第46話 俺の夏休み

 日本全土に鳴き喚くセミの声が耳をつんざく。

 連日猛暑日で熱中症で倒れた人がいるというニュースをやっている。

 そんな中、俺は夏休みに入って体操服で部活動に行く連中の中に混じって制服姿で登校をしていた。

 時刻は午前9時。学校につき教室に入るや、閉め切っていたからか鼻が曲がりそうな異臭が漂っている。それだけで帰りたくなる。

「俺が1番かよ」

 毒づきながら窓の鍵に手を伸ばす。

「あちっ」

 思わず後退してしまうほど鍵は熱を帯びており、熱かった。俺は勢いと素早さに任せて鍵を一瞬で開け、窓を開けた。

 瞬間的に風がバサっと入ってくる。秋のように冷涼さを含んだ風ではなくのめっとむさくるしい湿気と熱気を含んだ風だ。

 それから続けざまに残り3つの窓を開ける。するとようやく異臭が薄くなり、代わりにグラウンドで部活をしている野球部とサッカー部の声が轟く。

「よくやるよ」

 窓からそれを眺め呟いた。

「ほんとねぇー。こんなに暑いのに」

 すると背後から聞き覚えのある声が俺の独り言に返事をした。

 長い黒髪が印象的なぱっちり二重の可愛らしい雰囲気を持つ竹島優梨たけしま-ゆりだ。

 学校指定の白のブラウスに同じく学校指定の紺のスカートを穿いている。この暑さで汗を掻いたことからかブラウスが体に密着しており、水色と白色のボーダー柄の下着が透けて見えている。

 行きかける視線を静止して再度窓の外へと向ける。

 思ったより大きいな。ブラウスを押し上げる2つの膨らみを脳内で再生しながら思い返し、今すぐもう1度チラ見したいという衝動を抑え、真ん中の列の前から2番の席にカバンを下ろす。

 優梨は迷いなく俺の隣にカバンを置く。

「1限からあるってことは化学ダメだったのぉ?」

「そうだよ」

 ニタニタと笑顔を浮かべながら聞いてくる俺は少し声を荒らげながら答える。

「何点だったのぉ? あっ、ちなみに私は5点ね」

 いや、馬鹿すぎるだろ。そう思いながらも結局同じ舞台に立っている俺も同じか、と思い直してため息を吐く。

「22点だ。最初は調子良かったんだけどよ、後がボロボロだ。記号問題が運良く当たってって感じだ」

 カバンの中から筆箱とルーズリーフを取り出しながら答える。するとガラガラと扉が開いた。

「うっす」

 気怠げに教室に入ってきたのは校外学習のドッヂボール対決で死闘を繰り広げた少し青みのかかった髪をした1組の委員長の岩島昇だった。

「って、委員長が補習とか超ウケるじゃんー」

 緊張感なく優梨は笑い飛ばす。

「マジでな。委員長が補習とかシャレにならねぇーだろ」

 優梨に同意して続けて言うと岩島はムッとした表情を浮かべ俺から2つ後ろの席にカバンを置く。

「化学は苦手なんだよ」

 口先を尖らさせ言い訳をするとカバンの中から筆箱とノートを取り出す。

 すると再度扉が開いた。

 ──まだ補習者いるのか?

