第10話 俺、頑張る〜午後篇〜

 昼休みになった。いつもならクソ夏穂がせっせと弁当持って俺のとこに来るはずなのだが……。今日はバツが悪そうにゆっくり歩み寄ってくるや弁当箱を俺に渡し、こう告げた。

「ごめん、今日は友だちと約束しちゃった」

 はぁ!? ふざけんなよ。何で今日だけなんだよ。今までそんな素振り見せたことないだろう。

 でも、ここでキレるのもこいつを喜ばせるだけなように思えるし、俺自身もカッコ悪い。だからこう言う。

「勝手にすれば」

 渡された弁当をいつもより雑く開ける。そんな些細な違いにクソ夏穂はどこか違和感を覚えたようで、心配そうな声音で訊いてくる。

「断ってこようか?」

「いらねぇーよ」

 本当はそうして欲しいのだが、俺は強く言い切る。心配そうな目は変わらないが、クソ夏穂は「うん」と呟くとそくさと待たせていたのであろう友だちの元へとかけて行った。

 マジありえねぇ。何だよ、今のは止めとくべきだったよな。はぁー……、くっそ。たったアドレス聞くだけだぞ?

 何でそんなことすらまともにできねぇーんだよ。

 ヘタレで素直になれない俺に嫌気がさす。

「くっそ、うめぇ」

 クソ夏穂の作ってきた弁当は日に日に俺好みになっていき、文句の付け所がなくなっている。

 最初の頃は、白米の量がやや少ないやら、きんぴらごぼうの味付けが薄いやら、幾度となく指摘してきた。

 今から思うと、俺クズだな。

 食しながら二年になってからのことを振り返り、嘲笑する。

 きれいさっぱり食べ終える。クソ夏穂ーーいやもうここで位素直に夏穂と呼ぼうーーは、ホント俺の腹がはる量まで把握してやがる。つくづくすげー女だし、俺にはもったいないくらいだ、なんて最近思うようになる。

