第17話 俺、知る

 その日は朝からよく雨の降る日だった。

 伊田くんとはそこそこ仲良くなれたと思う。仲良くなったからこそ伊田くんがいい奴だって分かるが、行動は常軌を逸してる部分があるし、何より喧嘩に至るまでがかなり早い。

 夏穂ともいい感じにいってると思うが、何か足りないような気がする。

「くっそ、わけわかんねぇ」

 俺は頭をゴシゴシと掻きまわる。なんで俺こんな悩んでんだよ。

 変わったよな……。いつから変わったんだろ。夏穂と出逢って全部が変わったな。

 俺はいつの間にか自分の中でかなり大きな存在になっていた品川夏穂という人物に驚く。

 自分が思っていることが正しいとは限らないんだな。

「はぁー、いくか」

 深いため息をついたあと、俺は重たい腰を上げ玄関へと向かった。

 今日は土曜日。学校が無い日。俺はあの日のあの格好を再現する。

 黒の生地に赤文字がプリントされているTシャツを着て、細身のジーパン。それに斜めがけの白のカバン。

 この格好はしたくなかったんだけどな。

 着てしまってからそう思う。頭を掻きむしり、マイナスの思考をかき消す。

 でも、約束したんだ。ケリをつけるって……。

 玄関先に立て掛けてある黒の傘を手にする。

「そういやあの日も雨だったよな」

 引き攣った顔でそうつぶやく。


 止みそうにない、本降りの雨。傘を打つ音がやけに大きく聞こえる。

 住宅街は土曜だっていうのに閑散としていた。子どもの笑い声も、家電製品が使用されている音も聞こえやしない。

「気味悪いな」

 思わず声が漏れる。その声は雨に反射して俺の耳まで届く。

 傘の下に立つ俺は空が曇天で暗いのに傘で出来た影の中にいて、世界のドン底にいるような気分になった。雨、嫌いだな。

 気分まで暗くする。

 少々雨の降りが強くなったのか、傘を打つ雨音の勢いが増す。

 そろそろ住宅街を抜ける。大通りへと差し掛かる。

 車の量は多かった。雨だし土曜だし、車の量が平日より減少する要素は何一つとしてなかった。そこらじゅうにできている長蛇の車の列。信号待ちの車からはまだか、まだか、と声が聞こえてきそうなほどだ。