 期待を込めて開いた扉を見るとそこに立っていたのは細身のシルエットが特徴的な声の小さな化学担当の男性教師が立っていた。

「期待を込めてもお前ら以外は誰も来ないからな」


***


 90分間、睡眠にいざなわれ続ける化学の補習を乗りこえる。

 セミの大合唱はより一層にやかましくなっている。様々な種類のセミの鳴き声が共鳴し合い、ある種の騒音に近くなっている。

「僕は帰るからね」

 授業が始まってすぐに

『岩島、何故空けて座る? プリントを配りにくいから詰めて座れ』

 と言われ俺の真後ろに移動してきた岩島が得意げな笑みを浮かべながらカバンの中に配布されたプリントと筆箱、ノートを詰め込んでから告げた。

「はいはい」

 冷たく流してから机の上を綺麗にした俺もカバンを持ち、立ち上がる。

「えっ?」

 岩島と優梨の驚きの声がハモった。

「ど、どうしてぇ?」

 優梨は上目遣いで喘ぐようにして訊いた。

「どうしたって、俺。英語はギリギリ赤点じゃなかったから」

「嘘をつくな!」

 岩島は声を荒らげ俺に詰め寄る。

「はぁー。ここで嘘つくメリットねぇーだろ。馬鹿しかいねぇーのに」

 俺は小さくため息を零してから頭を掻きながら言った。

「僕は馬鹿じゃない!!」

 それが気に触ったのか岩島はこれでもか、というほど顔を真っ赤に染め上げ声を荒らげた。

「ちなみに何点だったの?」

 ふんふん、と鼻息を荒らげている岩島を他所に優梨は視点を俺に合わせて聞いた。

「32点だ」

 俺は満面の笑みにプラスしてピースを作って喜びを全面に披露した。

「って、ギリギリじゃない!」

「だから言ったじゃん。ギリギリだって」

 むぅ、と頬を膨らませながら詰め寄る優梨に俺は不敵な笑みを浮かべ手を上げた。

「んじゃ、頑張ってね〜。俺はエアコン付いてる図書室で寝てるから」

 嫌味ったらしい台詞を残して俺は教室を去った。

 ジリジリと照りつける陽光は廊下に出ても同じ。寧ろ、カーテンを引いていた教室のが幾分かはマシだったかもしれない。セミの合唱は絶え間なく響き渡り、暑さを増幅させる要因の一つだと思う。

