第30話 俺、レクリエーションを楽しむ

 担任メガネは新たにプリントを配り、適当な説明をしてさっさと立ち去った。

 簡単に言うと、プリントに書いてある場所を回って来い。ということだ。

 美越村は全国的に見ても有名なレジャースポット。狭いわけがない。

 そんな美越村を全体的に歩き回らせるとは鬼の所業だ。

 そんな俺の思考を読み取ったのか伊田くんはとても面倒くさそうな表情を浮かべた。

 その顔があまりに上手く作られた顔だったので思わず吹き出してしまう。

 それを見て伊田くんは小さく笑い、

「んじゃ、行くか」

 と気怠げに告げた。

***

 美越村の南には自然公園がある。その少し手前には女子が1泊するコテージが並んでいる。緑の生い茂った公園。遊具もなければサッカーゴールなどもない本当にただの広場のような雰囲気がある。昨日の雨のためか、生える草には滴が付着しており、それらが陽光を反射する。

 キラキラとした幻想的な景色を作り出す。

 中央から歩いて来るとおよそ二十分程は歩かないとつかない。


「遠かったよな」

 幻想的な景色を眺めながら九鬼くんがおもむろに呟く。

 無言が流れる。無視した訳でなく、ただ疲れて言葉が発せられないのだ。九鬼くんもそれを理解しているのか敢えてそこを言及しない。

 その公園の中央にその景観をぶち壊しにする長机が置いてあった。

 明らかに最近置かれたものだというのが机が濡れてないことから分かる。

「あれかな?」

 村雨さんが自然公園という名からかけ離れた長机を指さす。

「多分な」

 伊田くんは班長として受け取ったプリントを広げ、その長机であってるかを確かめる。

 てか、伊田くんが班長だったんだ。なんか以外……。

 ちょっと失礼かなとも思うけど、やっぱりその考えは否めない。だって、ヤンキーなんだぜ? 金髪のヤンキー。学校行事のリーダーなんてやるはずないって思うじゃん。

「おい、オレだってリーダーくらいやるぞ」

 感情が丸わかりの表情を浮かべていたのか伊田くんは腹立たしげな表情かおで俺を見た。

「うん、そだね。ごめん」

「そう思うなら机んとこ行って来い」

 冷徹な視線を送られる。あぁ、これ完全に許して欲しければのパターンだね。罰ゲームだね。

 小さくため息を吐いてから伊田くんの手の中にあったプリントを受け取り自然公園の中央向けて歩き出した。

 先生の話では各スポットにスタンプが用意して合ってそれを集めろとのこと。集めるのはプリントに書かれたスポットのもので一枚一枚求められるものが微妙に違うらしい。

 俺は広大な自然公園を中央に向けて歩を進める。しかし、一向にそれが近づいているような気になれない。それよりも足元が微妙に濡れていくのに気が取られる。

 草に付いていた滴が俺の足に当たり、こっちに移ったのだろうが普通に冷たい。

 そんな時だった。ザクザク、と草を踏み駆けて来るような音がした。

 何事だ。と思い振り返る。そこには草についた滴を巻き上げながら陽光をバックに駆けてくる1人の美少女がいた。

 逆光のせいで顔がよく見えず誰かが分からないが、かなり可愛らしい印象を与える。

 そして遂にその神秘のベールがはがれ落ちる。

 正体は優梨だった。

 長い黒髪を大胆になびかせながら駆けてくる。大きなぱっちり2重の目が間違いなく俺を捉える。その真っ直ぐな視線にどう返せばいいか分からず、立ちすくんでしまう。

「1人だと寂しいかなぁーって思って……来ちゃったぁ!」

 悪びれもない笑顔が陽光と相まって輝いて見える。

 優梨は追いつくや直ぐに俺の隣に立つ。

「行こっ」

 柔らかな言葉と優しい笑顔を向けられる。

「お、おう」

 何だか変に緊張して言葉が上手く紡げない。

「いい天気だな」

「そうだねぇ」

 かける言葉が見つからずお決まりのお天気トークになる。中学時代に何か恋愛系の本によるとお天気トークは大事な間をつなぐための会話らしい。

 でも、よくよく考えると「そうだね」で事足りるじゃねぇか。

 ダメじゃねぇーか!!

