第7話

「はあはあ、全く……蛮族って奴は頭も身体も硬くてダメだなっ」


 クアルトゥスは荒い息をつきながらそう言うと、風切り音を引いて右から迫る戦士の槍の柄を掌で受け止める。


『なっ?』

「甘い!」


 鋭い槍突きを大難なく受け止めたクアルトゥスは、大盾を背負うと初めてそこで腰の剣を抜いて戦士の首筋に突きつけた。


『ぐうっ……』


 悔しそうにうめく戦士の槍をそのまま手を引いて取り上げてから剣を収めると、クアルトゥスは長老やユリアーネが居る場所に顔を向ける。

 ユリアーネの顔は紅潮しており、長老達は厳めしい顔で何やらしきりに頷いている。

 クアルトゥスが無造作にその場所へ近付くと、戦いを眺めていた村人達から歓声が上がった。


「なんだなんだあ?」

「クアルさんの勝利を称えているのです」


 驚くクアルトゥスに、立ち上がったユリアーネはそう告げると何かを恥じらうように視線を外す。


「おい……お嬢、なんだその顔は?」


 嫌な予感しかしないクアルトゥスが、ぶっきらぼうに尋ねると、ユリアーネは更に顔を赤くして下を向いた。

 しばらくもじもじしていたユリアーネだったが、少ししてから意を決したように顔を上げる。


「……クアルさん、素敵でした」

「はあ、そりゃどうも……で、使者を派遣する話はどうなるんだ?」


 囁くようにこぼされた言葉をさらりと受け流し、クアルトゥスが長老達の方を見ると、何故か彼らは一様に笑みを浮かべていた。


「……おい、お嬢」


 更に嫌な予感がして重ねて問うが、ユリアーネは顔を赤くするばかりで答えない。

 クアルトゥスが戸惑っていると、長老の1人がラテン語で言葉を発した。


「村の勇者の娘を手に入れるために、そしてローマ帝国と我が氏族の友誼を結ぶために此の村へやって来た、ローマの勇士クアルトゥス」

「誰だそれは、そんな奴俺は知らん」


 即答するクアルトゥスに、ユリアーネがはっと顔を上げたかと思うと、猛烈な勢いで抗議の言葉を紡ぎ出す。


「そんなっ、クアルさん!?クアルさんと一緒になれば美味しいものが毎日食べられますねとか、クアルさんを婿ということにしておかないと、ややこしくて話が進まないですとか色々ありますけどっ、兄様達と戦っているクアルさんが格好良かったのはホントなんでですからあっ」

「ああ……事情は大体分かったよ、お嬢」


 疲れたように額へ手をやるクアルトゥス。

 つまり、得体の知れないローマ人と言うことでは無く、ユリアーネの婚約者として、またローマからの先触れの使者としてクアルトゥスを迎え、村の戦士達と戦わせることで実力を示し、クアルトゥスの意図した和平の使者の要求を村人達に通そうとしたのだろう。

 これがユリアーネの発案では無く、恐らくファシナの長老達の考えによるものだろうが、これでクアルトゥスに収穫があったのは、彼らも和平を本当に、最初から望んでいたと言うことだけ。


 そもそもユリアーネをローマへ派遣しているのだから、和平の意思については信じても良かった。

 しかしながら、先程聞いた氏族の勇者の娘といえども、また、大族であるマルコマンニやカッティの他氏族の目を欺く必要があったと言えども、若い娘1人だけをローマへ伝手も無く派遣したということで、少し疑問があったのだ。

