第19話 俺、思い出す

 先ほどまでのバケツをひっくり返したような雨は嘘のように、強い日差しが俺を、地面を焼き付ける。地面にできた水溜りに陽光が反射しキラキラとひかって見える。

 大通りに出ると行きかう車についた水滴が日光を反射し眩い。

 行きよりも軽い足取りで歩く。時折握っている傘に目を落としながら歩く。

 信号に引っかかった。めんどくせぇな。

 短いため息をつき、天を仰ぐ。

「はぁ……」

 思わず感嘆の声が漏れた。

 天に架かる七色の虹。霞むことも滲むこともない、はっきりと架かる虹。

 目の前を通り過ぎる車の騒音なんて耳に入らないほど、その大きく、くっきりとした虹に魅入られていた。

 久しぶりに見たな、虹。

 刹那、何かに取り憑かれたかのように当時のことが鮮明に頭の中に動画として流れだした。

***

 その日はやけに人の多い日だった。いつなのかはわからない。でも、隣には見覚えのある、今は亡き織葉。

 いつもは靡かせている長い黒髪は、三つ編みにしてそれを後ろの方で何かしている。男の俺にはよく分からない所業だ。

 だが、いつも着ない浴衣に合わせたヘアチェンジなのだろう。

 浴衣はいかにも女子中学生が好みそうなピンク色。それに申し訳程度に同系色の花が描かれている

 手に小さな布の巾着を持っている。

 夏って感じだ。

「もう、将くん~。夏祭り行くからそれらしい格好してきてって言ったじゃん」

 夏休みの最後の土曜に行われる夏祭りに来ていた。

「悪い。そんな物家になくてよ。それに準備することもできなかったから」

 おととい、俺は近くでは一番大きな病院。哺草病院ほくさびょういんにて母親が癌を患っていると知らされた。そんな中、夏祭り行くから……なんて言えるはずがない。

「もうっ。しょうがないんだから」

 織葉は少し怒り気味に言う。

「来年はちゃんと準備するからよ」

 黒のTシャツにジーパンというシンプルにもほどがある服装を確認しながら詫びる。

「絶対だからね」

 織葉はにこっと笑う。織葉と付き合い始めて早三ヶ月が経つ。俺が彼女に一目惚れして中学に入学してすぐ告白したのだ。

 織葉は二つ返事でオッケーをくれた。忘れるはずもない、俺の初恋で、初めての彼女になってくれた織葉を。

「ほらこっち!」

 アスファルト舗装された道路に織葉の下駄が音を立てながら歩く。

「わかったから、引っ張るなって」

 Tシャツの袖を引っ張り屋台のどこかに向かおうとする織葉に苦笑いを浮かべた。


「はい。あーん」

 屋台で買ったばかりのたこ焼きを近くのベンチに腰掛けて食べていた。

 そこで織葉が付き合ってるならお馴染みの『あーん』を始めた。

「そんなのいいって。恥ずいから」

「ダメッ。これやりたかったの」

 上目遣いでそう頼まれちゃな。断れねぇよ。

 嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で口を開く。そこに織葉は嬉しそうに湯気が上がるたこ焼きを丁寧に入れた。

「あつっ!」

 柔らかく、口に入れた瞬間に蕩ける。美味しいのだが……、まず熱い。

「えへへ。大丈夫?」

 蕩けるような笑顔を浮かべる。

「あぁ、大丈夫だ。美味しいよ」

 口の中が火傷したことは黙っておいて、そう告げた。

「そっか」

 本当に嬉しそうな表情で織葉は告げた。

「ねぇ、次あれ!」

 織葉は3、4人が列を作っている金魚すくいを指さした。

「取れんのか?」

「わかんなーい」

 言うか言わないかで織葉は列に並ぶ。

 楽しさでぴょんぴょんと跳ねているように感じる後ろ姿だ。

「ほらよ」

 厳つい感じの法被ハッピを着た男性に代金と引き換えに二つの今に破れそうな網の貼ったポイを渡してきた。

 織葉がそれを嬉しそうに受け取り、一つを俺に渡した。

「さんきゅ」

「うん!」

 織葉は何種類かの金魚が泳ぐ水槽の前に浴衣の裾を折って座る。

「よーし、えいっ!」

 織葉は勢いよくポイを水の中へと入れる。

「おい。そんな勢いよく……」

 言葉にする暇もなくポイは水中に入り、光の屈折の関係で円形が歪んで見える。

 すると案の定、ポイは中心からヒビのようなキレ目が入り、破れた。

「はぁー、言わんこっちゃない」

 俺はため息混じりにそう告げる。

「うぅぅ……」

 織葉は少し口を尖らせながら唸る。

 そんな織葉を横目に俺は悪戯な笑みを見せてから水槽の前に腰を下ろす。

「任せろ」

 深く息を吐いてから俺は水槽の中を自由に泳ぐ金魚たちに目を向けながら織葉に訊く。

「どれがいい?」

「んー……、あれ!」

 織葉は少し悩む姿を見せてから一匹の金魚を指さした。

 金魚と聞いて一番に想像できるであろうオレンジ色の何の変哲もない金魚だった。

「わかった」

 俺はポイを水面へと近づける。慎重にポイが破れないように心掛けながら近づけ、水面とほぼ平行の位置で構える。

 鼻で大きく息を吸い、鼻でそれら全てを吐き出す。

 意を決し、なめらかにすべるようにして水中へと入れる。

 水槽の中で泳ぐ金魚たちによって生まれる僅かな水流にさえ逆らわずに狙いのオレンジ色の金魚がポイに近づいてくるのを真剣な眼差しで見つめる。

 オレンジ色の金魚が近づくにつれて受け皿を水面に触れるか触れないかの場所まで持っていく。

 おおよそで狙いの金魚がポイの縁まで来たのがわかった。

 慌てるな……。……今だ!