 脳内の思考回路がショート寸前になった時だ。

「ここまで来る時に足濡れちゃったよ。盛岡くんはどう?」

「え、あ。濡れたよ、結構」

「だよねー。ほら見てよぉー」

 優梨は夏用体操服の半ズボンから伸びる健康的な白さを保つ細い脚を指さす。

 その圧倒的な美脚に思わず息を呑む。

 こいつ……俺をどうしたいんだよ。

 ほらほらほらー。と、どんどんと脚を近づけ見せびらかせてくる。

 生唾を呑み、見ない様に心がけるもその魅力的な生脚に負けてしまう。

 優梨の脚についた水滴がまた色っぽく魅力を引き立たせる。

「そうだな。てか、もういい」

 恥ずかしさが勝り見せびらかす脚から視線を逸らす。

「そんなこと言わずにさぁー」

 ニヤニヤと挑発的な笑顔を見せる。

「恥ずかしくないのか?」

 そう訊くや、優梨は途端に顔を真っ赤に染める。急に自分のやっていることが如何に恥ずかしいことなのかを理解したようだ。

「何よぉ! 盛岡くんが好きかなぁーって思ってやったのにぃ!!」

「別に頼んでねぇし……」

 まぁ、正直良い物見れたとは思ってるけど……。

「もぅ、素直じゃないんだからぁー」

 照れ隠し半分でそう言う優梨。朱に染まる頬が妙に可愛く感じられた。

 微妙な恥ずかしさが邪魔をして会話が成立せず、いつの間にか長机の前まで来ていた。

 机の上には風で飛んでしまわないようにプリントの上に抑え石が置いてあり、隣にスタンプが置いてある。

 そして俺が伊田くんから預かったプリントにスタンプを押すための場所がある。

「ここに押せばいいのか?」

 自然公園という文字の下に大きく書かれたスタンプの文字を指差し訊く。

「多分ね。そこに押してこのプリント持っていけばいいんじゃないの?」

 抑え石の下から一枚のプリントを取り、答える。

 プリントには自然公園の特色が書いてある。所謂いわゆるパンフレットだ。何故置いてあるのかは知らないが美越村の回し者のように感じられる。

 俺と優梨はスタンプを押したプリントと新たに手に入れたプリントもといパンフレットを手に伊田くんたちが待つ自然公園入口へと戻る。

「ねぇ……」

 お互い無言で歩き続けていた。そしてちょうどみんなの元まで残り半分ほどまで来たところで優梨が足を止めた。

「なんだよ」

「あのね……、その……」

 歯切れの悪い物言いに進めていた足を止め振り返った。

「品川さんと……付き合ってるの?」

 目尻にうっすらと涙を浮かべ、最高潮にまで顔を赤らめている。

 ほんの少しの間とはいえ、優梨のこんな顔は見たことがない。

 声も震えているし、先ほどまでの勢いのある元気が一気に消えたのは不思議でたまらない。

「まだ……だけど」

 この校外学習中に付き合う予定だけど。は心の中だけで留める。

 前半部分だけ聞いた優梨はパッと表情を明るくした。

 何だったんだ?

