第45話 俺、テストを受ける

 始まってしまった……。これが俺の今の正直な感想だ。

 教室に射し込む陽光はかなり眩しく、カーテンを引いていないのと相まって電気などつけなくていいほど明るい。

 時計を見ようにも陽光が反射して上手く読めない。

 机の上にあるのはシャーペンが1本と鉛筆が1本。それから消しゴムだ。

 筆箱は置いていない。カンニング防止の為、学校側がそういうルールの下で行っているのだ。

 教卓の前には国語のメガネを掛けた女教師がパイプ椅子を用意してそこに座っている。

 所謂いわゆる試験監督だ。

 その先生が更紙ざらしに印刷されたテストを配り始める。

 黒板には英語9時00分~9時50分。化学10時00分~10時50分。国語11時00分~11時50分。と大きな字で書かれている。

 朝のSHRは8時30分スタートなのでそれが終わってからテストが始まるまでは自習時間となっている。

 ──大丈夫……。いける。

 心の中で何度も何度もそう呟く。出席番号順に座り直したので俺の前にいるのか金髪ヤンキーの伊田くんではなく、普通の真面目そうな男子生徒。名前は──ちょっと思い出せない。

 俺は深い息を吐く。瞼を閉じ、昨日までを思い返す。

 刹那、ガサガサという音が耳に届いた。前から更紙が配られてきたのだ。

「悪い」

 小さく呟いて自分の分の紙を取り、後ろへと回す。

 それが何度か続き手持ちが更紙の問題用紙4枚と解答用紙の真っ白なコピー紙が1枚ある。

「開始まであとちょっとあるから」

 試験監督が時計を確認しながら言う。妙に静まり返る教室が異様に感じられる。

 窓の外で囀る鳥の声や遠くでブレーキを踏む車の音、教室内の時計が指針を動かす音、どれもが繊細に耳に届く。雑音ノイズを混じえることなく純粋な音で届く。

 カチっ。秒針が12に届き、短針も12を指す。刹那、チャイムが鳴り轟く。

 学校全体にはしる鐘の音と同時に紙を捲る音が重なる。

 バサッと勢い余る音があちらこちらから飛び交う。そこからは急に音が途切れる。

 音が耳に入らない。それほどまでに真剣だと言うことだ。

 問1。次の単語の意味を答えろ。

 (1)vital(2)negative(3)distant(4)contrary(5)leisure(6)cope(7)employ(8)abandon(9)religion(10)decade


 いきなりかよ。項垂れながらも1問1問に真剣に向き合う。

 まずは(1)だ。vitalか。見たことはあるんだよな……。

 ビタルって読むんだっけ? いや、違うな。なんだっけ……。

 あぁ、わかんねぇ。パスだパス。

 次っ! (2)は──、negativeかこれは分かるぜ。

 否定的なっと。俺は解答欄をしっかりと確認しながら答えを書き込む。

 (3)はdistantか。星空の下のディスタンス〜ってあったよな。なんて意味だっけ……。

 でも、これは……あっ! 距離だ。だからこっちは……遠く離れたって意味だな。

 俺賢くなってんじゃん。誇らしくなり、少し笑みが零れる。

 (4)は夏穂とやったやつだ! これは対照的なって意味で(5)は全くこれっぽっちも分かんねぇ! 習った記憶もない!

 ってことで(6)だ。これも夏穂とやったな。コー〇共済じゃなくて……あれ? なんだっけ。ヤベェ、思い出せねぇ。──とりあえず後回し。

 (7)が雇うだったよな。てか、何で俺これ分かるんだ? 変な感じ。

 (8)はなんだっけな。分かんねぇーけど、とりあえずアバンダンって書いとくか。それで、(9)がreligionか。見たことはあるんだよな……。領域? 違うなそれはterritoryだな。よし、ここは空欄だな。

 で、(10)は仮面ライダーであったよな。黒とピンクみたいな色とでカード使って変身するやつ。10周年かなんかだったからな。──おっ、思い出した。10年間だ。

 それから俺は幾度と無く手を止めながらもとうとう問8まできた。

 次の文を訳しなさい。

 (1)What to buy isn't important.

