第40話 俺、帰る

 太陽は南の空を通り過ぎ、やや西に傾き始めている。

 黄金色の陽光が自然公園全体を照らし出している。

 ささやかな風でなびく草に黄金色が反射し、キラキラと輝きを放っている。

 足跡の付けられた場所、そうでない場所……。所々には草が抉られ、地面がむき出しになっている所もある。

 夏も近づいてきているこの時期のささやかな風は生暖かい。風が吹くたびにササーと揺れる草の音だけが心地よさを与える。


「良くやったな! あの試合だけはどうなるかと思ったぜ」

 哲ちゃんが豪快な笑みを浮かべながら俺に言った。

「あの試合?」

「2試合目だよ。野球部のやつに投げたボール、グニャって曲がったろ?」

「あー、曲がったけど……。もう1回やれって言われたら絶対無理」

「あはは、マグレだったのかよ」

「でも、将大のおかげで勝てたよ」

 歩み寄ってきた夏穂が優しく告げた。体操服は汗やら泥やらでもうすっかり汚れきっている。

「う、うん……」

 面と向かってそう褒められ、俺は何ともむず痒い気分になり顔を俯けた。

「でも、オレらが優勝しちまうなんてな」

 賞状を片手に持った伊田くんが感嘆混じりに呟く。

 その隣にいる村雨さんがまじまじと手の中にあるトロフィーを見ている。

「そんなに珍しい?」

 俺はそんな村雨さんにそっと訊いた。

「うん、私運動とかできないから……。トロフィーとか貰うの初めてで……」

 言葉の端々に高揚を見て取れるところからも本当に喜んでいるのだということが分かった。

「てかさ、」

 九鬼くんがそう切り出し、哲ちゃんの方をチラッとみた。

「ん?」

 視線が自分に向いていることを理解し、哲ちゃんは不思議そうな表情を浮かべた。

「2試合目、いつ当たったの?」

「えっ……」

 哲ちゃんがあまり見せない困惑気味の表情を浮かべてから引き攣った笑みを見せた。

「実は……、諸星さんが当たった時さ。一緒に当たってたんだよなー」

「えぇ!?」

 諸星さん含めた全員が驚きの声を上げた。

「面目ねぇ……」

 哲ちゃんは申し訳無さそうに頭を掻いた。

「でも、まさか11戦11勝とは……。今でも信じられない」

 市野が思い出に浸るかのようにしみじみと零す。

「そだな」

 白藤も同調し、息を吐く。

 俺らは全勝したのだ。危ない場面もあったが全勝し、優勝したのだ。

「お弁当配布するから取りに来てー」

 副担任の女教師が拡声器を使って自然公園全体に声を響かせた。

 おぉー、などと言った声が漏れぞろぞろと女教師がいる場所へと歩き出す。

 そこに弁当も並んでいるからだ。

「行くか」

 俺も吐息交じりに呟き、夏穂を見た。

「うんっ!」

 夏穂は顔を汗でてからせながらも混じりけのない笑顔で頷いた。

「じゃあ、ウ」

「行くな、アホ」

 優梨が何かを言おうとした瞬間、哲ちゃんが止めた。何故言葉を遮ってまでそんなことを言ったのか俺は分からなかったが、有難かった。

 ここしかない……。もう、ラストチャンスだ。


***


 弁当を受け取った俺と夏穂は人気のない自然公園の端で並んで座っていた。

 弁当は普通の鮭弁当といった感じでメインに鮭があり、周りに副菜としてサラダのようなものと卵焼きなどがある。

 割り箸を綺麗に割り、白米をすくい上げる。

「何か冷たい」

 白米を食べた感想を素直に述べる。

「しょうがないよー。お弁当なんだし」

 夏穂は苦笑しながら弁当を開ける。

「うーん、でも思ったより冷たいね」

 白米を口の中へと運び、夏穂は微笑を浮かべながら呟いた。

「そーだろ?」

「うん」

 弁当の感想を互いに言い合うとそこからは少しの間黙って食べていた。

 するといつの間にか弁当の中身が空になっていた。

「お腹減ってたんだね」

 夏穂にそう言われたことに無性に恥ずかしくなり、顔を俯ける。

「私の食べる?」

 ご飯を乗せた状態の割り箸を俺の方へと見せる。

 視界の端でそれを捉えながらもどんな返事をすればいいのか分からず黙り込む。

「私お腹いっぱいなってきてさ」

 それを聞いて俺は少し顔をあげる。

「だから食べて。あーん」

 夏穂はご飯の乗ったお箸を俺の方へと移動させた。

 俺はされるがままにそのお箸を口の中へと入れた。

 これって……間接キスになるんじゃ……。

 そんなのお構いなく夏穂は次から次へと弁当の残りを俺の口へと運んだ。

「ありがとね」

 空になった自分の弁当箱を見て夏穂は少し申し訳なさそうに言った。

「いや、全然大丈夫」

 噛み合ってなくないか? と思いながらも俺はそう答えた。

 あーん。をしていたせいか互いの距離がかなり近づいており、マトモに意識を保つことすら難しい。

「今日の将大。いつもより凄くかっこよかった。って、いつもかっこいいんだけど」

 至近距離で甘ったるく囁くように言われ、脳内回路はショート寸前だ。

「夏穂も……、その……、可愛い……」

 頑張って言ったつもりなのだが、俺の声はかなり小さいものだった。

 しかし、夏穂はそれをしっかり聞き取り頬を赤く染めた。

「ありがと……」

 2人揃って顔を赤らめる。何とも可笑しい状況だ。

 俺は勇気を振り絞った。

 すぐそばに居る夏穂の肩に手を回す。思ったよりも華奢で力を入れれば壊れてしまいそうだ。