 俺は心底不思議に思いながら急に駆け出した優梨を追いかけた。


「はい、これ」

 伊田くんたちの待つ場所へ戻り、預かったプリントを返した。

 伊田くんはプリントにスタンプが押されているのを確認すると嬉しそうに頷く。

 俺と優梨が伊田くんたちの姿を視界にばっちりと捉えられる距離まで近づくまで彼らたちは楽しげに話していた。何を話していたのかとてもとても気になる。が、聞いても恐らく教えてくれない。

 何だかな。

 そう思っているうちに伊田くんたちは次の目的地──東側にある飯盒炊爨はんごうすいさんができるエリアの更に奥にあるクライムウッド──に向かって歩き出していた。

 歩き出しが遅れた俺は班の最後尾を行く。

 何だかハブられている気分になる。

 歩いてる最中、幾つかの班とすれ違ったがどれも他のクラスで知り合いはいなかった。

 1人で話し相手がいないし、退屈だ。

 そう思っている時だ。

「なぁーに暗い顔してるのぉー?」

 優梨が声をかけてくれた。ボッチを助ける天使にさえ見える。

「別にそんな顔してねぇーよ」

「またまたぁー」

「またまたーってなんだよ」

 そんな他愛ないことでも嬉しく笑顔が綻ぶ。

 よく気配りのできるいい奴だな。

「えっ……!?」

 声に出てたらしい。そう言えば前にもこんなことあったな……。

 ちょうど夏穂をまだ鬱陶しいと感じていた高2になったその日だ。思ってることがだだ漏れだったっけ。

 ほんの少し前のことが遥か昔に感じられ、自然と笑みがこぼれる。

 そしてその眼前では動揺を隠せない優梨がいる。

 何でこんなアタフタしてんだ? そんなアタフタさせるような事したっけ?

