第12話 俺、デートする
その日は朝から焼けるほどの暑さだった。
「あっちー」
あまりの暑さに目が覚める。
全身から汗が滲み出ているのが感覚的にわかる。
シャワーでも浴びるか。
二階の自室のベッドから足を下ろし、一瞬ぽーっとしてから一階へと向かう。
何時なんだろ。不意にそんな考えが頭をよぎる。
ただそんなことよりも、まず汗を流したい。という気持ちが強く、そのままお風呂へ直行する。
朝から心地よい温度のシャワーを浴び、体がすっきりしたところで始めて時間を確認する。
待ち合わせ場所である駅前の噴水広場までは歩いて20分弱。自転車で12分ほど。本当なら自転車で行きたいのだがそれを停めておく場所などはサラサラ考えてないので、歩いていこうと思っている。
それらを踏まえても家は10時30分には出ねぇとな。
時刻は10時20分だった。
「はぁ!? 嘘だろ!?」
シャワーを浴びたばかりだというのにもう汗、ーーといっても冷や汗だがーーを盛大に掻き始めている。
「やばいって……。マジやばい」
こういう時、やばい、って言葉しか出ねぇのがボキャ貧の学生だなって思う。
俺は慌てて昨日買ったばかりの新品の服を身にまとう。
黒や暗めのグレー、明るめのグレーのボーダーが入ったV字Tシャツの上に明るめのグレーのジャケットを着込み、黒の綿パンを穿く。
服などほとんど買わない俺が迷いに迷い買ったものだ。
不安要素はあるものの、店員の太鼓判は貰っているので安心している部分もある。
チラッと頭によぎる考えを殺し、準備を続ける。
続いて洗面台に向かい、歯を磨き顔を洗う。それから洗ったばかりで半乾きの髪をドライヤーで乾かす。
次にワックスを取り出し、髪の毛につける。
何カッコつけてんだよ。
自分でもそう思う。
それから最後に仏壇の前に行き、手を合わせる。
『ごめんなさい。でも、行ってきます!』
心の中でそう唱える。届いたかどうかなんて分からない。自分の自己満足かもしれない。でも、これをしないといけない気がする。
あんなことがあったらな……。
余計な思考を捨て、時間を確認する。
10時27分。
鍵を片手に家を飛び出る。鞄よし、財布よし、携帯よし、それでっと。戸締りオッケー。
全てチェックし、足早に待ち合わせ場所へと向かう。
途中コンビニに寄り、カフェオレとサンドウィッチを買ってから行った。
***
足早に向かったことが功を奏したのか到着は待ち合わせ15分前の10時45分だった。
まぁ信号に引っかかることなく来れたからな。
俺は噴水広場のベンチに腰掛け、買ったサンドウィッチの封を開ける。具にタマゴとハムとレタスが入っているそれにかぶりつく。 まだ空の胃はそれを嬉しそうに取り込んでいく。
がぶがぶ、という音が合うように食べ、合い間にカフェオレを注ぐ。
一個ということもあり、ほんの二、三分で食べ終わった。
と、そこに夏穂が現れた。
白のTシャツにGジャンを羽織り、黒のスカンツを穿いている。
気合入れまくって着てきた服には見えないが、だからといって手抜きというわけでもなさそうなその格好は俺の心をくすぐる。
「あっ、もう来てたんだ〜」
白のハンドバッグを肩から掛けている夏穂は零れる笑顔で言う。
「あぁ。まぁな」
不器用な笑顔で応える。
「待った?」
「いいや、さっき来たばっかりだ」
一度は言ってみたかった言葉を言い、照れくさくなる。
「そっか。なら良かった」
エヘヘ、と笑いながら俺の右手をとる。
指を絡ませる、いわゆる恋人つなぎという方法で手をつなぐ。
恋人つなぎのまま二人は駅の中に入って行く。
普通に乗って三つ上るとそこそこの街に出るのは知っていた。多分そこへ行くだろうと思っていた。が、まさか恋人つなぎでとは……思ってもみなかった。
電車に乗ってからも恋人つなぎを解こうとしない夏穂。周りの人たちからは頭の悪いただのバカップルだと思われていること間違いなしだ。
「おい。電車ん中くらい離そうぜ?」
「やだよー。もっと将大を将大のぬくもりを感じてたいの」
恥じらいもなく、躊躇することもなく、普通の声量でそう告げる。
周り、人いるんだぞ!?
