第60話 私、クラスに馴染めない

 私の名前は盛岡イリーナ。義父パパとママの再婚によって義兄ができた。


 適度に伸ばした黒髪は、目にかかるか否かというところで、切れ長のシャープな双眸。

 シュッとはしているもしっかりと筋肉の付いた体。

 正直言って、将兄は普通に見るとカッコいいに分類される人種だと思う。

 でも、私は微妙だ。顔はいいとしても、義妹に対して扱いが酷すぎる。


 毎食毎食、即席ラーメン。私が嫌だと言うと次はチャーハンだ。

 そして更に嫌だと言うと、ドヤ顔で冷凍食品を出してくる。

 第1日目は、どれもとても魅力的で美味しかった。ただ、毎日毎食それが続くと、否応なく手抜きなんだなって分かる。


「はぁー、何であんな義兄なんだろ」

 水平線の端に僅かに頭を覗かせるオレンジ色の輝きを放つ夕日。

 私はクラスでの借り物競争の練習を終え、昇降口で将兄のリレー練習が終わるのを待っている。

 下校時間までは後30分近くも残っている。でも、将兄は言ってくれた。

『学校終わったら買いに行こう』

 って。だから私は、風通しの良い昇降口で律儀に将兄を待っているのだ。


「遅いな……」

 待ち始めてから2分も経ってない。それでもそう思ってしまうのは、寂しさからだろうか。

 そして不意に今日の練習風景が脳裏に甦ってきた。

 私は背中を下駄箱に預け、腰を下ろし懐手にして俯いた。


***


 1年生の借り物競争の練習場所として、学校側から割り当てられた場所は体育館裏。

 普段あまり立ち寄らない場所であるが為に、気になる場所ではある。しかし、夕方のそこは体育館が大きな障害となり、夕陽を届かせてくれないのだ。

 11月も近くなった夕刻に吹く風は、冷たさを存分に含んでおり、木の葉が揺れる音が寒さを助長する。

 故に、ダサくても冬用体操服は絶対に着るのだ。


「行きます」

 メガネを掛け、おかっぱ頭の小柄な女の子がどこか他人行儀に声をかけてくる。

 初日こそ、物珍しさで私の周りは人でいっぱいだった。

 だが、時の流れは残酷で飽きればポイッである。

 3日目には私の周りに人はいなくなり、完全にボッチになってしまった。

 人が私にたかっている間に友達と呼べるものを作っておけば良かった。

 そう思うも後の祭りだ。

「はーい」

 できる限りの愛想を振り撒き、私は数メートル後方にいる子に声を返す。

 てか、名前なんて言うんだっけ……。

 おかっぱの女の子の顔を一瞥してからそう考える。


 小さく風が吹き、赤や黄色に色づいた落ち葉がカサカサと音をたてて宙へと舞う。

 それを合図としておかっぱの女の子が走り出した。

 借り物競争、と銘を打っているも基本概念はリレーとそう違える部分はない。

 走って、バトンを繋ぐ。この間に試練というにはおこがましいほど、小さな壁が立ちはだかるのだ。

 私の前方で待つ、短く切り揃えた髪を逆立て厳つさを醸し出している小柄の男の子に教わった通り、右手を後ろへ突き出してバトンを待つ。

「行ってください」

 行く──? この場合の行くとは何?

 私が戸惑ってその場に立ち尽くしていると、そう叫んだ女の子は仕方が無いという表情を浮かべる。


 ──日本に来て間もないから分かんないのかな。

 女の子はそう思ったのだろう。

 女の子の表情からすぐにそう読み取ることができ、私は何だか心がかき混ぜられた気分になる。

 そして、差し出されたバトンを落としてしまった。

「ごめん……なさい」

 とても居心地が悪い。いじめられている理由でもないのに、凄く学校という場所が嫌いになっていく。

 ハッキリ言って、将兄と無言で家にいる方がよっぽどいい。

 何なの、私が悪いの……?

