第56話 俺、リレーメンバーになる

 二学期が始まり、1週間が経った。正直、この1週間は地獄だった。

 どこに行ってもイリーナの話ばかりされるのだ。

 俺もだがイリーナも相当しんどかったと思われる。


 この1週間での変化と言えば、夏穂が前以上に俺にベッタリになったことと、イリーナが俺を将兄しょうにいと呼ぶ様になったことだ。

 何でこれに落ち着いたのかは謎のままだが、家でも外でもそれになった。

 俺的には外ではお兄様と呼んで頂いても大いに結構だったのだが、それを言うとイリーナから

「将兄は弱いから絶対ムリ」

 と一蹴された。

 だからと言って仲が良くなった、ということは無いのだが……。

 まぁ、ともあれ俺はようやく普段通りの学校生活を送れると思っていた。


 なのだが──。今日から本格的に体育祭の準備が始まるそうだ。

 お天道様も天高々にあるお昼すぎ。授業的には5限だ。

 担任のメガネは体育祭に合わせてかどうか知らんがアディドスのジャージを着ており、やる気満々っぽい。

「今から体育祭の出場競技を決めます」

 言葉は気怠げに放っているのだが、なんせ顔が緩みきっているために楽しみにしているのがバレバレだ。

 むしろそんなヘッタクソな演技をするくらいなら堂々と喜んで頂きたい。

「えっと、じゃあムカデ競争に出る8人×2チームを決めます」

 教室はシーンとなる。

 この高校の体育祭の競技は全部で5つ。

 ムカデ競争に綱引き、借り物競走、騎馬戦そして体育祭の花形と言っても過言ではないリレーだ。

 そして特徴としては男女が分かれず混合でやるってところだろう。

「じゃあ、ウチいくー」

 クラスの女子の1人がそう言うとその友だちなのかどうか分からないが、よく一緒にいる女子が金魚のフンよろしくぞろぞろと手をあげる。

 そしてその何人かの女子の1人が好きな男子が恥ずかしげに手をあげる。

 そのなかに一学期の席替えのときの那須田なすだくんもいた。

 誰か好きな人でもいるのか。くそ真面目の那須田くんなのに。なんて思いながら俺はぼーっとしていると、いつの間にかムカデ競争に出る生徒達が決まっていた。


 ちなみに二学期に入ってすぐに席替えをして、俺は窓側から2列目後ろから3番目の席になった。そして、夏穂とも伊田くんとも離れ離れになってしまい、今は完全ボッチなのだ。