 俺はそんな夏穂をそっと自分の方へと抱き寄せた。

「えっ……」

 夏穂は驚いたような声をあげる。

「悪い。嫌か?」

 耳元でそっと囁く。夏穂は口では答えず、かぶりを振って嫌ではないと答える。

 俺はそれを感じとり、もう少しだけ力を加えた。

 柔らかな体。男の俺とは違う。女子特有の仄かに甘い香りと汗の匂いが混じりあった特殊な匂いが鼻腔をくすぐる。

 俺は「好きだ」という台詞を言おうと口を開きかけた時。

「集合」

 ピィーっという笛の音と共に女性の声がした。

 副担任の女教師の声だ。

「集合……みたいだね」

 夏穂が恥ずかしそうに顔をうずめながら呟く。

「そうだな」

 俺は夏穂を抱いていた手をそっと解く。もの惜しい気しかしない。

 離したくない。ずっとそんな気持ちがこみ上げてくる。

 そう考えているうちに夏穂は立ち上がり、俺へと手を差し出した。

「行こっ!」

「おう」

 俺は葛藤を抑え込み、差し出された手を握り、立ち上がった。


***


「点呼取ってくれー」

 担任メガネが俺たち2組の生徒の前に立ち少し偉そうに言う。

 太陽は沈みかけ、強い西日が俺たちを襲っている。

 班長がそれぞれ班員を確認して担任へと報告する。

「全員揃ったみたいだな。よし、じゃあ今から各自コテージへ戻って荷物を取って来るように」

 それだけ言うと担任は手を叩き、行った行ったと言わんばかりに移動を始めた。

 俺も伊田くんや哲ちゃんと並んでコテージ椿へと向かった。


「なぁ、告白できたか?」

 ニタつきながら哲ちゃんが訊いてくる。

 俺は黙ってかぶりを振る。

「何やってんだよ」

 九鬼くんが目を丸くして体を乗り出す。

「タイミングがな……悪かった」

 体のいい言い訳だ。自分でも言ってて恥ずかしくなる。

「弱いな」

 白藤がボソッと告げる。

「弱いってなんだよ! おい!」

 白藤の弱い発言に俺は声荒らげて返した。

「だって弱いだろ」

「だから弱くねぇーよ!」

 俺の叫びは虚しく、誰にも受け止められずただただ笑われるだけだった。


***


 コテージに戻り、荷物を持つ。そうして俺らは今、中央広場にいた。

 またまた班で並んで点呼をとる。

 執拗しつこいんだよって思うが、自分が忘れて帰られた時のことを想像すると仕方がないことなのかもしれない。

 乾いた草の上に腰を下ろす。

 その角度はちょうど西陽が直接当たる位置で眩しい。

「眩しいね」

 同じことを思ったらしい優梨が後ろに座る俺に目を細めて言ってきた。

「あぁ」

 前が見えないほど目を細め、俺は答える。

 優梨はそれを見てくすくすと笑う。

「なんだよ」

「うんん、変な顔だなって思って」

 肩を震わせながらそう言う優梨に俺は頬を膨らませる。

「あぁ、怒んないで」

 優梨は両手を体の前に出してパタパタと振る。

「怒ってねぇーし」

 鼻息を荒くして俺は言った。それがまた可笑しかったのか優梨はくすくすと笑った。

「全員揃ったのでバスに乗り込みたいと思います。席は行きと同じでお願いします」

 担任はそう言い、俺らがバスに乗るように促した。

「ここがチャンスだからな」

 哲ちゃんはバスに乗り込むタイミングで列を離れ、俺の肩を叩き耳元でそっと囁いた。


***


 全員がバスに乗ったのを確認すると、バスは車体を揺らしながら移動を始めた。

 左右に揺れるので否応なく隣に座る夏穂と触れ合ってしまう。

 お昼のこともあり、妙に照れくさく感じてしまう。

「よ、よく揺れるね……」

 夏穂がぎこちなく話しかけてくる。

「そ、そうだな。あはは」

 かなりぎこちない笑みで返す。

 互いが互いを意識しすぎてしまっている。

 それゆえに会話が弾まず、単発で終わってしまうのだ。

 帰りのバスも行きと同じく長い。既に太陽は沈み、世にいう黄昏時になっている。

 恐らく学校に着く頃には真っ暗だろう。

「楽しかったね」

 バスが高速道路に乗り、揺れが収まった頃。夏穂がポツリと呟いた。

「そうだな。1泊なんて短いもんなんだな」

 全くと言っても過言ではない、高速道路の変化しない景色を眺めながら俺は答えた。

「だね。ねぇ……」

「なんだ?」

「夏休みも泊まりでどこか行けるといいね」

 夏穂に呼びかけられ顔を向けると真っ赤に染めた顔を俯かせながら囁くように言う夏穂がいた。

 何度も見た照れた顔だが、何度見ても愛おしく感じる。

「そうだな。時間あれば行こうな」

 俺は視線をまた窓の外へと戻し、照れを隠して答えた。

「うん……」

 とろけるような返事をするや急に夏穂は俺の肩にもたれかかってきた。

「お、おい」

 あまりに突然のことで驚き顔の向きを戻した。

 そこには無防備にすやすやと寝息をたてて眠る夏穂の姿があった。

「ったく」

 その寝顔を見つめながら微笑を浮かべる。

 そして誰にも気づかれないように顔を近づけてそっと囁いた。

「俺は夏穂のことが好きだ。付き合ってほしい」

 顔の位置を戻してため息を着く。

 俺って意気地ないよな……。

 情けなくなりバスの天井を仰ぐ。

「これはノーカンだな」

 嘲笑を浮かべポツリと吐いた。

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