 いぶかしげな目を向けてくる女の子の、薄い赤色の体操服の胸元には佐々木と刺繍がされている。

「ごめんなさい」

 私は落ちたバトンを手に取り、佐々木さんに手渡しながらもう1度呟いた。

 佐々木さんは気分を害したように大きく溜息をつく。

「何度も謝らないで」

 つんけんな物言いだ。怒ってるじゃん。

 何がそんなに腹立つんだろう。

 私は練習が始まってまだ数日しか経ってないが、1度だってバトンを落としたことは無い。

 寧ろ4走者の桐島健きりしま-たけるってイキった男の方が、落としてるじゃない。

 詫びよりも苛立ちの方が、面だってしまってる自分がいることに気がつく。


 こんなんだったら来なきゃ良かっな……、日本に。

 私は佐々木さんが、定位置に戻っている間に天を仰ぐ。

 秋らしいというより冬が近い寒空に感じ取れる。

 しかし、それは体感温度が低いことに由来しているのだろう。

 鱗雲がまばらに存在する空は、秋のそれそのものなのだから。


「じゃあ、行きますよ」

 どこか気の抜けたように感じられる言葉と共にアスファルト舗装された大地を蹴る。

 砂ぼこりは上がることはないが、変わりにジャリっという音が耳につく。

「走り出してください」

 どこまでも他人行儀に話す佐々木さん。

 私はそれに無言で応え、地を蹴る。

 いつもは意識的に力を半分で発揮していたのだが、今日に限っては先ほどの佐々木さんの態度に腹を立てていたことが原因し、9割ほど──ほぼ全力でスタートを切っていた。


「えっ……」

 後方から掠れた声が洩れているのが分かる。

 その声は一瞬のうちに私の耳には入らない程の距離になっていた。

「あれ──?」

 手の中にバトンが入らないことを不思議に感じ、足を止めて振り返る。

「何、してるの?」

 私は恐る恐る佐々木さんに聞く。

「何って、なんで……?」

 声が震えている。でも私は何がそんなに怯えているのか分からない。

 日本とロシアとの違いなのだろうか。

 脳裏をそんなことが過ぎる。

「もういい、帰る」

 そんな時だった。私の前方にいるバトン落としの常連である桐島健が頬を膨らませ、シラっとした目でこちらを見る。

「な、なんで?」

 佐々木さんが私を追い越し、桐島健の元へと駆け寄る。

 何この状況、すっごく面倒くさいんだけど。

「なんでって、しらけんだよ。ポロポロとバトン落としやがって!」

 自分のことを棚に上げる、というのはこう言うことを言うのだろう。

 日本のことわざや四字熟語に関して、ある程度の知識は得ているものの使うタイミングを逃していた私は、はじめて実用できて嬉しく思えた。

「ごめん、私が悪かったから……。帰らないで」

 頬を赤らめ、顔をくしゃくしゃにしなが、肩を震わせる佐々木さん。

 待って、佐々木さんその男のこと好きなの?

 その疑問が浮かぶのは至極普通のことだろう。

 日焼けで髪の色は色素が抜け、茶色っぽくなっている。狐のごとく釣り上がった目にガッチリとした体は浅黒くなっている桐島健までもが顔を赤らめているのだ。

 はぁー、日本ってこんなにませてるの?

 それなのに高齢結婚って何なの。

 日本に来て1ヶ月程の私にとっては、不思議で仕方がない。


「やっぱりやめにしねぇか、今日の練習」

 そう提言したのは私にバトンの受け取り方などをレクチャーしてくれた男の子だ。

 見た目の厳つさとは似ても似つかない、弱々しい声。挙句の果てには、頬を掻きながら視線を空に向ける始末だ。

「なんで? 米原にそんなの言う資格ないんだけど」

 佐々木さんは、桐島健に向ける目とは全く違う何とも形容し難いモノを米原と呼ばれた男の子に向ける。

 気の毒に……。

 私は両手を袖の中にしまい込み、寒いということを視覚的に訴える。

 それを視認した佐々木さんは、殊更ことさら大きな溜息をつく。

 それから私を睨むようにしてから

「いいわよ。今日はおしまい」

 と参ったと言わんばかりに両手を軽くあげ、わざとらしく肩も上げた。


 え、どうすればいいの。帰っていいの?

 何でこんなに分かりにくいのよ。ハッキリ口で言ってよ!