 (2)They found it impossible to master English for a month.

 (3)This book is too difficult for him to read.

 (4)I save money to buy a new car.


 来たな、不定詞──。俺にとっての最難関ライバルだせ。

 1番は……っと、何が買う、じゃない、可能。最後は可能じゃないってなるのか?

 おっけおっけ。分かったかもしれん!

 ここは何か買うのは可能じゃないって意味だな。よしっ。

 じゃあ次だ。彼らは発見したんだ。重要を発見したのか。それで──口に主人に英語……?

 訳わかんねぇーぞ、これ。

 とりあえずまとめるか。彼らは口で主人を英語が重要でないと発見した。

 なんかポクね?

 まぁ、次行くか。

「残り5分」

 女教師が声を上げた。その前触れのない音の発生に肩をビクンと震わせる。そして刹那にして冷や汗が出る。残り2問と言っても不安が胸中をかき混ぜるのだ。

 陽光が教室全体に渡り、妙に熱している。

 黒板までもが反射を受けていて白チョークで書かれた文字もうっすらとでしか見えない。

 焦り、肩で息をしているのが分かる。俺は1度深い深呼吸をして心を落ち着かせる。

 そして再度視線をテスト用紙へと落とした。

 3番だ。これは夏穂とやったtoo to 構文だな。意味は確か──、あまり〜すぎて……できない。だったはずだ。

 この本はから入るのだろう。そして、続き……おっと、for himがあるから彼がだな。

 だからこれはこの本はあまりに難しくて、彼が読むことは出来ません。だな!

 自信があるから故のドヤ顔がこぼれる。

 テスト中ってさ、人の顔見れねぇから分かんねぇけど、他の人も問題の1問1問に一喜一憂して表情変えたりしてんのかな?

 不意に余計なことが脳裏を過ぎる。俺はかぶりをふりそれを一旦思考の範疇から追いやり、4番に全神経を注ぐ。

 私はお金を助けるのか。あ、これは普通の不定詞か。副詞的用法ってやつだな。

 ってことは、私は車を買うためにお金を助けます。か。

 んー、なんか微妙に不自然だけど英語を訳したから日本語がおかしくなるってことは希にあるからな。これで終わりだ!

