第74話 俺、文化祭の準備を進める
上野美琴が転校してきてはや2日。持ち前の明るさと適応能力で、上野美琴は既にクラスに馴染んでいる。
本当に凄いやつだよ。
だが一方で、夏穂は段々と暗くなって行っているように感じる。
気にしすぎなのかもしれない。それならそれが一番いいのだけど……。
俺はいま教室にいる。煌めく朝日が、冬の朝靄を潜って教室へと差し込んで来る。
陽光は暖かく、気持ちを穏やかにさせてくれる。
窓は外気と室内との温度の差から結露が生まれ、ベチャベチャである。
そこにアホ、やらバカ、やらが書かれている。今どき小学生ですらそんなことしないだろうに。
時刻は8時より少し前。朝のSHRが始まる前ということだ。
「しぶしぶではあったけど、生徒会の判をもらえたので、俺たちはコスプレ喫茶で決定しました」
嫌だ、というのが丸わかりの口調でそう告げる九鬼くん。
しかし一方で、クラスメイトの大半は指笛などを鳴らして喜んでいる。
ちなみに俺は嬉しくもなんとも無い。興味がないのだ。
「で、役割決めねぇーといけない。一番大事なのはやっぱあれだろ? コスプレ衣装」
一様に「あぁー」という声が洩れる。
「誰か持ってるやつとかいないか?」
そんな人はそうそういないだろう。衣装を持っているということは、日頃よりコスプレをしているという主張するようなものだ。
仮に持っていても持っている、とは言えないだろう。
「そーだわな。ってわけで、言い出しっぺの上野美琴とあと何人かでド・キホーテに買いに行ってくれ」
反論の余地など微塵もなかった。いや、実際には反論するまもなく九鬼くんが次の話題へとシフトさせたのだ。
「で、教室の飾りつけは基本女子で頼む。男子にそんな器量はない!」
そこで言い切られると男子がセンスないみたいに聞こえるのだが……。まぁ、女子のがセンスある人多いのも事実なのだが。
そこで湧き上がるのは当然女子の反感だ。
「じゃあ、男子何もしないジャン!」
「女子に押し付けるのはひどいよー」
あちらこちらから収拾のつかない声が上がる。九鬼くんはそれをまぁまぁ、と言い収めると言葉をつないだ。
「男子は机とか運んだりする力仕事を主としてやろうと思う。でも、たぶんそれは早く終わると思う。だから、終わってからは飾りだの何だのの手伝いと考えてる」
九鬼くんがどこか気取った風に話す。まるで演説の様でもある。
「ま、それなら」
「いいかな」
女子からの不満は収まり、同時に朝のSHR開始のチャイムが鳴り響いた。
***
「うぅぅぅぅぅ」
俺は背もたれに瀬を預けきり、思い切り背を伸ばした。ノートをとるときなどは、自然と猫背になっているため、授業が終わったときは腰が痛いのだ。
「久々にちゃんと起きてたね」
茶化すように志々目さんがいたずらな笑みを浮かべ、話しかけてきた。
「あたりまえだろ」
「よく言うわ。いつもはグウグウ大爆睡なのに」
「いつもはいつも。今日は今日だ」
我ながらわけがわからない。でも、まぁいい。俺にはやらなきゃいけないことがあったのだ。
それは――
「で、どうだったの? 品川さん観察は」
そう夏穂の観察なのだって……
「えええええええええ!? き、気づいてたのか?」
「気づいてないと思ったの? 普段起きてない人が起きてること自体が変なのに。それに、視線はずっと品川さんだったし」
「そ、そんなにバレバレだったか?」
見事に看破され無性に恥ずかしくなってくる。
「まぁ、クラスの8割は気づいてるかなー」
「そ、そんなにもッ!?」
8割って、ほぼ全員じゃないか。俺ってそんなにわかりやすいのか……?
