第69話 俺、チャラ男の本性を知る

 空も〇べるはずが入場曲となり、騎馬戦に出場する生徒たちがダラダラとした駆け足で、トラックの中に入ってくる。


 小中学生の擬似軍隊のような隊列の入場ではなく、これぞ高校生って感じの入場だ。

 校舎寄りに簡易的に設けられた入場門より、赤いビブスを着用した実行委員を先頭とし、2クラスが入ってくる。

 まずは薄赤色の体操服に身を包む1年生と、深緑色の体操服に身を包む3年生だ。


 俺の知ってる人はいねぇーな。

「知ってる人いるの?」

 俺の心情を見透かしたかのように聞いてくる夏穂。

「いや、いねぇーよ」

「そっか。私はあそこにいる人知ってる」

 夏穂はある人物を指さす。薄赤色の体操服に身を包む、小柄な活発系女子だ。

 長く伸びた髪を後ろで結っており、動くたびにそれがふさふさと揺れている。

「へぇー」

「興味無さそうだね」

「まぁーなー」

 そんなに棒読みだったのだろうか、と考えるが、夏穂がそう言ったからには棒読みだったのだろう。

「中学校の部活の後輩だったの」

「部活なんだったんだ?」

 俺がそう訊くと同時に騎馬を組むための合図である大太鼓が叩かれる。

 それを聞いた生徒たちは、帽子をかぶってない者以外がしゃがみ込み騎馬を作り始める。

「卓球だったよ」

「卓球か」

 俺は体育の授業でやったけど、ヘタクソだったの覚えてるわ。

 再度、大太鼓が和音を響かせ、作り上げられた騎馬が動き始めた。

 戦いが始まるのだ。

「うん。始まったね」

「あぁ、そうだな」


 ほとんどの出場選手は男子生徒であり、女子生徒はかなり少ない中、騎馬に乗るので女子がいるのはかなり以外、というより驚愕した。

「夏穂の後輩、上乗ってんじゃん」

「ほんと。あの子昔からあーなのよ」

 夏穂は額に手を当て、小さくため息を漏らす。

「どゆこと?」

「あの子、中学の時から男子に混じって何かするのが好きな子でね。修学旅行の時は、男子と一緒にお風呂に入ろうとして、先生に止めたられたらしいわ」

「それは痛いな」

 苦笑するしか無かった。そして、そんな話をしているうちに1年生チームが負けた。



「次か」

 第3回戦の生徒達が入場を始める。その中に俺たちのクラスが存在していた。

 一番目立つのはやっぱり伊田くんだろう。あの背の高さで、茶髪に赤いピアス。圧倒的な威圧感。

 正直やばいだろう。

「そうだね。しかも相手は隣のクラスだよ?」

「ああ。でも、勝てんだろ、伊田くんいるんだし」

 どこか楽観的な物言いではあるが、伊田くんにはそれほどまでの強さがあるのだ。

「うわぁ、岩島いるじゃん」

 俺は見覚えのある顔を見て、表情を引き攣らせる。

「あぁ、校外学習行った時のドッヂボールで戦った人?」

「そうそう。委員長らしいぜ」

 ドン。

 騎馬が組み立て始められる。

「嘘っ!?」

「マジらしいぜ」

 らしいって言ってるのは俺も岩島が委員長している所を見たことがないからだ。

 ドン。

 騎馬が作られ、各々が動き始めた。

「始まる」

 俺は自分のことでもないのに、妙に緊張を感じ、心拍数が上がっていた。


「うおおおお」

 怒号が上がり、3人の騎馬に跨る伊田くんが右手を相手の騎馬の1つを指さす。

 騎馬はその指の指示に従い、そちらへ駆けていく。

 砂塵が巻き上がる。

 伊田くんを乗せた騎馬は、筋肉質の男子生徒を乗せた騎馬と対峙する。

 どちらも互いを探るように相手を見つめ、一瞬のスキを狙おうとしている。

