第33話 俺、飯盒炊爨するpart3

「おぉーっ!!」

 もくもくと白い湯気が立ち上がる飯盒の中を覗き込む。

 これでもか、という至近距離にもかかわらず誰も気にせずその白い湯気が晴れるを待った。

 白い湯気の中から現れたのはキラキラと輝く白米だった。

 ツヤもあり、見ているだけでつばが出る。

 ぐぅー。俺のお腹が食事を所望している。伊田くんたちは声を上げて笑う。しかし、すぐに俺以外の誰かのお腹が空腹をアピールする。

「誰だよ」

 笑いながら訊く。

「オレだよ!」

 伊田くんが半ギレで顔を赤くし、吼える。

 また笑い声が上がる。

***

 ──羨ましいなぁー、将大といれて。

 夏穂は羨望の眼差しを伊田くんの班へと向ける。

 本当は将大と一緒の班になりたかった。でも、将大は何やら考え込んでいる様子で校外学習なんて浮かれた行事を口に出すのもはばかられた。

「あぁーあ。ついてないな、私」

 自虐的な笑みを浮かべ、自分の班の方へと急ぐ。

「てか、男子。こんなに荷物持ってるの手伝ってよね」

 夏穂は現在持つトレーとボウルに目をやり、ため息をつくのだった。

***

 飯盒炊爨はんごうすいさんでご飯を炊く時。飯盒はんごうふたは閉じる。しかし、カレーでは蓋を開けておくのが普通。順々に具材が加えていくからだ。

「おっ、伊田の班はもうカレーに移るのか。なら、そろそろあれ配らないとな」

 見回りに来た担任のメガネが思い出しかのような口調で呟く。

「あれ?」

 俺は何の事か分からず聞き返す。

「あれだよ。何か足りないと思わないか?」

「何か足りない?」

「そうだ、カレーであと一品何か足りないだろ」

 少し誇らしげな担任に対し、俺は困惑顔だ。

「あっ、分かった」

 村雨さんが手をポンと叩く。

「何だ?」

 担任はニタニタ顔で訊く。

「豚肉、でしょ?」

「正解だ。さすが女子って言ったら男女平等だのなんだのに引っかかるか」

「別にそれくらいならいいんじゃないの?」

 全く気にした様子もなく村雨さんは言い放つ。その気にしなさに担任も思わず苦笑を浮かべる。

「ならいいんだけど。まぁ、お肉取ってくるよ」

 担任はそくさと歩きさっていく。

「何だったんだ?」

 九鬼くんはかまどの火の様子を確認しながら訊く。

「さぁな」

 伊田くんが新聞紙や竹筒などを手に取り、爨の方へと歩く。

「てか、肉だけ後回しなんだ?」

 そんな火の調整をしようとする2人を見ながら俺は訊く。

「腐らないようにじゃないかなぁー」

 今度答えたのは優梨だった。

「腐らない?」

「うん。今って梅雨じゃん。そんな時期に何時間もお肉を外に出しっぱなしは流石に食中毒とかぁー」

「……そうか」

 衛生面か。学校側も色々考えてんのな。

「ご飯炊けた所からカレーの豚肉を取りに来て下さい」

 担任メガネの拡声器を介した声が耳に届いた。

「俺取ってくるよ」

 別にすることないし。は口には出さず歩き出す。今度は優梨が付いてくる様子はない。

 さすがに肉取りに行くだけだもんな。

 砂利の敷かれた飯盒炊爨エリアを歩くとジャリジャリと音がする。

 防犯用に、と砂利が敷かれるがすごくよく分かった。

 そんな思考に集中していたせいか背後からの気配に全く気づくことは無かった。

「だーれだ」

 本日2度目の背後を取られる。

 これ刃物持ったやつとかだったら俺確実に刺されて死んでるよ。

「夏穂だろ」

 しかし、運良く2度目も知ってる相手だ。俺はよく知った声のその主の名を言う。

「あはは、正解だよ」

 夏穂は後ろで手を組んだ格好で俺の隣を歩く。

「夏穂も肉取りに行くのか?」

「うん。もってことは将大も?」

「おう。爨んとこいても手伝えそうなことないし」

 自嘲の笑みを浮かべる。

「そんなことないよ」

 俺の言葉を一蹴する一言が力強く発せられる。

 面くらいその場で一瞬フリーズする。

「将大、自分では分かってないかもだけど意外と凄いんだから」

「意外とはなんだ」

「いや、意外とは削除っ!」

 両手で大きくバツ印を作る。

「ふふ、ありがと」

