第29話 俺ら、美越村到着

 喧騒が耳から遠ざかり、静寂が訪れる。バスの揺れとはまた違う揺れが身体を襲う。

 この揺れはどちらかと言うと……、揺らされている感じの揺れだ。


「……い。しょ……おき……よ」


 途切れ途切れではあるが確かに声が紡がれる。ふんわりとした印象を受ける女性の声だ。


「おーい。将大起きなよー」


 次はハッキリと聞こえた。間違えようのない夏穂の声だ。

 そこでようやく自分が眠っていたことに気づいた。

 慌てて跳ね起きた。ゴンッ。

 鈍い音がなる。慌てて起きたのはいいが、すぐそばにあった夏穂の頭とぶつかったのだ。


「「痛っ」」


 二人の声が綺麗にハモる。俺らはどちらからともなく笑顔をこぼす。


「みんな降りちゃったよ。早く行こ」


 夏穂は優しくそう言ってのけた。

 俺は「あぁ」と答えその場を離れようとした時、初めて恥ずかしい所業が脳裏に過ぎった。


「なぁ、夏穂……」

「なーに?」


 誰もいなくなったバスの中で俺たちだけの声が響く。バスの外からはざわつきが聞こえるが、バスの中は完全な静寂が支配していた。


「俺、どうやって寝てた?」

「どうやってって?」


 夏穂が急にそっぽを向き歩こうとし始める。


「待てっ。どんな体勢で眠ってた?」

「……私の肩……に将大の……頭を載せて……寝てた」


 夏穂は恥ずかしそうにぽつりぽつりと言葉を繋いだ。顔は俯いているが、恐らく真っ赤だろう。

 俺は何となく予想は付いていたがそれを言われると返す言葉が見つからなかった。


「さぁ、早く行こっ!」


 頬を朱に染め夏穂は可愛らしく振り返りそう言った。



***


 バスを降り、俺は伊田くんが先頭に立つ列の最後尾に加わった。

 また最後かよ、と言わんばかりの視線が向けられる。

 照れくささからこの場から逃げ出したいという気持ちでいっぱいになるが、そうもいかないので我慢する。


「よしっ、全員揃ったな。じゃあ、今からプリント回すから」


 担任のメガネはそう言ってそれぞれの列の先頭に立つ生徒に並んでいる生徒分のプリントを渡す。生徒はそれを受け取ると後ろへと回す。

 俺は一番後ろなので後ろに回す必要はなく、最後の一枚を前に座る優梨からプリントを受け取る。


「全員回ったかー?」


 担任は目視でそれを確認すると続きを話し始める。


「そのプリントは美越村のコテージの利用するにあたっての注意事項とコテージの振り分けが書いてある。それに従っていまから各自の荷物を置いてきてくれ。それで三十分後、再度ここに集合だ。解散」


 担任は手で虫を払うようにさっと動かし解散を示した。

 生徒たちはそれに従いバスの下から出された自分の荷物を取りに行く。

 俺はまずプリントに目を落とした。誰と同じコテージなのか。それが気になり、荷物どころではない。


「えっとー、俺のコテージは北側の椿か。それで、メンバーはっと。伊田くんと九鬼くんか。それはまぁ、班も一緒だしそりゃあそうか。それで後は……哲ちゃん! と白藤か」


 トランプの一件を思い出し、いい気にはなれずにいるときに不意に肩が叩かれた。


「ほらよ、これお前のだろ?」


 大きめのエナメルバッグを二つもった男がそこには立っていた。それは俺のエナメルバッグをすぐに俺のだと分かることのできる昔馴染みの宮崎哲也。通称、哲ちゃんだ。


「そうそう。よく分かったな」

「そら分かるわ。中三の時の修学旅行もそのカバンだったろ」


 哲ちゃんがわざとらしく眉を釣り上げ言う。


「それもそうだな」

「だろ? 運良く一緒のコテージなんだし早く行こーぜ」


 座ったままだった俺に哲ちゃんは手をのばす。

 俺は小さく礼を告げてからその手を掴み、起き上がりエナメルバッグを受け取り肩へと掛けた。


「早く行くぞ」


 金髪ヤンキーの伊田くんが少し離れた所でツンツンヘアーの九鬼くんと共に俺たちを待っていた。


「ごめん、今行く」


 軽く右手を上げてから哲ちゃんとその後ろに隠れるようにしていた白藤と顔を見合わせ小走りで伊田くんの元へと駆け出した。


***


 コテージはそこそこ広かった。

 リビングに寝室、浴室とそれぞれが別々に備え付けてある。

 リビングは中心にガラステーブルが設置してあり、その周りを囲むようにU字型のソファーがある。そして、その向かい側には薄型液晶テレビが設置してあり、有料チャンネルを見る場合には別途料金が発生する旨の注意書きも置かれている。

 寝室には三つのダブルベッドが並べて置いてある。これで男五人が並んで眠るというわけだ。

 浴室は一般的に家庭にあるようなお風呂があった。

 それらを一通り確認してから俺らはリビングにカバンを下ろした。

 集合時間までまだあと二十分はある。

 あと少し眠ろうかな、そう思った矢先。白藤が茶化すような口調で俺に訊いた。


「盛岡くんさ、品川さんとどんな関係なの?」

「えっ? どんなって……」

「付き合ってんじゃねぇーの?」


 俺が言い淀んでいると伊田くんが気だるげに告げた。俺は慌てて手をパタパタと振り、


「まだそんなんじゃないよ」


 と答える。それを聞いた哲ちゃんが追い打ちをかけるように言及する。


「まだってことは狙ってんだろ?」


 哲ちゃんが悪巧みをする時にするニタニタ顔だ。


「えっ……、まぁ、うん」


 困ったような表情を浮かべ答えるとその場にいる二人が口を揃えて「そっか」と告げた。

 九鬼くんと白藤だ。


***


 私は品川夏穂。コテージは男子とは真反対よ南側にある菊。

 内装はリビングと寝室、浴室。たぶん男子の部屋とそう変わるところはないと思う。

 私のコテージのメンバーは同じ班の市野奈々ちゃんと諸星かおりちゃん。それから重盛夜美しげもりよみちゃんに西垣内歩美にしがきうちあゆみちゃんの五人。

 夜美ちゃんは紫かかった髪に黄色の髪留め、紫の双眸に全面的に醸し出される神秘のオーラから彼女をツクヨミちゃんと呼ぶ子もいる。だがそう呼ばれるだけあって、女の私から見ても超絶の美人さんだ。

