第47話 俺、プールへ行く

 お盆休みも過ぎ去り、三学期制の学校の夏休みは終盤を迎えようとしている。

 外気はまだまだ暑く、テレビでも熱中症に注意と呼びかけているほどだ。

 初夏のようなやかましいセミの声は日中は続いているものの、夕方になるとその声は止み、代わりにツクツクボウシのさざめきが耳に届く。

 そんなある日に俺はプールバッグを片手にバス停に立っていた。

 猛暑に晒されタンクトップのシャツの上からアロハシャツみたいなものを羽織り、下は綿パンの半ズボンを穿いている俺は額に玉の汗を浮かべながら待ち合わせ相手を待っていた。

 あまりの暑さに僅かな行動ですら面倒でだるく感じてしまう。

 俺は面倒くさいながらと腕を持ち上げて腕時計で時間を確認した。

 9時48分、待ち合わせの10時まではまだ少しある。

「早く来すぎた」

 バス停に設置されたプラスチック製のベンチに腰を下ろし、取りつけてあるビニール性の屋根を見上げる。

 所々が破れており、陽が零れてきている。

 ちゃんと直せよ。

 零れてきている陽に嫌気がさし、そんな風に思いながら、俺はポケットから携帯を取り出し、イヤホンジャックにイヤホンを差し込み耳へと入れた。

 それから音楽再生のアプリを開き、トップ50という最新曲のトップ50が流れる場所で音楽を流し始めた。

 恋愛ソングらしく、恋を応援する歌だった。

 そういや俺、結局まだ告白できてないんだよな。言おうとは思ってんだけど──。

 その時だった。不意に俺の肩に人の手が乗った。

 突然の事で驚きが隠せず、肩をビクンっと震わせ、振り返る。そこに立っていたのは清楚な感じのする純白のワンピースに薄いピンクのカーディガンを羽織った夏穂だった。

 俺はイヤホンを片耳外し、「よう」と言った。

「おはよう。将大早いね」

 夏穂は聖者のような微笑みを浮かべそう告げる。

「ま、まぁ……な」

 楽しみで早く起きてしまったとは言い出せず曖昧な返事で誤魔化す。

「でも、びっくりしたよ。将大からいきなりプール行かないかってメールが来たからさ」

「あー、それは悪かった」

 右隣に腰を下ろした夏穂は俺の言葉に手をパタパタとはためかせる。

「別にそういう意味で言ったんじゃないよ。つまりは嬉しかったの」

 エヘヘ、と夏穂は頬をかいてこそばゆい笑顔を浮かべた。

 とその時、金髪ヤンキーの伊田くんがプールバッグをサンタさんのプレゼント袋よろしく持って登場した。

「うっす」

 見た目に似合わないアルトボイスでそう告げる伊田くんに俺は右手を軽く上げる事で返事を返す。

「これで全員か?」

 左隣に腰を下ろし、伊田くんは破れたビニール性の屋根をチラチラと見ながら訊く。

「いや、あと1人来る予定だ」

「誰だよ」

 目を細め、破れた隙間から天を仰ごうとしながら気怠げに聞いた。

「優梨」

 俺の答えに伊田くんは鼻でふーんと答えたが、約1名夏穂はそうはいかなかった。

「え、竹島さん来るの?」

 思わぬところに引っかかる夏穂に刹那の驚きを感じ、頷く。

「言い出しっぺ、優梨だし──」

 言い訳のようにしてそう言う自分がいることに、なんで、と疑問に思う。

 そこにタイミングを合わせたかのように胸元に小さなフリルのついた水色の可愛いらしいTシャツにそれと同系色のスカートを穿いた優梨が到着した。

「おはよぉー」

 リュック型のプールバッグを持った彼女は元気よくそう言う。およそ5分前にして全員集合だ。

「みんな早いねぇー」

 言い出しっぺが1番最後の到着ということに罪悪感を感じているのかばつが悪そうに言うや否や轟音が耳に届き、バスの姿が視界に捉えられたのだ。

 観光バスのそれとは違うこじんまりとしたオレンジで塗装された車体でせいぜい15人程度しか乗れないであろう。

 バスがバス停に到着し、ドアが自動で開く。俺たち4人は俺を先頭にしてバスへと乗り込んだ。バスの中はまるで別世界を思わせるほど冷房が効いており、熱された体を涼めてくれる。