 カバンの中から黄緑色の水筒を取り出し、口につける。

 ぐびぐびと水筒の中にあるキンキンに冷えたお茶を喉に通す。暑さで渇ききった喉に強い刺激が与えられ、より一層に体はお茶を求める。

 それに応えるように俺はお茶を体内に流し込んだ。

 水筒はみるみるうちに軽くなる。残りが半分をきった当たりで飲むのをやめ、カバンに戻す。

 口角に付いている水滴を手の甲で拭い、その間にたどり着いた図書室の扉を開いた。


***


 空はオレンジ色に染まっている。セミの鳴き声もようやく落ち着いてきたが、暑さだけは収まる様子が感じ取れない。

 夕日の周りを象る輪光は眩さよりも暑さが勝っている。

 これが『夏』なのだろう。

 今は1限の化学と3限の地理、4限の数学の補習を受けた帰宅途中。明日、今日やったことのテストを受けて合格すれば補習は終わり。

 しかし、合格できなければ永遠と夏休みが終わるまで補習は続く。

 それだけは避けたい俺は天を仰ぎ、合掌した。

「合格できますように」

 神社でも何でもない所で居るかどうかも分からない神に祈るように呟いた。

 ──よしっ、頑張るぞ。

 神に頼んだことによりやらなければ、という気持ちになった俺は小走りで自宅へと帰った。


***


 次の日の俺は朝から軽い足取りだった。暑さに変わりはない。寧ろ昨日より最低気温も最高気温も高いと予報されていた。

 セミが鳴いていないはずが無く、ワンワンと鳴き叫んでいる。

 午前9時に学校に着くためにそれより少しだけ早い時間に家を出る。長時間家を空けるのは周知の事実なのでエアコンは消して出ている。

 時折すれ違う小学生だと思しき子どもたちは大きな虫あみと虫かごを手に走っている。

 懐かしさが込み上げて、自分も小学生の頃、虫あみを持って色々な場所へ行ったことを思い出し思わず笑顔をこぼしていた。

 それよりなぜ足取りが軽いか、だ。それはテストに自信があるからだ。補習の再テスト基準は通常テストの赤点からプラス10点の40点だ。

 テスト内容は本テストと全く同じもの。いけないはずが無い。

 そしてこれを抜けると晴れて本当の意味での夏休みとなるのだ。

 今日の学校到着は2番目だった。1番は岩島だ。

「早いな」

「うるさい、気が散る」

 俺の一声を一蹴して、穴が開くほどテストの解答を見つめていた。

 必死に覚えているのだろう。にしても、本当に化学ダメなんだな。

 俺は昨日と同じ席に着席し、テストに向けて問題用紙と解答を交互に見る。

 するとしばらくしてガラガラという音と共に優梨がやって来た。

「男子2人、早いねぇー」

 驚いを声に乗せて言い放つと優梨も昨日と同じ、俺の隣の席に着いた。

 そこで勉強を始めるのかと思いきや、優梨はスカートのポケットからスマホを取り出し、弄り出したのだ。

 おいおいマジかよ。

 横目でその様子を見て驚きを隠せずにいると、優梨は誇らしげな笑みを浮かべて言う。

「これぇ? iPhon7。新型だよぉ」

 うん。そういう意味で見てたんじゃないんだけどな……。

「あ、そなんだ」

 そう思いながらも自慢げな様子を無碍むげにする訳にもいかず適度な相槌をうつ。

「大変だな」

 それを見た岩島が俺だけに聞こえるように耳元で小さく囁いた。

「全くだ」


***


 全てのテストが終わった。今日はまだ少しオレンジ色が薄い。1時間が50分ということが大きな原因であるのだろう。

 時刻はおよそ午後3時。小腹の減る時間だ。

「どうだろうな」

 エアコンの機動音が妙に大きく聞こえる図書室で俺は隣に座る優梨に呟くように語りかけた。

「んー、ウチはダメかな」

 だろうな。テスト前にiPhon7自慢してくるくらいだからな。

「盛岡くんは?」

「俺はいけたと思うな」

「凄いねぇー!」

 優梨は大きな声を上げてニコニコとしながら言う。

 そこで大きな咳払いが聞こえた。図書委員から大きな声を出すな、という注意なのだろう。

「てか、岩島には驚きだったな」

「ねぇー。まさかまたもや赤点になるとは……」

 俺らはまた図書委員から注意を受けないように声をひそめて話す。

 そんな時だ。図書室の入り口が開く音がし、それと同時に生暖かい風が心地良い空間に侵入してきた。

「盛岡将大。竹島優梨。いるか?」

 年の割に若く見える学年主任に呼び出され、俺たちは心地良い冷涼な図書室という空間から出て蒸し暑さで蔓延はびこる廊下に出て、そのまま生徒指導室の前まで移動した。

「少し待ってろ」

 学年主任がそう告げ生徒指導室の中へと入る。そして俺らは教室の前に並べられたパイプ椅子に腰を下ろす。

「ねぇ、盛岡くん」

「なんだ?」

「あのさ……、連絡先教えてくれない?」

 消え入りそうな弱々しい声で、窓から差し込む夕日を顔に受けてこれでもかというほど顔を朱に染めている。

「ん、あぁ、うん」

 突然のことで驚き、曖昧な返事を返す。

「盛岡、入ってこい」

 その時、学年主任が少し扉を開き顔だけを覗かせて告げた。

「行ってくる」

 パイプ椅子から立ち上がり俺は会話を途中に夕日を背に浴びながら自信を持って蒸し暑さが蔓延した生徒指導室へと入った。


***


「盛岡──」

 学年主任が真剣な表情で俺の名を呼ぶ。そのあまりにも真剣な表情に生唾を飲む。

「良くやったな。全部合格だ」

 主任はその厳しそうな顔を綻ばせて笑顔を見せた。

「ありがとうございます」

 俺もそれに釣られて笑顔を零しながら告げた。

「いい夏休みをな。じゃあ帰っていいぞ」

 主任にそう言われ俺は扉の前まで歩き、扉を開ける前に「失礼しました」と言ってから部屋を出た。

「全部合格だった!」

 俺はピースサインをつくり、優梨に報告すると優梨は目を輝かせて声を上げた。

「嘘っ!? おめでとっ!!」

 心の底から俺の合格を喜んでいるように見える。

「ありがと」

 優梨は俺の手を取り、ぴょんぴょんと跳ねながら俺の周りを回る。するとまた主任が生徒指導室から顔だけを出す。

「次、竹島。入ってこい」

「じゃあ、行ってくるね」

 優梨は先ほどまでの表情とは違う真剣な表情を浮かべながら神妙に告げる。

「おう、行ってこい」

 優梨の背を押すように告げると優梨は1歩生徒指導室へと近寄る。

 瞬間、優梨は急回転して俺の方を向く。

「これっ! 連絡してねっ!」

 優梨は可愛らしい丸文字でメアドと電話番号の書かれたノートの切れ端を手渡した。

 あまりに刹那の出来事で俺は戸惑いを隠せずに流されるがままにそれを受け取った。

 優梨はそのまま俺に背を向け生徒指導室へと入っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る