 あぁ、面白くねぇーなー。俺はそう思いながら机に突っ伏す。

「こら、盛岡。寝るなっ!」

 突っ伏すと同時にメガネから叱責が飛ぶ。

「起きてますよ」

 授業のときより張り切ってんだろ。

 俺はため息をついてから顔をあげて、起きているアピールをする。メガネは嬉しそうに何度か頷く。

「じゃあ、次は綱引きだ。これも8人」

 誰が好んで力任せの奴にいくんだよ。

 そう思ったのだが、なんと九鬼くんがビシッと手をあげる。

「まじかよ……」

 思わず声が漏れてしまい、慌てて口を塞ぐ。どうやら聞こえてなかったようだ。

 一番に手を挙げた九鬼くんに続き、何人かの男子が綱引きの選手となっていく。

「ねぇ……」

 そんな時だ。不意に前の席のショートボブの茶髪の女子が振り返って俺に声をかけた。

「な、なんだ」

 いきなりなことで思わず口どもる。するとその子は口に手を当ててくすくすと笑った。

 その笑顔は絵に描いたように整ったもので思わず見蕩れてしまう。

 そしてその女子は小さな声で俺に尋ねる。

「何に出るか決めてる?」

 栗色の大きな真ん丸の目でしっかり俺を捉えている。体格はほっそりとしており、全体的に引き締まった体つきだと思われる。

 胸はそんなに出ておらず、恐らくAカップ。着痩せするタイプであってもBカップが限界であろう。

「いや、別に決めてねぇーよ」

 俺はそんな思考を頭の中でぐるぐると回転させながらそう返す。

「そっかー」

 女子はそう言いながら何度か頭を縦に振る。それによってささやかな風が生まれる。そしてそれに乗って女子特有のほのかに甘いいい香りが俺の鼻腔に届く。

「そういう志々目ししめさんは? 出るの決めてるの?」

 俺は窓側へ視線を逸らしてそう訊く。

「うん。私は決めてるよ」

「へぇー、何出るつもりなの?」

 そこまで興味は無かったが、一応と思い訊く。

「よし、次は借り物競走に出るのを決めていくぞ」

 ちょうど綱引きのメンバーが決まったらしい。そして、メガネが次の種目名を言うや否や教室のあちらこちらから手が上がる。

「これ毎年人気あるよな……」

 それを見た俺はため息混じりにそう吐くと、目の前で不服そうな表情を浮かべる志々目さんがいた。

 やっべ、質問したはいいがその後全くもって無視してた。

「あー、ごめんごめん。志々目さんは何出るつもりなの?」

 顔の前で手を立てて謝ってから再度訊く。

「私はね、リレーに出ようと思ってるんだ」

 志々目は目尻にシワを寄せて笑顔を見せる。

「志々目さんって足速かったっけ?」

 俺が素朴な疑問をぶつけると志々目さんは怪訝そうな表情を浮かべる。

「私これでもバスケ部だよ?」

 薄っぺらい胸を張って志々目さんは誇らしげに告げる。

「あぁ、言われてみれば」

 細身ではあるがしっかりとした体格はスポーツマンらしいと言えばらしい。

 それにこのハキハキと話す感じは女子と話していると言うより、男子と話しているという感じに近い。

「何よ」

 志々目さんは鼻で笑って言う。

「じゃあ、借り物競走参加希望者は前出てきて」

 はいはい、と小学生のように手を挙げ続けて譲ることをしない生徒達にメガネは集合をかける。

 恐らくジャンケンでもさせて決めるのだろう。

「別に。マジで何とも思ってないから」

 俺は前に集められた人たちを見ながら答える。

 中には夏穂の友だちである諸星かおりや市野奈々の姿がある。しかし、夏穂の姿はない。

 俺は夏穂の席──1番廊下側の列で前から3番目──に視線を向ける。

 すると夏穂は俺の視線に気がついたらしく、優しい微笑みを浮かべた。

 うん、あの微笑みの意味がわからん。

「あー。そう言えば、盛岡くんって品川さんと付き合ってるんだっけ?」

 その視線に気づいたのか志々目さんは何故かご機嫌斜めになって、少々棘のある言い方をする。

「まぁ、そうだけど。てか、怒ってる?」

「全っ然! 私が怒る理由ある?」

「いや、無いと思うんだけど、言い方がさ 」

 俺が苦笑混じりにそう言うと志々目さんは大きく鼻息を吐き、

「ふんっ」

 と、やはりどこか怒った感じをいさめない雰囲気を醸し出す。

「うぉぉっ!」

 怒号のような歓喜の声が上がる。どうやら借り物競走のそれが決まったようだ。

 そして黒板に代表者の名前が書かれていく。

 市野奈々いちの-なな黒田亜理緒くろだ-ありお岬華みさき-はなそして竹島優梨たけしま-ゆり

 諸星かおりはダメだったのか。ってか、黒田、あいつ男1人じゃん。

 ハーレムだな。

「だねー」

「ん??」

 いきなり声をかけられ何が何だか分からない。

「声に出てたよ。ハーレムだなって」

「マジかよ」

 てか、このパターン久しぶりだ。

「マジだよ。それにしても優梨ちゃんが借り物競走なんて意外だなー」

「え、何で?」

 俺は間髪いれずに訊く。すると志々目さんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。だが、全くもってときめかない。

