第76話 俺、過去を知る

「ちょっとだけ時間ある?」

 上野美琴の言葉により、俺と上野美琴は赤レンガが敷かれた商店街の一角にあるカフェに入った。


 至ってシンプルな造りな店である。入口は押しボタンのついた自動ドアで、開く度に鈴がチリンチリン、と鳴る。

 入ってすぐに、真っ白のエプロンをつけたふんわりとした雰囲気のある女性店員が、少し小走りで向かってくる。


「何名様ですか?」

「2人です」

「かしこまりました」


 営業用の笑顔であろう。屈託のない笑顔で、そう答え店の中ほどにあるテーブル席へと案内された。

 ここで、煙草を吸うか否かを聞かないのは服装から判断してだろう。

 "CLOSE"と書かれた掛札を入ってすぐの観葉植物の鉢に立掛けてある。

 俺はそれを一瞥してから、俯き加減で先を行く上野美琴の後を追う。


 木製の椅子に腰をかける。

 夕陽が直接は当たらない。が、影でもない。

 なかなか良い場所である。

 夕方だ、ということもあってか客は、俺たち以外にお婆さんといった感じの人が2組いるだけである。

 俺と上野美琴が席につくのを見計らい、先ほどの女性店員がお冷を運んでくる。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 お冷を俺たちの前に置いた女性店員は、左手に紙を挟んだ小さい黒いバインダーを、右手にボールペンを持ち、訊ねる。