「もういいんだよ、帰って」

 優しく宥めるような口調でそう言ってきたのは、米原くんだった。

 私は心の声が口に出てたのかと思い、両手を口の辺りへ持っていく。

「大丈夫、声は洩れてなかったよ」

 米原くんは朗らかに笑う。

「そ、そう。ありがとう」

 しかし、私はそれを認める素直に受け入れることが出来なかった。

 取り入る為にしてるのではないのか。でも、何で取り入るの?

 そんなどうでもいいような事ばかりが、脳内をぐるぐると回転する。

 ダメだな。義父パパにもママにもちゃんとやれるって言って出てきたのに……。


 他の借り物競争メンバーに背を向け、昇降口へと歩き出した私は故郷ロシアを出てきた事のことを思い返し、嘲笑を浮かべる。

 水平線上に並びかかった夕焼けを見る。強く光を発しているように感じるが、私にはそれが空元気のようにも取れた。

 後少しなのに、頑張っちゃって。

 私は張った頬の筋肉を少し緩める。遠くからはかぁかぁと鳴くカラスの声が仄かに届いてきた。


***


 あぁ、嫌だなこんなの。学校楽しくないや。

 何で将兄の周りはあんなに楽しそうなの。いいなぁ。

 義兄である将大に対する羨望が、意識していないと言葉としてこぼれ出しそうだ。

 項垂れた頭を少し、持ち上げると昇降口内に届く夕陽は無くなっていた。

 冷たい風が僅かに衣服に守られていない、耳やうなじを撫でる。

 その風に乗って、下駄箱の真下に落ちている砂や小石が数メートル運ばれる。

 将兄、遅いっての。

 心の中で独りごちる。

「待たせたか」

 不意に頭上から不規則で荒れた呼吸音とともに聞き慣れた声が降ってきた。

「別に──」

 強がりだ。本当は凄く待った。待ち過ぎて嫌なことまで思い出しちゃった。

 でもそんな事が言えるはずがない。というより、言いたくない。

 私のプライドに掛けても──。


 こうして私と将兄は冬用パジャマを買いに行ったのだ。


***


「おはよ」

 あれから2日後の日曜日の朝。

 白色のモコモコ生地に所々にピンク色のハートマークが描かれた、如何にも冬用だと分かるパジャマに身を包んで朝を迎える。

「おはよ」

 将兄から早口の挨拶が返ってくる。

 どう、可愛いでしょ?

 将兄をそうからかってやろうか、と思ったのだが、どうにも将兄の様子が普通でなかった。

 朝は遅い方ではないと思う。学校へ行く時だって、私の方が後に起きるわけだし……。

 でも、だからってそれほどまで時間差があるわけでもない──はずだ。

 いつも起きたらパジャマだし?


 しかし今日の将兄は違った。

 既に寝癖も直し、服も着替えていた。

 細身のデニムパンツにグレーのどこかスウェット感は諌めない長袖Tシャツ。

 そしてその上からカーキ色のロングコートを着込んだ将兄の姿はどこからどう見ても、気合いを入れていると分かる。

「どっか行くの?」

 口の中に妙なパサつきを感じながら将兄に尋ねる。

「えっ、あ、うん」

 忙しく登山用などではなく、大学生などがよく使っているお洒落な形のリュックサックの中身を入れたり出したりして確認している。

「どこ?」

 つんけんに訊く。

 将兄は確認を終えたリュックサックを背負い、青のマフラーを首に巻きながら視線だけを私に向ける。

「ちょっと夏穂と」

 デート、というわけだ。せっかくの休みなんだから、出来たばかりの妹と一緒に居てくれてもいいじゃん。

 それを何よ、ちょっと夏穂と、なんて。はっきり言いなさいよ!


「あっそう」

 私はその思いが悟られないように、いつも通りのテンションで返す。

「あ、朝はまぁ、食パンでも焼いてくれ。昼はラーメンでも何でも、ある物で頼む。夜には帰ってくるから」

 玄関へと向かった将兄は、思い出しかのように足を止め私に告げた。

「わかった」

 いつも通りよね? 大丈夫だよね、寂しいとか思ってるの気づかれてないよね?

「んじゃ、行ってくるわ!」

 私の心配をよそに将兄は、元気な声を上げて家を出て行った。

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