 入ったと思った瞬間にポイを引き上げる。もちろん真上にではなく、少し斜めにかたむけて破れることを阻止しながら。

 重たい……。入った!

 確かな手応えを覚え織葉の方を見る。

 織葉はうさぎのようにぴょんぴょん跳ねて、俺の肩をビシビシと叩いた。

「将くんすごいっ!!」

 受け皿の中には狙いのオレンジ色の金魚が一匹と紫色のデメキン一匹、計二匹が入っている。要するにダブル取りを達成したのだ。

「俺も自分で驚いてる」

 まさか二匹取れるとは思っておらず面を喰らっている状態だ。

「ほんとすごい!」

 今だにビシビシと叩き続けながら織葉は言う。

「あぁうん。それよりも痛いんだけど……」

 喜ぶ織葉に水を差したくはなかったのだが、どんどん強くなっていく力にそう言わざるを得なかった。

「兄ちゃんよ」

 そんな時、法被を着た店番の男性に声をかけられた。

 俺が呼びかけに対して顔をむけると男性が話し始める。

「ポイは破れてねぇーみたいだけど、どうすんだ?」

「どうするって?」

 要領を掴めない俺がそう聞き返す。

 男性は厳つい顔にめんどくさいを刻みながら言葉を紡ぐ。

「何匹取ろうが持って帰れる金魚は二匹って決まりなんだよ。だから、このまま続けるかそれともその二匹を持って帰るってことにしてやめにするのかってことだ」

「やめときます」

 破らず取ったという優越感に浸っていたかった俺はきっぱりそう答えた。

「そうか。なら、この袋に」

 厳つい顔に合わない優しい笑顔を浮かべながら男性は取り出したポリ袋の中に水槽の中の水を入れ、俺の取った二匹をその中へと入れた。

「ほらよ。ありがとよ」

 袋を受け取り、俺たちは金魚すくいの屋台を後にした。

 それから光沢のある赤色の深い甘みのあるりんご飴を買い、くじ引きをした。

 くじ引きは両者共にハズレという結果に終わった。大きく青色の文字で書かれたハズレを見て2人で大笑いをした。

 それから俺たちはラムネを買い、屋台の並ぶ通りを後にした。


 夏祭りのメイン通りを抜け、少し脇道にそれたところにこじんまりとした神社がある。

 名前も知らない。ただ神社としか呼ばれてない神社。しかも近くに大きな神社があるのでこの神社に訪れる人なんて千人に一人いるかどうかだろう。

 そんな神社に細身の瓶の中いっぱいに入ったラムネを片手に持った俺と織葉がいた。

 鳥居の前にある石段に腰を下ろし夜空を見上げていた。

 草が刈ってあったことはラッキーな誤算だった。虫に刺される心配がちょっと少なくなるからな。

「ねぇねぇ、なんでこんなところに?」

「まぁまぁ、いいから」

 不安げな顔をする織葉に俺は自信アリげに親指を突き立てて見せる。

 今から行われるのは夏祭りのメインディッシュ。打ち上げ花火だ。じゃあ、なぜ会場で見ないのかと思うかもしれない。

 それはここがオススメの穴場だからだ。

 地元の人ですら知らない人がほとんどである穴場スポット。ここは全ての花火がいい角度で綺麗に見える絶好の場所なのだ。

 それからしばらくして、ヒューンという情けない音が耳をかすめた。

 そしてすぐにドンッ! という鼓膜を激しく振動させる音が空気中で膨張した。

 中心が赤紫色で外にいくに連れて赤が薄くなっていく。

「うわぁ……」

 大きな透き通るような織葉の瞳に夜空に咲いた一輪の大きな花が目いっぱいに映り、感嘆の声を漏らす。

「どうだ、すげぇだろ?」

「うん、すごい!」

 そしてすぐに第二弾が打ち上げられる。次は青系色の花火だ。

 闇色で支配され、静寂を保っていた夜空が二発の花火で完全に目覚める。

 次々に上がる花火のドンが街中に木霊する。


 終了時刻まで残り一分となった。フィナーレに近づくに連れて花火の規模が大きくなる。最初の頃の倍近くある黄系色の巨大な花火か夜空に咲き乱れる。

 しだれていく花火は今にも手で触れられそうに感じる。

「きれい......」

 ラスト一弾の花火に対して織葉が声を漏らした。

「凄かったな……」

 例年より凄いような気がして俺も言葉を失っていた。

 それからしばらく二人はぼーっとしたままだった。

 来た時はいっぱいに入っていたラムネもいつの間にか空になっている。

「帰ろっか」

 どちらからともなくそう呟いた。

 それに対しての返事はなく変わりに手を繋いでいた。

 遠くで聞こえるサイレンの音。おそらく救急車だ。

 こんな日まで消防の人は大変だな。

 そんなことを思いつつ、俺は織葉と手を繋いでまま織葉の家に送り届けた。

 楽しかった織葉との夏祭りを思い返しながら俺は帰路を歩いていた。

 先ほどの救急車が自分の母親が載せられていたものだとは露知らず……。

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