第32話 俺、飯盒炊爨する part2

「うぅ……、涙がぁ」

 俺と同じように玉ねぎを切り出した夏穂が可愛らしい声を上げる。

 玉ねぎを切ると匂い成分が目の粘膜を刺激し涙がでる。

 何でなんだろう。ってのは玉ねぎに聞くしかない。

 これホントしんどいんだよな。

 涙を流す夏穂の前で俺もみっともなく涙を零す。

 抑えたくても抑えられない。

「涙、とまんないね」

「だな」

 お互い鼻声で言う。真珠のような大粒の涙を夏穂は右肩を少し上げ、半袖の袖の部分で拭う。

 俺は包丁を1度手から放し、服のすその部分を持ち上げ、涙を拭う。

「えっ……」

「ん?」

 夏穂の何とも形容し難い声に俺は瞬間に反応する。

「お腹……」

 あぁ。納得。

 夏穂は顔を紅潮させて服のすそを持ち上げたことによって見えるお腹を指さす。

 男子ってよくやるんじゃねぇ? 俺部活とかやったことない、万年帰宅部だから分かんねぇけど。

 変なぜい肉もかっこいい筋肉もついてない至って平凡な腹が見られたって何とも思わねぇが……。

「そんな恥ずかしそうにチラチラみられたらこっちまで恥ずかしくなるよ」

 再度玉ねぎに手を伸ばしながら、下を向く。

「そ、そだね」

 あはは、と乾いた笑みをみせる。

 そこから少し変な空気になり、時折どちらかが鼻水をすする音とザクザクと玉ねぎが切られていく音だけが鳴る。

 他の台からはあははなどと笑い声が聞こえるが、妙に夏穂のすする鼻水が大きくハッキリ聴こえるのはただ居る場所が近いって事が理由なのか。それを知ることは俺には無かった。

***

 ふぅーふぅー。竹筒でバチバチと音をたてて燃える爨の中の炎に向けて息を吹きかける。

 炎の調子を確認しつつ新聞紙を放り込む。

「どう?」

 村雨さんが真剣な顔で息を吐き続ける伊田くんに訊く。

「分かんねぇ。ふうーふうー。九鬼、どんな感じだ?」

 顔を膨らませ真剣な表情がいつもの伊田くんからは想像出来ずに笑えるのを堪える九鬼くんはバレないようにくすくすと笑いながら炎を確認する。

「大丈夫じゃないかな?」

 炎は弱まる様子もなく、周りの班もそろそろ飯盒を火にかけ始めているのを確認し、答える。

「そうか」

 伊田くんは深く息を吐き出し、疲労感にまみれた顔で食事するための椅子に腰を掛けうなだれる。

「お疲れ様」

 村雨さんが伊田くんの頭に手を置いた。

 ──えっ、村雨さん……マジ?

 あのヤンキーの伊田くんに、と九鬼くんはアタフタする。ブチ切れるんじゃないのか、暴れ出すんじゃないのか。九鬼くんは気が気じゃなかった。

 しかし、そんな気遣いは無用だった。伊田くんは満更じゃなさそうな顔をしてから

「おう」

 と答えた。

 ──完全場違いじゃん。

 どんな感じで居ればいいのか分からなく、九鬼くんはため息をついた。

***

「玉ねぎ、多かったね」

 頬に涙を流した跡を作った夏穂が微笑む。

「そうだな」

 切り終えた玉ねぎをボウルの中に移しながら答える。

 普通に考えて5人前を切ってるんだ、多いに決まってる。

「ねぇ、こうしてると思い出さない?」

 じゃがいもの皮むきを始めた夏穂が上目遣いで訊く。

「思い出さす……な。夏穂と一緒にカレー作った日のことだろ?」

 俺もじゃがいもの皮を包丁を器用に駆使して剥いていく。できるだけ皮を薄く剥けるように心がける。

「うん。いつだっけ? ゴールデンウィーク頃だっけ?」

「いや、もっと早かったと思うぞ」

 だってゴールデンウィークって言ったらあれだぞ?

