第89話 俺、頭を動かす
スーツに着替えた俺は天井を仰いだ。ところどころに黒いシミがある白い天井。
何とかするって言ったものの……、何とか出来るのか、俺。
自問自答するも答えは出ない。
「でも、やるしかねぇーよな」
そう零すと同時にブツっと放送スピーカーが音を立てた。
「ただいまより、文化祭2日目を開始致します。本日で最後なので、皆さん最優秀目指して頑張ってください」
生徒会長の声で高らかに宣言され始まった文化祭2日目は、昨日より勢いを増して人が訪れていた。
学生が主だった昨日とは違い、今日は地域の人々や各生徒の親達までもがやって来ている。
その理由は──土曜日だからだ。
「マジで来なくていいって……」
仕事が増える上にいろんな人にこの姿を見られるのだ。嫌に決まってる。
「おい、早く来い。もう客来てんぞ」
ため息をつこうとした瞬間、九鬼くんが更衣室に入ってきて声をかけてくる。
マジかよ……。どれだけ来るんだ……。
先のことを考え、先ほど飲み込んだため息の倍の大きさのため息をこぼし、俺は更衣室を後にして、ホールへと向かった。
ホールに出ると、もう金太郎の衣装を纏う志々目さんが接客を始めていた。
「わ、悪い」
「うんん」
通りすがりで謝ると、志々目さんは見たことも無いような可愛らしい笑顔で答えた。
好きなやつが来るってだけで、これ程に変わるものなのかよ……。
でも、どうするかな……。休憩にしてやるしかねぇーよなー。
「ぼーっとするなー」
バシッ、と頭を叩かれる。
「痛いって」
声で叩いてきたのが哲ちゃんだと分かった。
もちろんコスプレなどしていない。
「ホントにずるいよな」
「何が?」
「何で哲ちゃんはコスプレしないわけ?」
「断る勇気さ」
あはは、と笑いながら哲ちゃんは厨房の方へ戻っていく。
いやホント何しに来たんだ? わざわざホールまで出向く意味ねぇーだろ。
「……断る勇気、か……」
別に勇気が無かった訳ではない。てか、調理の方で細かい飾り付けとかがやりたくないから、ホールを選んだ。
でも──。
スーツ着るのは断れば良かったな……。
***
文化祭2日目が始まってから、まだ30分も経っていないのに教室の前には長蛇の列が出来ていた。
「す、すいません。こちらに名前を書いてお待ち頂けますか?」
昨日は夏穂が着ていたフリルの多く付いた和服を、今日は少し色素の抜けた焦げ茶色の髪を持つ
なぜ昨日は夏穂がしていた役割を、飯田がやっているのか。それは、文化祭でみんなに役割が当たるようにだ。
では何故、俺や志々目さんは2日連続やらされているのかという訳だが……。
栗色のまん丸の目は宝石のようで、ふっくらとした唇はしっとりと潤いがあり、美人という言葉が連想させられる飯田はアワアワとしていて、その容姿とは違う可愛らしさが見て取れる。
既に何回もシャッター音が鳴るほどには、人気も出てきている。
「あ、ありがとうございました! つ、次っ……。博多様」
客が教室から出て行くのを確認してから次の客を呼ぶ。
「はーい」
鈴のような可愛らしい声とともに、1人の女子生徒が姿を見せた。
山吹色の布を全身に巻いた格好は、何をモチーフにしているかは、全く分からない。それでも、それは女子生徒によく似合っていた。
艶やかな黒髪に、透き通る肌。清楚を体現したようなその女子生徒は、教室に入るやキョロキョロとし始めた。
「あ、あの……」
飯田は困ったように声をかけるも、博多という名字の女子生徒は取り合わない。
「あっ」
不意に博多が声を洩らした。
「えっ……、先輩?」
向けられた視線の先には、俺がいる。
「恭子さん、何してるんですか?」
手に持っていた、《金太郎の切り株》を客の所に出してから声をかける。
「昨日は、制服姿しか見れなかったからさ」
「だからってわざわざ来なくても……」
「いいのっ」