 小さく微笑み礼を告げると、夏穂は本気で恥ずかしそうに少し俯いた。

 それから少量の豚肉を受け取り、夏穂とは分かれ自分の爨のところへと戻った。

「ほい」

 トレーに入った豚肉を見せると村雨さんは奪い取るかのように俺から取り台の方へと小走りで向かう。

 そしてその後に続き伊田くんが包丁とまな板を持っていく。

 すぐさまカッティング作業が始まる。

 サッ、サッと切り爨のところまで戻ってくる。

 飯盒を火にかけその中に切り終えたばかりの豚肉を放り込む。

 ジューっと肉が焼ける音と共に脂の焼けるいい匂いが鼻腔をくすぐり、食欲を刺激する。

 最初の食材が乗っていたトレーの端にあった菜ばしを使い村雨さんは焼けていく豚肉を転がす。

 いい感じの焼き色が着いたのを確認し

「次、人参いれて」

 と指示をする。

 その指示には覇気がこもっており、いつもの村雨さんからは想像のできない姿であった。

 が、それが凄みを倍増させ咄嗟に体が動いてしまう。

 俺は指示された通り人参を村雨さんに手渡す。

 村雨さんは慣れた手つきでそれらを飯盒の中へと加える。

 肉を焼いていた時とはまた違う優しい香りがプラスされる。

 それを菜ばしで飯盒の中で踊らす。

 オレンジ色の人参が更に色味を強くし、鮮やかなオレンジ色へとなる。

 頃合いと見たのか、村雨さんは1つの人参に菜ばしを突き立てた。

 スーっと刺さるそれを確認するや、再度指示が飛ぶ。

「次、じゃがいも」

 誰の小言も許さない、と言った鋭い視線と口調で放たれる。

 それに気圧され次は九鬼くんが天皇に貢ぎ物を献上するかのごとく渡す。

 村雨さんはそれを受け取るとざぁーっと流し込むようにしてそれらを飯盒の中へと入れる。

 そしてほんの10秒ほどしてから玉ねぎを入れた。

 野菜の仄かに甘い匂いと肉の香ばしい匂いと爨から発される煙が相まって異色の香を放つ。

 最後に入れた玉ねぎがアメ色に変化し始める。そこに支給されていた水を流し込む。

 匂いは水に封じられ、ジューという焼ける音はもうしない。

「これで後は煮立つの待つだけだね」

 村雨さんは先程までとは違う柔らかな表情を浮かべている。

「村雨さん、かなり手際よかったな」

 アク抜き用お玉を片手に持つ伊田くんが訊く。

「家族がキャンプ好きでよく行くから。あっ、まだあとちょっとそれ大丈夫だよ」

 少し自虐的にも見える笑みを浮かべる。

「そーなんだ。てか、村雨さんって1人っ子?」

「うんん、弟がいるよ。そういう九鬼くんは?」

「あー、俺は姉ちゃんがいる」

 あからさまに嫌な顔をする九鬼くん。

「どうかした?」

「いや……、ちょっとね」

 引き攣った顔だ。

「嫌い……なの?」

 俺は意を決して口を開く。

「まぁ、ね。全然家帰っこないし」

「……、なんかごめん」

 一瞬にして空気が変わる。それも嫌な方にだ。

 俺はやっちまったな、と思いつつ謝る。

「あー、うんん。大丈夫だよ」

 九鬼くんは少しひずんだ笑顔を作った。

「っ、それよりも!! 盛岡くん……、品川さんとはどんな関係なの?」

 九鬼くんは声を裏返しあからさまに話題を変える。

 しかしそれは俺を標的とするものだった。

「ほんとぉ、それ聞きたい」

 キラキラと目を輝かせそれに乗ってきたのは優梨だ。体を乗り出し、顔を近づけてくる。

 ほんのりと揺れた髪からは柔らかな匂いがする。

 反射的に体をらせる。

「な、何だよ……」

「いいじゃん。いっそ言っとけよ。どうせコテージでは言ったんだし」

 伊田くんは他人ごとだと思ってか投げやりな口調だ。

「えっ、伊田くんは知ってる感じなの?」

「まぁな。てか、言い出しっぺの九鬼も知ってるぞ。それに村雨さんも何となくは勘づいてるだろ?」

「まぁ、ね。でも、本人の口から聞くまでは……ね」

 何なんだよ、ほんと。村雨さんは無邪気な少年のように裏表のない表情をつくる。

「あー、もう!」

 こうなったらヤケクソだ。

「なんとも無い。けど、まだ今はって状態だ。って、九鬼くんにはコテージで言ったよな?」

 九鬼くんは怒りを含んだ俺の声にわざとらしくちろっと舌を出した。