 4人が並んで座れる一番後ろまで移動して、腰を下ろす。その隣に夏穂が座る。

「涼しいね」

 じわりと汗をかいた顔に微笑みを刻む。

「そうだな」

 俺は風が吹いてくる上に顔を向けて答える。直接顔に冷気があたり心地よさが倍増する。

 刹那、車体ががたんと揺れ、慣性の法則にのっとり体が後方へと引っ張られる。バスが出発したのだ。

 一般的に夏休みが終わりに近いことが原因してか車の混みは予想を反して少なく、すんなり隣町の狭間はざま市立市民プール前に着いた。


***


 夏らしいギラギラとした陽光と輪光が容赦なく地上に降り注ぐ。昼間ということでセミの大合唱もとどまることを知らない。そしてその間を突きぬけるウォータースライダーを滑り落ちてくる人の歓声のような悲鳴のような声に水がはねる音が聞こえる。

 膝丈の赤の水着に着替えた俺はプールに入る一歩手前、シャワーの前にたまっている生暖かい水の中に足を入れて膝上丈の黒の水着を穿いた伊田くんと女子2人を待っていた。

 当初は水中は汚そうだからといって地べたに立っていたのだが、夏の強い陽光を秘めた地べたに裸足でいることは不可能だと判断し、そこで待っているのだが――遅い。

 俺たち男子より着替えに時間がかかるのはわかるが、もうかれこれ10分近く待っている。もし伊田くんがいなければとっくに帰っていてもおかしくないレベルだ。

「おせーな」

 流石の伊田くんでさえ腕を組んでご立腹のご様子だ。

「マジで遅いな」

 俺も同調して言う。あまりの暑さにプールに入る前だって言うのに既にプールに入ったかのように汗でべちゃべちゃになっていた。

「ところでよ、テストどうだったんだ?」

 伊田くんは不意に思いだしたかのように訊いた。

「えっ?」

 思わず声を裏返す。賢い相手に低い点を言うことほど恥ずかしいことはない。口には出さなくても心の中で馬鹿にしているに決まっているからだ。

「だからテストだよ。どうだったんだよ」

 どうって言われても……。赤点連発の補習一直線だったんだけど……。

「悪かったのは分かってるから言ってみろよ」

 どこか楽しげに言っているのは俺の気のせいではないだろう。

 そこはかとなく嫌な予感がする。

「赤点3つで補習だった」

「その赤点、化学と地理と数学だろ?」

 必死に笑いをこらえながら伊田くんは言った。ドンピシャで驚いたが、よくよく考えてみるとその3つが補習者が1人じゃなかったのだ。

 もちろんその1人はいま絶賛俺たちを待たせている優梨なのだが──。

「まぁ、3つならよくやった方だろ」

 伊田くんは俺を宥めるように優しさのこもった声音でそう告げた。

 それとほぼ同時に俺の名を呼ぶ声がした。よく聞き、1番しっくりとくる声を上げながら夏穂は俺たちのいるシャワーの前の水溜のところまで小走りでやって来る。

 大きくたわわに実った夏穂の胸が歩くごとにたゆんたゆんと揺れる。

 その破壊力は男としての理性が一瞬でぶっ飛ぶほどはあると思う。

「あれは──やばいな」

 引き攣りの笑みを浮かべ、伊田くんは俺に聞こえるか聞こえないかの声音でポツリと吐いた。


***


 エメラルドグリーンのビキニ姿の夏穂は美しく白い四肢をふんだんにさらけ出している。

 一方の優梨は夏穂と比べれば多少見劣りはするが、普通に胸はでかいと思う。

 レインボーカラーのビキニに下はパレオを巻いている。2人とも高校生とは思えない体で高校生にしては派手すぎる気がする水着で通称流れるプール──常に一定の方向に水が流れ、浮き輪などの上に乗っていると勝手に流れて行ってくれる──に入っていた。

 俺たちはその間に浮き輪やビーチボールの空気入れを任される。

 待たされた俺たちが空気入れで冷水に入るタイミングを遅らされるのはおかしい気がするが……、夏穂が「私と将大がいれてくるからっ!」と言い、それでは理性が持たないと判断してくれ、その役割を自ら勝って出てくれた伊田くんには感謝しかない。

