第75話 俺、買い出しに行く

 ガラガラと音を立て教室を出る。影の落ちた白濁色の廊下に俺たちの影が並ぶ。


「着いてきてくれてありがとねっ」


 教室からモゾモゾと洩れてくる騒がしい声が遠ざかってきた頃、厳かな声で上野美琴が告げた。

 南棟と北棟の間から廊下に届く、少量の西陽を頬に受ける上野美琴の表情は前を歩いているため見えない。

 俺は何も答えることなく、深緑色の階段に差し掛かる。

 教室から洩れる音は全く聞こえなくなり、俺たちの会話もない。辺りはただ静寂に包まれていた。

 普段ならば野球部やサッカー部などの掛け声が聞こえてきてもおかしくないのだが、今日は聞こえない。

 文化祭前ということで休みなのだろうか。

 そんなことを考えながら、俺たちは階段を降り終えた。


「どこ行くんだっけ?」

「いやだから、ド・キホーテだろ?」

「あー、そうだった!」


 上野美琴はニコッと笑い、手を打つ。

 どこか抜けているように感じるのは気のせいなのだろうか。

 俺は下駄箱から靴を取り出し、上履きを脱ぐ。

 それから靴を履き、上履きを下駄箱の中に入れ、隣でぼーっと立つ上野美琴を見る。


「どした?」


 像の如くで微動だにしない上野美琴に、俺はつま先を地面にトントンと打ち、微調整をしながら訊く。


「えっとねー、下駄箱どこだったかなって思って……えへへ」


 自虐的に笑う上野美琴。

 予想の斜め上をいく言葉に呆気に取られる。


「上野美琴だから……」


 溜息をついてから俺は下駄箱を上から順に見て、名前を確認していく。

 俺らの学校の下駄箱は上から出席番号順となっているのだ。

 あ、から始まるので、う、から始まる上野美琴はすぐに見つかった。

 上から3つ目。下から数えると2つ目だ。


「ほらあったぞ」

「うっそ!? ありがとーっ!!」


 今にも抱きついてきそうなテンションの上野美琴を横目で見る。

 下の方にあるんだから突っ立ったままじゃ見つけにくいだろう。

 上野美琴が自分の下駄箱を探していている時の様子を思い返し、そう思う。


「履けたか?」

「うんっ!」


 元気いっぱいで答える上野美琴に既に疲れを覚えながら、俺は息を吐き出した。


***


 街はオレンジに染まり、土日並みに活気があった。

 ちょうど、パートが終わり、主婦たちが今日の夜ご飯の材料を調達している時間らしい。

 学校より少し北に行ったところにある、この昔ながらといった頭語句が似合う商店街ではあちらこちらで、タイムセールをやっている。


「なんか凄いね」


 その様子を物珍しげに見ながら上野美琴は、言葉をこぼす。

 そう言えば転校生だったんだよな。と、当たり前の事実を忘れかけていた俺は「そうだな」と適当な返しをする。

 あまりも普通に接してくるので、転校してきたばかりだとは思えないのだ。


 上野美琴って一体何者なんだよ。

 分かっていることよりも、分からないことが多い。

 俺は横目で、上野美琴の端麗な顔を見ながら赤レンガが敷き詰められた商店街を進んだ。


 そろそろ商店街が抜けられる、といったところで不意にジューっという何かを焼く音と芳ばしい香りが漂ってきた。


「何かな?」


 上野美琴は期待の色を浮かべる瞳で俺を覗き込んでくる。

 音と匂いで何となく分かるだろ。と思いながらも、


「唐揚げ屋が唐揚げ揚げてるんだよ」


 と、説明する。


「そっか! んー、なんかお腹減ってきたなー」

「買わねぇーからな」

「分かってるよぅ」


 ぶすっと頬を膨らませる上野美琴に再度溜息をこぼす。

 こいつと夏穂の間に何があったんだよ……。

 その事ばかりが頭の中をぐるぐると周り、此処に至るまでもほとんど会話を交わせていない。


 聞きたい、と強く思えば思うほど言葉が儚く消え去る。

 聞きたい内容は固まっている。それなのに、何故か具体的な言葉が浮かばない。

 本能が聞きたくない、と思ってるのか?