 嫌だな。

 あの日を思い出し、俺は車道ギリギリを歩く。

「おい、兄ちゃん」

 不意に車が俺の横で停止し、声がかかる。

 聞こえないフリをしようかと思ったが、あまりにしつこく声をかけてくるので振り向く。

「あっ、貴方は……」

 そこにいたのは夏穂の兄の悟さんだった。

「えっと、将大くんだっけ? 辛気臭い顔してどうした?」

 豪快な笑い声を上げて話しかけてくる。

「へへ、まぁ」

 なんと説明したらよいか分からないので曖昧に誤魔化す。

「乗ってくか?」

「いえ、迷惑ですので」

 悟さんの有難い提案を俺は即座に断る。

「んなこと言わずに、さ。乗っけてやるよ」

 内側からドアまで開けられる。ここまでやられると断るに断れない。

「じゃ、じゃあ。すいません」

 傘を閉じ、悟さんの車に乗り込む。

 乗り込む時に少し濡れた肩あたりが車内の冷房で冷やされる。冷たいな。ちょっと寒いかも。

「寒いか?」

 顔に出てたのかな。

「ええ、少し」

「そうか」

 悟さんは一旦冷房を切る。

「で、どこに向かえばいいんだ?」

 そう聞かれる。俺は大きく息を吸い込んでから口を開いた。

「村瀬18-2まで」

 悟さんは不思議そうな顔を浮かべてから「了解した」と言った。


 車の中に熱がこもり始める。

「いいか?」

 悟さんが人差し指で冷房を指しながら訊く。

「はい」

 その声と同時に車内には冷房が作動した音が響く。風が出る音だけが耳に届く。

「なあ」

 それを破ったのは悟さんだった。

「何しにそんな場所いくんだ?」

 答えるか迷った。

「ケリをつけるため。です」

 でも俺は答えた。答えるべきだと体が反応した気がした。

「そうか」

 悟さんはそれ以降その話題には触れなかった。できた人間なのだろう。

「それよりさ、なっちゃんはどう?」

「どう、とは?」

「学校とかでさ」

「友だちもいて楽しそうですよ」

「そうか」

 そう呟く悟さんの声にやけに感情がこもっているように感じた。

「何かあったんですか?」

 聞くべきではないかもしれない、でも……やっぱり夏穂のこれからを考えると聞いておきたい。

「なっちゃんさ、中学校の時ボッチだったんだわ」

「えっ……」

 予想だにしない言葉に紡ぐべき言葉が見当たらない。

「中学校入ってちょっとして両親が離婚したんだ。なっちゃんと俺は母さんに引き取られたんだけど、すぐに再婚してさ。中学生くらいになると離婚とか再婚とかもう理解できんじゃん? それですぐに再婚したからさ『お前の母ちゃん不倫してたんじゃねぇ?』とか言われてさ、なっちゃん学校でボッチになったわけよ」

 何も言えなかった。言えた義理でもない。ただ黙って聞いているしかできなかった。

「……」

 何か言葉を、と思えば思うほど何も言葉が出てこない。

「そうなるよな。いいんだ。なっちゃんさ、すっげー頑張ってお義父さんと仲良くしようとしてるんだ。お父さんって呼んだりしてな。再婚してすぐにそう呼んでたけどさ、辛かったんだろうな。夜、みんな寝静まった頃にはなっちゃんの部屋からすすり泣く声が聞こえてきてた」

「何かごめんなさい」

 聞くべきではなかった。

「いや、いいんだ。聞いてくれ」

 外の雨は更に勢いが強くなる。車内が冷えてきて、肌を刺すほどの冷気が流れる。

「この前将大くんがみたあの家族像は今だからあるんだ。なっちゃんが頑張ってお義父さんに歩み寄ってできた形だ」

「そうなんですか」

 温かく映った家族像。そこに眠るのはパンドラの箱。目に映るものだけが真実では無い、それを改めて痛感する。

「でもうまくやれてるんならそれは良かった。家でも将大くんの話ばかりだからな。昔は悟くん、悟くんって俺のことばっかだったのに。寂しいぜ」

 見覚えのある住宅街に差し掛かる。もう目的地が目前に迫っているのがわかる。

「悟くん、か……」

「おぉ、なんだ。ジェラシーか?」

「違いますよ。電話の件思い出して」

 始めて夏穂が俺んちに来た時のことを思い返す。最後の最後で携帯忘れて俺を不安にさせたあの日を。

「あぁ、悪かったな。あれは間違いなく俺だ」

「知ってましたよ」

「嘘つけ。あの後、駅までなっちゃん送ったんだろ?」

「な、何で知ってるんですか?」

「なっちゃんから聞いたからー」

 車のスピードが落ちる。到着したのだろう。

「何でも話してるんですね」

「そうだな、だいたいは聞いてる。兄貴だからな?」

「全然羨ましくないですよ」

 あぁ、羨ましい。俺にも何でも話せよ。って言っても俺が何にも話さないもんな。

「まぁ、そう残念がるなよ。ほらついたぞ」

「残念がってません! ありがとうございます」

「おうよ。帰りはどうするんだ?」

「帰りは歩きますから、大丈夫です」

「そうか。じゃあな。なっちゃんを夏穂を頼んだぞ」

 俺は車から降りてその言葉に対して深い礼で応えた。

 言葉で任せろだの言っても良かったのだが、まだそんな風に言ってはいけない気がした。

 雨は弱まることを知らないのか、強まる一方だ。止まない雨はないとはいうが、これはいつになったら止むのか。

 そう思いながら石に力強く彫られた表札を見る。

 "竹中"。遂に来たな。

 深く息を吸い込み、インターフォンを押す。雨音に似合わない軽快な音が鳴り、久しく聞く声が機械越しにした。

「はい、どちら様でしょう」

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