そうこうしているうちに電車は目的地である
駅を出て広がる景色は見渡す限りの摩天楼。それらに装飾された色とりどりの看板。 中にはいかがわしいだろうな思う看板もあるが、ほとんどが電化製品の販売店やゲーセン、カラオケ。ボーリングやファミレス。このあたりだけで一日過ごせそうな程だ。
「どこ行く?」
無計画の俺はそう訊く。
夏穂は少し考える様子を見せてから答える。
「じゃあね、あそこ行きたい!」
夏穂の指さす先にあったのはボウリングだった。
***
二ゲーム+靴代ということで思った以上に値の張る遊びであるボウリングを始める。
隣のレーンの大学生グループはケラケラ笑いながら球を転がしている。
チラッと頭上に吊られている画面に表示されているスコア表を見る。ほとんどストライクとスペア。
こんな人たちの横でやるのって……。
ただでさえ年下でカップルっぽく見えて……、やだな。
ショウタとナツホが13番レーンの頭上に吊られるディスプレイに現れる。
「将大からだよ!」
キャピキャピとした感じでいう。
俺は9の重さのオレンジ色の球を片手に構える。格好だけはキメる。
しかし、珠は左方向へとズレていき溝にはまる。スコアにはGが刻まれる。
「将大、ボーリングできないのー?」
「で、できないんじゃないよ。久しぶりなんだよ」
本当はほとんどできねぇーよ!
心の中でボヤキながら二投目。やはりG。
「次は私だねー」
軽い感じで言う夏穂は7の重さの赤色の球を構える。
えいっ! とでも言いそうに投げる。珠は俺のように曲がることなくほぼ真っ直ぐ進み、白に赤のラインが一本入ったピンをなぎ倒していく。
スコアには七と刻まれる。
マジかよ……。
「これならスペアいけそうだ!」
「そ、そうだな。頑張れ……」
純粋無垢に告げる彼女に対し、俺は弱気に返す。
綺麗なフォーム。というわけではない。でも、どこか整った感じがある。
周りで同じように転がる球のゴロゴロという音や笑い声が一瞬吹き飛ぶような感じになる。
そして夏穂の投げた球は吸い込まれるように残る三本を蹴散らす。
頭上のディスプレイにはスペアという文字が大きく出る。
「おぉぉ!!」
心からの声と心からの拍手を送る。
「ありがとうー。将大も頑張って!」
「お、おう」
オレンジ色の球を持ち、構える。プロ顔負けのフォームをとる。が、しかし結果は惨敗のガーター。三つ続けてのG。ターキーガーターだな。
「おい」
そんな時だ。ドスの効いた隣のレーンの強面の兄ちゃんが声をかけてきた。
「は、はい」
裏返りそうな声を必死に抑える。
「下手だな」
大きな声で笑いながら告げる。その物言いには腹が立ち少し言い返す。
「お兄さんこそ俺に言えるほど上手いんすか?」
「おぉっ、言うねー。んじゃ、見てろ」
俺の球より1つ重い10の重さの紺色の球を持っていたことに気づく。
強面のお兄さんもフォームは偉そうに言えるほど上手いものではなかった。
だがしかし、球は微回転しながら三角形になるように並べられたピンの真ん中に、磁石のN極とS極のように引き寄せられる。
そして真ん中のピンに当たるや、それが全てのピンに波紋を広げていくようにバタバタと倒れていく。
「マジかよ……」
思わず声が漏れる。それを聞いて強面のお兄さんは太い笑顔を見せる。
結果はストライクだった。
「これでわかっただろ?」
いつまでも二投目を投げない俺に夏穂がブツブツ言っているような気がするがそれは無視する。
「どういうことですか?」
「いいよ、別に改まらなくて」
「はぁー」
「簡単に言えば、君はフォームに囚われ過ぎてるんだよ」
この人は何を言ってるんだ? フォームは大事に決まってんだろうが。
「フォームが大事だって思ってんだろ?」
「はい」
「だからダメなんだ」
「どういう意味なんですか?」
「君のフォームは完璧だ。だが、手が悪い」
「手が悪い?」
「そう。フォームばかり気にして手があっち向いてホイしてるんだよ。だから真っ直ぐ進まないし、ガーターになるんだよ」
「じゃあ、どうすれば?」
「それは自分で考えな。でもまぁ、ちょっと教えてやるよ。フォームは無視して、真っ直ぐ投げることだけを意識しろ」
「はい」
本当にそんなことでうまくいくんだろうか。いかなかったから許さないからな。
「んじゃ、テキトーに頑張れ」
強面のお兄さんは片手を上げて自分の仲間たちの元へ帰っていく。
俺はフォームを頭の片隅に追いやり、真っ直ぐ投げることを意識した。
球が最初より遥かに真っ直ぐ進む。球がピンを弾く。四本倒れる。
やっ……、やった!
