第57話 俺、いつもの日常を取り戻す

 俺はリレーメンバーと実行委員という重荷を背負わされ、肩を落としながら帰路についていた。


 右隣には夏穂がいる。これは夏までもずっとだったので、そう気にすることはない。寧ろ、こっちのが安心感があるって感じだ。

 しかし、二学期からはそうでなかった。左隣に新たな人物が居座っているのだ。

 茶髪の日本とロシアのハーフであり、差に俺の義妹でもあるイリーナだ。


「将兄ー。体育祭何出るの?」

 猫なで声を上げてそう訊くのはイリーナだ。

リレーだよ」

 俺が口を開こうとした瞬間を狙ったかのように、夏穂は「私と一緒」をかなり強調して言った。

 刹那にイリーナはむっとした表情に変わり、絶対零度の声音で俺に告げる。

「どういうこと?」

 夏穂をどう捉えているのか知らないが、何故か夏穂の前だけでは外面の猫かぶりが無くなる。

「どういうって……」

 俺はどうもこうもないので説明に困る。


 そこに夏穂はにたっと悪戯な笑みを浮かべ、豊満な胸を押し付けながら俺の腕に絡みつく。

「こういうことだよっ!」

 イリーナはわかりやすく顔を紅潮させ、口先を尖らせる。

「将兄、何でデレてるの!? キモいんだけどっ!」

 そして何故か俺に怒りの矛先が向く。……俺、何も悪くないよな?

「キモいって……。流石にショックだわ」

 俺は夏穂に絡まらてない方の手で額を抑え、落ち込む振りをする。

「勝手にショック受けてればっ!? ふんっだ!」

 イリーナは頬を膨らませ、ぷんぷんとしながら大股で歩き出す。

「お、おいっ!」

 俺は待て、の意味を込めて声をはる。イリーナはその声に振り返ると、顔全体にシワを作り、アッカンベーの要領で舌を出した。

「いーッだ!」

 今どき、どこぞの幼稚園児でも言わなさそうな台詞を吐いて再度歩き出す。

「って、おいっ! 先帰っても鍵持ってんの俺だからなっ!」


 そうなのだ。俺とイリーナは同じ家に暮らしており、合鍵はまだ製作中。そのため、鍵は俺だけが持っている。

 故にどれほど怒って先に帰ろうと、イリーナは家に入ることは出来ないのだ。

 俺の言葉を聞いたイリーナは、途端に足を止め、クルッと俺と夏穂を方に向き直る。

 振り向いたイリーナの視線は俺に飛んでいる。しかし、何をどう勘違いしたのか夏穂はサッと俺の腕に絡みついていた手を退けた。

 そしてサスペンスドラマの犯人よろしく、両手を軽く上にあげた。


 振り向いた衝撃で栗色の髪が宙に舞い、黄金色を放つ夕陽を背に負う形となる。

 煌びやかで透き通るような髪が夕陽を反射し、黄金の如く見える。

 長く伸びる影もほっそりとしており、本人のスタイルの良さを否応なく示している。

 体育祭のメンバーを決め、そして放課後に軽く練習すらしている。

 にも関わらずイリーナには、それを感じさせない爽やかさと清潔感がある。


「早く言ってよね、アホ!」

 足早に俺たちの元まで引き返してきたイリーナは、開口一番にそう放つ。

「はいはい。悪うございました」

 俺はわざとらしく顎を突き出し、ふざけた顔を作り告げる。

 それを見たイリーナは、更に顔を紅潮させる。

「ねぇ、将大。本当に義妹よね?」

 夏穂が冷ややかな目を向けて訊く。一瞬何を言っているのか分からなかった。

「あ、あぁ」

 だからそんな曖昧な返事になってしまう。だが、それを逃す夏穂ではない。

「何その変な返事は?」

 真剣な瞳だ。え、どこでそんな墓穴ほった?

「別に何でもねぇーよ」

 訳が分からず、ポケットに両手を突っ込みそっぽを向く。

「何でそっち向くの? ちゃんとこっち見てよっ!」

 夏穂は今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、俺に訴える。

「何が言いたいんだ?」

 俺は半分呆れたような物言いで夏穂に向いた。


「何でイリーナちゃんの相手ばかりするの?」

 何を言い出すかと思えばこんな事だった。しかも、表情はかなり本気だ。

 俺は何て答えるべきか分からず、小さく頬を搔く。

「そ、そんなこと……ないと思うけど」

 これは間違った答えだって自分の中では分かっていた。ホンネは違うんだ。ただそれは、相手がもう何ヶ月も一緒に居る夏穂であっても、恥ずかしい。

『好きだから。彼氏になった今、今まで通りに夏穂と接していいのかどうかが分からない』

 なんてダサくてかっこ悪いこと言えるはずがない。

「じゃあ、なんでイリーナちゃんにばっかり目をやるの? なんでそんなにお互いに楽しそうなの?」

 喘ぐように言葉を紡ぐ夏穂に俺は胸を締め付けられるような気がした。


 何も考えてなかった。急に義妹が出来て、その子と同じ家で暮らすなんて普通に考えれば不安に決まっている。それを俺はヘラヘラと笑って、挙句の果てには夏穂と一緒にいる時間をおろそかにしてまで、イリーナと楽しそうにしていた。本当に最低だ……。

