第88話 俺、文化祭2日目の朝

 教室中を段ボールで埋め尽くして、巨大迷路にする。

 これは俺の去年の文化祭。のはず……。

 去年はすっげー数の女子から告白され、それを全て断ってきていた。

 それが皆の癇に障ったのか、俺はクラスメイト、特に男子から嫌われていた。

 直接嫌いだ、と言われたことは無い。でも、それは分かるものだ。

 コソコソと話して、最後に俺を一瞥する。僅かな視線。それでも気づいてしまうものなのだ。

 だからこそ、俺は学校行事が嫌いだった。幸い薄情な父親は、海外出張で家にはいないので、学校に行くのも休むのも俺の自由。

 自由ゆえに、俺は2日間もある文化祭の2日目を欠席したのだった──。


「あれから1年か……」

 朝早くから出ていた霧は完全に姿を消し、東の空から昇った太陽が南の空へと移動し始めている。

 時刻は午前7時45分。俺はイリーナと並んで、人生初の文化祭2日目に赴こうとしていた。

 もちろん服装は制服だ。残念ながらスーツ姿ではない。

「将兄……」

 同じ学校の制服に身を包んでいるはずなのに、美少女アイドルと見間違えてしまいそうになるイリーナがポツリと零す。

「どうした……って、その顔どうしたんだ!?」

 名前を呼ばれたことに反応し、イリーナの顔を見た瞬間、俺は驚きのあまり声を上げてしまった。

 いつもなら曇りのない笑顔を浮かべているはずのイリーナ。しかし、今日は目の下に真っ黒のクマをつくり、疲れているように見えた。

「えへへ、ちょっと眠れなかった……」

 力のない笑みで答える。俺は、しかし眠れなかった理由がすぐに分かった。

 ──告白されてたこと、気にしてたんだ。

「やっぱり気になってたか……」

 奥歯をきゅっと噛み締めた。考えて欲しくなかった。あっさり、ばっさりと断って欲しい。兄の願望かもしれない。

 イリーナだって、いつかは結婚して家庭を持つ可能性は大いにある。

 それを俺は嫌だと思ってしまう。兄の性なのだろうか。

 はぁー。口の中でため息をこぼし、視線を落とす。

「でもよ、仕方ねぇーだろ。好きな人がいるんだったらよ」

 兄としては複雑だが、という言葉は飲み込みポケットに手を突っ込む。

「……」

 しかし、イリーナは何も答えることなくただ黙っていた。


***


 ほとんど会話をすることなく、俺たちは学校に着いた。普通に授業がある日より、五分ほど遅い到着である。

「俺、行くから」

「うん……」

 弱弱しく首肯し、イリーナは俺に背を向けた。兄としては、本当に心配だった。今日倒れてしまうような、そんな気持ちにさせられる。

「おはよう」

 そんなことを思っていた瞬間、背後から声をかけられた。それはよく知っていて、心を揺れ動かされる。そんな声である。

「夏穂……」

 夏穂は恥ずかし気に、俯いて俺の前を去ろうとする。

「ま、待てよッ!!」

 慌てて声を荒げる。しかし、夏穂は振り返ることもせずスタスタと歩く。

 何なんだよッ!