 顔を上げ、陽光を反射して見えにくくなった時計を目を凝らして見る。

 秒針が動くのがどうにか見える。だが、重要な短針と長針は僅かにも見えない。

 見えないと思い、目を細めた瞬間──鐘が轟いた。

 途端にシャーペンなど筆記用具を机に叩く音が聞こえる。

 伸びをする者、机に突っ伏す者、自信アリ気な表情を浮かべている者、みな様々な顔をしている。俺はその中でも伸びをした類だ。

 今回はそこそこに自信がある。恐らく赤点ではない。……と思う。

 後ろから回ってきた解答用紙の上に自分の解答用紙を重ねて前へと送る。それを全部集めて、試験監督が数を数える。

 絶対、解答用紙持ってるやつなんかいないだろうと俺は思う。テスト受けて提出しないやつってアホとしか言いようがないからな。

 そして数を確認し終えた試験監督は休憩を取るように指示して教室を去った。

 俺は再度息を吐いてから席を立ち、廊下に置いたカバンの下へと歩く。

 廊下に出て、カバンを開け水筒を取り出す。

 あまりの集中で喉がカラカラなのだ。

 喉を鳴らしてぐびぐびとお茶が体内へと入る。心地よい感覚だ。

 微妙に口に入りきらなかったお茶が口端から少量が垂れる。

「どうだった?」

 不意に隣から声がかけられた。

「ゴホッゴホッ……。な、夏穂!?」

 お茶が気管にはいりせ返り、声を裏返す。

「な、何よ」

 夏穂はジト目で俺を見ながら引いたように言う。

「いや、ちょっとびっくりしただけ」

 テスト用紙をカバンの中に入れながら俺は答える。

 夏穂はふーん、と答えながら再度訊く。

「で、テストどうだった?」

「んー、まぁ……ぼちぼちかな」

 多少の自信はあるが、ここで自信あると言って悪かった時のことを考えると自信アリとは言えない。

 だから敢えてのこの答えだ。

「そっか。じゃあ、次の頑張らないとねっ!」

「あぁ。でも、化学だろ? キツいな」

 苦笑いを浮かべて言うも夏穂は真顔でかぶりを振る。

「大丈夫、いけるよ」

 その時、本を持った禿頭とくとうの教師がやって来た。

 東大数学と書かれた本を持つ数学教師は廊下に出たままの生徒たちに告げる。

「教室入れよー。テスト配るよー」

 鼻声で教師が告げると皆ぞろぞろと教室の中へと戻っていく。

 次は化学だ!

 心の帯を締め直して俺は教室のドアを跨いだ。

 席につくと陽光が直接当たらなくなっていた。カーテンが引かれたのだ。

 強い陽光がカーテンの裏地を照りつけ、透けさせる。

 またもや学校に静寂が訪れる。

 ただ紙の擦れ、バラバラとなりながら後ろへと流される音が聞こえる。

 手元には3枚の更紙の問題用紙と1枚の更紙の解答用紙。

 禿頭の数学教師は別段試験監督だという意識をしている様子もなく、ただただ怠そうにパイプ椅子に腰を下ろし、東大数学と書かれた本を開く。

 カチカチ、と秒針が時を刻む音が大きくなったように感じる。

 瞳を閉じて鼻から大きく息を吸い込む。精一杯吸い込んでから一瞬息を止める。

 そして鼻から全ての空気を吐き出す。

 それと同時に瞼を持ち上げ、瞳を開く。

 時を同じくしてチャイムが轟いた。やる気のない鼻声がチャイムが鳴り終わると同時に響く。

「50分だからねー。頑張ってー」

 ガリガリと教室の至るところからシャーペンが机を走る音がする。俺は一足遅れてから裏返しで机に置いてあった問題用紙と解答用紙を表に向ける。

 クラスと出席番号と名前を書いてから問題に目を落とす。


 問1 次の元素記号について答えよ。

 (1)H2O(2)CO2(3)Zn(4)Au(5)O2(6)窒素(7)リン(8)銀


 1番は……水だな。これはテレビとかでもよく見るから大丈夫だ。で、次は地球温暖化とかでよく聞くあれだな。二酸化炭素。この調子だと70点超えるぞ?

 で次はゼンって読むのか? 聞いた覚えがないな。よし、パスだ。さぁ、次々れつっごーだ。

 何故に……? 何故にここで携帯会社の名前がでてくると?

