第90話 俺、待ち合わせをする
「えっ……な、なんで?」
一番にこぼれた言葉はそれだった。
「何でって、文化祭なのよ。来ないわけないじゃない」
ケラケラと楽しそうに笑う夏穂の母さん。いや、そうなんだけどさ……。なんでこのタイミングかな……。
「今日、夏穂昼からですよ?」
と言ってみるも、席についた品川家一行は気にした様子はない。
誰にもバレないように、小さくため息をついてから昨日から何回も言っているセリフを言う。
「いらっしゃいませ。ご注文お決まりになりましたら、声かけて下さい」
いつの間にか体に染み付いてんな……。たった1日しかしてないってのに……。
「はーい」
夏穂とよく似た顔で、よく似た声でそう答える。
あー、調子狂う……。
そんなことを考えながら厨房の方へと戻る。
「眉間にシワよってんぞ」
九鬼くんが俺の顔を見るなりそう言ってくる。
「そんなにか?」
「そんなにだよ。どうかしたか?」
「いや、別に……」
「別にって顔じゃねぇーぞ」
九鬼くんが心配そうな顔で訊いてくる。
「ほんとに何でもない。ただ、夏穂の親が来たってだけ……」
瞬間、九鬼くんは高らかに声を上げて笑う。
「んだよ、心配して損したぜ」
「損ってことはないだろ」
そう言い返すも、九鬼くんはただ笑うだけだった。
何なんだよ……。
しばらくして夏穂の母さんが声を出した。注文が決まったらしい。
誰か行ってくれ……。そう願うも、今ホールを担当しているはずのメンバーは俺と志々目さん、それから飯田さんだ。
しかし志々目さんは、俺がサボっていいと言って出て行ってしまっていて、飯田さんは出入口の客整理で手一杯のようだ。
「ってことは、俺が行かなきゃなんねぇーのかよ」
小さくため息をつき、誰にも聞こえないようにそう呟き、ホールに出る。
いつになったらこの教室が空になるんだろうな。
いつ、どのタイミングで出ても満席の状態の教室を一瞥して思う。
「はい」
品川家一行の座るテーブルまで行くと、俺はそう言う。すると、夏穂の母さんは優しく微笑み口を開く。
「竜宮城の水1つと、金太郎の切り株2つ」
「少々お待ちください」
注文を脳内にインプットし、厨房へと戻ろうとする。
「ね、ねぇ……」
ん? 何か声がしたような……。
耳に届いた僅かな音に反応する。しかし、その正体は分からず、教室はあまりに騒がしいために気のせいだろうと判断するしかない。
ぐるりと辺りを見渡してから、やはり声の正体らしきものは見当たらず、オーダーを通すためにも厨房に戻ろうとする。
だが、歩き出したと同時に右袖に違和感を感じた。何か掴まれてるような……そんな感じだ。
な、何なんだ……?
そう思いながら俺は、袖口が引っ張られるその方向に目をやった。
「……って、恭子さん!?」
視線の先に映ったのは、体育祭実行委員で一緒だった3年生の博多恭子さんだった。
バタバタしてて気にしていなかったが、てっきりもう帰ったのかと思っていた……。
「き、恭子さん。どうかしたんですか?」
「う、うん……」
首肯しながらか細い声が放たれる。
「ちょ、ちょっと待って下さいね」
それだけ告げると、軽く手を振り恭子さんの手を解く。
そして駆け足気味で厨房へ戻り、声を上げる。
「竜宮城の水1つと金太郎の切り株2つお願いします」
恐らくかなりの早口だったのだろう。厨房の方から、もう1回言って、という声が飛んでくる。
あー、くっそ。なんで聞き取れねぇーんだよ。
そう叫びたい気持ちをぐっと堪えて、口を開こうとした時。
「いいよ。急いでるんだろ?」
昔馴染みの哲ちゃんが優しい笑顔を浮かべてそう言った。
「……うん」
小さく頷く。
「なら行けよ。オーダーならちゃんと聞き取ったからよ」
今度は先ほどとは違う。口角を釣り上げた不敵な笑みで親指を突き立てた。
「ありがと」
役に立つ昔馴染みだぜ。哲ちゃん、本当にありがとう。
心の中で再度お礼を言ってから、俺はホールへと戻った。
やはりホールは相変わらずの喧騒で、あちらこちらから楽しそうな声が聞こえる。
俺はそれを気にとめず、一直線に恭子さんの元へ行く。病的にまでに白い肌は、ほんのりと赤に色づいている。
「ね、熱でもあるんですか?」
俯き加減でいる恭子さんの顔を覗き込むようにして訊く。恭子さんは、しかし更に深く俯きかぶりを振る。
体育祭の時とはまるで別人。可憐な乙女といった表現がピッタリ合うような。そんな感じである。
「本当にどうしたんですか?」
その対処法がよく分からず、困惑顔で訊く。
「……」
消え入るような──というよりほとんど消えてしまった恭子さんの音が届く。
「す、すいません。聞こえないです」
聞こうと努力はした。でも、恭子さんの声があまりに小さすぎて聞き取れなかった。
だから俺は、恭子さんの口元に耳を近づけて言う。
「もう1度言ってください」
俺たちの顔の距離は、15……いや、10センチ程しかない。見る場所によれば密着しているように見えるかもしれない。
だが、恭子さんの言わんとすることを聞き取るにはこうするしかないのだ。
「──」
小さな音ではあったが、今度はちゃんと聞こえた。しかし、俺はそれにどう答えていいのか分からなかった。
「え、えっと……」
顔を離し、俺は自分でもびっくりするほど焦った声を出した。
「ここでは無理なの?」
それからそう言葉を紡ぐ。だが、恭子さんは声を出すことは無い。ただ黙って首肯するだけ。
「──分かりました」
俺は恭子さんの頼みにそう答えた。顔を真っ赤して、緊張したのだろう。あんなことを言うのは初めてだったのかもしれない。
だからこそ。俺は答えるべきなんだ。
恭子さんの──12時30分屋上で待ってる
この言葉に……ちゃんと。俺の言葉で答えるべきなんだ。
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