 言い訳なら何でも出来た。正直、今もその台詞『イリーナは日本に来て間もないから心配で』を言いそうだ。

 別にイリーナを庇うわけではない、ただ夏穂にイリーナを見ていたという事実を認めたく無いだけだ。

 頭の中がこんがらがる。俺の真の気持ちは夏穂にある。これは間違いない。じゃあ、イリーナを見る理由はなんだ?

 本当に日本に来たばかりだから不安なのか? あれほどまでに俺に罵声をぶつけることの出来る日本語を知っているやつが困ることなんてあるのか?

 考えれば考えるほど頭が痛くなる。

 どれほど考え込んだのか分からない。だが、俺にはこれしか言うことは出来なかった。


「ごめん」


 その言葉が夏穂にどう届いたかは分からない。もしかすれば、全てを肯定するように取られたかもしれない。


「でも、俺は……。俺は夏穂が一番だから」


 気づけばそんな言葉が零れていた。そんなこと言うつもりは無かった。いや、言う資格がないって思っていた。

 だが、それが良かったらしく夏穂は優しげな表情を浮かべて頷いた。


***


 家に着いた俺はイリーナに強気な視線をぶつけて、カバンから鍵を取り出す。

 イリーナはそれを恨めしそうに睨む。

「んだよ」

 鍵穴に鍵を差し込みながら言うとイリーナは、白々しく視線を逸らす。

「別に」

 そして冷たい声の返事が届く。


 ガチャン、と解錠される音が耳に届く。俺は聞き届けてからドアを引き開ける。

「ただいま」

「ただいまー」

 家の中に入ると俺はいつもこう言う。それは、1人で暮らしていた時だっておなじだった。言わないと帰ってきたような気がしないのだ。

 それを見習ってか、日本に来た当初は言わなかったイリーナも、今では俺の後に続いてしっかり言う。

 目に見える成長はかなり嬉しいものだと、最近気がついた。


 しかし、家での会話が増えることは無い。今まで通り──今までのが俺が歌ったりする分、音があったかもしれない──静かな空間に人間が2人いるだけだ。

「将兄」

 1日の内にイリーナから自発的に声をかけてくることが何度かある。だが、その後に続く言葉は決まっている。

「お腹減った」

 これが9割だ。ここまだルックスは完璧だと言うのに、料理は出来ない。残念ではあるが、完璧すぎるのもどうかと思う自分もいて、それはそれで良いとも思っている。


「分かったよ。何食いたい?」

 んー、この時のイリーナはしおらしく、俺に対して悪態をついたりすることは無い。

「シチュー」

 そしてこの無理難題をぶつけてきやがる。俺だってほとんど料理出来ないんだ。付け焼き刃のそれでシチューなど作れるはずが無い。

「無理だ。それにこんな暑い時期に食べるもんじゃねぇーよ」

 何とか言い訳をしてその案を却下させる方向へ持っていく。

「じゃあ、何だったらできるわけー?」

 イリーナは偉そなげにソファーに腰をかけ、体を反らして俺に訊く。

「チャーハン」

 俺がマジな声でそれを言うと、イリーナから大きなため息がこぼれた。

「それ、昨日も一昨日も食べたんたんだけど」

 苦々しい表情を浮かべそう告げるイリーナに、俺は演技じみた顔を浮かべる。

「そうだっけ?」

「そうよ」

 イリーナはまた大きなため息をついてから続ける。

「なら何なら作れるわけ?」

 そう聞かれ俺は、台所の中をぐるりと一周見渡す。

「ラーメンとか言ったら殺すわよ」

 俺の視線がラーメンを置いている場所で止まったのを見て、イリーナが先手を打った。

 やばいな、声がまじだ。

 もう何日も一緒にいるんだ、それくらいは分かる。俺はどうしようか、悩んだ末に不敵に笑った。

「いいもん食わしてやるよ」


 2分45秒後。軽快な音が鳴った。チンッという景気のいい音だ。

 俺はそして電子レンジの中から、もくもくと湯気をあげるプラスチックの容器に入った物を取り出す。

 中には赤オレンジ色に染まった麺があり、具としてピーマンと玉ねぎが申し訳程度に乗っている。

「これは?」

 奇異の瞳を向けるイリーナに俺は自慢げにこう告げた。

「ナポリタンだ!」

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