「1年の時も同じクラスだったんだけど……。優梨ちゃん、走るのかなり速いのよ」

「そうなのか?」

 校外学習の時から行動を共にすることは多かったが、そこには気づかなかったな。

「そうだよ。ちなみに優梨ちゃん、中学の時、県選抜にまで選ばれてたんだよ」

 いや、そこまで凄いのかよ。

 常軌を逸した凄さで俺は息をするのを忘れるほどだった。

「──っじゃあ、何で出ないんだ?」

 俺は体を前へ乗り出して必死の形相で訊く。その行為に自分でも驚いていた。

 正直が優梨がどれほど足が速かろうと遅かろうと俺に関係するところではない。関係する所といえば、クラスが体育祭で勝つか否かというくらいだ。

 だが俺はそんなものに興味が無い。じゃあ何でこんなに聞きたいんだ……。

 その答えを出す前に志々目さんから言葉が返ってくる。

「私にそれを聞くのはお門違いだよ」

 弱い笑みと共にそう告げる。

「じゃあ次。騎馬戦なー」

 メガネがアディドスのジャージの袖をまくりながら言う。

 暑くなってきたのだろう。てか、どんだけ本気でやってんだよ。

 露になる腕は、見た目の貧弱そうな雰囲気とは違い、ガッチリとしたものだった。

「え、メガネ。腕すごくね?」

 思わず声を漏らしてしまう。

「それね。私もこの前見た時思ったよ。見た目はガリ勉くんって感じなのにね」

 うんうん、と頷きながら志々目さんは俺の言葉に同調する。

「だよな。これで体育祭に力を入れてる理由がちょっとわかった気がする」

「だね」

 騎馬戦は瞬く間に強力そうな男子達によって代表が決まった。ちなみにその中には伊田くんもいる。

「これは俺ら勝ったな」

「ああ、伊田くんいるもんね」

 自信満々でそう言う俺に志々目さんは納得顔で、二学期開始時点で金髪から茶髪になっている伊田くんを見て呟く。

 この事については色々と噂が飛び交った。ケンカに負けただとか、逆にこの近辺の頭になっただとか……。

 だが、実際は違う。優梨に「金髪より茶髪のが似合うと思うよぉ」と言われたからだ。

 しかし、事実を知ってるのはほんの1部。俺と夏穂と優梨。それに本人を加えた4人だけなのだ。

「てか、いいの?」

「何が?」

 俺は伊田くんのヘアカラーチェンジの真実を思い返していたおかげで、志々目さんが何を言っているのか分からなかった。

「だから、出場競技だよ」

「は? だからなんで?」

 そう言うと志々目さんはあからさまにため息をつき、苦笑を浮かべた。

「これって全員参加なんだよ?」

「知ってるけど──あっ!」

 そこまで言われてようやく気がついた。残された競技が体育祭の花形であるリレーしかないことに……。

「リレーになっちゃったね」

「嘘だろっ!?」

「ホントよー」

 楽しげな笑顔を浮かべる志々目さん。まさか……。

はかったな?」

 俺は視線を強め、志々目さんを見る。

「バレた? こうやって話していると絶対リレーまで放置すると思ってた」

 悪びれた様子もなく舌先をチロっと覗かせる。

 可愛いな……とは思わない。

「むりするなよ」

 寧ろそう思う。

「失礼ねっ!」

 志々目さんはそう言うも堪えた様子はない。

「じゃあ、リレーはまだ黒板に名前のない……志々目愛莉ししめ-あいり盛岡将大もりおか-しょうたと後は品川夏穂しながわ-なつほだな」

 メガネは有無言わせずに黒板に俺を含めた3人の名を書いていく。

「まぁ、決まった以上頑張ろーっ!」

 志々目さんは俺の肩をちょんちょんと叩き、えくぼを露わにして向日葵のような大きな笑顔を見せた。

「それと、このクラスは39人だから、あと1人リレーの代表になってもらわないといけない」

 教室は静まり返る。花形と言われるだけあって本番ではかなり盛り上がる競技だ。しかし、裏を返せば一番注目される競技でもあるのだ。

 よっぽど走るのに自信があるか、目立ちたいかのどちらかでない限り立候補など出来ない。

 まぁ、それを言えば俺は多分目立ちたいも思われていると思うのだが……。

「立候補なんていない──」

 だろ、と言おうとした瞬間だ。静かだが、精錬された動きで手が挙げられた。

「竹島。やってくれるか?」

 メガネは心底嬉しそうな表情で柔和な声音で訊く。

「はい」

 優梨は強者独特の雰囲気を醸したしながら首肯した。

「これを狙ってたんだね、優梨ちゃん」

 志々目さんは、ははーんと呟いてからそう告げる。

「マジで?」

「知らないわよ。でも、優梨ちゃん。こういうところはは賢いからね」

 志々目さんは苦笑を浮かべながらそう言った。

「だけなんだ」

「そりゃあそうよ。全教科補習なんてあの子くらいなんだから」

 短く放たれた言葉は俺にも刺さるものがあり、何も言い返せなくなる。

「じゃあ、明日の体育からは出場メンバー同士での練習になるからな。で、悪いけど竹島さんだけは半分半分とかで練習してもらえるかな?」

「はい」

 優梨はほぼ無表情でメガネの言葉に返事をする。

「よし、最後に実行委員を決めるぞ」

「……実行委員?」

 誰かがそう聞いた。するとメガネはよくぞ聞いてくれたっ! と言わんばかりに咳払いをして説明を始めた。


 要約するに、体育祭を執り行うために設立される体育祭実行委員会のメンバーを各クラスから1名選ばないといけない、ということらしい。

 それが言わば体育祭に関する連絡事項を伝える仲介人というわけだ。

「てなわけで、誰かやりたい人いるか」

 大抵の人はやりたがらないだろう。

「これは盛岡くんには無理だね」

 前を向いていた志々目さんが再度振り返ってきて、笑顔で告げる。

「失礼だな、やろうと思えば出来るにきまってんだろ」

「えぇー、じゃあやる?」

 俺の言葉を聞いた志々目さんはニタァっと笑い訊く。

「だからやらねぇーよ!」

 思わず声が大きくなってしまう。

「おぉ、盛岡。やりたいのか?」

 これを好機と見たメガネは俺に詰め寄る。

「だからやりませんって」

 俺はメガネの言葉を一蹴する。

「盛岡くんには多分無理でしょ」

「アイツでは力不足だ」

 教室のあちらこちらから俺を非難する声が上がっているのが聞こえた。

「全部聞こえてんぞっ! 俺だってやればできるっつーの!」

「じゃあ、盛岡くんで決定だねっ!」

 クラスメイトに喝を入れる言葉が逆に自分の首を絞め、トドメをささんばかりに前に座る志々目さんが完璧なスマイルを浮かべた。

「そうだな。じゃあ、盛岡、頼むぞ」

 メガネも何度か頷いた後にそう述べる。

「ちょっ──」

 とまて、と言おうとした瞬間。学校全体にチャイムが鳴り響き5限終了が知らされた。

「じゃあ。これで決定だから」

 メガネは不敵に笑い教室から出て行った。

「頑張って!」

 すぐそこにいるはずの志々目さんの声がやたらと遠くに感じる。

 あぁ、終わったな。


 心底そう思った。

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