第52話 俺、告白する

 夏祭りのメイン通りから外れた所にあるこじんまりとした神社。草木が鬱蒼と生えた獣道を行き、辿り着くマイナーの中でも更にマイナーであり、名前も知らない神社だ。

 でも、ここは夏祭りの花火を見るのにはもってこいの俺のとっておきの穴場スポットなのだ。

 1つ嫌なとこをあげるとすれば、それは虫が多いところだろう。

 最後に来たのは4年前だ。織葉と花火を見るために来たんだった。ラムネに片手に花火を見た記憶は今でも脳内に残っている。

 あの時は草が刈ってあったが、今日はそんなことはなく、荒れ放題の伸び膨大である。

「こんな所で見れるの?」

 不安そうな声と表情で訊く夏穂に俺は余裕の笑みを見せて堂々と告げる。

「大丈夫だ」

 3段の拝殿はいでんに向かう木製の階段の2段目に腰をかけ、鈴やら賽銭箱に背を向けて座る。

 小さな神社であるためにそれで全体が見渡せる。

 御手洗みたらしの水面には枯葉や虫の死骸が浮いており、清なる水などといった印象はどこかに忘れてきてしまう。

 俺は視線をそこから天上に持ちあげる。辺りが暗いからか、メイン通りにいた時より星々の煌めきが凄んでいる気がする。

「星が綺麗だね」

 同じことを思ったのか、夏穂も天上を仰ぎ、うっとりとした表情でそう述べた。

 街頭すら1つもないここは、自然の光──主に空に浮かぶ極薄の三日月と星々──に加え、少量だがちろちろと飛んでいるホタルだけが光源となっている。

 俺は左手首に付けた腕時計を目とぶつかるのではと思うほど近い距離まで持ってきて、目を凝らして時間を確認する。


 19時00分。打ち上げ花火開始の予定時刻まで残り15分だ。

 遠くからもやのかかったマイク越しの人の声がする。嗄れたようにとれるがそれがマイクのせいなのか否なのかは分からない。

「これ、食べるか?」

 なかなか話題が見つからず、緊張ばかりが張り巡らされる。それを解消する為に俺は、ここに来るまでに買った焼きそばを手に取り訊く。

 夏穂はそれに首肯することもかぶりを振ることもせず、ただ無言で夜空を漂う星を眺めている。

 俺は差し出していた焼きそばを戻し、自分の分と重ね、夏穂と同じように天を仰いだ。

 風に乗って届くもやのかかった誰かの声と、祭りを楽しむ人々の声が僅かながら届くも、俺たちの間に会話はない。時折吹く生暖かい風が、伸びた草をカサカサと揺らす。


「夏穂」

「何?」

 互いに視線を交えることない。俺は頬が熱くなるのを感じながら、ごくんと音を立てて唾を飲み込んでから言葉を放つ。

「──や、焼きそば食べないか?」

 後少し──。ほんの少しの勇気が足りずに俺は「好き」が言えず、代わりの言葉を紡いでしまった。

 情けないな、と思い視線を落とす。

 そして、はぁー……と夏穂には聞こえないほど小さくため息を零した。


***


 焼きそばが入っていた紙パックの中には、香ばしい匂いを放つソースだけがちらほらと残っている。

 それは俺のも夏穂のも同じだ。それら2つを合わせて閉じ、輪ゴムで開かないようにして俺の隣に置く。

 いつの間にか誰かの話は終わっており、人々の喧騒も静まっている。そのため神社の中は完全な静寂が訪れる。それが俺の緊張を最大限にまで引き上げ、喉の奥から渇きが込み上げてくる。

