第87話 私、気持ちが混濁する
明日の準備を終えてから帰宅すると、もう午後七時を大きく回っていた。
みんな遅くまで頑張りすぎよ。
「ただいまー」
ため息混じりに言葉を放ち、学校指定の靴を脱ぐ。
リビングからは「おかえり」という声が幾重にも重ねって返ってくる。
これが私の日常。漂う夜ご飯のいい香り。今日はお好み焼きかな。
お好み焼きは私の大好物。将大にはまだ言ってないけど、一番の好物かもしれない。
匂いで得た情報で、夜ご飯を期待に胸を膨らませる。
「ただいま」
リビングへと繋がるドアを開けて、再度そう言う。
「おかえりー。文化祭どうだった?」
予想通り、夜ご飯はお好み焼きだ。お母さんは、焼いているお好み焼きを器用にひっくり返してから、私に問う。
「楽しかったよ。将大がスーツ着てホステスみたいになって、大盛況だった」
顔に微笑みを刻みながら言う。本当に楽しかった。でも──
「そうなんだ。ほら、焼けたよ」
お母さんは嬉しそうに焼きあがったばかりお好み焼きを、空の皿にうつす。
「のわりには、浮かない顔だな」
ほのかに顔を赤くしたお父さんが、鋭い質問をする。
な、なんて答えようかな……。
一瞬、本気でそう悩んでから口を開く。
「んー、将大があまりに人気になって一緒に回れなかったからかなー」
そうじゃない。女の子に言い寄られる将大を見て、何だかモヤモヤしたんだ。嫉妬──とか言うんだろうか。
見れば見る程に、笑う将大に腹が立った。きっぱり断ってよ! 切なそうな顔で断らないでよ……。
こんなこと思うなんて……。私、最低なのかな……。
「そうか。まだ明日があるだろ」
お父さんはそれだけ言うと、横に置いてあった新聞に手を伸ばす。
「あの子なら大丈夫だろ。ずっとなっちゃんの事考えてくれてたからな」
お兄ちゃんがいつかの日のことを思い出して、そう話している。
私はそれを聞きながら、お好み焼きを口に運ぶ。
こんな複雑な気持ちで食べるお好み焼きはヤダな。
折角の好物も美味しくないように感じちゃう。
それから何枚かお好み焼きを食べた後に、私はお風呂に入った。
私の家は常に人がいる。だから、1人になれる場所は限られる。
トイレかお風呂だ。それ以外にも自室という選択肢があるが、いつもあまり入り浸らない部屋に入り浸っていると心配をかけてしまうだろう。
そしてその1人になれるお風呂に、私はいた。
お湯が白色になる入浴剤を入れる。湯気に紛れて、柔らかい香りが飛散している。美肌とかそんな効果があるらしいが、私はそんなのあんまり気にしない。
というより、入浴剤で美肌になれるならみんな美肌でしょ。
「ふー。でも、気持ちいいな」
白いお湯の中に身を埋め、私は零す。
あーあ。何であんなに腹が立っちゃったのかな……。
今まではそんなこと無かったのに……。
そう考えても答えは出ない。
お湯から上がる湯気が浴室の天井へと届き、天井の冷たさに反応し露へと変わる。
「好きって難しい」
久しぶりに感じる感覚に、私はどうすればいいのか分からなくなっていた。
好きなのに……ちゃんと好きなのに……。私、こんなに束縛する女だったっけ。
「でも、優梨ちゃんの時はそんなこと思わなかったのにな……」
小さく溜息をつき、顔を湯船に埋める。そして、ぶくぶくぶくっと息を吐き、水泡を浮き上がらせる。
はぁー、何でなんだろう。私……。おかしくなっちゃってる……。
今だって、イリーナちゃんと同じ家で暮らしてるって考えるだけで……もうなんか嫌。
「嫌な女……」
パシャン!
浴室に大きな水音が鳴り響く。
「あーダメダメ! こんなんじゃ、ダメ! もっとポジティブにいかなきゃ!」
お湯を顔にぶつけ、目を醒まさせる。
よしっ! 両手で頬をはつり、立ち上がる。
瞬間、鳥肌が立つような冷たい風が肌を切った。
「寒っ」
いくら浴室といっても、もう冬だ。寒くないはずがない。
手早く浴槽に蓋をして、私はお風呂から上がった。
モコモコの見るからに暖かそうなパジャマに着替えた私は、家族に上がったことを告げて、2階の自室に入る。
将大が赤点の再テスト対策った銘打って、泊まりに来たのが懐かしいな……。
あの時先に寝ちゃったの私だったっけ?
ほんと、あの時は楽しかったな……。勉強してて、楽しいった思えることってあるんだなって思ったよ。
好き……。なんか前よりずっとずっと……好きになっちゃってる。
冬用にシフトしたベッドにはふかふかの羽毛ぶとんがある。
私はそこへダイブする。
「──ッ!!」
そして、その羽毛ぶとんに顔を埋めて声を上げる。傍から見ると、声はふとんに吸収されて何かしらの音という形でしか受け止められない。
──くっそー、好きだーっ!!
誰に届くことのない私の想い。
毎日毎日言いたいけど言えない想い。だって、将大はそんなのが嫌いだと思うから。
それなのに、イリーナちゃんが来てからは何だか女の子に対して優しくなったような気がするし……。
だからかな。毎日不安で不安で仕方が無い……。
いつ将大が私の元を離れちゃうか分からないから──
そんなことない。そう信じたいけど……。
「あー、でも。今日のような態度じゃダメだろうな……」
今日一日、将大に対する態度が脳裏を過ぎり、悲しくなる。
あんな態度取りたくないのに……。
本当は嫌いなの? そう疑いたくなる程だ。
「はぁー。将大……」
自分でも驚くような甘い声が洩れた。そして、それを境に私の記憶は薄れていった。
気がついた時には、もう既に1階から私を呼ぶ声がしていた。
「早く起きなさい、朝だよ」と。
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