第61話 俺、久しぶりにデートに行く

 大丈夫かな、イリーナ。

 日曜日の朝早く家を出た俺は、その事で頭がいっぱいだった。

 朝食くらい一緒に食べてやるべきだったかな。いや、一緒に食べないとしても、もっと丁寧に教えるべきだったか……。


 待ち合わせ場所である駅前広場に着いてからも、それは頭を離れようとしない。

 日曜日で朝が早いということで駅前と言っても、平日のようなごった返す人は存在しない。

 時折ドバっと人が流れ出てくる時があるが、それはおそらく電車の到着時だろう。

 その一方で乗る人はまだ少ないのだろうか、駅内へ入っていく人は少ない。

 ロータリーに常駐しているタクシーの運転手は車内から出てきて、黒い車体の天板に手を預け煙草を吸っている始末だ。

 中央には幹の太い植物が植わっている。幹の割に背が低いので、なんとも不格好な印象を受けるも、これはこれでどこか趣があるようにも感じられる。

 ちなみに、この裏側にあるのが噴水広場でこの前のデートの時の待ち合わせ場所だ。


 俺は、天高い秋の空を眺めながらポケットに手を入れる。

 寒いな。それにちょっと早かったか?

 隣接して建っている交番の横に立っている時計塔に目をやり時間を確認する。午前8時。約束の10分前だ。

 やっぱり早かったか。

 不格好な植物が植わっている前面に申し訳程度で作られている花壇に腰をかける。

 これならベンチ置いてる方がマシだぞ。

 座り心地の悪さから俺は心の中でボヤく。だかしかし、そう思うのは座り心地だけではない。

 花壇に植わっている植物は、どれも茶色──枯れているのだ。

 目に付く色と言えば、荒れるように生える雑草だけ。

 手入れされていないのが丸わかりである。

 よく見ると花壇を形成する、レンガっぽいそれも至るところに亀裂が入っており、座っているのが怖くなるほどだ。

 こうやって座られると崩れるのも時間の問題だろうな。


「最近、寒くなって来ましたね」

「そうじゃな。だが、ワシらの仕事にそれは関係ないじゃろ」

「そうでしたね。クーラーなり暖房なりつけてたらいいですもんね」

「ワシは煙草吸いよる間もつけっぱなしじゃ」

 客が来なくて暇なタクシーの運転手が、煙草を片手にそんな会話をしている。

 燃料代とかどうなってんだろ、と不意に考えてしまう。しかし、恐らく笑って話してるあたり、自分の財布からは出ていないのだろう。

 あんな社員はもちたくないものだ。


「待ったー?」

 俺の耳にジャストで入ってくる聞き慣れたその声は、軽くリズムを乱した呼吸音で寄ってくる。

「別に」

 花壇から腰を上げ、両手をポケットに突っ込みながら素っ気なくそう答える。

 本当は凄く待ってた。が、そんなことを言っては男が廃る。

「でも、鼻真っ赤だよ?」

 何故そこに触れるんだ……。そこは「そっか」とか「よかったー」とかで良いだろ。

「うるせーよ」

 色々と言いたいことをぐっと呑み込み、それだけを言葉にする。

「どこのバス停?」

 濃い青のGパンに薄卵色のコートを羽織っている。コートのボタンをしっかり止め、手には薄らとピンク色のマニキュアが塗ってある。デートだからオシャレをしてきているのだろう。それが分かるだけで、俺は……本当に嬉しい。