「はぁー、でもあいつから言ってきたんだし……教えてもらえるよな」

 今まで考えなかった、ノーと言われる姿が脳裏をかすめる。

 告られてばっかりでそんなこと言おうとしたこともなかった俺にとっては、これは一大事件だ。歴史に残るぞ。

「俺に連絡先教えてください」

 こう言えばいいのかな、と机に突っ伏しながら一人で奇妙なほどぼそぼそと呟いた。

「た、ただいま」

 頭上から怖々しく声がかけられる。

 頭を上げるとそこにあったのは見慣れた笑顔の夏穂だった。心の中での呼び名が変わったことを察したかのような屈託のない、いつも以上に真っ直ぐな笑顔がある。

「何でもねぇーよ!? てか、何も聞いてないよな!?」

 あわてふためき、俺は勢いよく椅子から立ち上がる。

 ガンっ、という音がなる。

「いってー!!」

 椅子を引くのを忘れて立ち上がったため、太ももを思い切り机にぶつけたのだ。

 予想だにしなかった不意打ちーー自分の責任なのだがーーは、俺の目に熱いものをこみ上げさせる。

「ちょっ、大丈夫!?」

 夏穂は手に持っていた弁当を慌てて机の上に置くと、俺に駆け寄った。

「大丈夫だって」

 ホントは全然大丈夫じゃないが、そう答える。

「嘘っ、痛そうにしてる!」

 頑として夏穂は俺が痛いと言い張る。

 おかしいだろ? 痛いかどうか決めるのは俺だし……。まぁ、痛いんだけど。

「だから、大丈夫だって言ってんだろ。……って」

 そう強く言い切ったものの、立ち上がろうとした瞬間、太ももに強い衝撃が走る。

 それに耐えきれず、思わず立ち上がろうとした態勢を崩し床に尻餅をつく。

「ほらっ! やっぱり!」

 やっぱりって何だよ。てか、痛いのは自分で知ってたし。

「ほら、肩貸すからさ。一緒に行くよ」

 自分の弁当箱のことなど素知らぬ振りで俺に肩を貸してくれた。

 男が女に肩貸してもらうなんて……、恥ずかしい。

 でも……、そんなこと言ってられない。太ももの痛みが尋常じゃないのだ。

***

「あちゃあ、これは痛いだろうね。一時間休んでいきな」

 50代くらいの保健室の女性の先生が少し掠れた声で告げる。

 マジかよ。いつもなら即行で頷き、最大級に喜ぶのだが……。今日はちょっと嫌だ。てか、こいつと……夏穂と一緒にいたい。

 だからと言ってこの痛みを我慢できるかと言うと……、できると言いきれない。徐々に才覚をあらわしつつある痛みは最初のそれとはケタが違う。

「わ、かりました」

 歯がゆい思いでいっぱいだが、一時間休むことを渋々了承した。いつもなら快諾するところなのを渋ったせいか、保健室の先生は首を少し傾げていた。

 右側を保健室の先生である50代の女性に、左側を俺を好き? な同級生の夏穂に支えてもらいベッドまで移動する。

 ベッドに寝かされると先生は告げる。

「えーと、品川さん。ちょっと盛岡くん見ててくれる?

 先生、氷とか色々取ってくるから」

「あ、はい」

「それと盛岡くん。先生がいないからって変なことしちゃダメだから」

 いやそれ先生として言っちゃっていいことなの? そう思いながらも「わかってますよ」と返事をした。

 それにしたくてもこの足がどうにもしようがない。

「なら行ってくるわね」

 簡易的にベッドとベッドを仕切る薄ピンクのカーテンをひく。そしてコツコツという音がし、しばらくするとガラガラとドアが開けられ、次に閉まる音がした。

「2人きりだね」

 予想してない言葉に俺はたじろぐ。

「あっ、そういう意味じゃないからね!」

 俺の顔をみて付け加える。俺、どんな顔してんだよ。

「わかってるよ。俺だって場所くらいわきまえるよ。TPOだっけ? それくらい知ってるよ」

 って、俺ここがチャンスなんじゃねぇ?

 2人きりだし、聞くには絶好のチャンスなんじゃ……。

「将大とは思えない発言」

 笑いながら言う。砂漠に咲く一輪の花のようにそこはかとない力強さを感じさせる笑顔を浮かべる。

「うっせぇよ」

「うっせぇって何よ。私、教室帰るよ?」

 冗談で言っているのだと分かった。でも、冗談でも今この状況で1人にされるのは嫌だった。

「ダメだ。ここにいろ」

 自分でもびっくりするほど覇気のこもった言葉であった。

「えっ?」

 それに対して夏穂はいつも言わない言葉を言った俺に目を丸くしている。

「今なんて……?」

「だから、もうちょっとここにいろって言ったんだよ」

 二度目になると要らぬ羞恥心がこみ上げる。

「ここにいろって言われた……。将大にここにいろって……」

 なにやらぼそぼそ言ってやがる。

「こらっ、何言ってんだよ一人で」

 堪らずそう言う。

「あっ、ごめんごめん。ちょっと嬉しくて……。えへへ」

 眩しいくらいの笑顔は痛みで支配されかけていた俺の心を癒す。

「あの……さ」

 俺は意を決して口を開く。そんな俺とは裏腹に夏穂は小さく首を傾げる。

 ふぅー、と大きく息を吐く。

「あのさ、夏……」

 ガラガラ、と扉が開く音。

 おいおい嘘だろ。このタイミングで戻ってくるか!?