「どうした?」

 胸元には斑鳩いかるがという名がある。

「そっくりそのまま返すぜ。テメェから来やがれ、ボケが」

 伊田くんは口角泡を飛ばす。

 斑鳩が不敵に笑い、右手を伸ばす。伊田くんは咄嗟の反射神経で体を逸らし、左手を伸ばす。

 それを斑鳩は引き戻したばかりの右手でぎっちり掴む。

 何だか恋人繋ぎのようにも見えなくもない。

「いてーな、クソが」

 目を細め、厳つさを増した伊田くんが吐き捨てる。

「んなら、さっさと俺様に帽子をよこせ」

「クズにやる帽子なんぞあるわけねぇーだろが」

 斑鳩の言葉を一蹴し、伊田くんは左足のかかとで左側を作る騎馬の横腹を軽くつつく。

 これは合図だ。

『騎馬崩しをしろ』という。

 騎馬戦における敗北は、帽子を取られる、落とすという帽子紛失の他にもう一つある。

 それが乗馬している者が大地に足をつけることである。

 伊田くんの騎馬のセンターを張る、大柄の男子は口角を釣り上げ、乗馬している者同士の戦いの行方をじっと見守っている男の足に自らの足を掛ける。

 そしてそのまま自分の方へと引っ張る。

「なっ!?」

 突然訪れた体勢の崩れに男は驚きの声が洩れ、その騎馬の上に乗る大柄の男は目を見開き、バランスに失った騎馬共々崩れ落ちた。


「後ろっ!」

 刹那、伊田くんの耳に張り裂けそうな声が届いた。

 それが騎馬を組む誰かから発されたのはすぐに分かった伊田くんは、自ら前方へ体勢を崩し、横目で後ろを確認する。

「鬱陶しい!!」

 怒号の咆哮をあげ、伊田くんは腕を振り回しながら振り返る。

 無闇に振り回したように見えた腕は、指先で帽子を触れ、それを落としていた。

 伊田くんの騎馬は、一瞬で2騎を撃退したのであった。

「シャアァァァァ」

 天を仰ぎ、割れた声が轟く。

 伊田くんは1度首を回し、仲間の騎馬がピンチに陥っている場所を指し、移動する。


「2対1はずりぃーだろ!」

 伊田くんは1騎を不意打ちで帽子を奪い、残った1騎と真正面から向かい合う。

 残った1騎は伊田くんの騎馬と向き合った刹那、2対1で追いやられていた仲間の騎馬が、残った騎馬の背後に回り、後ろから帽子を奪った。

「残念だ。オレが来た時からお前の負けは決まっていた」

 地に落ちた騎馬に蔑むような目を向け、伊田くんは冷徹に言い放ち、

「岩島行くぞゴラァ!」

 血走った目でそう叫ぶ。それに応えるかのように騎馬は全力で走る。

「げっ……」

 あからさまに嫌そうな顔をする岩島に、伊田くんは先ほど取ったばかりの帽子を投げる。

「死ねぇゴラァ!」

 怯え気味に伸びてくる左手を右手で弾き、伊田くんは左手で岩島の頭ごと掴む。

 そして頭皮をちぎるほどの力で帽子を強奪した。



「いや、圧倒的過ぎだろ」

 終了を示す大太鼓が鳴った後の感想はそれだけだった。逆にそれ以外に言いようがあるだろうか。

「さすが伊田くんって感じはするよね」

 夏穂は苦笑気味だ。

「だよな」

「こりゃあ優勝だな」

 俺らの学校の騎馬戦はトーナメント式で、最強のクラスを決める。

 予行演習では1回戦しかやっていないので、断言はできないが、あれだけ相手を圧倒できる力を持っているのはそうそういない。

「わかんないけど、その可能性は一番高いだろうね」


***


「次は決勝戦です。2年B組と3年A組です。2年B組は、力の将伊田智也くんが率いる最も優勝が近いクラスです。対して3年A組は、見た目とは反して知の将と冠するのが適切であろう高槻織人率いるクラスです!」


