第53話 俺、新たな住人を迎え入れる

 夏穂にオッケーを貰い、ようやく彼氏彼女になれたこの頃。俺は毎日を浮かれて過ごしていた。

 別段毎日逢う。ということも無いのだが、フワフワと電話しようかなーと悩んだり、いまメールいいかなって考えたり、とリア充っぷりを発動させていた。

 だが、そんな平穏で幸せな毎日はそうそう長く続くものではなかった。

 たった1本。たった1本の電話で全ては音を立てた崩れたのだ。


 9月26日。──それが運命の日になった。

 俺はいつも通りにサンサンと射し込む陽光で目を覚ます。2学期制の学校であるため、夏休みはまだ継続中。

 だが、あとそれもあと少しというところだった。

 いつものように、半分寝ぼけた状態で秋の冷涼さを含む階段を1段ずつ下りていく。

 布団の中が暖かったこともあり、普通より冷たく感じる。

 そしていつも通りにテレビを点ける。瞬時に映像が映し出され、女子アナや芸能人たちが真剣な顔持ちで本日のニュースについて語っている。

 それに対して別段興味もわかない。ただ、広い家に1人しかいない、という事実を和らげるために点けているのだ。

 しっかり働かない頭で時刻が9時32分だということを理解しながら、ぼーっとテレビを眺めている。そんな時だ。

 滅多に鳴らない我が家の固定電話がワンワンと鳴き始めたのだ。

 俺は思わず顔を顰め、灰色で塗られたそれを怪訝そうに見ながらディスプレイ見る。

 そこには『お父さん 携帯』と表示されている。

 ため息を付き、思いっきり嫌な顔が浮かんでしまう。

 母親が死んだ時ですら電話もなく、1人になった俺を心配することもなく、ひたすら海外で仕事をしている父親だ。電話が掛かってきたところで嬉しいはずがない。寧ろ逆だ。

 関わりを持ちたくない。そう思っている。

 俺は居留守を使おうと決め、執拗く鳴り続けるコールを意識の外に追いやって無視した。

 何コール続いたのか分からないが、電話が自動的に留守番電話に切り替わる。

「ピーと鳴りましたらお名前とご用件をお願い致します」

 テレビの中で笑う女子アナの声に重なるように機械的なアナウンスが流れる。

 そして再度ピーっという発信音が鳴った。

 ンンッ。喉を鳴らす音がしてから懐かしいようで腹立たしくもある父親の声がした。

『もしもし。久しぶりだな、お父さんだ』

「誰がお父さんだよ」

 電話から流れ出る声に荒らげて文句を言う。しかし、それは相手に聞こえるはずがないので父親は言葉を続ける。

『お前には悪いが、今度再婚することになった』

「はぁー!??」

 父親の突然の結婚宣言に思わず目を丸くして、声を裏返す。

 座っていたソファーから立ち上がり、その衝撃で足がつりそうになる。

 奥歯を強く噛み、その痛みを抑えながら固定電話の所まで歩いていき、むしりちぎるように受話器を持ち上げる。

「てめぇ、巫山戯んなよ!!」

 俺はできる限りの声で喚いた。その声は家中に木霊して自分の耳にまで返ってくる。

 目を見開き、肩で息をする。その息は生温く電話本体にかかる。

「お前……、居たのか」

「お前じゃない。俺は将大だ」

 父親は俺を決まってお前と呼ぶ。自分の記憶にある限り名前を呼ばれた記憶は無い。

「ふんっ、五月蝿い。お前はお前だ。それで、私は再婚するこになった」

「母さん死んだ時……、何で来なかった」

 自分でも驚くほどに話が噛み合って無いのが分かる。だが、これは聞かずにいられなかった。

 震えた声で放たれた俺の言葉を受けた父親は、一旦黙り込むも変わらぬ調子で言葉を放つ。

「多分、忙しかったんだろうな」

「何とも……思わなかったのか?」

 ドスの効いた声で訊く。

「別に」

 しかし、父親の答えはそれだった。俺は絶望した。少しでも母親を思う気持ちの言葉が聞けるかと思った自分が居たことに腹が立つ。

「そうかよ」

 震えた声でそう言うや、頬に熱い何かが流れる。それが自分の瞳から溢れ出ただということに気づくまでに少し時間がかかる。

「だがな、お前には少し悪いことをしたと思っている」

 不意に放たれた言葉に俺は心を揺れ動かされる。しかし、それは一瞬で打ち壊れた。

「お前をこの世に誕生させてしまったこと。悪かった」

 腸は煮えくり返っている。しかし、言葉が出ない。何を言うべきか、何か言い返すべきなのか。俺には分からなかった。

 存在価値を全否定されたいま、俺はどんな言葉を吐けば良いのか。

 全く分からなくなった──。

「まぁ、そんなこと言っても誕生している以上、無駄な話という訳だ。それでな、私が今回電話したのはこんな話をするためではない」

 俺は死んだ魚のような虚ろな瞳で前をぼーっと見ている。何か言葉を発そうとするも、それは言葉になる前に霧散して結局は無言となる。

「相手も再婚なんだ。それでだ、お前──兄貴になるから」

 一瞬何を言っているか分からなかった。

 ──俺が……兄貴?