「ごめんごめん。あっ、品川さん本当に見てくれてたんだ。ありがとね。何もされなかった?」

 先生は口早に次々と言葉を紡ぐ。ホント、よくここまで言葉がつながるよな。感心するよ、マジで。

「はい、何もされてませんよ」

 屈託のない笑みに流石の先生も頷くしかなかったようだ。

「それよりも、さっき。何を言いかけてたの?」

 改めてそう言われ、恥ずかしさが溢れ出てくる。

「なっ、んでもねぇーよ」

 やけくそにそう言うと、俺は布団を引っ張るや、頭まで隠すようにかぶった。

「何なのよー」

「ごめんね、こういう年頃なのよ」

 先生が俺の代弁をする。

「んな年頃なんてねぇーよ!」

 それを布団の中から俺は一蹴した。

「はいはい。じゃあ、品川さんは教室戻って。また授業あるでしょ」

「はい」

 短くそう答えるのが聞こえた。そしてすぐにガラガラと扉が開く音。

 出ていったな。俺は布団を剥ぐ。もうGW前だけあって潜ったらかなり暑い。既にじっとり汗をかき始めて

「可愛いとこあるじゃん」

「何だよ、可愛いとこって」

 それを見計らったように言う先生に悪態をつきながら足の手当をしてもらい、そのままおやすみをした。

***

 今日一日だけは、やけにチャイムの音に敏感だ。寝ていたはずなのに五限終了のチャイムと共に覚醒する。

 そして先生がカーテンを開ける前に俺がカーテンを開ける。先生は鳩が豆鉄砲くらったような表情かおになっている。

「もう大丈夫なんで戻ります」

 いつもと違う言葉にさらに先生は顔をおかしくする。

 いつもなら、まだ痛いのでやらしんどいのでと言い、家に帰ることを要求するのだが……今日はまだそれが出来ない。ミッションコンプリートできてないからな。

「あなたも変わったわね」

「変わってなんかないですよ」

 そう答えると「ありがとうございました」と小さく告げてから保健室から出ると教室へと向かう。

 次の授業は……えっと……。あっ、英語だ。髪の毛が後退し始めている息の臭いやつ。

 席が後ろの方でも臭うんだよな、あの異臭。

 思わずため息がでる。

「こんちはこんちは」

 俺が教室に戻るのと同時に英語の先生である背川はいかわが入ってくる。

 二度挨拶を繰り返しながら入ってくるのが特徴だ。あっ、後舌が長いのが短いのか知らないが、滑舌が悪い。ちなみに足も短い。取り柄なしだな。

 授業がはじまり、少し経った。俺は先ほどまで寝ていたので眠気は襲ってこない。しかし、夏穂は頬杖をつきながら、こくこくと舟をこいでいる。

 その姿もなんというか、愛らしい。

「じゃあ、この例文。アンダーライン引いてくれ」

 背川の一言に教室がざわつく。背川は「どーした?」と聞くが誰一人答えようとしない。

 不思議そうな顔をしながら続ける。

 アンダーライン引いてくれ、は言わば背川の決まり文句。毎回毎回いうので、誰からともなくモノマネが始まり、今にいたるのだ。そりゃあ笑っちゃうよな。

 そして俺もウトウトし始めてきており、授業も終盤に差し掛かっていた。

「サッカー日本代表はな……」

 そうだった。この人、何気スポーツ好きだったんだよ。残り時間と次進むところを比べ、先に進めないと判断した背川は得意のスポーツの話を始めた。誰得? って感じの話を意気揚々に語る。

 てか、最近髭濃くなってきてね?

 そんな話とは無関係なことを思った瞬間、終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

「おっと、ここまでか。じゃあ、復習しとくよーに」

 背川はお決まりのラジカセと教科書類を持ち、教室を出ていく。

「はぁー、ダメだった……。終わった……」

 俺は天をいや、天井を仰ぎながらぼそぼそと呟く。

「なーに言ってるの?」

 可愛らしく登場したのは夏穂だ。おぉ、まだ終わってねぇーぞ!

「あ、いや。てか、今日一緒に帰らねぇ?」

 そういう声は震えていた。と思う……。

「いいけど……」

 そう答える夏穂の顔は喜びの色で満たされていた。

「んじゃ、下駄箱で待ち合わせな」

 昂ぶる心臓の鼓動がバレないように慎重にわざとらしい程落ち着きを見せ言う。

「うん、分かった」

 綺麗な顔をとっつきやすい笑顔に変える。俺、こういうところにやられたんだろうか。

 夏穂のそんな顔を凝視しながらそう思う。

「バーカ、見すぎだよ!」

 両手で顔を覆い、照れを隠しながら言う。

 それからSHRを済ませ掃除に取り掛かった。俺があたっているのはごみ捨て場へと繋がる階段だ。生徒の間では別名"羅生門"と呼ばれている。由縁はその掃除場所の担当の先生が羅生門に出てくる白髪老婆の姿と酷似しているからだ。