 俺が夏穂にメアド聞くとかでウジウジしてた頃だからな。って、まぁそれは本人には言えない話だが……。

「そっか。で、デート……したのがゴールデンウィーク中最終日だったよね」

 可愛らしく口をとがらせボソボソと恥ずかしそうに言う。

「あぁ。ソウダナ」

 できるだけ平然を装ったが思った通りにはいかずガチガチと固まってしまう。

「どうしたの? 急に片言だよ?」

 ケラケラと笑う。混じりのない本気の笑顔はとても眩しく、どんな高貴な花よりも美しく見えた。

 計4つのじゃがいもの皮をむき終えると次はカッティング作業だ。

 適当な大きさに切る。あまりに大きすぎると火が通るのに時間がかかるし、だからと言って小さすぎると煮崩れしてしまう。

 その調整がかなり難しい。

 そんなことを考えているうちにトンっ。とまな板に包丁が当たる音がした。

 夏穂だった。夏穂は躊躇なくじゃがいもに包丁をいれ、切り始めたのだ。

「大きさどれくらいがいいんだ?」

 そう訊くと夏穂は少し悩んだような表情をしてから

「人それぞれだねっ!」

 と人差し指を突き立てて答えた。

***

 木のような、針金のような、焦げて色がよく分からなくなった棒を爨の上に通す。 

 そしてそれにお米の入った飯盒をぶら下げる。

 後は待つだけだ。

「って、竹島さんは?」

 九鬼くんは1人だけ場違いだと思い込んでいたが実際は既に食材班の2人とも合流しているので優梨も居るはずなのだ。

「将大は野菜切りに行ったんだろ? その辺にいないのか?」

 伊田くんが俺のいる台の方を見る。

「まぁ、でもあそこに入るのはなかなかだよ?」

 村雨さんが仲良さげに話す2人を見てげんなりしたように吐く。

「だよな……って、あれっ!」

 九鬼くんが驚いたように2人がいる少し後ろを指さした。

 そこには忍者のごとく忍び寄る優梨の姿があった。

「おいおい……まじかよ」

 伊田くんの表情が引き気味だ。

 そんなことなどお構いなしに優梨はどんどん近づく。

 そして次の瞬間。優梨は俺の背後から目を隠した。

 伊田くん、村雨さん、九鬼くん、皆揃って絶句した。

***

「これくらいでいいのか?」

「うーん、多分大丈夫だね。その大きさなら煮崩れしないと思うよっ」

 俺の切ったじゃがいもを真剣に査定し、口角を釣り上げ笑顔を見せる。

 俺もそれを見て自然と笑顔をこぼした。

「だーれだぁ」

 刹那、視界が真っ黒に染まり聞き覚えのある猫なで声がした。

「優梨……か?」

 半信半疑で名前を呼ぶ。

「せいかーいっ!!」

 パッと手を離し、ぴょんと可愛らしく跳ね俺の目の前に現れた。

「おまっ……、包丁使ってんだから危ないだろ」

 怪我をした時のことが頭をよぎり、声をはる。

「ご、ごめん……」

 本当に申し訳なさそうに優梨は謝る。

「いや、まぁ……、分かればいいんだよ」

 素直に謝られ、拍子抜けになり少し戸惑う。

 そんな俺を絶対零度のごとく冷えきった目で詰める人がいた。──夏穂だ。

「その子とどんな関係なのかな?」

 冷たく突き刺さるような言葉に刻んだ満面の笑みが拍車をかけて恐ろしい。

 言葉では表現しきれない威圧感が俺を襲う。

「え、えっと……」

 別にやましいことなど何一つと無いのだが、答えを言いあぐむ。

 せ、説明する言葉が思い浮かばねぇ。

「……。同じ班?」

「にしては、仲良さげだけど?」

 笑顔の仮面を被ったような完璧な表情が俺を背筋を凍らせる。

「普通だよぉー。班員だよ」

 空気を読まないで優梨が冷笑を夏穂にみせる。

 夏穂の眉間がピクっと反応し、小さなシワがよる。

「あらそうなの?」

「えぇ、そうなんだよぉー」

「へぇー」

 相手を蔑むような口調で言葉が飛び交う。

 もう……、野菜切るのに集中させてくれ……。

 じゃがいもを視界に捉え、猫の手を意識する。

 未だに、何でそんなに? って思うことで言い合いをしている2人の声を無視してザク、ザクとじゃがいもを煮崩れしない程度に切っていく。

 とうとう最後の1個まで切り終えてしまった。

「ふぅー、終わったー」

 精神をすり切らし切り終えたじゃがいもを視界に捉え声が盛れる。

「お疲れ様」