ガーター有りでピンを倒せたことに大喜びする。夏穂も同じように喜んでくれた。
その後もスコアを地道にだが重ねていき、最終的には52という自分の中では好記録をたたき出した。まあ、夏穂は100オーバーだったのだが。
二ゲーム目は最初からピンを倒すことに成功した。
その時隣のレーンの大学生が帰ろうとしていた。俺は慌てて追いかけて、強面のお兄さんに声をかけた。
「あの、ありがとうございました!」
「いいってことよ。ちょっとだけどうまくなったな。頑張れよ」
にこやかにそう言うと手を上げて去っていった。
「良かったね、ピン倒せるようになって」
「あぁ、本当に。全部あの人のおかげだ」
夏穂はびっくりするような笑顔でそう言うと立ち上がり、球をとる。
***
「疲れたねー」
夏穂は果てない笑顔でプリントアウトされたスコア表を片手に言う。
「ほんとに。手がもげそう」
「あはは、もげるってー」
楽しげに話す。
なんてたって俺は二ゲーム目で自己ベストを更新したから。86。夢のような数字だ。
「将大、すごかったもんねー。人生初のスペアも取れたしねっ!」
「あぁ! でも、夏穂だって134だろ? もうプロじゃん」
「えぇー、そんなことないよー」
嬉しそうな表情をする。
「で、次どこいく?」
ボーリング場を出て、天に向かって堂々と
「さぁ、とくに決めてはないけど……」
刹那、ぐぅーという音が盛大に鳴った。そらそうだ。時間はとっくに午後一時を回っていて、もうすぐ午後一時三十分になる。
「腹の虫もこういってることだし、昼にするか?」
恥ずかしいな、と感じ顔をうす紅色に染める。
「いいよ!」
屈託のない笑みを見せ、答える。
この笑顔、ホント反則だよな……。
俺たちは一番近くにあったファミレスのガ〇トに入った。時間はずれなだけに店にいる客もほとんどが伝票を手に取り、帰りの支度をしているころだった。
俺たちは店の中間あたりに当たる席に案内される。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでおよび下さい」
声優かと思うほどの可愛らしい声をした女性店員は、お冷を出して奥へと戻っていく。
「あれで顔が可愛ければなー……」
「こらっ! 将大、それは思っても言っちゃダメだよ!」
「はいはい、ごめんなさい。って、夏穂も十分アウトだろ!」
夏穂は、はっ、ただでさえ大きな目をさらに見開き口を抑える。
いやいや、もう遅いだろ。
思わず笑いがこみ上げてくる。
「それで、結局何にするんだ?」
夏穂は、んーとうなり声を上げながらメニューのページをめくっていく。
「これ、かな?」
夏穂の指差す先にはチーズインハンバーグが載っていた。
こういう、なんつーかす、す、好きな男子と遊ぶときにハンバーグとかガッツリ系頼めるものなの? 経験ないからわかんないけど自重するもんじゃないの?