 放送部の人の感情のこもったアナウンスが入り、俺らのクラスとチャラ男のクラスが入場を始める。

「これは伊田くんに絶対勝って欲しいな」

「うん、優勝かかってるしね」

 そういうことではないのだが、俺は「あぁ」と答える。

 単にチャラ男に勝って欲しくない、という思いがあるということは口にはしない。

「なんかこっちまでドキドキしてきちゃった」

「わかる。まぁ、この後すぐに出番じゃねぇーからから最後って気もするしな」

 自虐的に呟く。

「かもね。一旦ご飯挟むからね」

 夏穂はそれに同調し、俺と似た笑みを浮かべた。


 ドン。

 今までよりも張りがあり、重みのある音に聞こえるのは俺の心の持ち方が変わったからだろうか。

 トラック内にいる伊田くんやチャラ男たちは慣れた動作で騎馬を組み立て始める。

「何回もやればこうなるわな」

「だね。みんな手際いいもんね」

 ぼーっと眺めなる俺たちはそんな感想を抱くが、毎回毎回騎馬を作るのは大変だ。

 乗る人が、乗りやすく兼動きやすい騎馬を組まないと勝てないのだ。傍から見て抱く感想とは大きく違うのかもしれない。


 せーのっ。

 伊田くんを、チャラ男を、その他の騎馬も戦闘員を上に乗せ立ち上がる。

 それを見計らい、大太鼓が音を奏でる。

 その音は一瞬にして空気を凍らせ、緊張という糸を張り巡らせる。

 誰も何も発せない。発させない状態は異様、としか表現の仕様がなく、体育祭であるのに静まり返っており、不気味である。

 音が消えるや否や、砂塵が舞う。そして決戦は始まった。


「右2騎、右翼へ展開! メガネのガキを潰せ!」

 実行委員の時のチャラ男からは想像もつかない、覇気と威厳が放たれ、近寄り難い雰囲気すらある。

「ラジャー」

 短い返事が返る。



「させるか!」

 声をキャッチした伊田くんは騎馬に右側へ移動するように伝え、挑んで来る2騎を潰そうと考える。

「単細胞め」

 チャラ男は不敵に微笑み、自らが動き出し、左側の騎馬に円をつくるように指示する。

 深緑色の体操服に身を包んだ3年クラスの2騎は一番端に並ぶ、一番勝率の低いメガネ男子を襲おうとする。

 そこへ九鬼くんを乗せた騎馬と伊田くんを乗せた騎馬が颯爽と現れる。

 3年生の騎馬は顔色を変えて、チャラ男から次の指示を待つ。しかし、待つ指示は飛んでこず、戦わざるを得ないらしい。

 覚悟を決める、そう思い表情を引き締めた瞬間──頭がスッキリしたように感じた。

「へっ?」

 慌てて頭に手を乗せる。そこにあるのは、毛の感触で帽子の繊維の感触ではなかった。

 現れた伊田くんと九鬼くんが強奪していたのだ。

 口角を釣り上げ、取ったばかりの帽子を天へと投げる。

 勝った、ということを誇示するパフォーマンスの一環だろう。

 九鬼くんも伊田くんのそれを真似し、舞い上がった帽子はゆっくりと地へ向かっていく。


「かかれ」

 とても穏やかな声だ。騎馬戦の最中だと思えないほど、落ち着きがあり、闘争心が見えない。

 これは逆に異様である。

 残った3騎の騎馬は三角形を成し、まだ1騎も減ってない、2年の騎馬を全部囲った。

 2年の騎馬は戦いの予兆の感じ取り、身構える。

 刹那──、3年の騎馬は時計回りに回り始めた。

 何が起こったか分からないわけでないが、何の目的でそんなことをしているのかは分からなかった。

 故に、動きが止まった。そこだった。

 一番近くにいる騎馬が勢いよく近づいてき、軽やかに帽子を奪われた。

「取ったなり」

 安らかな声が回る騎馬の1つから聞こえる。

「ざッけんなっ!」