嬉しそうに笑う恭子さんに、席を案内する。
といっても、空いてる席は一つしかないのだが……。
「注文決まったらまた呼んでください」
知り合いに接客することほど恥ずかしいことは無いな……。
微笑を浮かべてから、俺は
「もうちょっと話していってよー」
「何でですか。俺もいちおう忙しいんですよ?」
「アハハ、それは見れば分かるよ」
ホールに用意された席全部が埋まっている様子を一瞥し、恭子さんは続ける。
「でも、もうちょっと盛岡くんのスーツ姿見てたいから……」
消え入りそうな声音だが、俺の耳には確実に届いた。途端に、恥ずかしくなる。
「そ、そんなのはいいからさ」
恥しくなり視線を泳がせそう言うと、俺たちは黙ってしまう。実際には、紡ぐべき言葉が見つからなくなったのだ。
「俺、戻ります」
ぐっと、言葉を噛み締めてからそう言う。しかし、また恭子さんに止められる。
「待って。注文……する」
透き通る、雪のように白い肌を紅潮させて、囁くように零す。
「あ、はい……」
いきなりだな……。
「これ、ください」
恭子さんは恥ずかしそうに、メニュー欄から《黄金の竹》を指さす。
「分かりました。少々お待ちください」
決まり文句を告げてから、今度こそカーテンの奥へと戻り厨房に、黄金の竹を一つ頼む。
黄金の竹は、棒状になったキット〇ットを皿の上に置いて、その上から金粉をまぶしただけのメニューだ。
故に、すぐに上がってくる。俺は厨房から上がってきたそれをお盆にのせ、ホールへと出る。
相変わらず客足は減らない。むしろ増えていっているようにすら感じる。
先が思いやられるな。
胸中でため息をついてから、恭子さんのもとへ行く。
「お待たせいたしました。《黄金の竹》です」
「ありがとっ。それと、聞きたいことあるんだけど……」
俺が運んだ《黄金の竹》に視線を落とし、恭子さんはか細い声を発する。
「……何?」
騒がしい空間の中にいるはずなのに、俺の声は互いによく届く。
「昨日、告白されたって……ホント?」
えっ……。何で知ってるの……?
目を丸くして驚く俺に、恭子さんは小さく吐息を洩らす。
「やっぱりかー……」
「やっぱりって何ですか」
どんな表情で、どんな風に言葉を発すればいいのか……。俺は分からなかった。
ゆえに曖昧な表情で、声音で、俺は告げる。
「うんん、噂で聞いただけだったから。それで──」
恭子さんは一旦台詞を止めて、思案するような顔を見せてから、つぶやく。
「どうしたの?」
「断ったよ、夏穂もいるし」
なんでそんなこと聞くんだ?
疑問に思いながらも答えると、ちょうどカーテンの奥から九鬼くんが俺の名を呼んだ。
「すいません、呼ばれたんで……戻ります」
「……うん。引き止めてごめんね」
恭子さんは、元の色合いに戻りかけていた肌を再度紅くしながらポツリと呟いた。
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
俺はそれに、他の客に向けるものより、少し朗らかさを増した笑顔でこたえた。
「はいはい、何ですか?」
カーテン裏に戻った俺は、九鬼くんに気だるそうな声で訊く。
「あぁ、用って用はないんだ。ただ──長く喋りすぎだと思って」
したり顔で言う九鬼くん。
そんなに話してたか?
「そうですか」
心に思ったことはそのまま心に留めて、俺はそう言うと、志々目さんと目が合った。
あっ、やっべー。志々目さんのこと、すっかり忘れてた……。
11時には金太郎の衣装を脱いで制服に戻りたい。志々目さんの願いを、俺は承ってしまったのだ。
好きとか嫌いとか、そんな感情は全くない。今まで困った時に助けてくれたお礼という意味が強い。
そして、現在は10時40分を少し過ぎた頃だ。約束の時間まではもう20分も残されてない。
どうするか……。勝手に行かせるか?