「ごめんな、付き合わせちゃって」

 空気入れ場で夏穂と優梨が気持ちよさそうにプールに入っているのを遠くを眺めるようにして見ながら言う。

「気にするな。正直、オレも竹島と2人でいるのはキツいような気がしてな」

 苦笑まじりにそう言ってくれるのは伊田くんの優しさの賜物なのだろう。

 2つの浮き輪と1つのビーチボールに空気を入れ終えた俺たちは2人が待つであろう流れるプールへと向かった。


***


「おい、姉ちゃん」

 俺たちが夏穂たちと合流少し前。夏穂と優梨に黒光りするほど日焼けしたゴリマッチョの男3人組が声をかけていた。

「な、何ですか?」

 恐怖心を露わにしつつ、少し距離を取りながら夏穂が返す。

「いやぁー、こんな可愛い姉ちゃんたちが2人だけで遊んでるなんてもったいねぇーなーって思ってよ」

 短く刈り上げた髪に口ピアスが印象的な男がそう言い、周りの2人の男に同意を求める。

 他の男も「おう」と答え、1歩夏穂と優梨に近づく。

「にしても姉ちゃん、おっぱいでけぇーな」

 禿頭とくとうの男が右手を伸ばして夏穂の胸に触ろうとする。夏穂は水の勢いに逆らい、強引に後ろへと下がりその手を回避する。そして左手を持ち上げ胸を隠すように抑える。そうすることにより胸の形が変形し、更にエロさが倍増していることに本人は微塵も気づいていない。

「ふぅ〜、エロいねー」

 最後の1人、両耳に数え切れないほどのピアスを付けた男が声高らかに告げる。

 明らかに下心丸出しの野生のケモノのようなゲスい笑みだ。

「イイじゃん、ちょっとぐらいさ」

 禿頭の男が敵対心を剥き出しにしている夏穂の後ろに隠れている優梨の腕に手を伸ばした。

「キャッ」

 甲高い優梨の悲鳴がウォータースライダーを流れる人の声にかき消される。

「な、何なの?」

 夏穂は震えそうになる声を必死に押さえつけて鋭い視線を男たちに向けた。

「何だこのアマ。いい眼すんじゃねぇーか」

 耳ピアスの男はヤラシイ目で夏穂たちの体を舐め回すように見た。


***


「おい。あれ……」

 前方を指差しながらそう呟いたのは伊田くんだった。伊田くんの指先には黒光りするほど日焼けしたゴリマッチョの男3人に絡まれてる夏穂と優梨の姿があった。

 俺は我を忘れるように手に持っていたビーチボールをその場に投げ捨て、夏穂たちのいる場所へ駆けていた。

「夏穂っ!!」

 胸が張り裂けそうな思いをそのまま声に出し、そのまま夏穂と男たちの間に立ち塞がった。

 割とマジで怖かった。相手の男はピアスとか空けまくってるし、ガタイもいいし……殴られたら勝ち目はない。

 でも、頭で考えるより先に体が動いていた。

「何だこいつ」

 口ピアスが下から這うように俺を睨みつけてくる。俺も頑張って負けじと睨みを効かす。

 そこに後ろからビーチボールと2つの浮き輪を持った見るからにタチの悪そうなヤンキー伊田くんが凄みのある睨みを効かせながらやって来た。

「手、離せよ」

 伊田くんは優梨の腕を掴んだままだった禿頭の腕を勢いよく握った。

「いっ……」

 禿頭の男は表情を歪め、優梨から手を離す。

 それを確認して伊田くんも男から手を離す。

「チッ、男付きかよ」

 それからみっともなく男たちの誰かがそう吐くとその場から立ち去った。


「大丈夫か?」

 俺は夏穂の肩に手を置いて顔を覗き込んで訊いた。力を無くしたかのようにその場に倒れこもうとする夏穂の体を支えた。

「何とか……。でも、怖かった」

 夏穂は弱々しくそう吐いた。少し俺にもたれかかってきているので柔らかな2つの膨らみが胸部に当たっているが今はそんなことが気にもならなかった。

「そうか。悪かったな、俺が気回せなくて」

 夏穂はゆっくりかぶりを振った。そして俯いていた顔を上げて微笑んだ。

「うんん。助けてくれてありがと」

「それを言うなら伊田くんに言ってくれ」

 俺は自分1人で飛び出して助けきれなかったことに罪悪感を覚えながら半泣きの優梨に何か言われている伊田くんに視線を向けて告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る