予想もしなかった選択に戸惑いが隠せない。
「そうか。じゃあ、俺もそれにしようかな」
最初からチーズインハンバーグを頼みたかったのだが、調子狂うな……。
二人の意見が揃ったところで俺はボタンを押した。
「はい」
また声はいいが顔は……の店員が来る。
「チーズインハンバーグを二つ。以上で」
「かしこまりました。チーズインハンバーグ二つですね」
精錬された丁寧なお辞儀で下がっていく。
「本当残念」
「そういうこと言わないのっ。そんなにあの人の声がいいの?」
「そんなにってほどじゃないけど、珍しいなーって」
何故だか分からんが夏穂の御機嫌が斜めに……。
「私とどっちがいいの?」
ぶすーっと顔を膨らませながら訊いてくる。
ははぁーん、そういうことか。
「悪かったよ。そりゃあ、もちろん……お前のが……」
語尾が弱くなり、自分でも何を言ってるのか分からなくなる。
「なんてー。もっと大きくはっきり言ってよー」
「くっそ。お前のが良いに決まってんだろ」
羞恥で顔がゆでダコのようになるのがわかる。
「そっか」
一気に表情が晴れる。
「ねぇ、それよりまだかなー」
「まだって?」
「そりゃあハンバーグだよー」
口が半開きになる。
「ん? 口開けてどうしたの?」
「いやいやいやいや、お前がびっくり発言するからだろ?」
「え? どこが?」
素で言ってやがったのか!
そのことに驚きだよ。
「まだに決まってんだろ。もうちょい待ってろ」
「そっかー」
残念そうにするがこれがファミレスの常識である。
それから何度かそういうことを聞いてきたが、十分が経つ頃に料理はやってきた。
夏穂はヨダレを垂れ流しにしそうな顔で運ばれてきたチーズインハンバーグをのぞき込む。
「おいしそー!」
「いや、来たことないのかよ?」
「ん? 無いけど?」
ちょっ、ちょっと待て……。ファミレスに来たことないって……お嬢様なのか? そうなのか?
「マジでか?」
「うんん、わかんない。忘れちゃってるだけかも」
言うか言わないかでナイフとフォークを持って食べ始める。俺は固唾を飲みながらそれらの使い方をマジマジと見る。
やっぱりこいつがお嬢様ってのは無いな。絶対に。
究極的にナイフとフォークの扱いが下手だ。
あまりの下手さにハンバーグが切れてない。終いにはフォークだけで食べだした。
「まぁ、そりゃあそうか」
少し安堵を覚えると、強烈な空腹に襲われた。俺はその欲望に従い、食事を始めた。
***
食後。時刻は三時前だった。宛もなく俺たちは近くのデパートに入った。大手ブランドメーカーの店が並ぶ。
どの商品の値段も素晴らしく、とても学生に太刀打ちできるものではない。
「ねぇねぇ」
ワクワクが抑えられないような声で話しかける。
「なんだ?」
「私ね、服が欲しいの!」
「こっ、ここでか?」
「うん、このデパートで!」
数字見えてんのか、こいつ。
「値段見ろよ、値段。無理だろ!」
思わず声を荒らげてしまう。
「んー、そうだねー。じゃあ何か思い出になるもの買お?」
愛おしさで満たされたような声だ。
「お、おう」
あまりの可愛さに俺は頼りない返事をしてしまう。
「じゃあ、こっち!」
夏穂はよく見知った場所のように俺の腕に自分の腕を絡めながら引っ張る。
おい……、当たっちゃいけないものが当たってるって……。
そんな思いは届くことはなく、グイグイ引っ張る。
「とーちゃっく!」
華やかな笑顔で言う夏穂が案内したのは小洒落た雑貨屋さんだった。
アンティーク調。木製の棚にそれに合う黄色を基調としたぼんやりとした灯り。
その所々に存在する観葉植物が緑を生やし、落ち着いた雰囲気がある。
「私ね、これが欲しいの……」
上目遣いでピンク色と青色のタコっぽいキャラクターのキーホルダーを手に取り、俺に見せた。
ほかの店の商店より遥かに値が抑えられてる商品なのだが、ビジュアルがなんと言ったらいいのか……。
「これがいいのか?」
「うん、これがいいのー!」
「まぁ、夏穂がいいならいいや」
独り言のようにつぶやいてからピンク色のキーホルダーを夏穂の手から取る。そして、踵を返してレジの方へと向かう。
「ちょっ!」
「ん、どうした?」
「いやいや、どうしたじゃないよ!」
何をそんなに真剣に言ってるんだ?