 おれは自分が分からない。


 そんなことを考えていると、唐揚げ屋を通り過ぎ、商店街も抜けていた。

 赤レンガの商店街の先に広がるのは、超今風の高い建物が並ぶ中心街だ。

 姫璃ひめりと呼ばれるそこは、商店街よりも人が多かった。

 ちなみに駅前でもあるため、様々な層の人がいる。

 スーツに身を包むサラリーマンに、学生服を着る学生、それから少し腰の曲がったおばあちゃん集団。


「すっごい人多いね」

「いや、都会だったらもっと多いだろ」


 都会より転校してきたと言っていた上野美琴に、おれは田舎者ならそう思うであろう事を告げた。

 瞬間、上野美琴の顔にかげりが生まれ、言葉が途絶えた。


「……そ、そうだね……。あ、あはは……」


 そして暫くして、上野美琴の口から力のない言葉がこぼれ落ちた。

 何気なく放った言葉であったために、俺はどうすれば良いのか分からなくなる。


「あ、あの……」


 かける言葉が見つからず、意味の無い文字を零すと上野美琴は、力なく笑った。


「大丈夫だよ。心配かけてごめんね……」


 無力さが腹立たしい。それが例えどんなヤツであったとしても、女の子だ。女の子に悲痛の表情を浮かべさせ、その上気も遣わせる。

 俺は最低だ。

 下唇を強く噛みしめる。


 眼前には大手家電量販店の大きなビルが立っている。

 俺と上野美琴は、互いに無言で俯きながら歩を進める。

 家電量販店の前を抜けると、カラオケがあり俺は知らないが、ブランドであろう服屋が並び、その横に3階立てのド・キホーテがあった。


「……着いたね」


 語気の弱いセリフが吐かれる。


「お、おう」


 周りの喧騒とはかけ離れた、重たい空気。俺は店へ入ろうとする上野美琴の背を一瞥し、天を仰ぐ。

 そして肺の中にあった全ての空気を吐き出し、一新した。


***


 このド・キホーテは、店に入った瞬間から独特の雰囲気を醸し出している。

 俺たちのように学生服に身を包んでいる人が入る場所ではない。どこかアダルティーな雰囲気がある。

 だが、1階部はまだマシであった。

 特殊な名前や味の食品が陳列されている。


 カレージュースって普通のカレーのルーと何が違うんだよ……。


 陳列されている商品を眺めながらそう思う。


「コレ見てよ!」


 店に入るまでは封印されていた、学校で振りまく活発な女子らしい笑顔を浮かべながら、右手に持っている物を突き出す。

 ポテチジュース。

 上野美琴の手にあったのは、それだった。

 需要あるのだろうか。

 ネーミングから一瞬でそう思ってしまう。


「美味しそうじゃない?」

「はぁ!?」


 先ほど俺が思ったのと真逆の感想を抱いたらしい。


「え? 思わない?」


 潤いのある瞳を俺へ向け、上野美琴は上目遣いで訊く。


「俺は……いらないかな」

「うっそ!? 絶対欲しいって言うと思ったのにー!」


 口先を尖らせる上野美琴は、ブツブツと何かを言いながらも、手に持っていたポテチジュースを元あった場所へと戻す。

 上野美琴あいつの中での俺はどんなんだよ。

 その後ろ姿を見ながら俺は胸中でボヤいた。


 2階に上がった瞬間、そこは一気に大人の雰囲気を増す。

 電灯も1階のような白色ではなく、就寝時に付く僅かなオレンジ色である。

 そして置かれている商品も一転。食品系は一つもなく、そこにあるのはマニアックな玩具やらコスプレ衣装だ。


「うわぁ、なんか雰囲気違うね」


 エスカレーターから2階の床を踏んだ上野美琴は、そんな感想を洩らす。


「そうだな。学生俺らが上がってきて良いのかなって思うよ」

「ほんとだね」


 辺りの静かな雰囲気から自然と声をひそめて話す。

 まだ昼間ということもあるのだろうか。客数もかなり少ないようだ。


「とりあえずあっち側から回ってみよっか」


 左側に立っていた上野美琴は、左方向を指差して告げる。

 俺は「あ、あぁ」と適当な相槌を打ち、上野美琴が指した方向を見る。

 まず目に入ったのは大きなクマのぬいぐるみだった。


 絶対こっちじゃないだろう。


 そう思うも、スタスタと歩き始めている上野美琴の背を追った。


 暫く歩くと、やはりそこには玩具しかなかった。ブロック玩具のLEGEや何十年も前のスーパー戦隊の変身玩具などなど懐かしいものがたくさんある。


「懐かしいな」


 あまりの懐かしさに思わず言葉が洩れてしまう。


「へぇー、懐かしいんだー! これとかも?」


 上野美琴は目をキラキラさせながら、千獣戦隊ガオレンジャーの携帯型の変身玩具を手に取る。


「あぁ、それもだ。それは3歳くらいのときにやってたやつだわ」

「そうなんだー! あっ、これ持ってたー」


 新たに見つけた玩具で、俺の言葉に興味を無くした様子の上野美琴は手の中にある玩具を見せつけてくる。

 ふたりはプリキョアの変身玩具らしい。


「へぇー、それ見てたたんだ」

「えっ、知ってるの!?」

「知ってるよ。仮面ライダーの後にしてたから、続きでそのまま付いてたこともあったな」


 遠い昔を思い返しながら呟くと、上野美琴は目を丸くしていた。

 何がそんなに驚いたのだろう。

 と、思いながら小さく首を傾げる。


「いや、意外とヒーロー好きなんだなーって」


 ふふっ、と笑う上野美琴。

 そう言われると突然に恥ずかしくなり、慌ててそっぽを向く。


「こ、これが目的じゃないんだ。は、早く、いくぞ」


 俺は早口でまくし立て、スタスタと歩き出す。

 2つ角を曲がった所に、目的の物はあった。


 セーラー服に、ナース服。それから警官服にメイド服、アニメのキャラクターの衣装。その他にもまだまだある。

 これがド・キホーテの本気だ。


「何これ……。凄すぎるんですけど……」


 こういうのを見るのは初めてなのだろうか、上野美琴は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で告げる。


