第81話 俺、文化祭で告白される

 目賀祭が始まって、まだ10分程度。どこもかしこも、浮き足立っているのが分かる。

 ふわふわと浮かれた気持ちと、客が来ないことに対する不安が交錯する。

 俺たちのクラスも同様だった。

 1日目の前半戦を任された俺たちは、教室のドアが開こうともしない状況に困惑する。


「ま、まだ誰も来ないのか?」

 唯一クラスから離れられないこの文化祭の取締役と言っても過言ではない、文化祭実行委員の九鬼くんが焦りの声を上げる。

「まっ、まだ始まって時間それほど経ってないよ?」

 眉を潜め困惑顔を浮かべながら、この模擬店の発案者でもある上野美琴が声を裏返しながら言う。

 その声が余計に不安を過ぎらせる。

 そんな声を耳にしながら、俺は厨房隠しのためのカーテンの裏で制服を脱いでいた。

 このまま誰も来ないってことは無いよな……。

 心の中を妙な焦燥感が駆け巡る。

 それが露わにならないように心がけながら、御伽喫茶という名が嘘だと言われても仕方がない衣装に手を通す。

 学校指定のカッターシャツの上に学ランに似た黒い上着。ズボンは上着とセットで売っているであろうスラックス。

「これなんのおとぎ話だよ……」

 袖を通してから言うことではないであろうが、俺は呟かずにはいられなかった。

「でもよく似合ってるわよ」

 くすくすと笑い声を洩らしながら言ってくるのは、赤のポンチョのようなものの真ん中に大きく『金』と書かれた衣装を纏う志々目さんだ。

 バスケ部ということも関係しているのだろうか。スタイルのいい長身の志々目さんが、金太郎の格好をしたって変と言えない。

 そこがまた……悔しい。

 俺はふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向き客が来るのを待った。

 その時だ。教室のドアがガラガラと音を立てて開くのがわかった。

「っ!!」

 先ほどまでは余裕だったにも関わらず、途端に緊張という波が押し寄せてきて、俺の体を蝕んていくのが分かった。

 考えていた事が全て消え去り、真っ白になる。そして、いつのまにか拳を作っており、その中は汗で湿っていた。

「あ、あはは」

 俺は力のない笑みをこぼしていた。意識をしたわけではない。ただ自然にこぼれたのだ。

「余裕だねー」

 強張った顔に上ずった声。見るからに緊張していると分かる至る所にフリルのついた着物風の衣装を纏った夏穂が俺に言う。

 だが、そんなわけない。俺は自分の緊張具合に情けなくなっただけなのだ。

「ま、まぁな」

 でも、勘違いしてくれてるならそれでもいい。俺はそう思い、言葉を紡ぐ。

「それにしても、御伽喫茶なのにね……」

「言われなくてもわかってるよ」

 口先を尖らせ、駄々をこねる子どものごとく表情で呟く。それを見るなり夏穂は、志々目さんと同じようにくすくすと笑った。

「はぁー。なんで俺はこんな衣装なんだよ」

 どこからどう見ても御伽話とは無縁とも思われる姿をした自分を見、俺はため息をついた。

 刹那――

「いらっしゃいませっ!!」

 と、元気のいい声が教室中に響いた。

 やはり先ほど教室のドアが開いたのはクラスの誰かが入って来たのではなく、お客さんが来たということらしい。

 両頬を軽くたたき、気合を入れた。

 やるからには……目賀祭の最優秀賞をとってやる。

 そう意気込んで、俺はカーテンを少しずらしてどんなお客さんが来ているのかを確認した。


 ……。聞いてないぞ……。

 先ほどまでの勢いは遥か彼方。俺は完全にフリーズしていた。

――昨晩――

「ねぇ、将兄」

「なんだ?」

 夕食が終わり、二人そろってテレビを眺めているとき。不意にイリーナが話しかけてきた。

「文化祭で何するの?」

「喫茶店やるらしい」

「らしいって何よ」

 ため息交じりにイリーナがこぼす。俺はそちらは向かずに対して興味もない動物の動画を紹介する番組を景色のように眺める。

「まぁあ、いいや。それで将兄は前と後ろどっち?」

 前と後ろ。それはもちろんクラスの出し物に従事する時間のことである。前は、スタートからお昼過ぎまでを担当し、後ろは前と交代で四時過ぎの一日目終了までである。

 なぜ分けるのか。それは、全員が文化祭を楽しむためだろう。

「前だけど。来る気?」

 俺は自分の衣装のことを思い出し、ぎょっとする。だが――

「行こうと思ったけど、私も前だから無理」

 イリーナは淡々とそう答えるや、おもむろに椅子から立ち上がる。

「どこ行くんだ?」

「お風呂だけど……何?」

「あっそ」


――現在――

 んなこと言っておいて、全然来てんじゃねェーかよ。

 背中に変な汗が伝うのが分かった。いつの間にか額も汗でぐっしょりしており、唇もぱさぱさに乾燥していた。

「何してるの?」

 不意に後ろから声を掛けられる。俺は恐る恐る振り返ると、そこにいたのは志々目さんだ。