 靴は目的地に合わせて、高いヒールではなく、ブーツに寄せて作られた運動靴を履く夏穂は微笑みを浮かべながら訊く。


 右ポケットの中から携帯電話を取り出し、地球儀のマークをタップしてブラウザを立ち上げる。

「えっとな、3番っぽい」

 画面を凝視したまま、夏穂のそれに答える。

「3番ってどこ?」

「えっ、そんなの知らねぇーし」

 夏穂の追い討ちに俺は、携帯を消し視界を上にあげる。

「って、何で駅前ってこんなにバス停あんだよ」

 少し先に目をやると視界に入るのは、何本ものポールだ。

 頂部には丸い看板的なものの中にバスの絵が描かれており、そこから下に向かって銀色のポールが下りていく。間には長方形のファイルがつけられている。

 あそこに時刻表が張られているのだろう。


 俺たちは満を辞して、彼氏彼女の関係になった。

 その事が互いに気恥ずかしさを生む。最初から恋人ならば、あまり気にしないのかもしれない。

 しかし、俺たちはそこに至るまでが長すぎた。だから、ただ手を繋ぐという行為だけですら照れが勝ってしまう。

 ほんの50メートルほど先にあるバス停密集地に行くまでですら、手を重ね合わせることができず、ただ隣を歩くだけになっている。

 デートというより、仲の良い男女で遊びに行ってる雰囲気のが近い。


「あそこじゃない?」

 不意に夏穂が左手を上げ、人差し指を立ち並ぶポールの1本に向ける。

 指先にあるのは、青で彩られたバスが描かれた看板が付けられているポールだ。

「そうなのか?」

「多分」

 自信ありげの多分に、表情を緩め吐息に似たため息をつく。

「行ってみるか」


 手の甲すら触れることなく、そこまでたどり着く。

「ここであってるみたいだな」

 俺は時刻表で行き先を確認しながらポツリと零す。

「でしょー」

「何でわかったんだ?」

 誇らしげに豊かな胸を張る夏穂に、俺は視線だけを向けて訊く。

 周りには人が来る様子はない。駅前にしては異様な静けさだ。

「ここだよ」

 夏穂はポールの頂部に付いているバスの絵が描かれている看板を指さしながら答える。

「看板か?」

「そう。その看板の1番上」

「──あっ」

 夏穂のしなやか指先にあるものが目に入り、思わず言葉を漏らす。

 看板の上部に青いラインが引っ張ってあり、さらにその上から赤字で『相宗山あいそうさん行き』と書かれていたのだ。

 俺の驚きを見た夏穂は、えへへと顔に小さなシワを刻みながら笑顔を浮かべる。

「多分とか言って確信あったろ」

 口先を尖らせ、いじけたように言うと夏穂は

「ごめんね」

 と悪びれた様子を見せず告げた。


 しばらくその場で待っていると、後ろにナイロン製のジャンバーを羽織った歳の取られたお婆さん方が、大きな声で話しながら俺たちの後ろに並んだ。

 そして間もなくして少し大きめのバスがやって来た。

 赤と青という、暖色寒色を無視して作られた車体を持つバスだ。

 俺たちはそれに乗り込む。車内に入るや、暖かい空気が肌に触れる。

 だが、バス停到着時にしか扉の開かない車内の空気は篭っている感が否めない。

 車内にはそこそこの人が席についていた。

 パッと見で10人ほど。そしてここで乗ってくる人を合わせて15人ほどになる。


 2人が並んで座れる席の数は限られている。その中でいま空席となっているのは、運転席から3列下がった所にある席だけだ。

 俺はその席の通路側に腰を下ろし、夏穂には窓側に座ってもらう。

 まぁ、何ていうか……痴漢予防的な感じになればな、なんて思う。

「楽しみだね、ぶどう狩り!」

 そんな俺の思いも露知らず、夏穂は朗らかな表情で言う。

 俺たちはいま、ぶどう狩りに向かっているのだ。イリーナと話をしていると季節感のあるデートにすればと提案され、ググっていると相宗山がぶどう狩りで有名な場所ということがわかり、そこに決めたのだ。