 意味がわからないな。と思いつつ首を傾げる。

「今……なんて言った?」

 餌を待つ小鳥のように口をぱくぱくさせどうにかその言葉を絞り出す。

 今……? どの言葉だろ。無意識的に出ていたなら……。んー。

 考え考え抜いた矢先俺はこう返した。

「よく気配りのできるいい奴だな。かな?」

 優梨はかぁーっとこれでもかと言わんばかりに紅潮させる。

 その間も歩み続けていると下は濡れた草ではなく、ぬかるんだ土道となった。

 所々に泥水の水たまりができており、地面を見ながら歩かなければそれに足を突っ込んでしまいそうになる。

 もはや会話をしている余裕は無くなり、前方で話していた伊田くんと九鬼くんと村雨さんも話すのをやめ歩くことに集中していた。

 そしてそれらは俺と優梨も同じであった。

 もくもくと歩き続ける。誰も声を上げようともしない。

 ただひたすらに足元に注意を向ける。

 至るところに足跡が残っている。中には泥水の水たまりを微かに踏んだ形跡もある。

 何組もの班がここを通った証拠だ。

 歩き続けること5分。ようやく長机が発見された。

 その周りは大きく太い木が立ち並んでいる。ちょっとした森のようにも見える。

 そしてどの木にも必ずロープがぶら下げてあった。

 クライムウッド。名の通り、ここは木登りができるエリアらしい。

「オレがいく」

 金髪ヤンキーの印象から少しずれるアルトボイスが朝陽が僅かにしか届かない薄暗い森のような中で小鳥のさえずりに紛れて響いた。

 内股、ガニ股。様々な歩き方を駆使してぬかるんだ場所を避け歩く伊田くん。

 まるでトラップにかからないように先を行く忍のようだ。

 ぬかるみにはまらないように。

 祈るように見ていると伊田くんは見事ぬかるみにはまることなく長机までたどり着いた。

 そこでスタンプを押し、抑え石の下に置いてあるプリントを1枚とりこちらへ戻ってき始めた。

 行きが大丈夫だったから帰りも……。

 そう思った瞬間。ベチャッ。という嫌な音が耳に届いた。

 聞きたくなかった一音が泥を甘く見たその瞬間に轟いたのだ。

 伊田くんも「あっ」という表情を作り、自らの体操服を見た。

 胸のあたりまで跳ねた泥が見事に付着している。茶色と白の斑模様の完成だ。

 ぶつけることの出来ない怒りが湧き上がっているのか伊田くんは両手をギュッと強く握り拳を作っている。

 笑うことも同情することも癇に障るだろう、と思い何の反応もしない。それは皆に共通だったらしくあたり一体が変に静まり返った。

 それからしばらくは誰も言葉を発そうとはせず、沈黙が続いた。

 それは伊田くんが醸し出す不機嫌オーラが原因なのだが、本人はそれに気づいている様子はない……。

 そしてそのまま次なる目的地、北側にある噴水広場に向かった。今度の道は完全に舗装されていた。

 広場の中心にある噴水は規則正しい時間配分で宙へと水を上げ、飛沫を散らす。

 5秒ほど上がり続けると次第に威力が弱まり、10秒が経つ頃には水の放出は完全に止まっていた。

 そして水の放出が終わった噴水の真上には朝陽をあびてキラキラと輝く小さな虹を作り上げる。

「綺麗だね」

 村雨さんによってようやく沈黙が破られた。

「そうだな」

 伊田くんがそう呟く。伊田くんの怒りの含まれない声を聞き、俺たちは大きく息を吐いた。

 安堵が零れ出したのだ。

 見た目が厳ついということは機嫌が悪くなるだけでこんなにも周りに被害をもたらすのか。改めて深く理解できた。

「怒ってなくて良かったね」

 九鬼くんがぼそっと呟く。その表情かおは心底の安心を表していた。

 そんな会話をしているうちに噴射部分からチロチロっと水が出始め、勢いを増す。

 そして最高点にまで到達する。飛沫を散らし、その中に見える虹。 舞う飛沫に陽光が反射し、白くキラキラと輝く。その中に映る虹 は触れられそうで触れられない。原始的で神秘的な光景。

 何度見ても見とれてしまうほど綺麗だった。

「行くか」

 噴水の噴射量が弱くなってきた頃、伊田くんがぽつりと吐いた。

 カツカツと泥のついた靴が舗装された噴水広場の道に音を立てる。

 1人1人は規則的な音だが、5人の音が重なったり、分離したりとなることで不規則的な音に変わる。

「これで最後だ」

 長机の前に辿り着くと3つのスタンプが押してあるプリントと置いてあるスタンプに目をやり伊田くんは呟いた。

「そうだね」

 村雨さんも感慨深そうに頷く。

 俺たちが見守るなか伊田くんは最後のスタンプに手を伸ばす。

 そして最初に配布されたプリントの4つ目の──最後の──スタンプを押すための白紙の上に押した。

 コンプリートだ。

「長かったねぇー」

 優梨は両手を上げ、ぐぅーっと背伸びをする。体のラインが分かりにくい体操服ではあるが、そのような格好をすれば否応なく体のラインは露になる。

 胸の2つの膨らみが体操服を引っ張る。

 目をやるな、と言われても目がいってしまう。それが正常な男子高校生だろ? 多分……。

「そうだな。じゃあ、戻るか」

 伊田くんが天を仰ぎながらただでさえ細い目を更に細める。

 レクリエーションをしているうちに太陽は俺たちの真上まで登っていた。もうお昼ぐらいだ。

 そう思うや急にぐぅー、と腹の虫が存在感を発揮する。

「盛岡くん、お腹減ってるのぉー?」

 優梨が俺に歩み寄り、俺のお腹を擦り上目遣いで訊く。

「別に、減ってないし」

 またもやぐぅーと鳴る。タイミングの悪いことだ。

「嘘はいけないぞっ!」

 俺のお腹に人差し指を立ててウインクをして言う。

「あぁっ!! 減ってるよ!」

 やけくそになり俺はえた。

「分かってるよ」と伊田くん。

「うん、分かってたよ」

「バレバレだった」

 村雨さんと九鬼くんが続く。それを聞いた優梨が腹立たしいほど完璧な笑顔を浮かべた。

「何なんだよーっ!!」

 わけがわからず俺は天に向かって叫ぶ。しかし、その絶叫は誰に応えられることなく虚空へと消え去った。


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