 そこへ追い討ちをかけるように父親は言葉を紡ぐ。

「お前より1つ年下の17で、名をカルペツ・イリーナ。ロシア人と日本人のハーフだ」

 そこでようやくそっちのけになっていた意識が覚醒し、喘ぐ様に叫ぶ。

「な、何なんだよ!!」

「何って、お前が一緒に暮らして一緒に学校に通う妹だよ」

「──はっ?」

 抑揚のない声音で放たれた言葉に俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「目賀高校にはもう話は通してある」

 父親はそう放つと「おっと」と俺が言葉を放とうとした瞬間に声を洩らす。

「悪い、急用だ。じゃあな」

「お、おいっ!!」

 俺の声は虚しく、通話終了のプープーという音に跳ね返る。

 俺は苛立ちが抑えられず、投げるようにして受話器を置く。

 ──急に義妹いもうととかなんだよ。それに義妹だぞ? 血の繋がりは無いんだぞ? 俺も年頃だし、普通一緒に暮らさせるか。馬鹿だろ、あのクソジジイは。


 怒りが次第に呆れに代わり、俺は目覚めのコーヒーを淹れてソファーに腰を下ろした。

 部屋には淹れたコーヒーの匂いが充満し、

朝らしい雰囲気が漂っている。

 ズズゥーと啜りながら父親から語られたロシアと日本のハーフという義妹の事を考えた。

 よくよく考えたらさ、向こうはどう思ってんだろ。訳の分からない男とひとつ屋根の下で暮らすって……嫌じゃないのか?

 はぁー、とため息をつきコーヒーの入ったカップをソファーの少し前にある木製のミニテーブルの上にコンっと小さな音を立てて置く。

 瞬間、外から凄まじい轟音と共が聞こえた。

 飛行機が上空を通過した音だろう。いつもは気にならないのだが、今日はやけにそれが大きく聞こえ、無意識に体が反応してしまう。

 俺はかぶりを振り、気にするなと言い聞かし、湯気の上がるコーヒーを思い切り口に入れる。

「あっちぃッ!!」

 見た目通りの熱さに俺は悲鳴をあげた。


***


 あれから3日後──9月29日。父親のあの言葉は妄言だったのかと思うほどその後3日間は何事もなく過ぎ、そのこと自体を忘れてしまいそうになっていた頃だった。

 唐突に玄関に取り付けてあるインターフォン子機が押され、室内の親機が鳴り響いた。

 俺は1階の食卓テーブルで、扇風機にあたりながら片付け作業の如くやっていた夏休みの課題の手を止め、立ち上がる。

 ──何かの勧誘か?

 そう思いながら「はいはーい」と声を上げ、インターフォン親機に映っている人物を確認する。栗色の髪をしており、筋の通った鼻。綺麗な二重まぶたをした色白の美少女が困惑を体現した表現で立っていた。

 どこか居心地が悪そうにモゾモゾとしているその仕草が妙に愛らしい。

「はい……」

 俺はその時、3日前の親父の電話が脳裏を掠めた。苛立ちを覚えるものだったが、そう言えば再婚とかなんか言って、俺に義妹が出来るとかなんだとか……言ってたよな。

 探り探りで弱々しい言葉をインターフォン越しで放つ。

「Ох, это. Привет.」

 聞いたこともない言語が話され俺は戸惑いを隠せずにいると、その美少女は白い顔を朱に染める。

「こ、こんにちは」

 そしてその美少女は日本語で語った。どこかぎこちない日本語だが、はっきりと聞き取れた。凛とした鈴のようでとても心地のよい声だ。

「こんにちは」

 俺はゴクリと生唾を呑み、少し早口になりながら挨拶を返す。

「私、名前はカルペツ・イリーナ。じゃなくて、もりおかイリーナ」

 そこで、俺の頭の中では玄関先にいる美少女が俺の義妹になる人物と結びつく。

「あっ、ちょっと待って」

 俺はまくし立てるようにそう言うと子機との通信を切る。

 背中にびっしょり掻いた謎の汗を大きく深呼吸することで落ちつかせてから、ゆっくりとした足取りで玄関へと向かう。

 しかしどれだけゆっくり向かっても元からほとんど離れていない玄関まで行くのに3分も掛けることは出来ず、震える手で玄関に掛かった鍵を開けドアを押して開ける。


「今日、から、よろしく、願います」

 途切れ途切れの慣れない日本語でそう告げてからイリーナは深々と俺に頭を下げた。


 かくして俺は、旅行カバン1つでは収まりきらない大量の荷物を持って俺の前に現れた父親の再婚相手の娘にして、今日からは俺の義妹であるイリーナとの同棲生活が始まるのだ。

 って、俺、夏穂と付き合いだしたばっかりなんだけどぉぉぉぉ!!

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