 お前がやったって可愛くも何も無いって。

「そう……なんだ」

 1番反応しているのは優梨だ。メラメラと燃える炎が揺れてそうな、爛々らんらんとした目をしている。

「じゃあ……まだ」

 燃え盛るその目とは逆にその声は丁度沸騰し始めた飯盒の中の水よりも小さな声だった。

 ぷく、ぶく、と大小不規則の気泡が玉ねぎや豚肉と共に飯盒の底の方から上がってくる。

 そして水面にはアクが広がってきていた。

「そろそろアク取ろっか」

 村雨さんは伊田くんからアク抜き用お玉を受け取り水面を滑らすかのように浮き上がってきたアクを取る。

 お玉の中に付いたアクを砂利の上へと振り落とす。

 1つ1つが精錬されており、村雨さんには無駄がない。

 村雨さんが居てくれて……、じゃなくて村雨さんの居る班に入れてほんとよかった。

 何度かアクを取るとほとんどアクが上がらなくなってきた。そしてぶくぶくと上がる気泡が大きくなる。

「ルーと普通のお玉取って」

 野菜を炒めている時とは違う声音だ。ルーとお玉がある場所に一番近いところにいた俺が動き村雨さんに渡す。

「ありがと」

 上の空、といった感じで謝礼の言葉が届く。

 何と返したら良いか分からず俺は「おう」とだけ呟いた。

 村雨さんは俺の言葉なんて毛ほども気にせず、受け取ったお玉の上にルーを乗せる。

 そしてまるで味噌汁を作る時にする味噌を溶かすようにお玉の上に乗せたカレーのルーを沸騰した飯盒の中の水の中に付け菜ばしでかき混ぜ始めた。

「カレーのルーってポトンって落とすだけでいいじゃないのぉ?」

 優梨がポツリと訊く。

「私の家族で飯盒炊爨するときはこうしてるの。あ、ちなみに半分は普通にポトンって入れるよ?」

 ってことは村雨流か。

「盛岡くん、村雨流なんて思ったでしょ?」

「ひぇ!?」

 思考が読まれ、思わず変な声を出してしまう。

「なんか顔に村雨流か、って書いてあるような気がした」

 ルーの半分を溶かしきった村雨さんが無邪気に笑い、残りの半分を無造作に少し茶色く色付いた飯盒の中に入れた。

「じゃ、火消して貰って大丈夫だよ」

 村雨さんはゆっくりと丁寧に飯盒の中をかき混ぜる。

「了解」

 伊田くんは短く答え、火の始末を始めた。


***


「できたっ!!」

 5人揃って声を上げた。周りからは「おぉー」「はやーい」などとの声が聞こえる。

 どうやら今回は1番らしい。

「お前たちが1番だな」

 担任メガネが朗らかに笑う。

「村雨さんのおかげです」

 九鬼くんが頬を掻きながら言う。

「そうか。村雨は飯盒炊爨はんごうすいさん得意なのか?」

「んー、得意って言うか……よくやるだけです」

「へぇー、そうなのか」

 担任は心底驚いたようだ。今どき飯盒炊爨を良くやるってのは珍しいもんな。俺的見解だが……。

「じゃあ、できた班から食べていいから、お前ら食べていいぞ」

 先生の許しがで、俺らは紙皿にご飯をよそい、その上にカレーを流す。

 ドロッとした家で作った2日目のカレーのような感じではなくサラサラっとした1日目のカレーのようでそれがお焦げのついた白米の上に容赦なく注がれる。

 現代文明が炊飯器という素晴らしい電気製品を発明したからお焦げを見る機会は滅多に無くなったが、飯盒炊爨をすれば基本的に否応なくそれは見れるし食べられる。

 それが利点の一つなのかもしれない。

 5人分に分けられ、ご飯はもう1人分のお代わり分しか残ってない。カレーもほとんど同様の量しか残っていない。

 盛り付けられた紙皿を持ち、俺らは食事用の椅子に座る。もちろんテーブルと呼べる様なものは存在しない。

 自らの膝こそがテーブルなのだ。

 一旦膝の上に紙皿を置く。熱がどんどんと伝わってきて……熱い。

 急いで手を合わせる。

 皆も急いで合わせる。やはり皆熱いのだろう。

「いただきます」

 皆の手が合わさったのを見て班長の伊田くんが言う。

「いただきます」

 それに続き班員4人が声を合わせた。

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