「どーしたんだよ」
「こっちも! 二つで一緒に買って、一緒につけよ」
「やだ」
即答だった。神速に匹敵しよう速さで却下を示す。
「えー!! なんでーなんでー!」
駄々をこねる子どものようにいう。
「だって恥ずいんだもん」
「私も恥ずかしくないわけないじゃん」
じゃあやるなよ。 と思うも俺は黙る。
夏穂はそれを勝機と見たのかより一層に主張を強める。
「あぁ、わかったよ。買えばいいんだろ、買えば」
「買うだけじゃダメだからね。一緒につけるんだからね!」
「はいはい」
二つのキーホルダーを手に、今度こそレジへと向かう。それを遮る手は伸びてこないが……、腕には夏穂が絡み付いてきてやがる。
***
結局レジの前に立っても夏穂が離れることは無かった。言わずともわかるが、レジの人からは痛い目で見られた。
間違えてもちょっとの間はこの店これねぇーな。
「ほらよ」
支払いを終えたピンク色のキーホルダーを夏穂に渡す。
夏穂は幸せを振りまきながらそれを自分の携帯につける。
「ほらほらー、将大もっ!」
強引にもう一つのキーホルダーが入った袋を奪うとキーホルダーを取り出し、俺の携帯につけるよう催促してくる。
俺は観念して、携帯を渡す。夏穂はそれを手際よくつける。
家帰ったら絶対とってやる。
「ねぇ、最後に五階に行かない?」
夏穂は祈るような目で頼む。
別に断る理由もないし、それより五階って何があったっけ……。
「まぁ、いいけど」
「やった! ありがとうっ! 将大、大好き!」
そう言って抱きついてくる。もちろんまだ人が行き交うデパートの中だ。
数多の人は俺らをバカだと思っただろう。俺もその一人だ。俺じゃなく、夏穂がバカだと思った。
「ハグはいいから、は、早く行こうぜ」
早口でまくし立てながら言う。
「うんっ!」
夏穂はホールドを解くと、毎度のごとく腕に絡み付いた。
***
五階はゲームセンターだった。機械から排出される幾枚ものコインの音や、それぞれの機械から発せられる大音量のサウンドが人々の会話を遮るように鳴り響く。
「こっちこっち!!」
大きな口を開け、意志を伝えるのに必死の夏穂が腕を引く。
夏穂が連れてきた場所はゲームセンターの奥の右端に何個かあるプリクラ機の前だった。
女子だから覚悟してたけど……、並び過ぎじゃねぇ?
たかがシール撮影するのにこの数は……。
眼前には全部のプリクラ機に二十人近く並んでいる光景だった。
「な、並ぶのか……?」
「もっちろーん!」
ほらほらーっと言わんばかりのテンションで一番長い列を作ってるプリクラ機に並ぶ。
そこは遠慮して一番短いのに並べよ。
他愛もない会話を繰り返しながらでも長く感じられた。感じられたじゃなく、長いのだが。その間も女子中学生や女子高生のキャハキャハ笑う声が聞こえてくる。
やっと番が回ってきたのは並び始めてから三十分後だった。
「これやらないとダメなのか?」
プリクラ機の『二人で仲良くハートを作ってね』という指令に思わず訊く。
「うん、やるよー」
マジかよ……。しかも夏穂は準備万端だし機械からはカウントダウンが始まるし……。
嫌々ではあるが、耐えて作る。夏穂は幸せオーラを全開にしてありがとうと告げる。
そしてようやく、ラスト一枚となったところで『最後は自由に撮ってね』という令が出た。
夏穂の顔には待ってました、と刻まれている。
エヘヘ、と笑いながら手を繋いできた。もちろん恋人つなぎなのだが。
これくらいならまだいいか、恥ずかしいけど。
と思っているうちにカウントダウンは進みラスト二秒となっていた。
一、と響いた瞬間。夏穂は急に俺の方を向いた。俺は驚き夏穂の方を見た。いや、正確には見てしまった。
夏穂は可愛らしい笑顔を見せてから、俺の唇に夏穂の薄ピンク色のふっくらとした唇を重ねた。
刹那。パシャッ。
キスプリの完成だった。
夏穂の幸せそうな顔に対し、俺の顔は驚きで型どられていた。