 伊田くんは顔に青筋を立てて、喚き声を上げる。

 その声に驚いた1騎がまた帽子を取られる。


 これで騎馬の数は同じになった。

「最後は演出をしようか」

 動きを止め、砂塵にまみれたチャラ男は含み笑いで告げる。

「倒す」

「あはは」

 伊田くんの怒気のこもった返しに、チャラ男は渇いた笑みで応え、続ける。

「最後は一騎打ちをしていこうじゃないか」

「なに?」

 伊田くんにとっては嬉しい申し出であった。なんてたって、伊田くんはまだ1度も帽子を取られてないのだから──。

 だがチャラ男はそれを知った上での提案なのだろう。伊田くんの笑みに妖しい笑みで応える。

「そのままだ。一騎ずつ戦い、勝ったほうはそのまま続投で戦う。1人で勝ち抜けば3騎残るぞ」

「いいだろう。のった」

 伊田くんはチャラ男の案を呑み、一騎打ちを開始することになった。


「何か話してるみたいだけど……」

 戦闘が止まり、ひそかな声という音が耳に届く。

 それゆえに見入ってた者が何事だと口を開き始めたのだ。

「分かんねぇ」

「だよね」

 自嘲の笑みを浮かべ、スッと目を細める夏穂。

「あれ動いたよ?」

「一騎打ちでもすんのか?」

 互いの2騎が後方に下がり、1騎だけが中央に残る。

「おっとー!! こ、これは……一騎打ちだぁぁぁ!!」

 放送部のテンションアゲアゲアナウンスも、俺と同じことを告げる。

 どうやら間違いはないようだ。

「勝てるかな……」

 何故か急に不安がこみ上げてきたのだった。


***


 準備は整った。先陣は九鬼くんの騎馬だ。

 ここまで帽子を取られたのは1回。強者と言えば強者だろう。

 対して3年生の先陣は、ゴリラのような顔をしたゴリマッチョの男だ。

「合図は……」

 チャラ男が何か言おうとしたが、2人が互いに向き合った瞬間に衝突した。

 手が絡む。勢いをつけてそれを跳ね除け、再度頭にかぶった帽子目掛けて、手を伸ばす。

 その手がまた交錯し、ぎりぎりの所で帽子に達さない。ゴリラと九鬼くんは、奥歯を噛み締めながら1歩後方へと下がる。

 仕切りなおし、ということだろう。

 互いが互いをにらみ殺す勢いで、視線と視線の火花が飛び散る。外にいる生徒たちですら、固唾を呑み事の成り行きを黙ってみている。

 だが、その瞬間はすぐに終わりが来た。

 そよ風が吹く。刹那――、ゴリラは猪のごとく突進で九鬼くんへと突撃する。あまりに唐突で、一瞬のことであったがために反応の遅れた九鬼くんは、そのたった一瞬で帽子を奪い取られたのだ。

「一勝~」

 いつものふざけたようなチャラい言い方で、不適に笑う。伊田くんは、鼻の穴を大きく開け、精一杯まで空気を吸い込み、大きくあけた鼻の穴から体内にあった古い空気を出す。


「やっぱり3年生だね」

 夏穂はしかめた顔で告げる。認めたくない、けどやはり1年の差は大きいのか。勝てないほどなのか。俺は、心が伊田くんに勝てと叫んでいるのを感じてそう思う。

「ま、まだ。まだわかんねぇーぞ」

 苦し紛れだ。たとえ一騎打ちだとしても数で負けている。勝てる可能性が大きく減ったことに間違いはない。


「まだまだだ! 行けぇ! 新宮しんぐう!」

 だが伊田くんに全く諦めた様子はなく、咆哮を上げている。それに応えるように、新宮と呼ばれた幼稚園児が被ってそうな、あごひものついた帽子を被る筋肉質のそこそこイケてる男子は、右手を天に掲げる。

「潰せ」

 冷淡な声調でチャラ男は告げる。

 ゴリラはこくん、と頷き新宮の乗る騎馬と向かい合う。


「バチバチと火花が飛び交う騎馬戦一騎打ち!