「あーよかった」

「何がよかったの?」

 金太郎コスの志々目さんが不思議そうな声を上げる。だが、普通に考えてイリーナが裏側に入ってくることなどありえないのだ。

「いや、なんでもない」

 焦りを隠しつつ、立ち上がるとほぼ同時に九鬼くんの声が響いた。

「オーダー入ります。《金太郎の切り株》二つお願いします!」

「はい!」

 すぐ近くから返事をする声が聞こえた。厨房担当の声だろう。

 そしてこの調理が終えるとともに、俺たちコスプレをしている配膳係の出番である。

 模擬店の調理が二十分もかかるだろうか。答えは否だ。かかって五分というところだろう。

 なぜなら準備が整えられてるからだ。

 切り株風に作ってあるロールアイスを適度の大きさで切る。金太郎の切り株の調理はただそれだけ。そして最後にお皿に乗せ、その中心にクマの形をした砂糖菓子を置く。調理というのもおこがましいくらいだ。

「あがったよー」

 可愛らしい声が俺の耳に入った。刹那に体がビクンと反応する。

「だ、誰が行く……?」

 あがってきたばかりの二つの《金太郎の切り株》を前にして、俺は声を潜めて訊く。

「ここは将大がいくべきだよ」

 夏穂は笑顔で言う。その笑顔にはせっかく妹が来てくれたんだから、という意味が含まれているのは瞬間的に理解できた。押し付けるのではない、優しさからのセリフだ。だが、その優しさは今はいらない。そこはあえて夏穂に行ってほしいくらいだ。

 だが、それを口にできる空気ではなかった。志々目さんも、そのほかの配膳係の人も俺が行くと決めつけそっぽを向いていたのだ。

 はぁー、と深いため息をつき、俺は「わかったよ」と呟き、《金太郎の切り株》をお盆に乗せ、カーテンの裏側からホールへと出た。


「お待たせいたしました。金太郎の切り株です」

 できる限り声を低くして、ばれないように……。そう心掛けて商品を出すも――。

「ぶっ。将兄、何その格好……。ウケるんだけど」

 すぐに看破されてしまい、挙句の果てには大爆笑されてしまう。

「うっせーな、仕方ねぇーだろ」

「仕方ないって、ここホステスなの?」

 イリーナは、おなかを抑え笑いをこらえながら言葉をつなぐ。

「いや。御伽喫茶だけど?」

「スーツ姿のどこが御伽なの?」

 ツボに入ったらしく、イリーナは呼吸するのも困難なほど笑う。

「知らねぇーよ。俺だってそう思ってるし。でも、用意された衣装がこれなんだよ!」

 そう、これは俺の趣味ではない。決して目立ちたいとかそんな感情からではない。実行委員の九鬼くんが俺にこの衣装を手渡してきたのだ。しかも、始まる直前に……。

 スーツ姿の俺は周りからどう見られているのだろう。

 イリーナの大爆笑を受け、途端に不安になってくる。

「あ、あの……。変ですか?」

 俺は、イリーナと一緒に来ているクリッとした愛らしい瞳が特徴的な、小柄の女の子に尋ねた。

 しかし、女の子は何も音を発することはなく、かぶりを振るだけだった。

 威圧……してるのかな。

「あの、本当のこと言ってくれて大丈夫だよ?」

 俺はその子を覗き込むようにして、再度そう訊く。

「そうだよー、みーちゃん。相手は将兄なんだし」

「どういう意味だよ」

 顔を顰めな、その真意を聞こうとしたとき。イリーナがみーちゃんと呼ぶ女の子が、声を発した。

「……とおもいます」

 しかし、大事な部分の声が小さすぎ、何を言っているのかがうまく聞き取れなかった。

「ご、ごめん……。ちゃんと聞こえなかった」

 申し訳なさが溢れてくるも、気になってしまう。

「不細工だって大きな声で言っていいんだよ?」

 イリーナがニタニタとしながら俺を見る。

「サイテーな義妹だ、お前は」

 そう言うとイリーナはころころと笑い、ちろっと舌を覗かせる。

 本当にふざけた奴だ。

 そう思い、俺がその場から離れようとしたその時。

「お兄さんは、かっこいいです!!」

 教室中を木霊する大きな声が轟いた。

 ただでさえ静かだった教室がさらに静かになり、時計の秒針が動く音がやけに大きく感じる。

 みーちゃんは相当勇気を振り絞ったのだろう。真っ赤にした顔がそれを物語っている。そして、それを言われた俺もどんな表情をとればいいのか分からずいた。

「いつまでいるの将兄!! はやく下がって!!」

 目を泳がせ、動揺しているのが丸わかりの態度でイリーナはそう捲し立てる。

「お、おう」

 だが俺もどうしたらいいのか分からず、ただそれに従ってイリーナたちにお小さく礼をしてから、カーテンの奥へと下がった。

 やばい、心臓がバクバクいってる。うるさい。黙れ!

 どんなにそう命令しても、動悸は早くなる一方。そして俺自身も気が付いていた。今まで受けてきたどの告白よりも、胸が高鳴っているという事実に……。

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