目を見開き、『えっ』が全面に出ている。
そのまま俺たちは落書きブースに入る。これは俺もよく知らないのだが、撮った写真を好きなように落書きできる場所らしいのだ。
さっきから見ていると、ここが長い。ここが一番楽しいゾーンらしい。夏穂も楽しそうだ。
日付を入れたりしている。『初デート』なんて書いてやがる。俺はそれはやめろ、と止めても良かったのだが、楽しんでるところに水を差すのも悪いだろうと思い、それは心の中だけで留めた。
五分ほど夏穂が楽しむと「もう大丈夫だよ」と言い、ブースから出る。
印刷を終えて出てきたプリクラは二枚。一枚を俺に手渡す。
一番大きく印刷されたのがキスプリだ。俺の驚きの顔は夏穂のキスでおおかた隠れている。夏穂はそのプリクラを愛おしそうに見つめてから財布の中にしまった。
俺たちは騒がしいコインゲームコーナーを抜け、UFOキャッチャーエリアを抜けて、ゲームセンター自体から出る。それからゲームセンターとは打って変わって静かなエレベーターの中へと入る。誰も入ってこなかったので、二人きりだ。
「今日はありがとな」
「えっ。うん。私こそ誘ってくれてありがとう。すっごい楽しかった!」
「そうか、なら良かった。それに、俺も楽しかった」
そこまで言うと一階についたエレベーターが扉を開ける。
俺は自分から夏穂の手を取り、恋人つなぎで手を繋いだ。
いつもは夏穂からだったが、一度くらいは俺から……。
夏穂は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに艶めかしく、愛嬌のある優しい笑顔で俺を見つめた。
そしてそのまま駅に向かい、電車に乗り、待ち合わせ場所だった噴水広場の前までやって来た頃には午後6時を周り、東の空はすべてを呑み込む闇色に西の空は燃ゆる朱色に染まっていた。
「送ろうか?」
このまま一人で返すのもどうかと思い訊く。
「大丈夫だよー!」
元気に振る舞うも、やはり不安だった。
「いいや、やっぱり送るよ」
「本当に大丈夫なのに……」
「一応だよ。もし何かあったら困るからよ」
照れを隠すように鼻の頭を掻きながら言う。
「じゃあ、お願いします」
夏穂は右手を差し出しながら言う。俺は「おう」と答え、差し出された手をとった。
道路側を俺が歩く。これが女子にとっていいって何かで聞いたからやってみるというのは口実だが……。
「利き手的に手が繋ぎにくいから反対になってくれたら嬉しいなー」
なんて言い出す。男の意地として代わりはしなかったが、女子としてどうなんだと思う部分が幾つかあることに今日気づいた。
駅から十分ほどしたところにある住宅街の一角に夏穂の家はあった。
辺りが昏いせいで、家の外形しか見ることができないが、昼間感じたお嬢様ではないことがわかった。
ごくごく一般的な家だった。
ガチャ。夏穂がドアを引くとそんな音がした。
「悪い、遅くなりすぎたか?」
鍵が掛かっていると察した俺は悪びれた様子を見せながら訊く。
「うんん、いつものことだから大丈夫だよ」
夏穂は爽やかに言ってのける。
「そっか」
俺のそれを聞くや夏穂はインターフォンを押す。
「はい」
インターフォン越しに夏穂に似た声がする。似ているが少し疲れているように受け止められる。
「私ー」
「あぁ、なっちゃん。お帰り」
しばらくしてガチャと鍵が開けられる音がした。
「おかえりー」
夏穂をそのまま大人にした感じの母親が出てきた。
「うわっ、若っ」
思わず声が漏れる。
「あら、やだ。嬉しいこと言ってくれる子ね」
夏穂の似た声でそう言われると変な感じになり、いびつな表情を浮かべてしまう。
「それより、えっとー。あなたが将大くん?」
「えっ、あっ。はい」
初対面の人に名前が呼ばれたことに驚きたじろぐ。
「いつも夏穂がお世話になってます」
突然そのようなことを言われ俺も慌てて返す。
「こちらこそお世話になってます」
「あっ、そうだ。将大くん一人暮らしなんだっけ?」
