第80話 俺、文化祭の準備が間に合わない

 ジリジリ。

 騒々しい音が耳元で響く。

 俺は重たくのしかかる瞼を強引に持ち上げ、自分の温もりが残る布団の中からゴソゴソと這い出る。

 カーテンの隙間からは陽光が──射し込んでない。

 それもそのはずだ。現在、時刻は5時45分。

 夏ならまだしも、冬のこの時間は夜にも等しい暗さである。

 ヒンヤリとした空気が肌を突き刺す。

 身震いを一つし、俺は両手で両腕を擦りながら部屋を出る。

 足裏でキンキンに冷えた床を踏みしめ、音を鳴らさぬように忍び足で階段へと向かう。


「……やっべ」

 階段を1段降りたところで、自分の手の中に何も無いことに気づく。

 どんだけ寝ぼけてんだよ……。

 小さくため息をこぼしてから俺は自室へと引き返すために、降りたばかりの階段を上がる。

 寒い廊下を行ったり来たり……。最悪だ……。

 心底そう思いながら自室へと戻った俺は、クローゼットをそっと開ける。

 早朝ということもあるが、隣の部屋で眠っているイリーナを起こさないためというのが一番の理由だ。

 手早く制服を手に取った俺は、再度自室を出る。

 部屋と廊下では、かなり気温差があるらしい。

 部屋から出た途端に吐く息が白くなるのだ。

 冬だな、と感じながら階段を降りきった俺はリビングに入りエアコンを入れる。

 これで寒さは大丈夫だろう。

 ウィーンという起動音と共に、暖気を流し出してくれるエアコンという存在は素晴らしい。

 エアコンのない時代なんて生きていけねぇーよ。

 そう考えた瞬間に苦笑が漏れる。部屋が暖かくなるまでのしばらくの間、俺はソファーに腰を下ろしテレビを見ていた。

 朝が早いこともあり、芸能ニュースや食事類、旅行関係のお得な情報ではなく、本当に起こりえた報道ニュースをしている。

 誘拐事件に強姦事件、更には殺人事件まで。1日でどれだけ事件が起こってんだよ。

 日本の現状にうんざりしながら、部屋が温まってきたのを肌で感じパジャマを脱ぎ始める。

 幾ら温まってきたと言っても、やはり素肌を晒すと……寒い。

「うぅ……」

 ブルつかせながらさっさと長袖のカッターシャツに袖を通す。

 そしてその上に学ランを羽織り、それから学生ズボンを穿く。


「よいしょっと」

 学ランの下から出ているカッターシャツの裾をズボンにインしてから、台所へと向かう。

「何食うかな」

 返事が返ってこないのは承知の上。でもやはり、返事の返ってくる生活に慣れてくると寂しい。

 その事実を改めて理解し、弱くなったな、と思う。

 そうこうしているうちに時間はどんどん経ち、いつの間にか6時を過ぎていた。

「おぉ、やべぇーな」

 顔に焦りを浮かべ、俺は慌てて炊飯器を開ける。そこには、決して多いとは言えないがそれでも三人前はあるだろうと思われるご飯が入っていた。

 これでいくか。

 俺は食洗機の中からお茶碗を少し強引に取り出し、しゃもじを軽く濡らしてからよそう。

 飲食店で言うならば……、小ライスといった具合だろう。


 それらを昨晩のおかずと共に流し込み、俺は学校へと向かった。


***


 辺りはまだ薄暗い。そんな中俺は、電気のついた教室の中にいた。

 時刻は6時半。にも関わらず、教室には俺のクラスメイト全員が揃っていた。

 教室に来るまでには、装飾を施された他の教室の前を過ぎてきた。だからこそ、自分の教室の質素さにがっかりしてしまう。

「まだ開催まで時間はある! 急いでやろうよ!」

 コスプレ喫茶もとい、御伽喫茶おとぎきっさという文字が可愛らしく書かれた看板を片手に持った九鬼くんが、静寂に包まれた学校に轟く大きな声を上げる。

 上野美琴はその言葉に大きく頷き、テーブルクロスの掛けられたテーブルの上に置かれた、装飾品を手に取る。

 文化祭のスタート時間は9時である。しかし、その前に開会宣言といったしょうもない代物がある。その開始時間は8時30分で、実際に残された時間はあと2時間もないということなのだ。