「あはは」
真剣に悩んでいる顔がそんなに面白いのだろうか。志々目さんは、腹を抱えて笑い始めた。
「おいっ」
失礼極まりないぞ、という思いを短い言葉に乗せて送る。しかし、志々目さんは笑うことが止められないようで、右手を持ち上げて手だけで「ごめん」の意を示す。
しかし、全然笑うことを止めない姿とともにあるので、誠意というものはまったく見えてこない。
「なんなんだよ」
怒り半分あきれ半分でつぶやき、俺は思考を戻す。
「うそだよ」
刹那、そんな言葉が発された。
「へっ?」
志々目さんは、先ほどまでの爆笑が嘘であるかのように真面目な表情と声音である。
「だから嘘って言ってるの」
「だから何がだよ」
脈絡のない「うそ」発言に戸惑う。
「8割が気づいてるって話」
「ふーん、って、はぁ!?」
少し怒りのこもったはぁを繰り出す。
意識せずとも、目は見開かれ、身を乗り出している。
「気づいている人はいるかもだけど、そんなにいないと思うよ」
「じゃあ、なんで気づいたんだ?」
疑問を口にする。ほんとに俺がずっと見てたとか言われると、気をつけないといけないからな。
「リレーやった仲間だよ? 品川さんの変化でわかったわよ」
挑発するように放たれた言葉ではあった。しかし、それ以前にうれしさがこみ上げてきた。
夏穂のことを見てくれてる人がいる。
この事実が、何よりもうれしく感じた。
「何涙ぐんじゃってるの?」
「涙ぐんでねぇーし」
志々目さんから視線をはずし、危うくこぼれてしまいそうな涙をぬぐった。
教室には西日が差し込んできており、部屋全体がオレンジ色に染まった感じがする。
「じゃあ、とりあえず今日は買出しと、装飾しようか」
そんな時。教室中に二回の手打ちパンパンとなった。それと同時に放課後特有のざわつきがなくなり、室内に静寂が訪れ、九鬼くんはそう発した。
「買い出しって?」
訊いたのは上野美琴だ。なんてたって朝に九鬼くんから買い出しに名指しで任命されたからな。
九鬼くんはあからさまに舌打ちをし、大きくため息をついてから言う。
「朝も言ったろ? ド・キホーテにいってコスプレ衣装を買いにいくんだよ!」
「あー、そっか!」
上野美琴に悪びれた様子はない。至って平然としている。
んん、普通もっと気にすると思うけどな、舌打ちとかは特に。
そんなことを考えているとき、不意に自分の名前が耳に入った。
まさかな……
「たくんといく」
「いまなんて?」
九鬼くんが呆気にとられ聞き返しているところだ。
「だから、将大くんといくー」
滑らかに発された言葉は、何日も言い続けているような自然さがあった。
そのことが皆の肝を冷やした。
俺が夏穂と付き合っていることは周知の事実である。
あえて揉め事を起こそうな度と考えるやつはいなかった。それを上野美琴葉はきれいにやってのけた。
皆はゆっくりと視線を夏穂へと向けた。
「――なに?」
しかし、返ってきた言葉はそれだった。
明らかに何かがおかしい。
このとき、クラスメイト全員がそう感じたであろう。
いつもなら、絶対零度にも劣らない笑みを浮かべ、「私もいく」だの何だのを言い出すはずだから。
「なっちゃんどうしたの?」
そこで空気を呼ばない上野美琴は、普段と変わらない調子で話しかけた。
夏穂はわかりやすく顔色を悪くし、引きつった笑みを浮かべた。
「な、なんでもないよ」
「品川さん」
そこで口を開いたのは九鬼くんだ。
「何?」
青ざめた顔を九鬼くんへ向け、夏穂はしゃがれた声で返す。
「今日は帰って休みな。顔色がよくない」
夏穂は眉をつりあげ、驚きを表し室内を見渡す。誰からも反対は見受けられず、一様にうなずき、九鬼くんの意見に賛成しているようだった。
「で、でも……」
夏穂は皆が頑張るのに自分だけが休むのは、と思ったのだろうか。空ろな目で九鬼くんを捉えて、言葉をつむぐ。
「でもじゃねぇ。もし風邪とかでみんなにうつったりしたらそれこそ困るだろ」
真摯な瞳で夏穂をしっかり見据え、九鬼くんは言った。そこまで言われてもなお、引き下がらない。ということはなく、夏穂はうつむきながらも「わかった」と告げ、かばんを肩に下げ、とぼとぼと教室を出て行った。
「一緒に帰ってやれ――」
九鬼くんは俺に視線を向けて、言葉を放った。しかし俺は、かぶりを振りその言葉を遮り、
「上野美琴と一緒に買い出し行くよ」
と告げた。
九鬼くんは目を見開き、俺へと歩み寄ってくる。
「ざけんなよっ!」
口角泡をとばしながら、俺の襟をつかむ。
「ふざけてなんかない」
抵抗する意思を見せず、俺は手を下げたまま抑揚をつけずに放つ。
「自分の彼女が体調悪いって時に傍にいることもせず、挙句の果てにはほかの女と遊びにいくだぁ!? それのどこがふざけてねぇーんだよ!!」
俺の体を揺らしながら、声を張り上げる。
九鬼くんはホントにいいやつなんだな。
「うるせぇ!!!!!!!!!!」
自分でも驚くほど強く張り上げた声は、教室内に木霊し、辺りを静まり返した。
あぁ、喉がいてぇ。
あまりに強く吐き出したために、喉がひりひりする。
やりすぎたかな、少し後悔しながら俺は九鬼くんの耳元に顔を近づける。
「俺は夏穂の体調不良の原因が何なのかわかってる」
「なにっ!?」
俺が声を潜めたことに何らかの意図があると判断した九鬼くんは、声を潜めて聞き返す。
「原因は上野美琴だと思ってる」
「なんでそう思う?」
「あいつが来た日からだからだ、夏穂がおかしくなったの」
「ほほう」
「だからあいつから何らかの情報を引き出したいんだ。だから俺はあいつと行く」
そう言いきると、九鬼くんの答えを聞かず耳元から顔を離す。それから、他のクラスメイト用の言い訳を、全員が聞こえるように言う。
「俺まで一緒に帰ったら、夏穂が責任を感じるのは目に見えている。だから、俺は残る。でも、心配だから買い出しが終わったら帰らせてもらいたい。だめだろうか?」
「いいや、いい。実行委員の俺が認める」
九鬼くんは仕方がないな、といわんばかりの表情でそう告げ、俺の肩をポンっと叩いた。
がんばれよ。
そう言われたような気がした。
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