 身体の芯から湧き上がるような苛立ちと、心を大きく揺さぶられる不安が入り混じる。


「私……、しんどいよ……」

 そう呟いた夏穂の声は俺には届かず、喧噪な文化祭の雰囲気に掻き消されえた。


 俺はそんな夏穂の呟きなど、知る由もなく大きなため息をついて昇降口へと向かった。文化祭の熱気が冬の寒さを掻き消しているように思える。

 実行委員により、昨日の反省点などを生かした改善が行われている。

 入場ゲートでは、掲げられた一日目という看板を下ろし、二日目という看板を新に掲げようとしている。

「ほんと、忙しいな」

 それらを横目で見て、俺は一人寂しく上靴に履き替え、装飾を施された校舎内を歩く。

「おはよー」

 開口一番元気はつらつの声を上げるのは、上野美琴だ。文化祭でコスプレ喫茶をすることになったのはこいつのせいだ。

「おう」

 朝からイリーナのことや、夏穂のことと考えることが多かったために、ハイテンションの上野美琴と会話をする気になれず、適当に返す。

「昨日は大変だったねー。流石はなっちゃんの彼氏だよー」

 楽し気に笑いながら告げる上野美琴。

「別に」

「またまたー。だってさ、あんなにスーツが似合う高校生はいないよ?」

「ざけんなよ。俺が老け顔だって言いたいのか?」

 まともに取り合う気は無かったが、俺はツッコんでしまう。すると、上野美琴は慌てて手をはためかせる。

「そ、そうじゃなくて! イケメンだって言いたいのっ」

 可愛らしく言い残し、上野美琴は教室に向かって駆け出した。自分で言っておいて恥ずかしくなったのだろうか。

 まぁ、何でもいいんだけど。今日もまた、スーツ着るのかな……。

 いつの間にか教室の前までたどり着いていた俺は、扉に手をかけながら思う。

「当たり前だろ」

 不意に、背後からそんな声がした。

 慌てて振り返ると、そこには不敵に微笑む九鬼くんが立っていた。

「声出てたか?」

「おうよ」

 またかよ……。俺、たまにあるんだよな。思ってることがそのまま口に出ること。

「まぁ、頑張ってくれよ」

 それだけ言うと、九鬼くんは視線を俺の手に向ける。

「……あ」

 それでようやく九鬼くんは、俺が扉を開けることを待っているのだと気づく。


 扉を開け教室に入ると、やはりそこは普段とは別世界であった。整然と並ぶ机はなく、向き合わせた机の上にテーブルクロスを敷いたものがあちらこちらに存在している。

 いつもは綺麗な深緑色になっている黒板も、今日は様々な色のチョークで文字が描き出されている。

 さらに、教室の後ろ約3分の1が厨房となっているため、カーテンで区切ってある。それにより、教室に狭い印象が持たれる。


「おぉ、おはよ」

 俺と九鬼くんが並んで登場したことに、昔馴染みの哲ちゃんが驚いた様子を見せた。

「たまたまだよ」

 苦々しい笑みでそれに答えると、九鬼くんが「なんだよ」と言ってくる。

 今日は本当に朝から騒がしい。でも、そのお陰で頭の中でごちゃごちゃになっているイリーナと夏穂の事が少し薄れる。


「んじゃ、これ。着替えてよ」

 しばらく他愛のない会話をした後に九鬼くんは、告げた。もちろん、昨日と同じスーツを手渡しながら──


「やだよ」

「実行委員からの命令だ」

 実行委員にそこまでの権限はない。それを承知の上で、九鬼くんは微笑みながら言う。

「って言っても着るのが、盛岡くんなんだけどねー」

 普段とは少し違う、女の子らしさを漂わせる志々目さんが言う。

 どこが違うのだろう。少し考えてから顔を見る。

「着る服が無いだけだ」

 大きく鼻息を立ててから言う。

 そこでようやく違和感の正体が分かった。

 あぁ、化粧してるんだ。

「またまたー。そのまま制服で出ればいいじゃん」

「えっ、いいのか?」

 その手があった! そう思い九鬼くんに訊くも

「アホか」

 と、一蹴されてしまった。

「とりあえず着替えてこい。時間ねぇーから」

 それから九鬼くんはそう続けた。まだそんな時間じゃねぇーだろ。大袈裟なことを言って……。

 そう感じながらも、いちおう時計を見る。すると、時刻は文化祭開始の15分前まで迫っていた。

「うわぁ、マジかよ!」

 そのあまりに早い時の進み具合に驚きながら、俺は教室から出て、更衣室に認定してある教室へと向かう。

「あ、今日もあるの?」

 そんな俺のあとをついてくる志々目さん。

「まぁね」

「今日も金太郎?」

「うん」

 そう答えた志々目さんの表情が曇って見えた。

「どうかしたのか?」

「……」

 志々目さんは、しかし何も答えない。だから、言うべきか迷った。訊かないほうがいいのか?

 瞬間的に考えた後、俺はそれを口にした。


「その……。化粧してるのと、関係あるのか?」

「……えっ?」

 心底驚いた表情で志々目さん。今までさせたことの無い表情なので、少し嬉しくなったが俺は頬を緩めることなく、志々目さんの言葉の続きを待った。

「……凄いね。やっぱり彼女持ちは違うね。ケンカ中でも……」

 こういう所志々目さんだよ。言わなくていい最後の一言を平気で零す所とか……。

「今日ね、中学の時から好きな男子が来るの。別に付き合ってるとかじゃないんだよ?」

「そうか」

 それだけで察せた。いくら可愛かろうと、好きな人に金太郎の格好を見せるのは嫌なのだろう。

「で、何時頃来るんだ?」

 茶化すような笑顔で訊く。志々目さんは、途端に顔を赤くし、

「11時くらいって言ってた」

 と、消え入りそうな声で告げた。


「分かった」

 志々目さんはその言葉の意味が分かってない様子で、戸惑っている。

「俺が何とかしてやる。志々目さんが金太郎の格好でその人に会わないようにな!」

 だから俺は、自信アリげに親指を突き立ててやった。

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