「いやいや、言い出したの上野美琴じゃん。何で知らないわけ?」


 先程から微妙におかしなことを告げる上野美琴に、俺は質問を投げかける。すると、上野美琴は押し黙った。


「あー、悪い」


 またやっちまった……。

 表情が翳るのを見てそう思う。

 慌てて話題を逸らそうと、目の前にあったメイド服を手に取る。

 思ったよりも薄っぺらい素材に「えっ」という声が洩れる。


「どうしたの?」

「いや、すっげー薄いんだなって思って」

「そんなに?」


 疑いの目を向けてくるので、俺は手にしていたメイド服を上野美琴に渡す。

 ビニール袋がガサガサと音を立てる。ほとんど客のいないフロアにその音は、妙に大きく響く。


「うっそ!? すっごい薄いんだけど」

「だろ?」


 俺の言葉に上野美琴は、首肯する。

 上野美琴は後ろ側を見てみたり、ビニール袋越しに透かしてみたり、様々なことをしてから値札に目を落とした。


「うっそ!?」

「なんだよ?」


 目を丸くする上野美琴。

 まだ驚くことあるのかよ、と思いつつ俺は律義に聞き返す。

 それが声に現れていたのだろうか。上野美琴は少し怪訝げな顔つきで、値札を見せつけてきた。


 4600円。


「嘘……だろ?」


 喘ぐように呟くも、値段は変わることは無い。


「どうする?」

「いや、衣装の予算は3万だからな。今日は一旦帰ろうか」


 全部この値段だとして、6着しか買うことが出来ない。

 それはつまり、接客できる人が6人になり、衣装は着回しになる、ということになる。

 それは流石にマズイ様な気がする。

 仮にそれでオッケーだとしても、とりあえずクラスメイトに聞くべきだろう。


「そうだね」


 そんな俺の思考を読んだのか、上野美琴も真剣な表情を浮かべる。


 俺たちは1通りの値段を確認し、スマホのメモ帳にメモり、ド・キホーテを後にした。


***


 日はほとんど沈みかけていた。

 思った以上に長居していたようだ。

 部活帰りっぽい、ラケットやシューズ入れを手に持つ学生服姿の中学生が、疲労を含む表情で歩いているのが目に付く。


「私たちもあんな感じだったなのにね」

「正直いまもそんなに変わんねぇーだろ」


 大人のような口振りの上野美琴に、俺は自虐的に言う。

 そして思い切って、その言葉を口にした。


「なぁ。一つ聞きたいことがあるんだけど……」

「────やっぱり?」


 聞こえてなかったのか、と思うほどたっぷり時間をあけて上野美琴は呟いた。

 車道を走る車音に掻き消されてもおかしくないほどの、小さな声であった。


「やっぱりって……、気づいてたのかよ?」


 のほほんとして、周りのことなんか気にしなーい、といった雰囲気の上野美琴が神妙な面持ちで、俺に向く。

 こくり。と、首を縦に振ると、そのまま頭を持ち上げることなく、下を向く。


「ごめんね。気づかないフリしてた……」

「いや、別に……」


 重くなった俺たちの空気。その横をランドセルを背負った、元気いっぱいの小学生3人組が走り去る。


「明日はお前ん家だからなー!」


 赤い服を着た子が叫んだ。


「元気だな……」

「そうだね」


 力無い言葉がわされる。

 それより俺たちの間に言葉はまじわらない。

 行きは引っかからなかった信号に引っかかる。視線の先に広がるのは、横断歩道とその奥にある赤レンガの商店街。

 そこを抜ければすぐに学校で、夏穂のことを訊く機会チャンスが無くなる。

 ゴクリ、と音を立てて唾を飲む。


「教えてくれないか? 夏穂との間に何があったんだ?」


 瞬間、歩行者信号が青に変わったことを知らせる音が鳴る。

 上野美琴は、何も返事をせずに横断歩道を渡り始める。

 俺は慌ててその背を追う。


「────わかった」


 横断歩道を渡り終えるか、といったところで上野美琴が前触れもなく口を開いた。

 乾き切った掠れた声であった。

 相当な覚悟を決めたのだろう。

 上野美琴の顔は、先ほどまでと違い、項垂れておらず前を向いていた。

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