その疑問は今解消されたが、クアルトゥスには難問が降りかかっている。


ただ、恐らく本当は“ふり”だけで良かったのに、クアルトゥスの強さを目の当たりにしてしまったユリアーネが本気になってしまったのが誤算だ。

 ただ、村としてはどっちでも良いようだ。

 あるいは、クアルトゥスの実力や胆力を見て、本当に氏族の娘の伴侶に迎えても良いと考えているのかも知れない。

 それは長老達の暖かいような、ぬるいような視線を見ていれば分かる。

 中には、ぽんぽんと優しくユリアーネの肩を叩いている者までいる始末だ。

 ユリアーネ自身もすっかりその気のようで、涙目になったりしている。

しかし、これ以前、クアルトゥスがユリアーネと出会った時にも戦う姿は見せていたはずだが……


「何で今更?」

「だって……クアルさんのお家の食べ物、とても素敵だったですし、今の戦いも、前の戦いも格好良かったですし」


 そのユリアーネの言葉で、クアルトゥスは天を仰ぐ。

 なんのことはない、すっかり餌付けされていたところに勇姿を見せつけられて、ぐらりと来てしまったらしい。


「まあ、ゲルマン人の娘で強い男に惹かれぬ者はおらぬよ」


 長老が、それこそ生暖かい感じでクアルトゥスの背中を軽く叩く。

 その言葉で周囲を見れば、村の娘達の中にもクアルトゥスへ熱い視線を送っている者が何人もいるのが分かった。

 ユリアーネはその視線を感じてか、必要以上にクアルトゥスへ近付いてきている。


「おいおい、これだから蛮族は……」

「クアルさんっ、乙女の気持ちを蛮族の一言で片付けるなんて酷いです!」


 げんなりした様子でその言葉を口にしたクアルトゥスへ、顔がくっつく程まで近付いたユリアーネが顔を赤くしながら抗議する。


「……照れるくらいなら近付くなよ、お嬢」

「うううっ」


 ゆでだこのようになって少し離れるユリアーネを見てから、クアルトゥスは深い溜息を吐き、ゆっくりとラテン語を解する長老へ視線を向けた。


「取り敢えず、こちらの要求をのんでくれるのなら、そちらの思惑に乗っても良い」

「うむ、ではまずは歓迎の宴を開こうぞ。話はその場で行う」

「ああ、よろしく頼む」










それから夕方になり、村で作られた酸味の強い麦酒や、ローマから購入した高価な葡萄酒が存分に振る舞われ、狩られてきたばかりの猪が解体されて火にかけられる。


 クアルトゥスを歓迎する宴は大いに盛り上がっていた。


『おい、ローマ人。あの大盾の技は何というのだ?出来れば教えてくれ』

『お前は強いな!ローマ人は集団でちまちま攻撃して来る感じだと思っていたが、なかなかどうして、ゲルマンの戦士にも劣らぬ戦技だ!』

『剣の質が良いな……鋼の違いか?少し腰の物を見せてくれぬか』


 氏族の戦士達がクアルトゥスの元へ、杯と酒瓶を持って次々に現れる。

 言葉が分からないなりに、何を言わんとしているかを汲み、身振り手振りで応じるクアルトゥス。

 その横にはユリアーネがちゃっかりと麦酒の木杯を両手で持って座っている。

 そして、クアルトゥスの近くに集まろうとする村の娘達を牽制していた。


『ちょっと、ユリアーネっ、私達も間に入れてよ』

『あなたばっかりずるいわよ』

『私達もローマの戦士とお話ししたいの!』


 戦士や村の男達と酒を交えて楽しそうに歓談しているクアルトゥスを、つまらなさそうに見ていたユリアーネの傍らから、若い女達が不満げに言う。

 麦酒の入った木杯をぐいっと傾げて飲み干すと、ユリアーネは据わった目で酒臭い息を吐きつつ答えた。


『ダメです』

『どうしてよ!?』


 食って掛かる娘に目を合わせること無く、ユリアーネはぽつりと言う。


『クアルさんは、蛮族を……ゲルマン人の娘を好みません』

『……アンタもゲルマン人じゃん』

『ふぐうううううっ』


 娘達の1人がそう言うと、ユリアーネはその目から大粒の涙をぽろぽろとこぼした。


『ええ?』

『どうしたの、ユリアーネ?』


 先程まで殺気立っていた娘達だったが、ユリアーネの様子に慌ててなだめに掛かる。

 その中でも最初に食って掛かった娘、金色の髪を長く伸ばした背の高いエルゼが溜息を吐きながら言う。


『……あんた、相手にされなかったんだね?』

『はぐううっ』


 空になった木杯を放り出し、がばっとエルゼの豊かな胸に顔を埋めて無くユリアーネに、集まっていた娘達が同情の目を向ける。

 あの決闘が終わってから休憩にと宛がわれた家で、あの手この手を使ってクアルトゥスに迫ったユリアーネだったが、一顧だにされずに宴の時間となってしまったのだった。

 恥ずかしさと悲しさで涙を流すユリアーネの背中を、エルゼが優しく撫でる。


『……なんだ、とんだ甲斐性無しだったんだねえ』

『ふぐうっ、それは違いますっ、クアルさんは良くしてくれました。チーズを練り込んだバニスに蜂蜜をかけてくれましたしっ、果物や野いちごのジャムを具にしたプラケンタは本当に美味しかったですっ。口の中が蕩けそうでした……』


 娘達が意外なクアルトゥスの長所を見つけて、グビリと喉を鳴らすが、それと同時に呆れてもいた。


『ユリアーネ、あんた甘味に欺されているの?』

『違います!クアルさんは強くて優しくて頭も良いんです!それから……』


 ユリアーネが更にクアルトゥスの長所を説明しようとした時、突然村の外れから叫び声が上がった。

 物を蹴り倒す音に続いて、見張りの戦士の土豪が響き、それから多数の足音が宴会が開かれている村の広場へと向かって来る。

 村人や戦士達が緊張を走らせ、長老達が顔をしかめる中、30名ほどの武装したゲルマン人の集団が焚火の光の中に現れた。


『おやおや……この危急の時にお楽しみか?それとも我々が来るのを先行して歓迎してくれたのか?』

『マルコマンニ……』


 現れたのは、ローマに反抗しようと牙を研ぎ、カッティ族や周辺部族を糾合しようとしているマルコマンニ族の戦士団。

 広場に緊張が増す。


『戦士長よ、いかに同盟者とはいえ、村の中に断りも無く戦士を入れるとはどういうことじゃ?』


 長老の1人が立ち上がって窘めると、戦闘にいたマルコマンニの戦士長は、汚く焚火に向かって唾を吐きかけてから答えた。


『ふん、その同盟者に黙ってローマと通じようとしている馬鹿がいると聞いたのでな、その不届き者を討伐してやろうと思って来たのよ』

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