 ──あーあ、飲み物買っとけば良かったな。

 焼きそばのそれも合わせて喉がそこそこに渇いてきている。

「喉、渇くか?」

 俺は夏穂に静かにそう訊く。辺りが静まり返っているからなのか、自分の声が反射して耳に戻ってきた気がする。

「うん……ちょっと」

 夏穂は申し訳無さそうに小さく呟く。

「そうだよな。俺、買ってこようかなって思うんだけど……」

 こんな人気のない場所で夏穂を1人で置いとくわけもいかないし、だからと言って、1人で買いに行かすわけにもいかない。

 なら一層2人でって思うが、それはそれで時間がかかりそうだ。

 俺は頭の中をフル回転させてどうするべきかを考える。

 しかし、全くいい考えは浮かばずに顔だけが歪なモノになる。

「私、サイダーがいいかな」

 そんな俺の思考を一瞬で破壊する一言が放たれた。

「え、夏穂はどうするんだ?」

 思わず声を裏返し訊く。夏穂はいたずらっぽく笑うと口元に手を当てて可愛らしく言った。

「私は待ってるよ。その方が早いでしょ?」

 大丈夫なのか? という言葉を吐きかけたが俺はそれをぐっと呑み込み代わりに力のある頷きを返した。


 俺は来た道を駆けた。はぁー……はぁー、呼吸は定まらず息苦しい。

 更に今日の格好は袴だ。走りにくいったらこの上ない。

 その中、俺は携帯をいじっていた。携帯を点けると一瞬で視界に強烈な閃光が飛び込んでくる。

 それにより、伸びきっている草木が俺の腰あたりまであることがわかり、腕には幾らかの擦り傷があることも分かった。

 しかし、そんなことは意にも介さず電話帳をタップし、夏穂の名前を叩く。

 そして電話をかける。

 1度目のコールが終わるまでに電話が取られ、通話状態になる。

「どうしたの」

 心底不思議そうな声で訊いてくる夏穂。

「いや。はぁー、はぁー、電話してた方が……はぁー……安心だから……」

 俺なりに考えた結果だ。1人で残しておくと決めた時点で、何かあった時のための予防策として電話をしようと考えた。

 これならすぐに夏穂のピンチを察し、助けに行くことができる。

「──。そんな事で電話してきたの?」

 嬉しくて顔を朱に染めている夏穂の顔が手に取るように分かる。

「……悪いか?」

 自分で言っておいてあれだが、かなり恥ずかしく感じる。思わず口先を尖らせてしまう。

 ザクザクと草木を踏み締める音が弱くなり、眼前に小さくだが紫やら赤やら黄色といった夏祭りらしい色の明かりが見えた。

 ──もうちょいだ。

「悪くは無いけど……」

 夏穂は照れを隠すかのように口ごもり、語尾に至ってはごにょごにょとなり、何を言っているのか分からない始末だ。

 俺はそれを耳に入れながら、メイン通りに出た。呼吸は乱れ、額には玉の汗が浮かんでいる。さらに袴は着崩れしており、行き交う人たちに奇異なものを見る目を向けられる。

「けど、なんだよ」

 荒い呼吸のまま含み笑いで訊く。

「けど……恥ずかしい」

 夏穂は小さいながらも意志のこもった声で言う。俺はそれを聞いて思わず頬を緩めてしまう。

 そして体を回し、飲み物を売っている店を探すも目に入る限りではない。

 小さく舌打ちをして、足速に南の方へと向かった。

 本当は走りたいのだが、人がたくさんいて走れないのだ。

「何照れてんだよ」

 俺は呼吸を整えながら茶化すように言うと、夏穂は小さく「もぅ」と言った。

 そして俺は視界に"飲料1本150円"と書かれたのぼりが揺れているのを見た。一目散に可能な限りの早足でそこへ行く。

「あの、サイダー2本ください」

 俺は汗だくの顔に走った後のしんどさを滲み出し、恐怖映像に取り上げられてもおかしくない顔で告げた。青と白に背中には赤字で祭の1字が大きく書かれた法被はっぴを着た店員は、引き攣った表情を浮かべながらも氷水に浸していたサイダー2本を手に取る。