 最近、日本昔話をモチーフにしたCMで有名なあの携帯会社のはずがないが、それしか思いつかない。

 とりあえずここはauと小文字で書いておこう。

 次は酸素だろ。余裕だぜ。で、問題はここからだ。窒素なんかわからねぇーよ。分かんねぇからTiとしておこう。窒素の「ち」だ。

 リンはRiだ。そして銀はGinだ。


***


 3限終了のチャイムが轟く。化学の手応えは微妙だったが、3限の国語はそこそこ出来たきがする。

 中島敦といえば人虎だな。うん、問題は漢字だったが……、まぁなんとかなったろ。

 古典分野は今回少なく、30点分しかなかったからなラッキーだったぜ。

 後方から回ってきた解答用紙に自分のものを重ねる。妙にビッシリ書いてある後ろの席の解答用紙に冷や汗を書きながら前へと回す。

 チラリと見えた前の席の解答用紙。これもまたビッシリと書いたある。

 俺のより倍以上書いてあるんじゃねぇーか? 不安が募る。怖い怖い。点数悪かったら夏穂に合わせる顔が無くなるな。

 そんな思考が巡りながら廊下へカバンを取りに行く。

「どうだった?」

 夏穂が朗らかにやり切った感を出して訊いてくる。

「お、おう。まぁまぁかな……?」

 適当にはぐらかし教室に入ろうとする俺の制服の裾を掴み夏穂はグイッと詰め寄る。

「本当に?」

 異様に威圧を感じり、目をそらす。

「お、おう……」

「嘘」

 俺の言葉の語尾に合わせるようにして強い台詞が飛ぶ。

 思わず狼狽え、右足を1歩後ろへと逸らしてしまう。

「う、嘘じゃねぇーよ」

 背中には冷や汗が溢れ出し、カッターシャツが背中に貼りつく。

「あっそ」

 半信半疑の目を俺に投げかけながら裾を離し、教室へと戻って行った。

 ふぅー、と止まっていた息を吐き出す。

「大変なことで」

 哲ちゃんがニヤケ顔で通り過ぎる際に告げる。

 それに続いて優梨が通る。

「補習になったらウチと一緒だからねっ」

 ウインクを残して教室へと入る。

 何なんだよ。てか、一緒だよって補習にならない努力しろよ。

 力無い笑顔を浮かべて教室へと戻った。


***


 次の日は正直言って最悪だった。1限の地理は記憶したハズのものが全く出てこず、解答欄はほぼ白紙。運良く書いたところ全てが当たってどうにか補習が免れるといったレベルだ。

 その後の数学もボロボロ。死んだよ。

 領域の問題は計算式すら立てられずじまい。おそらくちょうど夏穂にメアドを聞くとか言って毎日が上の空だった頃の授業だったと思う。

 てか、寝てるしな。俺……。

 過去の自分を恨みながら最後のテスト、数学の解答用紙を集め終わった数学のテストの試験監督の息が臭い英語教師が立ち去る。それと入れ替わりになって担任教師のメガネが入ってくる。

「カバンとってこーい」

 プラスチックの百均に売っていそうなケースの中に手帳やら何やらを容れたものを教卓の上に置いて告げる。

 皆、席から立ち上がりカバンを取りに廊下へと行く。その足取りが軽く見えるのはおそらく気のせいではないだろう。

 テストが終わって解放されたような喜びが反映されたようだ。

 俺の足取りもそんななのか? 脳内にクエスチョンマークが浮かぶも頭を振る。そんなことは無い。テストの点のことで頭がいっぱいで逆に足取りが重くなっているかもしれないくらいだ。

「はぁー、どうしよ」

「何が?」

 俺の弱気な発言を聞き、返してきたのは夏穂だ。

 混じりのない笑顔が逆に背筋を凍らせる。

「い……や。別に──」

「もういいよ」

 夏穂はため息をついてから優しく切り出した。

「テスト出来なかったんでしょ?」

 ズキッと心が痛む。自分では出来ているのもあると自負している。しかし、無意識下では気づいていたのだ。今回も同様にやばいということに。

「そうだよ、品川さん」

 俺の肩に手を回し妬ましいほど自信に満ちた顔を浮かべながらそう言ったのは哲ちゃんだ。

「やっぱりね。昨日から分かってたけど──」

 そ、そんな風に言われると俺ただのアホじゃんけ。

「じゃあ、私と一緒に補習ね」

 缶バッチをつけたピンクのリュックを両手で抱えながら会話に割って入ったのは優梨だ。

「どういう意味?」

 夏穂の声が絶対零度に凍る。

「そのままの意味よ。私、絶対全教科補習だから、補習があれば一緒ってこと」

 絶対って言い切っちゃったよ……。

「意味わかんない。何なの、私も補習受けようかな」

 何言ってんの? 補習なんてない方がいいに決まってるじゃん。夏穂、時たま変なこと言うよな。

「賢い人は来ないでくださーい」

 ベーっと舌をだして優梨は教室へと戻る。嵐のようなやつだ。

「将大、わかったわね?」

 絶対零度を保ったまま夏穂は俺に告げた。その圧倒的な迫力に圧され、何度も首肯した。

「お前ら、早く入れー」

 担任教師のその声が廊下に響く。何度も廊下内で木霊した。

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