第9話 俺、頑張る~午前篇〜

 1限目、数学。いつもならこんなクソ眠い時間なんかに数字やら英字やらを見ると眠くなるに決まってんだろ、とか思うとこなんだが……。

 今日は違った。目が冴えて冴えて仕方が無い。

 いつも寝ていたせいか教科書何ページか、どんなことやってるのかさえ意味がわからん。

「おぉ、珍しいことに盛岡が起きてるじゃないか」

 担当教員がそう言う。鳩が豆鉄砲喰らったような顔すんなよ。

「起きてますよ」

 前から4番目。右から3番目。という神レベルにど真ん中の席に座る俺が答える。

「それじゃあ、この問題解いてみろ」

 こうなるから寝てたいんだよ! と強く思いながら黒板前で手招きしている教師の元へのそのそと行く。

 放物線やら円やらが隣に書かれていることから、点が移動して作られる形を求める領域の問題らしい。こんなもの皆目わからん。

 隣を見ると教師はニヤニヤと俺を見ている。こいつ……、マジで1回死ね。

 奥底でそう毒づいていると急に椅子が引かれるときに鳴る独特の音が静寂な教室に木霊した。

 ペタ、ペタ、と学校指定のスリッパが奏でる音が耳につく。

「私も一緒に解かせて貰えませんか?」

 凛とした鈴のように透き通った声が教師にそう訊ねる。

「なっ、も、もちろんだ」

 わざわざ前にまで出てきた生徒を無下に扱う教師でないと踏んでの行動だろ。告白の件と言い、この品川夏穂という人間の行動力は素晴らしいな。

「おい、手が止まっとるぞ」

 サポーターが現れたことに苛立ちが見え隠れする教師が俺に言う。

 分かんねぇんだよ! と叫び出しそうなのを奥歯を強く噛んで堪える。

「あのね、将大。ここはこうやるの」

 耳元でクソ夏穂が囁く。いつもみたいにその言葉をはね返すことなく、素直に指示通りに動く。じゃないと、最後まで黒板前で立っとかないといけなくなるからな。

「よしよし。これで……こう、だな?」

「うん、そうだよ」

 俺はクソ夏穂の返事をもらうと、得意気に教師を見る。

「だから、答えはこの円の中だ!」

「せっ、正解だ」

 悔しさ全開で言う。こういうの見るとすっげー気持ちいい。

「えっと、その……さんきゅーな」

 俺の席より更に3つ後ろ。更に1つ右。つまり俺の席の1つ右隣の列の一番後ろが彼女の席だ。

 よって途中までは同じ通路を通って戻ることが出来るのだ。その別れ際、俺はクソ夏穂に届くか、届かない程度、途切れてしまいそうな小さな声でそう告げた。

 その言葉が届いたのか、クソ夏穂は満面の笑みを浮かべながら席へと戻っていった。

 終業のチャイム。これで1限は終わりだ。

 くっそー、さっき連絡先聞いてれば……。己の立場が危機的状況にあったが故にそんな余裕は無かった。

 休み時間だってのに授業中よりも頭を使っている。

 よしっ、今から聞いてやるっ!

 思い立ったら吉日、クソ夏穂の席の元へと歩みを進める。

「ねぇー、夏穂ちゃん!」

 誰だよ、あのクソ女。俺が行こうとした隙に1人の女がクソ夏穂の元に駆け寄る。

「何ー?」

 クソ夏穂も普通に返事してやがる。友だち同士か。くそっ、一旦退避!

 きびすを返す。そりゃあ、知らねぇ女がいるとこで連絡先教えてくれ、なんて……俺には到底無理。

 休憩の終わりと2限の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 2限は何と古典・古文だ。

 自慢じゃないが、この授業で起きていたためしがない。それほど興味がなく、退屈で面白くない授業なのだ。

 担当教員は大きなメガネを掛けた女教師だ。いや、老女と言った方が適切か。

「えっと、助動詞の活用を順に言ってもらうから」

 クソ夏穂から連絡先を訊くシュミレーションをしている内に授業は半分近く終わっていた。

 そして、わけのわからない助動詞の活用を言わされるハメになる。

「せ、まる、き、し、しか、まる

 前の恰幅のいい男子が古典的な呪文を唱えているのを聞く。

「はい、正解。次、盛岡くんは……起きてる!?」

「起きてますって」

 いつも寝てるからって……驚きすぎたろ。呆れた物言いで返すと教師は黒板に書いた文字を指さした。

「打ち消しの助動詞『ず』の活用系」

 上擦った声で言う。俺は前の人たちがやっていたようにサッと立ち答えようとする。が、ず、活用……、なんだそれ。

「ざ、じ、ず、ぜ、ぞ」

 とりあえずザ行を言ってみる。クラス全員が割れんばかりの笑い声を上げている。教師はそれを抑えようとしているも、教師自身も口に手を当て笑ってやがる。許さん、マジ。

 いらいらする気持ちを落ち着かせ、座る。

「じゃ、次の人。同じ『ず』の活用系を」

 笑いをこらえた声で言う。そんなにおかしいこと言ったのか?

「はい」

 シワ一つない綺麗な制服に身を包んだ、清楚な感じの女子が鼻腔をくすぐるいい匂いをなびかせながら立つ。

「ず、ずら。ず、ずり。ず。ぬ、ざる。ね、ざれ。ざれ」

「はい、正解です。盛岡くん、覚えてよー」

 俺を一瞥して言う。

「はいはい」

 それどころじゃねぇーんだよ、と思いつつも二つ返事で返す。

 そうこうしていると2限の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 チャンス、ねぇーよ……。

 だって、次体育で、男女別だし……。男が体育館でバスケットボール、女が外で何かスポーツしてるって聞いたな。

 せっせと着替える他の男子を見ながらため息をつく。ダメかな……。

 一瞬、そう思ったがかぶりを振り、マイナス思考を打ち消した。

 予想通り、3限の体育ではクソ夏穂と接触する機会も無い。

 だからと言って、一番得意な教科を無下にする訳にもいかない無いので一瞬でも悩みが忘れられるようにと、いつも以上に頑張ってみた。

 その甲斐あってか、本日のゴールデンウィーク前最後の体育で得点王をかっさらった。

 4限目は化学だ。若く、細身のシルエットが特徴的な教師が授業を始める。

 この教師、声が小さい。正直、真ん中の俺ですら聞き取ることがままならない。

 こうなると流石の俺でも睡魔に勝てそうにない。

 勝負は、昼に賭けるか。

 そう思うや否や、俺のまぶたが視界を遮り、聴覚も薄れていった。

 そして気づいた頃には授業終了1分前だった。

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