 予定通りではないですが、これはこれで盛り上がってまいりました!」

 放送部の煽りもあり、学校が揺れんばかりの声援が上がる。

 その声に押されるようにして、新宮とゴリラとのバトルが始まった。


 新宮はボクシングをするように体を左右に揺さぶる。

 しかし、ゴリラはそれに動じず、しっかりと据えた目で新宮を見る。

 右フックの如く動きで、新宮の腕が伸びる。

 それを軽やかな動きで体を仰け反らすことによって避ける。

「勝ちだ」

 あまりにもひび割れた声で、人間のそれとは思えない残忍な声が、ゴリラの耳を僅かに掠める。

 新宮はほぼグーだった拳を解き、手を全力で広げる。そして、人差し指と中指でゴリラが被るとあまりにも不格好になる帽子のつばを挟む。

 刹那──、新宮はその場に崩れ落ちた。騎馬が崩されたのだ。

「勝ったと思っただろ? どんな強者であってもその瞬間だけは弱くなり、弱者が唯一つけ込める隙になるんだよ」

 騎馬の上から妖しく片方の口端を釣り上げ、不敵に言い放った。

 新宮は悔しそうに強く歯を食いしばった。


「勝てる……の?」

 傍から見てればそう思うのも仕方がないことだと思う。俺だってそう思ってる。

「勝ってもらうしかねぇーだろ」

 だからこそこう言う。信じるのだ。

「そうだね」

 夏穂は頷き、俺と同じように真摯な瞳でトラックの中で戦い始めた伊田くんを見る。



「死ねぇ! クソゴリラ!」

 伊田くんに先輩後輩は関係ない。ゴリラのような先輩に向かってクソゴリラと罵声を浴びせ、顔面を殴るように拳を飛ばす。

 さすがのゴリラもそれには対応できず、両手を顔の前まで持ち上げ、顔面をガードする。

 しかし、痛みは一向に襲ってこず、代わりに頭が涼しくなった。

「しまった!」

「気づくのがおせぇーよクソゴリラ」

 大胆不敵に笑う伊田くんの手の中には1つの帽子があった。

 間違いなくゴリラのかぶっていたものだ。

「きったねぇー」

 顔を歪ませ、伊田くんは帽子を地面に叩きつけた。

「次来いや!」


「す、凄い……」

 夏穂の正直な感想だろう。

 各クラステントからも、雄叫びのような応援と口笛が飛び交っている。

 3年生対2年生という、体の発達状況などの不利に加え、2連敗していた所での起死回生の1勝だ。

 湧かないはずがない。

「ここまできたらマジで勝って欲しいよな」

 俺は無意識のうちに奥歯を噛んでいたことに気づく。

 こっちまで緊張してたのか。

 力の入っていた奥歯から力を抜き、弱々しい笑みを零す。


 次に伊田くんの前に塞がるのは、馬ヅラの男だ。

 眉毛は全剃りしてあり、恐らく部活などはやっていないだろう。

「テメェは潰しときたかったんだわァ」

 馬ヅラはシレッとした目で、棘のある言葉を放つ。

「アァ!? 潰されるのはテメェだろ、クソ馬が」

 またしても顔の特徴を捉え罵る伊田くんに、馬ヅラは表情を変える。

「言ってくれるじゃねぇーか、クソガキが」

「ほざけッ!」

 伊田くんはそう吠え、右足のかかとで騎馬に合図をだす。

『行け』だ。

 騎馬は合図に従い、動き始める。

 伊田くんは微動だにせず、ただただ馬ヅラから視線を離さない。

 そして高速で右腕を伸ばす。

 馬ヅラは不敵に笑い、右フックをキメようとしてくる。伊田くんは咄嗟に体を仰け反らせる。

「同じことやってやろうと思ったのによォ」

 小さく舌打ちをし、馬ヅラは吐き捨て追い討ちをかける。