頭の中で浮かんだ案がぐちゃぐちゃに絡まっていく。
アーッ、くっそ!
肝心なところで役に立てない自分が
「ごめん……、もういいよ」
志々目さんを金太郎という役割から解放する案を思いついてないのがバレたのか、志々目さんは、俺に近づきそっと囁いた。
情けない……。
俺の心を埋め尽くすのはそれだけだった。1度は承諾したんだぞ? それを投げ出すのか?
いや、違うだろ。男に二言はない、なんて言葉があるんだ。俺だって、諦めてたまるか……。
「いや、まだ時間はある。最後まで諦めるな。絶対……絶対俺がなんとかしてやるから」
最後は自分に言い聞かせるようになっていた。それでも、志々目さんは嬉しそうに笑顔を浮かべて頷いてくれた。
やるしかねぇ……。
カーテンから少し顔を出し、現在の客入りの状況を確認する。
空席ゼロの上、外には未だに長蛇の列。
とうてい20分で
早く終わらせて、休憩にいかせるのは無理か……。
第1の案を放棄する。
「将大、これ出来た」
腰にエプロンを巻いた哲ちゃんが、両手に《竜宮城の水》を持って出てきた。
透明プラスチック製のコップにサイダーを入れ、その上にバニラ味のアイスを乗せてある。さらに、そのアイスに、柄に亀の絵がついたスプーンが刺してあり、喫茶店ではよくありそうなジュースの出し方を真似した《竜宮城の水》。
「1年の女子と男子が座ってるあの席だから」
カーテンを僅かにだけあけて、俺に誰が《竜宮城の水》を頼んだかを伝え、お盆の上にそれらを乗せてから厨房へと戻っていく。
すぐにそのお盆を持ち、俺はホールへと出る。
「お待たせいたしました。竜宮城の水です」
マニュアル通りの対応で商品を提供し、俺はカーテンの奥へと戻る。
時間は──?
慌てて時計を見る。もう5分が経過している。
もう5分も経ってんのかよ……。どうする……。
着替える時間も考えれば、もうそろそろ決断しねぇーと。
考えれば考えるほど、頭の中は真っ白になっていく。
もうあれしかない……。最初から頭にあった、強引な方法……。
すんなり休ませるとか、上手いこと言って休ませるとか。色々考えた。でも、答えは出なかった。いや、出せなかった。
だって……。理不尽で屁理屈だから。通じるわけがないんだ。
それだったら──
「志々目さん、もういいぞ。着替えてこい」
「え、でも……」
許可なく行かしてやる。
「問題ねぇー。俺が何とかする」
「……」
何か言いたそうな表情だが、それを言葉にすることは無い。
「怒られるとか思ってるのか? もしそうなら気にすんなよ。なんてたって今日は、祭りなんだ。祭りなら多少のことは問題ないって。だから、さ。行けって」
俺にはこれしかない。もう、これしかないんだ。
「でも……」
「ほら、もう時間ないぞ。金太郎のまま会うのか?」
試すように微笑み、そう言ってやる。
「それは……やだ」
「だろ? なら、行けって」
志々目さんは、少し眉を寄せて悩んだ顔を見せる。
「……分かった。ありがと」
そして、ほのかに笑顔を見せてから厨房の裏へと回り、そこに並べて置いてある自らのカバンを手に取り、教室を出る。もちろん、後ろの扉から。
これで良かったのかな……。入り口でアタフタしてる飯田さんには、悪いことをしたと思う。でも……
「結局のところ、俺が頑張りゃいいんだよな」
自分に言い聞かすように呟き、ホールへ出ようとした。その時──
「3名様でお待ちの、品川様」
と、飯田さんが客を案内するのが耳に届いた。
3名……品川様?
脳裏に過ぎる嫌な予感。
もしかして……。
そう思い、ホールへ出る。
「あっ、将大くんじゃない」
「スーツなんか着ちゃってるよ」
そこには、夏穂の家族が勢揃いしていた。
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