 そしてその白髪老婆は何かと五月蝿い。

「ここ、ホコリ残ってる」

 とか自分は掃除をしないくせに文句だけは一丁前につけてきやがるのだ。

 いつも腹立つのだが、今日はその倍以上に腹が立つ。一緒に帰る約束をしているのだからな。

「ふぅー。やっと終わった」

 俺はいつもの10倍は真面目に掃除をした。

「いつもこれなら言う事無しなんだけど。GW明けもこの調子で頼むよ」

 いちいち嫌みっぽく言ってくるとこが大ッ嫌いだ。

 そんな気持ちを殺し、俺は「そうですね」と返すと駆け足気味に教室へ戻った。そして鞄を手にし、下駄箱へと向かった。

***

 下駄箱に彼女の姿はあった。髪の毛の先をくるくると弄っている。その姿はとても可愛らしく、愛らしい。

 俺は一旦トイレへ逃げ、走って乱れた髪を直し、服装を直した。

「よしっ」

 気合を入れ直し、トイレから出る。

「よっ」

 そして、スカートの裾をちょんと触っていた夏穂に声をかけた。

「遅かったね」

「まぁな。羅生門が掃除場所だったからな」

「そりゃあ長くなるわね」

 何気ない話でケラケラと笑う。

 下駄箱から靴を取り出す。微かに残る痛みを感じながら、靴の中に足を通す。

 こんこん、とつま先で床を蹴りしっかり履く。

「それよりねー、急に一緒に帰ろうなんてどうしたの?」

 靴を履き終えた夏穂が隣に並び訊いてくる。

「べ、別に。気分だよ、気分」

 少し間をあけ、校門を出る寸前で答える。まわりにも男女で並んで帰る姿が見受けられる。

「そう、気分……」

 声音に悲しさが帯びるのを感じる。俺は慌てて言葉を繋げる。

「まっ、まぁ。GW前だしな。一緒に帰るのもアリかなって……」

 これじゃあ何か俺が狙ってるみたいじゃねぇーか!!

 違う違う。俺はただ連絡先を知りたいだけなんだ。ってそれも立派に狙ってるって言うのかな。

 そんな思考が巡る中俺たちは並んで歩く。記憶に残らないような他愛もない会話の末、小さな公園が見えた。

「ちょっと寄っていいか?」

 似合いそうにもない場所を指さし言ったのがそんなに変なのか、夏穂は含み笑いで「うん」と答える。

 燃えるような夕日が西から差し込んでくる。ルビーのような色を放つそれは俺の止まない心臓に染み込んでくる。

「ふぅー」

 ベンチに並んで座る。そして俺は長く深い息を吐き出す。

「どうしたの? 今日なんか変だよ?」

 夏穂は恐る恐るといった感じに訊いてくる。

「いや、ちょっとな」

 歯切れ悪く呟く。

「不安でもあるの? 私で良かったら相談のるよ?」

 お前のことで悩んでんだよ。的外れなことを言う夏穂をぼーっと見つめ、喉を鳴らして気合を入れる。

「話があんだよ」

「話?」

 今から言う言葉を想像するだけで顔が真っ赤に火照る。でも、燃ゆる西陽で俺の表情を読まれることはなかった。

「なっ、なっ、夏穂」

「はっ、はい!」

 突然呼ばれたのがそんなに驚いたのか、声を裏返す。

「連絡先……教えてくれ……」

 消え入りそうな言葉を紡ぐ。

 五月の風がなびき、頬に触れる。夏穂は黙り込んでいる。

 そして少しの沈黙を経て夏穂は頷き、答えた。

「うん」


***

 午後9時を回る頃。俺は携帯の液晶画面に表示されている名前を見てため息をこぼす。

「俺、ホントよくやったよな」

 今思い出しても冷や汗が流れる。

 メールを開き、宛先を夏穂に設定する。

『俺だ。今日はいろいろありがとな』

 そう本文を作り、送信を押す。

 普段と違う、非日常を過ごした俺はかなりの疲れており、ソファーに腰をかけたまま眠りに落ちていた。

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