 帽子を取ろうと伊田くんへ迫るのだ。

 伊田くんは負けじと、崩れた体勢のまま伸びてきた手を掴み、指を絡める。

 だが、馬ヅラはここで不敵に笑った。

 何だ、と伊田くんが不審がる前に意図は読めた。

 強い力で押されているのだ。

「このまま押し倒そうってかァ!?」

 伊田くんは顔を真っ赤にして、そう叫ぶや馬ヅラを押し返そうと力を加える。

 互いに無言で、学校も静寂につつまれている。

 今にも食いしばる歯が軋む音が聴こえてきそうなど静まり返っている。

 刹那、また馬ヅラは笑った。いや、嗤った。

 伊田くんが途端に目を見開き、前方へとよろける。

 馬ヅラは拮抗する力を刹那に弱めたのだ。

 力の限りで押して、押し返されていたことにより保っていたバランスが崩れたのであろう。

 前方へよろける。すなわち、頭が前に出るということだ。

 一言でいうならば、帽子が無防備になるのだ。

 それを狙っていたのだろう。馬ヅラはゆったりと、余裕がある感じで帽子へと手を伸ばそうとした。

 瞬間──。馬ヅラは表情に余裕がなくなり、焦った様子を見せる。

 伊田くんの騎馬が、余裕にふける瞬間をねらって体当たりをしたのだ。

 その衝撃で立ち直った伊田くんは、考えるより先に手を伸ばし馬ヅラの帽子を奪った。

「同じセリフ返してやるよ。どんなに強者であっても勝ったと思った瞬間が隙なんだよ」

 馬ヅラは高い視線から放たれる伊田くんの言葉に、苛立ちを見せ、グラウンドに拳を突き立てた。


「やれぇー!!!」

「勝っちまえ!」

「3年なんて喰っちまえ!」

 どのテントからも伊田くんを応援する声が投げられる。

 圧倒的不利な状況からの追い上げ。人間が好きなシチュエーションである。

「伊田くーん!!」

 そんな周りの雰囲気もあってのことだろうか。俺も柄にもなく大声を上げていた。

 その声が聞こえたのか、伊田くんは持っていた帽子を投げ上げ、そのまま拳を天へと突き上げた。

「凄いね、伊田くん」

「あぁ。こんなの見せられちゃ、後がプレッシャーだけどな」

 自嘲気味にいう俺に夏穂は

「コケないように頑張らないとね」

 と茶化しをいれてきた。



「完全にアウェーになったよ」

 綺麗な顔立ちで、チャラチャラした感じが否めない高槻織人は、苦笑で言う。

「テメェが持ちかけた話だろうが」

 伊田くんはどのタイミングで飛びかかろうか、と考える。

 2戦終えた騎馬は疲労に満ちている。それは乗っている戦う伊田くんにもヒシヒシと伝わり、なにより伊田くん自身もかなりの疲労を感じていたのだ。

「まぁ、そうなんだけどね」

 何が目的で話しているのか分からないチャラ男は、ヘラヘラとした雰囲気で話した。

 が、刹那。チャラ男の纏う雰囲気が変わった。

 離れた場所にいる俺にすら分かるほど、大きな変化であった。

 チャラさがなくなり、男の、戦うための顔つきになる。

 いくぞ。

 そんな声が聞こえたような気がした。


 腕が交錯する。汗ばんだ腕と腕がすれて、気色の悪いヌルッとした感じがする。

 しかし、2人はそれを気にした様子はなく、交錯した腕を外側へと開く。

 互いの騎馬はそれを危機と感知し、自らの意思で1歩後方へ下がる。

 その意思を汲み取り、上に乗る2人も落ち着きを取り戻す。

 次は視線の打ち合いだ。

 バチバチと火花が飛び交う。

 伊田くんとチャラ男の体が大きく揺れる。

 騎馬が動き、激突したのだ。