 上野美琴は迷う様子もなく、女性店員の顔をみて告げる。


「カフェオレで」

「お一つでよろしいですか?」

「俺もカフェオレで」

「かしこまりました」


 いちいちメニューを見て、決めるのも邪魔くさい話だな、と思い上野美琴の注文に合わせる。

 女性店員は、バインダーに挟んだ紙にボールペンでスラスラと文字を書き連ねる。

 文字を書き終わったのだろう。ボールペンの芯を収め、一礼してから俺たちの前から立ち去る。



「で。話してくれるのか?」


 視線を窓の外へと向ける上野美琴に訊く。窓の外から視線を外すことの無い上野美琴は、夕陽を横顔に受けながらこくん、と頷く。

 客が少ないせいもあり、静寂に包まれた店内に上野美琴の厳かな声が響いた。



「あれは、私となっちゃんが中1の時だった。当時、なっちゃんの家は今とは違うところにあったの」


 視線の先を変えることなく、上野美琴は続ける。


「私がここに転校してくる前にいた市になっちゃんもいたの」

「そうなのか」

「うん。明里あかり中学校の1年1組。そこで同じクラスだったの」


 明里中学校──俺たちが住んでるところより電車で約1時間ほど先にあるいわゆる都会にある中学校だ。

 周りからはマンモス校と呼ばれるほどで、総生徒数は千を優に超える。


「当時のなっちゃんって、いまのなっちゃんとは全然違ったの」

「へぇー、そうなのか? ってか、どんな感じだったんだ?」


 いい感じに食いつく俺に、上野美琴は少し口角を緩める。


「知りたい?」

「あぁ、知りたい」


 それを聞いた上野美琴は、ふふっ、と少し声を洩らして笑う。


「今は明るいでしょ? でも、当時は教室の隅でジーッと黙ってた暗い感じの子だったの」


 予想だにしない言葉に俺は息を呑んだ。しかし、同時に少し前に夏穂の兄である悟さんに聞いた話を思い出した。

 中学の時、両親が離婚した。母親に引き取られた兄と夏穂。そして、その母親は直ぐに再婚をした。

 早すぎた再婚したことにより、周りからは不倫疑惑を与えられ、心を閉ざした、と。


「あれ。なんか訳知り顔なんだけど?」


 いつの間にか視線を俺に向けていた上野美琴は、不思議そうに訊く。

 変に鋭いな……。


「お兄さんからちょっと聞いたことがあったからさ、ボッチだった、って」

「そう……」


 悲しげに瞳を落とす上野美琴。それと同時に


「お待たせしました。カフェオレです」


 と、注文をとった女性店員がカフェオレを運んできた。


「どうも」


 俯いたままの上野美琴に代わり、そう告げると女性店員はニコッと微笑み「ごゆっくりどうぞ」と残し、奥へと下がって行った。


「それで……、何があったんだよ」

「──不倫疑惑なんかがある親の子ってどうなると思う?」


 少し間を開けてから上野美琴は、訝しいげに問いた。

 そんなのすぐに分かった。でも、言いたくなかった。口にしたくなかった……。

 俺が言うべきでない、そう思った。


「分かってるでしょ?」


 全ての気持ちを見透かしたかのように、上野美琴は俺への距離を詰めてくる。

 奥歯を強く噛み締める。キリキリ、と音が鳴るのを感じながら、その僅かな隙間から音を洩らす。


「……わかってるよ」


 まっすぐと注がれる視線に俺は、アタフタとしながら逸らし、慌ててカフェオレに手をつける。

 その様子を見て、ふっ、と小さく笑い椅子に座り直し、上野美琴は俺と同じようにカフェオレを飲む。


「いじめられてた、ってことだろ?」


 持ちあげていたカップを置き、俺は呟いた。


「そう。私は直接的には何もやってない……」


 上野美琴はそう告げた。

 だが、知っている。イジメに何もやってない、ってことはないっということを。

 そして、やってないという人ほど何かをやっている、ということも……。

 しかしそれを告げることはなく、俺は黙って上野美琴の言葉を待った。


「クラスの中心にいた男子と女子を中心に、なっちゃんに容赦ない言葉をぶつけていたわ。最初はほんとにそれだけだったの」

「最初はって、ことは、その後どんどんエスカレートしたってことか?」


 夏穂のいない所で、おそらくは知られたくないであろう過去を根掘り葉掘り聞くのは、どうかとは思う。

 でも……、やっぱり……。今聞かなければ。

 俺はそう思う気持ちを抑えることはできず、考えるよりも先に口から言葉を洩らしていた。


「そう。筆箱隠したり、椅子隠されたり、机に落書きされたり……。そして最後はほとんど暴力だったわ」


 遠くを見つめ、昔を思い出しながら語る上野美琴。

 俺は微動だにせず、静かにそれを聞く。


「でもなっちゃんは言い返すこともしなかった。そして、気づけば学校に来なくなっていた……」


 ふぅー、と息を吐き捨てカフェオレに手をつける。


「引きこもったのか?」


 ごくん、と音を立て飲むと上野美琴は小さくかぶりを振った。


「転校したの」

「そうか」


 2人の間に重たい空気が流れる。ちょうど夕日が雲に隠れたのだろうか。明るかった店内が、どんよりと暗くなる。


「ごめんなさい。私は止めることどころか、一緒に机に落書きとかした。……本当にごめんなさい」


 堰を切ったように、嗚咽を上げながら懺悔を始める上野美琴。『怒り』という感情を見せるべきだったのだろうか。

 その方が上野美琴はスッキリするのかもしれない。だが、俺に怒り感情は沸き上がらず、逆に穏やかな気持ちになっていた。

 これを夏穂が見たらどう思うだろう。

 多分嫌がるだろうな。

 夏穂の姿が、夏穂の家族の姿が脳内に思い浮かべられる。そして、それに今眼前で泣いている上野美琴の姿が重なる。


「謝る相手間違ってるぞ」


 穏やかな口調でそう告げると、上野美琴は赤く腫らした目を俺に向ける。

 小さく微笑み、未使用のおしぼりを手渡す。


「ありがと」


 ヒック、という声を洩らしながらそう告げ、受け取る上野美琴。


「明日でいいから。その話を夏穂にしてやれ」


 その様子を見ながら俺は告げる。対して上野美琴は、でも……と返してくる。


「でもじゃねぇ。本気でぶつかれば、夏穂はきっと答えてくれる。彼氏の俺が言うんだ、信じろ」

「──う、うん」


 半ば強引ではあるが、上野美琴に頷かせる。


「じゃあ、涙拭いたら行くぞ」


 腰を上げ、伝票を手に取り告げると、上野美琴は「ちょっ、ちょっと」と、慌てた様子を見せながら椅子から立ち上がった。

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