「2本で300円です」

 俺はポケットの中からがま口の財布を取り出し、100円玉を3枚取り出して店員の手のひらに置く。それと引き換えに店員は俺にサイダー2本を渡す。

 俺は有無を言わさずその場を立ち去り、夏穂の元へ戻るべく急ぎ足で歩を取る。

「今買ったぞ」

 夏穂にそう連絡する。そして不意にメイン通りの人が俺と夏穂が脇に逸れるまでより少なくなったことに気がついた。

「じゃあ待ってる」

 何故だろう。夏穂の猫なで声を耳に入れながら思考を巡らせていると、その答えが頭上から返ってきた。

 神社へと繋がる脇道のある場所が見えだした頃だった。

「只今よりプログラム4番夜空に咲く花です」

 子どもの声があちらこちらに設置されているスピーカーから聞こえた。

「あっ、もうなんだ」

 そして電話越しに夏穂がそれに反応する。

 俺は慌てて脇道に入り、走った。サイダーをあまり振らないように気をつけながらも全力に近いスピードで草木に間を駆け抜ける。

 途中何度かガサガサっという音がしたが、それを無視して夏穂の元へと急ぐ。

 真っ暗闇のなかに通話中の携帯から零れる明かりだけが唯一の手がかりとなる。

 刹那、ヒューっと花火の爆薬の中に仕込まれた笛が音を立てて空へと登っていく。

 そして次の瞬間、ドンッとそれが爆発して赤青紫黄……様々な色を含んだ花火が夜空に咲いた。


 それから数発花火が上がったころ、俺は夏穂の元に辿り着いた。

「ごめん、間に合わなかった」

 通話状態を解除し、俺は横顔に花火の明かりを受けながら、申し訳なさそうな表情を浮かべつぶやく。

「うんん。サイダー、ありがと」

 夏穂は上がったばかりの赤色を中心としてそこから段々と青みがかっていく花火を大きな漆黒の瞳に映しながら言った。


 俺は買ってきたばかりのサイダーのキャップを回し、開ける。少し中身が溢れ出てきて、手にかかる。

 しかしそんなことを気にすることはなく、飲み口から一気に喉へと流し込んだ。炭酸が渇いた喉をヒリヒリと刺激し、それらをごくんと音を立て飲み干す。

 そして、俺は同時に夏穂の方を向いた。

 ───言ってやる! もうここしかない!

 夏穂の肩に手を置くことで、夏穂は驚きを露わにする。しかし、俺の真剣な表情かおを見て夏穂も俺の方へと向きを変える。

「あのな、夏穂」

 そっと切り出す。夏穂は何だろう、とか思っているのだろう。顔が不思議一色だ。

「──俺と付き合って下さい!」

 言うと同時に俺の顔は火を吹いたように赤くなる。そしてドンッと大きなしだれ花火が上がった。

 世界から見ると俺たちは影になっただろう。

 でも俺たちから見るとスポットライトが当たったように感じられる。

 夏穂の返事が返ってくるまでのほんの数秒が恐ろしく長く感じる。

 花火が上がるのが止まる。ちょうど爆薬の入れ替えらしい。辺りが完全な静寂になる。

 ──返事は……。

 1秒経つにつれて不安と恐怖が倍になってのしかかってくる。

 そしてようやく夏穂が口を開いた。

 目尻に涙を浮かべた顔を俺に向け喜色の笑みを浮かべて、

「はい」

 と頷いて答えた。そして頷きの衝撃で溜まっていた目尻の涙がすぅーと頬へと伝った。

 俺はそれを右手の親指の腹でそっと拭ってやると顔を近づけた。

 互いの呼吸が触れ合うほど近い距離になり、途端に恥ずかしくなる。

 そしてそのまま俺と夏穂は唇を重ねた。

 刹那、それを知ってイルカのようにドンドンドンドンと入れ替えの終わった花火が連続で夜空に打ち上げられた。

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