 上だけでなく、下でも戦いが始まる。

 中央を張る男同士が肩をぶつけ合い、まるでラグビーの如くだ。

 両サイドの男は中央を崩さんとばかりに、脚技が繰り出される。

 それにより、騎馬は形を崩し乗り心地が悪くなる。

 その上でも落ちないようにバランスを取りながら、伊田くんは拳を作り、突き出す。

 チャラ男はそれを意にも介さずに、体を逸らし、背筋に力を込めて手のひらで受け止める。

 受け止めた手で伊田くんの拳を覆い、自らの方へ引っ張るチャラ男。

 伊田くんは目を見開き、一瞬で頭を回す。

 口でつばを噛んで奪おうという考えに至り、口を大きく開けた。

 その思考を読んだのか、チャラ男は覆っていた拳を押し返し、体を更に逸らす。

 前に出れば帽子を奪われるリスクが高まる。

 伊田くんは伸ばしていた首を引っ込め、次の攻撃に備える。


「なかなか決着がつかないわね」

 息をのみ、夏穂は神妙に呟く。

「あ、あぁ……」

 掠れた声でそう答える。


 場に残るのは騎馬は2騎。全員が全員、揃いに揃って息を荒らげている。

 皆体力の限界なのだろう。

「そろそろくたばれよ、クソガキが」

 疲れが溜まった顔でチャラ男は悪態をつくが、伊田くんの耳には届いてないようだ。

「タオス……タオス……」

 それどころかチャラ男を倒すことしか、考えられてない。

 伊田くんは、力の抜けた腕が伸びては空を斬り、ぶらんと垂れ下がる。


 それが決着の時だった──

 2連戦を勝利で収め且つ、3戦目も引かない勝負を見せた伊田くんは天晴れと言えよう。

 しかし、一騎打ちでは初戦であるチャラ男は勢いよく腕を引き伸ばし、伊田くんの帽子に触れた。

 帽子に触れた手は段々と拳を形成していく。

 ──あーあ、オレは負けんのか……

 伊田くんの頭にそんな思いが過ぎった。


「負けんなァァァ!! 智也ー、勝てェェェェ!!」

 あれ? 何でこんなこと言ってんだろ。

 伊田くんの諦めが手に取るように分かり、それを否定するための言葉が口からこぼれた。

 なんでこんなこと……。そう思った時には、既に言葉は空気で振動し、伊田くんの鼓膜を震わせていた。

 ──そうだ。オレはこんなとこで負ける奴じゃねぇェェ!

 瞳に炎が宿る。

 浮かび上がった帽子をチャラ男の手ごと、自分の頭に乗せる。

「な、なにッ!?」

 チャラ男は本心からの驚きを表情に刻む。

 瞬間──、テントが大いに沸く。

「あばよォォ!」

 血走らせた目をチャラ男に向け、伊田くんは勢いよく腕を伸ばし、チャラ男の帽子を強奪した。



 ドン。

 騎馬戦終了の大太鼓が奏でられた。

 終わりだ。終わったんだ。

 力を使い果たしたように、伊田くんの騎馬が崩れる。

 勝ったんだ──。

 伊田くんの心はそれで満ちていた。

「よくやった!!」

「すげーぞー!」

 あちらこちらから歓声が上がる。

 伊田くんはそれには答えず、ただ俺の方を見た。

「──」

 遠い上に辺りがうるさいためになんて言っているかは、分からなかった。ただ、何となくお礼を言われている気がした。

「お昼ご飯、食べよっか」

「そうだな」

「次は私たちが頑張るばんだねー!」

 夏穂が隣りからそう言う。俺は瞳をとじて、薄く笑った。

 負けるわけにはいかねぇーな!

 俺は心の帯をギュッと締め直した。

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