 正直夏穂がどう思っているのか不安だった。だって、デートでぶどう狩りとかあんまり聞かねぇーし……嫌だったらどうしよとか柄にも無いことばかり考えてた。

 まぁでも、実際に楽しそうな笑顔を見せてもらえるとホッとする。


「えぇー、この辺り大変デコボコした道となっており、大きく揺れる可能性があります。ご注意くださいませ」

 景色が街から山へとシフトするという辺りで、車掌さんからのアナウンスが響く。

 ここまででバス停は3つ。日曜日なのに渋滞に巻き込まれないのは、朝早いからか、はたまた田舎の方へと向かっているからなのか、それは分からない。

「だそうだ。窓で頭ぶつけないようにな」

 移りゆく景色を眺めている夏穂に、嫌味っぽくそう言ってやる。

「大丈夫」

 チラリともこちらを見ずに、言葉だけで返す。

「んだよ、そんなにすげぇものなのか」

 自分が外の景色に負けたという事実が、無性に気に触り俺は皮肉っぽく告げ、夏穂の上から覗き込むようにして外を見た。


 そこには標高500メートルほどの、決して高いとは言えない山がバスを見下ろすようにそびえ立っている。その山は赤、黄色などの色が混在したものとなっており、秋らしく趣深いものがあった。

 更に相宗山の眼前には小さな湖──幌目湖ほろめこがあり、水面に色づいた山が綺麗に写っている。

 まさに絵に描いたような景色で思わず息を呑む。


「いてっ」

 その幻想に浸れたのもおよそ3秒といったところだ。夏穂はデコボコ道で生じる揺れに体を持っていかれ、俺のおでこに後頭部をぶつけてきたのだ。

「ご、ごめん」

「だから気をつけろって言ったのに。まぁ、いいけど」

 おでこを擦りながら白い目を夏穂に向ける。夏穂はわかりやすく、意気消沈し項垂れる。

 せっかくのデートなのに……。何やってんだよ。

 夏穂の弱々しい雰囲気に自分の軽率な言葉を戒めるかのように、両手で頬を叩く。

「ぇ……」

 蚊の鳴くような声で、耳をすませてないと聞き取れないレベルだ。

「悪かった」

 夏穂側の手を夏穂の頭に乗せてそっと囁く。

「何で……将大が……?」

 驚きのあまり言葉が上手くでないのだろうか。

 夏穂は途切れ途切れで言葉を紡ぐ。

「何でもだ」

 俺は気にした様子を見せず、ふっと笑う。


***


「次は終点相宗山前です。ぶどう狩りにお越しの皆様はここでお降り下さい」

 車掌のアナウンスが響く。

 終点なのでここでお降り下さいは無くていいだろうと思いながら俺は、席を立つ。

 幻想的な景色はとうに通り過ぎ、眼前に広がるのは色づいた葉を枝につける木々。

 それから今まで以上にデコボコとした山道への入口だ。

「行くか」

 通路側に座る俺が後ろに座る客がいなくなったのを確認してから、通路に出る。

「360円ね」

 一番前まで行くと車掌さんが優しい笑顔でそう告げる。

 俺は準備していた財布を開き、チャックが閉まった小銭が入っている部分を開ける。

 銅色の10円玉がやけに多く、白銀色の100円玉がなかなか見当たらず、小さく財布を振る。

 小銭と小銭が触れ合う音がし、財布の中での小銭の位置が入れ替わる。

「おぉ、あったあった」

 そうすることによって姿を現した100円玉を3枚取り出してから、10円玉を6枚取り出し車掌さんに渡す。

「はい、ありがとね」

 短くそう告げる。

「ありがとうございました」

 夏穂は礼を言いながら、俺がモタモタしていた間に準備した360円を車掌さんに渡した。


「ふぅー」

 登るべき相宗山はバスで中腹まで来れる。しかし、それ以上は歩いて登らないと行けないのだ。

 その為の気合いを入れるため、俺は深く、肺に溜まっていた全ての空気を吐き出す。

「なぜ登るのか。そこに山があるからさっ!」

「何言ってるの?」

 今からのことを考えると頭がおかしくなる。日頃の体育祭の練習で脚は軽く筋肉痛。馬鹿でも言ってないとやり切れない、ような気がする。

「まぁ、しゅっぱーつ!」

 夏穂は元気よく声を上げ、色づく木々が両サイドに立ち並ぶデコボコ道を登り始めた。

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