 あゆちゃんは背が低く、中学生と言っても通じるほど童顔である。

 しかし、その割りに出るところきっちり出ておりバランスのとれた羨ましい身体をしている。


「カバンこの辺でいいかなー?」


 奈々ちゃんは自分のカバンをリビングの壁際に置いて訊く。


「いいんじゃないかな」


 かおりちゃんもそれに同意してその真横に並べて置く。


わらわも……置いて……いい?」


 聞き取るのも難しいほどの小さな声が発せられた。その声には妖艶さが内包されている。

 ツクヨミちゃんが発した言葉だ。


「いいに決まってるじゃん」


 私は笑顔でそう応え、その隣へ並べた。


「ほらほら、歩ちゃんも早くっ!」


 玄関入口あたりでオドオドとしている歩ちゃんを手招きして呼び、五つのカバンを並べる。


「……それでー、まだ時間もあるわけだし?

 夏穂に聞きたいこといっぱいあるんだけどー?」


 にやーっと小悪魔的な笑顔を浮かべた奈々ちゃんが私の肩に左側から手を回す。


「えっ、えっ?」


 私は困惑の声を漏らしながら一歩一歩と後ずさっていく。

 すると間もなく壁へと到達してしまった。

 ──ど、ど、どうしよ……。

 さらにそこに追い打ちをかけるよにかおりちゃんが逃げ場のあった右側の壁を手でおさえる。

 いわゆる壁ドン状態だ。

 え、え、えーーーー!?

 動揺しまくってる私に歩ちゃんが声を開いた。


「好きなの? 盛岡くんのこと」


 透き通るようなソプラノボイスがコテージ菊の中に響いた。


「私もそれが聞きたいの」と奈々ちゃん。

「てか、付き合ってるの?」とかおりちゃん。


 二人は真剣な目を私に向けぐいぐいと聞いてくる。


「好き……だよ」


 私は意を決して言った。普通に言ったつもりだったのだが、そんなこともなく実際は囁くような小さな声だった。

 それを言った刹那、私は顔が急速沸騰していくのが分かる。

 熱くなった頬は多分真っ赤だろう。

 私は恥ずかしくなり、俯く。


「何……、下向いてる……の?」

「……恥ずかしい」


 ツクヨミちゃんの妖艶な声がざわつき始めていたコテージ内を一瞬で凍りつかせた。


「関係……ないよ。好きなら……好きって……言わなきゃ。伝わらない」


 ツクヨミちゃんの表情は本気だった。曇のない真っ直ぐな目が私を捉える。狼狽うろたえ、答えに困る私にツクヨミちゃんは妖しく微笑んだ。


「……ありがとっ」


 私はどこか照れくさくもあるが喜色を顔に浮かべ、そう告げた。


「好きってのは分かったけどー、付き合ってるの?」


 かおりちゃんがそんな私にグイッと近づき訊く。


「うんん、まだ……。最初は、入学のとき。一目惚れだったの。告白したら呆気なく振られちゃった。それで次は将大に促されてGWが終わった頃。その時は『待ってて』って言われたの」

「はぁー!? 促しといて待ってて何なの!? 調子乗ってるわね!」


 怒りを露わにし、眉間にシワを寄せる奈々ちゃん。その隣でまぁまぁとなだめるかおりちゃん。


「その……、盛岡くんってそんな子なの?」

「そんな子って?」

「えっと、女の子をもてあそぶようなことするような子なの?」


 歩ちゃんが弱々しい表情を浮かべ、潤む瞳で私を見つめた。

 私は小さく微笑み、歩ちゃんの元へと歩み寄った。思った以上に小さな体は年下を連想させ、私は自分の右手を歩ちゃんの頭に載せ、視線を合わせる。


「そんなことないよ。将大はそんな事しない。その頃の将大、凄い思いつめたような表情かおしててた。後は私が待ってればいいんだって思ってる」

「うん。分かった」


 私の言葉に歩ちゃんは俯き、小さく頷いた。それを黙って見ていた奈々ちゃんはやり取りが終わってから「そろそろ行こっか」と告げる。

 私を含め、誰も異議を唱えることなくコテージを出た。


***


「こらっ、将大。タラタラ歩くなー」


 哲ちゃんは盛岡将大こと俺を呼ぶ。

 哲ちゃんや伊田くんよりも少し後ろを歩く俺は陰キャラなどではない。ただ、夏穂にいつ告白するかを考えていたのだ。

 夏穂に対してあれだけ大見得を切って「いい返事をするから待ってろ」って言ってのけたからには俺から言うべきだろ、と思う。しかし、今まで告白われてきた俺が告白う側になるのは照れくさいような気恥しいようなそんな思いになっていたのだ。

 そんなことを考えているうちにみながぞろぞろと集まって来ている三越村の中央広場、バスが泊まっている場所に辿り着いた。

 そしてそこで哲ちゃんと白藤と分かれ、俺は伊田くんを先頭とする列に並び腰を下ろした。

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