第50話 俺、夏祭りに行く

 今日は8月31日。今年はこの日が水曜日なので、一般的には9月1日から学校がスタートする。中学校までの俺はそれだった。

 秋を感じさせない強い日差しにゆらゆらと立ち上る陽炎。日中気温はもちろん35度を超えて猛暑日だ。

 しかし今日はやけに車の交通量が少ない。いつもならもっとブレーキ音やエンジン音などがわんさか聞こえてくるはずなのだが、今日はそれが無い。

 ひとえに今日が夏祭りだと言うことが大きな理由であろう。

 俺は朝から浮かれ気分だった。それはやはり昨日のが原因だろう。


***


 真夏よりかは少し涼しさを感じられ、秋が近づいてきたのを肌で感じさせるような8月30日に夜。俺はいつものようにおやすみ前の携帯タイムを始めようとしているときだ。

 マナーモードにしていた俺の携帯がブーブーという連続的なバイブ音がした。サ3度のバイブ音で止まらないということはメールではなく、電話ということだ。

 誰だよ、と思いながらディスプレイに視線を落とすとそこには夏穂と表示されていた。

 2回の咳払いで喉を鳴らし、受話器の上がった——電話を受け取るマークをスワイプして、「もしもし」と出た。


「もしもし、私。夏穂だけど」

「うん、わかってる」

 緊張のあまりなのか、夏穂の声がいつもと違う風に感じられる。

「明日って、夏祭りでしょ?」

「そうだな」

「よかったらだけど……、一緒に行かない?」

 フェードアウト気味に告げられた言葉に俺は返す言葉を失っていた。嫌、なはずはなく、むしろ行きたいと思っている。でも、それを表現するいい言葉がでてこない。

「ダメ——かな」

 俺の沈黙に耐えられなくなったのか夏穂のほうから先に口を開いた。

 俺は電話越しであるのにかぶりを振った。

 それによって小さなころ、父親がまだ家にいたころだ。父が電話越しであるのに、「ありがとうございます」に続けて頭を深く下げたりしているのを思い出した。

 意識的じゃなくて、無意識的に体が反応するものなのかな。

 そんなことを考えていると思ったよりも簡単に言葉はこぼれた。

「そんなことない。俺も夏穂と一緒に行きたい」

「ホント?」

 声に嬉しさが滲みだしているのが分かった。その声を聴くだけで思わず表情が緩んでしまった。

「俺と一緒に夏祭り、行ってくれるか?」

 後出しだ、と言われるかもしれない。相手が自分と行きたいと分かって聞くのはずるいと思う。でも——、女に言わせて自分は言わないのはナシのような気がした。

「はい」

 優しい声での返事。俺は答えが分かっているのに心底うれしくて、「よかった」と洩らしていた。


***


 辺りはオレンジ色が支配する夕方になった。ただでさえ交通量が少なかったのだが、夕方になってそれは拍車をかけた。

 まぁ、交通規制がかかったので当たり前と言えば当たり前なのだが——。

 夏穂との集合時間は18時に駅前の大きなガラス細工のオブジェクトの前。

 俺は何を着ようかと思いながら、タンスを開けた。最近着た服が上から順番に置いてある。

 どうしよ。そう思いながらごそごそと探していると不意にナイロンの音がした。

 なんだ? そう思ってそれを引っ張り出してみるとそれは新品のはかまだった。

「これ——」

 俺はこれが何のかすぐに分かった。そしてその時の記憶が鮮明によみがえってきた。

『もう、将くん~。夏祭り行くからそれらしい格好してきてって言ったじゃん』

『悪い。そんな物家になくてよ。それに準備することもできなかったから』

『もうっ。しょうがないんだから』

『来年はちゃんと準備するからよ』

 そう言って忘れないようにってその3日後には袴を買ったんだった。まぁ、ちょうど祭りシーズンが終わるってことで安売りしてたってのもあるんだけど……。

 あの時はこんな風になるなんて微塵も思ってなかった。まさか——死ぬなんて。

 はぁあ、と短くため息を吐く。

 織葉の笑顔が脳裏をかすめ俺に悲しみを植え付ける。

 そこで俺は小さくかぶりを振った。ダメだ、乗り越えたはずだろ?

