ漁る美由だがこれ以上目ぼしいものは出てこない。
「あれ、携帯電話も無いね。ポケットとかに入れてたりする?」
「いや、無いかな」
一応自分の身の回りを探してみるが携帯電話は見つからない。美由はさらに財布の中身に手を伸ばす。
「財布の中に連絡先とか書いてないね。これじゃ連絡も取れないから大変だね」
華恋も財布のカード入れなどを確認する。美由の言ったとおりよく分からないカードばかりが入っていて検討もつかない。ポイントカードもちらほらあるが、全国的にどこにでもある店のものなので居場所の特定には繋がらなかった。
「何も無いね」
「うん、何も無い」
「……まるでどこにいるか教えたくないみたいに」
「え……?」
華恋が疑問を浮かべる。それに対して美由の話は続く。
「もし、この荷物を持った華恋ちゃんが迷子になったら大変だなぁって思ったの」
確かに携帯電話も無く、住所を特定出来るものを所持していない。これでは交番に行ったって難しくなる。
これは『持ち主』の単なる準備不足なのか。それとも故意にこんな準備をしたのか。もし故意ならば理由はなぜか。
「まるでさ……」
財布には年齢にしては大量のお金が入っていた。数日分の衣服がぎゅうぎゅうに詰められていた。暇を潰すかのような娯楽も持っていた。まるで軽い旅行に行くときのような荷物。
「家出してる子みたいな荷物だよね」
「……」
そこで華恋の時間が止まった。
家出、その言葉が深く突き刺さった。自分が何者なのか、少しだけ考えてはいたけどまさか家出した子という疑惑が生まれるなんて思ってもいなかった。心の中では、美由と同じようにお母さんとお父さんが居てこの町でのんびり暮らしているごく平凡な女の子だと思っていた。何かしらの理由があって病院に来れなくて、でもしばらく待ってれば会いに来てくれると思っていた。
そんな姿を思い浮かべてたからこそ元気で居られた。
「まぁ、まさかね……冗談だってぇ、あれ?」
どこにそんなスピードを秘めていたのかわからないが、華恋はいつの間に病室から駆け出していた。
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