「同じやるんだったろよ、成功させたいよな?」

 俺の昔馴染みである哲ちゃんが嫌味っぽく俺に笑いかける。

「たりめぇーだろ。何のためにこんな朝早くに学校来てると思ってんだよ」

 そう答え、九鬼くんへと向く。すると九鬼くんは、掠れたような声で「ありがとう」と呟いた。


 そこからは怒涛の忙しさであった。

「おい、この花。ここじゃねぇーだろ」

 誰かの声が飛ぶ。

「ご、ごめん!」

 誰かが謝る。

 だがそれ以上に追求する声はない。そんなことをしている暇がないほどに、忙しいのだ。

「さぁ、仕上げにいくよ!」

 志々目さんがぐっと伸びをしながら、装飾が施され、その他のクラスに見劣りしないレベルまでなった教室を見渡しながら言った。

「そうだな」

 指をポキポキと鳴らしながら、九鬼くんは呟く。

 暗かった窓の外は、明るく陽光が瞬いている。時刻は8時を少し回ったところであった。何やら外がざわつき始めている。

 その他の生徒が登校してき始めているのだろう。

 まぁ、生徒会の面々はもう少し前から校門にアーチを作っていたのだが……。

 教室の入口に御伽喫茶の看板を掲げた九鬼くん。

「終わったぁー!」

 九鬼くんは、心底ホットした顔で笑みをこぼし両手をあげた。それを見たクラスメイトたちは、皆一様にお疲れ様、と告げている。

 実行委員がどれほど自身の重圧になるのか。それは体育祭で体験した俺が一番よく分かっているつもりだ。

 だからこそ──俺は九鬼くんに声をかけずにいた。

 文化祭が終わって始めて実行委員の任を解かれるのだから。


 装飾を終えた教室は、素晴らしいという表現がぴったりであった。

 2つの机を向かい合わせて1つにし、その上にテーブルクロスを掛けることによって作り上げた、テーブル。紙で作られた色鮮やかな花で形成された装飾品。

 さらに黒板には不思議な国のアリスのアリスや、人を乗せた亀やら、犬や猿、キジを連れた腰に剣を刺した青年など。お伽話の登場人物を描いてあった。

 見直せば、よく2時間でここまでやれたな、と思う。

 そして教室の後ろ3分の1。そこは調理場と衣装ルームとなっていた。それを隠すために、テーブルクロスと同じ柄のカーテンをひいてある。


「文化祭なんだな」

 俺はその様子に本気でそう零す。

「当たり前じゃない」

 隣にやってきた夏穂が、微笑みながら返してくる。

「当たり前なんだけど、なんかすげーなって」

「まぁ、それは私も思ってるよ。普段使ってる教室がここまで変化するなんて……ビックリだよ」


 夏穂は遠くを見るように、目の前に広がる教室を見つつ感嘆した。


「まぁ、この非日常感が文化祭なんだろうけどな」

 滑らかに、ポツリと零した。その瞬間──

 ピンポンパンポーン。

「只今より文化祭開会宣言を行います。まだ体育館に移動を終えてない生徒は急いで来るように」

 ブツっ。

 いつものように再度ピンポンパンポーンと鳴ることなく、ぶつ切りされた放送。

 俺は慌てて教室に取り付けられた時計を見た。

 ──8時35分

「や、やばいッ!」

 血相を変え、俺は夏穂に向く。夏穂は口をパクパクさせ、どうしようといった風である。

「どうりで誰も話しかけて来ないはずだ……」

 今更ながら、夏穂と2人で話していた所へ哲ちゃんたちのイジリが入らなかったことを思い出す。

「急ぐぞ」

 俺は夏穂の腕を取り、体育館向かって駆け出した。


***


「遅い」

 体育館に入っていくと、クラスメイトの前に立つ実行委員でもある九鬼くんがポツリと零す。

「いや、言ってくれよ」

 俺は表情をクシャっと崩して言う。

「それに関しては……、申し訳ないとしか言い様がないな」

 悪びれた様子も見せず、九鬼くんは舌をちろっと見せて告げる。

 ハッハーン。こいつ知ってやりやがったな。

 この野郎、という意味を込めて軽い睨みを効かせてやる。

 それに気づいたのだろう。

 九鬼くんはふふっと笑った。


 それからは半寝といった感じで、校長やらの話を聞いた。

 舞台に立つ人は、大してそのイベントに意味の無い話をするのは、何故なのだろう。

 目をつぶった状態で頭を巡らせる。

 それに……声でかいんだよな。

 そんなことを考えているうちに、司会進行の教頭の言葉が耳に入った。

「最後に、開催宣言を生徒会長より行って頂きます」

 生徒会長って誰だったっけ……。

「はい!」

 突然生徒の群れの中から大きな声が轟く。

 若くハリのある女性の声である。

 ドン、ドン、と規則正しい足音を立てながら壇上へと向かうその姿は模範的な生徒と言えるものだろう。

 ピンと伸びた背筋に、後ろで一つに結った髪は艶があるように見える。


 壇上に登りきった生徒会長は、遠目では顔はハッキリと見えない。

 だが、遠目にでも分かる表情が締まったのは分かった。

 そして一礼をし、生徒会長は高らかな声を上げた。

「本日と明日、二日連続で開催される我らが目賀祭。

 そのスタートを切るには最高の日和です。皆さん精一杯に楽しみましょう!」


 この宣言を以て、目賀祭は開始となる。

 俺たち生徒一同は、立ち上がり駆け足気味で各々の教室へと駆け出した。

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