 自分に言い聞かせるよう心の中で喚いた。

「着るか」

 置いといても無駄だし、と思いかぶっていたナイロンを取った。袴からは新品特有の匂いがしてくる。

 俺は、それを気に留めず服を脱ぎ、着替えを始めた。


***


 まだまだ明るい18時。ガラス細工に夕暮れのオレンジが反射して幻想的な色を生み出している。

 俺はそんなガラス細工の前で黒寄りの灰色の袴を着て夏穂の到着を待っていた。

 少し先では綿菓子やリンゴ飴、スーパーボール掬いなど夏祭りらしい露店が並んでいる。近くにいる人は一様に浴衣や袴を着た男女。しかも各々が一人で誰かを待っている様子だった。

 おそらく待ち合わせをしているのだろう。相手が来るとパッと表情を明るくして手を振るが繰り返されている。

 まだかな。そう思った時だった。

「将大ー」

 元気な声と道路に響く下駄の音がした。

 漆黒の髪は上げて纏めており、落ち着いた濃い青色の浴衣とよく合っている。

「おまたせ」

 無垢な笑顔でそういう夏穂に俺はそっぽを向いて

「別に待ってないし」

 と告げてあるきだした。


 世界に黒が帯び始め、露店にある提灯ちょうちんに明かりが灯り始まる。

 俺と夏穂は手をつなぎ、立ち並ぶ露店の間を並んで歩いていた。浴衣の襟から覗くうなじが綺麗で俺の鼓動を休ませてくれない。

「ねぇ、あれやろうよ」

 そんな俺をよそに夏穂は無邪気な笑顔で小さな子供が列をなして射的を指差していった。

「おう」

 俺と夏穂は手をつないだまま子供たちが並ぶ列に混じった。子供たちの腕前は目を見張るものがあった。

 銃はエアガンでそれにBB弾を詰める手際の良さといい、倒しはできないものの狙いに当てることのできる正確さはたぶん俺より遥かに上だろう。

「次は兄ちゃんたちだな」

 威勢のよさそうな顔つきに服の上からでもわかる筋肉質の男性に二人分のりょうきん600円を支払い、2丁のエアガンを受けとった。

 眼前にある棚の上に並ぶのが景品なのであろう。

「よく狙えよ」

 男性は含み笑いで告げる。

「ほらよ」

 BB弾を詰めたエアガンを夏穂に手渡す。

「ありがと」

 朗らかな笑顔を浮かべ、夏穂は反則ギリギリまで体を乗り出してエアガンを構えた。小さな銃口はクマのぬいぐるみを向いていた。俺はそれを自分が使うエアガンにBB弾をつめながら見ていると、夏穂はトリガーを絞った。

 パンっと響きのある音を出して、黄色のBB弾が銃口から飛び出した。

 刹那、キンっ! と妙に甲高い音がした。

「えっ……」

 思わずその場にいた全員が言葉を洩らした。それは、前を向いて構えていたはずの夏穂のエアガンから放たれた銃弾が真下にある受け取ったお金を入れておく缶に当たったからだ。

「え、えへへ」

 夏穂は弱弱しく、力のない笑顔を浮かべた。

 ようやく準備のできた俺はなんとも形容しがたい表情を浮かべ、エアガンを構え、夏穂と同じクマのぬいぐるみに標準を合わせトリガーを絞った。

「おおっ」

 自分の弾が寸分違わず狙い通りに軌道を描いたので思わず声を洩らしてしまった。

 そして、弾があたったクマのぬいぐるみは前後に小さく揺れ落ちるか落ちないかの瀬戸際だった。

 俺はこの機を逃さないと次弾を装填し、銃口をクマのぬいぐるみに向けトリガーを引いた。

 小さく乾いた音とともに放たれた銃弾は再度同じ軌道を描き、揺れているクマのぬいぐるみのヒットし、完全に棚の上から落ちた。

「よしっ」

 一人当たり3弾が持ち弾であるこのゲームで俺は2弾できめた。店主もびっくり顔を抑えられないようだ。

「すごーい!」

 第二弾を露店の天井に当てた夏穂は自分のことのようかにキャッキャッと喜んでいる。そんなに喜んでもらえると無性に照れくさくなり、頬を掻く。

 残り1弾づつ残ったこの状況で、欲しいものは手に入った。

 どうしようかな——。

 店主ももうやめてくれみたいな顔をしている。やめたほうがいいのかと悩んでいるときだった。

「あれ、将大?」

 聞き覚えのある声が投げかけられた。

 薄暗くなりはっきりと顔が見えなかったはその声は間違いなく伊田くんのものだった。

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