「はい」
「よければご飯食べて行ってちょうだい」
「えっ……」
思いも寄らない誘いにすぐに言葉が出ない。
「そうよ、将大。食べて行ってよ」
夏穂もぴょんぴょん跳ねながら言う。
「いやでも……、迷惑ですし……」
「「いいのいいの。ほらっ。入った入った」」
ダブル夏穂にそう言われたように感じながら俺は家の中へと押し込まれていった。
***
20畳のリビングが器用に使われていた。無駄なスペースがなく、広く感じる。
白いダイニングテーブルが堂々と陣取っている。その上には唐揚げとポテトサラダが置いてある。
その奥にはうす茶色のソファーがあり、さらに奥に65型の薄型液晶テレビがある。
「お、夏。おかえり」
渋い髭面の四十代くらいの男性が声をかける。スーツ姿でどこか威厳のある男性だ。
「お父さん、ただいま」
その男性をお父さんと呼び、笑顔で答える。
「なっちゃん、楽しかったか?」
紫色の服を着た恰幅のいい二十代後半の男性が声をかける。
「お兄ちゃん、そう言うこときく?」
「聞く。絶対聞く」
楽しげなど表情のお兄さん。
「楽しかったに決まってるじゃん」
家族団らんといったのはこういうのだな。胸の奥にジーンとくるのがわかった。
「ほら、将大くんも座ってー」
新たに椅子を持ってきた夏穂のお母さんが忙しそうにいう。
「ありがとうございます」
俺は用意された椅子に腰を下ろす。そして目の前にご飯とお味噌汁が出される。
「お腹いっぱい食べてね」
夏穂母に笑顔で言われる。そうしている間にもテーブルの上にご飯とお味噌汁が並べられていく。
そして母も座る。
「「「「いただきます」」」」
四人が声を揃えて言う。俺も慌てて手を合わせ続く。
全て家庭の味と言えるものだった。優しく、包まれるような味だ。とても美味しく、お腹の中に溜まったいく。
遠慮して食べるつもりがあまりにも美味しくて手が止まらない。
「美味しい?」
夏穂母が心配そうに訊く。
「はい! すごく美味しいです!」
「母さんのご飯は美味しいからなー」
俺に同調するようにお兄さんがいう。
「もうっ、
夏穂母が嬉しそうに言う。
悟……だと。夏穂の携帯に電話掛けてきたのはこいつだったのか?
食べながら思考を張り巡らす。
「あっ、そうそう。将大。この前私が携帯忘れた時に掛けてきてたのお兄ちゃんだからね」
俺の表情を見て思い出したかのように言う。
やっぱりかーっ!!
「あっそうそう。俺だから。誤解させてたらゴメンよ」
大きく笑う。
なんだ……。心配して損したよ。
本気でそう思い、安堵感で一気に満腹感が襲ってきた。
***
結局、夏穂の家を出たのは午後8時を過ぎた頃だった。暗いからという理由でお兄さんの悟さんに車で送ってもらうことになった。
赤の軽自動車の助手席に乗り込む。
二人きりの空間は何か変な感じだ。
「あの。ありがとうございます」
「いいってことよ。なっちゃんのことよろしくな」
「はい」
「おぉ、はいって言ったな?」
悟さんは楽しそうに言う。車内には有名な女性シンガーのバラード曲が流れている。
車で動けば七分ほどだった。
途中途中で方向を指示しながら行くとすぐに着いた。
「本当にありがとうございました」
車から降りて頭を下げて告げた。
「おうよ! それじゃな!」
激しい音を立ててエンジン音を吹かせて悟さんは立ち去った。
俺は顔がほころぶのがわかった。
楽しかった。本当に楽しかった。
鍵を開け、家に入り携帯を開く。
『今日はほんとっーに楽しかった! ありがとう。また遊ぼうね』
夏穂からメールが来ていた。俺はすぐさま返信した。
そしてそれを終えるとどっと疲れが襲ってきたように感じ、ソファーにダイブした。
次に気づいた時には、ちゅんちゅんと爽やかな朝を告げる鳥の鳴き声が聞こえてきた。
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