「おつかれぇー」

 いつの間にか言い合いを終えていた2人から労いの言葉が掛けられる。

「えっ……。うん、ありがと」

 戸惑いを隠せずにはいるが一応の礼を言葉にする。

 2人は揃って優しい笑顔を浮かべる。

 俺が集中している間に何があったんだ……。気になって仕方がない。

「次は人参いこっか」

 鮮やかなオレンジ色の人参を片手に1本ずつもち爽やかに言う。

 もう集中力が……。鬼かよ。

 あまり料理を得意としない俺にとって刃物を連続して使うことはしんどいことこの上ない。

「しんどいのぉ?」

「えっ……、うん。まぁ……」

 優梨の質問に俺は情けなく答える。

「ウチが代わりにやるよ」

 包丁貸して、と加え優梨は微笑む。俺は少し申し訳ないような表情を浮かべ包丁を優梨に渡した。

「悪いな」

「いいよぉー」

 ここにいるのも邪魔になるだろうし……、向こう手伝うか。

 そう考え、かまどの方へと一本踏み出した。

 刹那、刺さりそうなほど冷えきった視線が背中に感じる。

 動こうにも足が言うことを聞かない。夏穂さん、マジぱないっす。

 歩みを止め――実際は足が動かないのだが――、ゆっくりと振り返る。

 そこには2人の美少女の目が笑ってない悪寒を感じる笑顔があった。俺は生唾を呑み、一瞬で乾いた口を開く。

「俺、邪魔になっても悪いし、あっち行っとこうか?」

 ぴきっ。そんな音がしたような気がした。

「「なんで?」」

 冷淡な雰囲気を醸し出す夏穂と優梨が一言一句違えず言い放つ。

「えっ……。なんでって……」

「なんで?」

 言いよどむ俺に夏穂がさらに詰め寄る。

「いてよぉ」

 優梨は可愛らしいく慣れた感じで上目遣いをする。素で潤いのある大きな瞳の彼女優梨がそれをすると破壊力満点だ。

「わ、わかった……」

 2人に押し切られる形で俺はその場に滞在することになった。

 2人の手つきは慣れていた。人参の皮むきもピーラーでなく包丁。しかし一定の厚さで途切れることなく一枚の皮で剥き切る。

 そしてその手つきのまま剥き終えたばかりの人参をまな板の上へと移動させる。

 トントントン、小刻みに一定のリズムを刻み、輪切りにされた人参が山になり数を増やしていく。

 そしてみるみるうちに2本の人参は輪切りの山に変化した。

 これですべての野菜を切り終えた。切った野菜をボウルに入れる。すべてを同じボウルの中に入れると混ざるのでトレーの中に分けるのとで区別する。

「じゃあね」

 名残惜しそうな表情で夏穂は悲し気な調子で告げた。

「うん。また後で」

「じゃあねぇー」

 悲哀の空気の俺と夏穂を外に優梨は1人場違いな元気な声音で手を振った。

 優梨なりに気遣ってくれたのかな。

 そんな俺の思惑とは裏腹に夏穂は今にも襲い掛かってきそうな表情かおになった。

 何だかな……。女子って難しいなぁ。本気でそう思っていた。

***

「ただいま」

「ただいまぁー」

 トレーを持った俺とボウルを持つ優梨は伊田くんたち班員が待つかまどの前まで戻ってきた。

「おう」

 伊田くんは片手をあげ応える。

「ちょっと、竹島さん。いい?」

 なぜか優梨を呼び出す村雨さん。優梨はボウルを食事用の椅子の上に置いてから離れたところへ歩き出した村雨さんについていった。

 なんだかな。女子って不思議。

 一方で九鬼くんは真剣な表情で火にかけてある飯盒はんごうに木の棒を当てていた。

「九鬼くん、何してるの?」

「炊き上がるの待ってる」

 俺の問いに九鬼くんは我ここにあらず、といった感じに答える。仕方なく俺は伊田くんに質問の矛先を変える。

「あれ何やってるの?」

 伊田くんはこの見た目で意外と物知りだ。自慢げに胸を張り九鬼くんの行為の説明を始めた。

「木の棒を当てて飯盒の振動を確かめてるんだよ」

「振動?」

「そ。振動が無くなったその時を炊き上がりっていうんだよ。これ、飯盒炊爨はんごうすいさんの常識だぜ?」

「そーなんだ」

 伊田くんは本当にすごいなぁ。

「なくなった!!」

 そんな思考を巡らせていた瞬間、九鬼くんの咆哮に似た声が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る