第6話
ユリアーネの生まれ故郷である、カッティ族はファシナ氏族の村でクアルトゥスは手荒な歓迎を受けることになった。
何故か到着早々、広場に連れ出されたクアルトゥスの前に、3人の屈強なカッティ族の上級戦士が現れる。
「クアルさん。長老が彼らと戦えばクアルさんの話を聞いてくれると言っています」
クアルトゥスとは別に、広場の端に設えられた壇上の椅子へ移動したユリアーネは、傍らの氏族の重鎮と思しき男達とゲルマン語で会話した後、クアルトゥスへそう言った。
それを聞いたクアルトゥスは下を向く。
げんなりしたのは確かだが、それ以上に別の感情が彼の中にわき起こる。
「全く!蛮族は全く!ゲルマン人は全く!まったく度し難いっ!」
怒り心頭に発した様子で完全装備のクアルトゥスはそう言うと、大盾を正面に構えた。
しかし手にしているのは、大盾のみ。
腰の剣は抜かないクアルトゥス。
それを見て相対した3名のファシナ氏族上級戦士が戦意を高める。
『おらあ!ぶつくさ言ってんじゃねえぞローマ人!』
『殺す気で行くぜえ!』
『おれたち相手にして素手か?得物はどこだ?ふざけた野郎だぜ!』
ゲルマン語で口々に吠えたぐる3人の戦士。
彼らは一様に若い。
恐らくユリアーネと同世代、つまりクアルトゥスとは10以上の年の差がある。
「若いって良いねえ……はあ」
ため息をつきつつも油断無く彼らを見るクアルトゥス。
中央の大柄な青年は、長剣を使うようだ。
右側は斧、そして左側は槍だろう。
何れも相当の使い手である事は、その体格や武器の取り回しを見ていれば分かる。
クアルトゥスが注意深く彼らを観察する間にも、飛び跳ねたり足を踏みならしたり、武器を打ち鳴らしたりと実にせわしない。
反対にクアルトゥスは大盾を前に、終始無言。
『ローマ人め!ローマ人め!目にもの見せてやるっ!』
『ユリアーネをたぶらかし、欺した報いを受けさせてやるぜ!』
『引退したじじいごときに、俺らを抑えられる訳がねえ……何を考えてる?』
途切れ無く言葉を浴びせかけられ、威嚇されたクアルトゥスは思わず悪態をついた。
「お前らうるさいよ……!」
『お兄様方、ローマの戦士長はお兄様方を吠えるばかりの犬にたとえていますわ』
すかさずとんでもない意訳をしてのけたユリアーネの言葉に、クアルトゥスと対峙していた戦士達の様子が変わる。
『何いっ?』
『我ら誉れあるゲルマンの戦士を犬だと!』
『ゲルマン戦士の誇りを蔑ろにするかローマ人!』
戦士達はそれまで純粋に戦意を高めていただけなのに、ユリアーネの言葉で明らかに激しい怒気が混じり始めたのだ。
戦士を犬にたとえたのだ、彼らの誇りは酷く傷付けられた、怒るのは尤もだ。
クアルトゥスを斜めに睨み付けてくる、彼らの顔が怒りのせいか赤くなり、血管が浮き上がる。
筋骨隆々のゲルマン戦士が怒りの気配を撒き散らす。
『お兄様……ローマ戦士長は、いや、お前達など犬にも劣る、と申しておりますわ』
『ぬががががっ……』
『許さぬ!許さぬぞ!』
クアルトゥスは最初彼らの様子を訝るが、次いでユリアーネが何事かを囁くと、戦士達の雰囲気が一層猛々しいものへと変わったのを見て取り、事情を理解した。
「あっ?さてはお嬢っ!今、妙な翻訳をしただろうっ!?」
慌てて村の広場の置くに設けられた壇上に居るユリアーネへ顔を向け、言い募るクアルトゥスに、ユリアーネはつんと顔を逸らして応じた。
「ワタシ、ラテンゴ、ヨク、ワカリマセン」
「嘘つけ!」
クアルトゥスが思わず叫ぶと、ユリアーネはにっこり微笑んで振り返り、ゲルマン語で戦士達に言ってのけた。
『いつでもかかってこいや芋虫が!と申しております』
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
堪忍袋の緒と同時に血管も切りそうな勢いで、3人の戦士が雄叫びを上げてクアルトゥスに向かって駆け出す。
「つうっ……おっとと」
慌てて大盾をしっかりと持ち直すクアルトゥスに、最初の攻撃が炸裂した。
自分より頭1つ分背の高いゲルマン人戦士の重い重い一撃。
大盾が軋み、腕にびりびりとしびれるような衝撃が伝わる。
「くっそ、相変わらずゲルマン人は馬鹿力だなっ。この!」
腕に力を込めて初撃に耐えるクアルトゥス。
そして戦士が長剣を引き上げるべく、力を抜いた瞬間を狙って、クアルトゥスは全力で大盾を跳ね上げた。
『おわあ?』
大盾の下縁部分が剣の柄にあたり、長剣を天空へとすっ飛ばす。
まるですっぽ抜けたかのように飛んでいく、自分の長剣を呆気にとられて眺める戦士の臑に、クアルトゥスの大盾の下縁が炸裂した。
『がっ!?』
激痛に歯を食い縛り、脂汗を流してがくりと前屈みになる戦士。
「せえいっ!」
その顔面を、今度はクアルトゥスの拳が打ち抜いた。
前屈みになった戦士は、クアルトゥスの拳に打ち上げられて仰け反るようにして宙を飛ぶ。
背中から落ちてうめき声を上げるばかりとなった戦士を見て、他の2人の戦士が息を呑んだのが分かった。
「さあ……次は誰だ?」
不敵な笑みを浮かべ、両手で大盾を構え直しつつ残った2人の戦士を徴発するクアルトゥス。
村人達も村一番の氏族戦士が呆気なく、しかも拳で打ち倒されてしまったことに、驚愕のあまり半ば呆然としながら息を呑んでいる。
しかし戦士達は動きを止めずにクアルトゥスの左右から迫ろうと試みた。
「おらあああああああ!」
吶喊の声を不意に上げるクアルトゥス。
びりびりと場を震わせるような気勢に飲まれる村人の顔に怖気が走る。
戦士達もクアルトゥスの気迫とたった今見せつけられた実力に、構えを改める。
先程まで彼を馬鹿にしていた戦士達の顔付きが、青くなった。
『何もんだ、てめえ?』
『兄貴を一撃……くそ、このローマ人強えぞ!』
遅まきながらクアルトゥスの実力を把握し、慎重になる2人の戦士達。
しかしクアルトゥスはその隙を見逃さなかった。
動きが止まった戦士の1人、右側の斧を持った戦士に突撃する。
『おっおっおおっ?』
肩に担ぎ上げるような形で構えを取っていた右側の戦士が、とっさに斧を振り下ろす。
とっさにも関わらず、膂力と体重、それに斧の自重が加わった一撃は、斧の特性を活かしたもので、威力は十分。
おまけに初撃であることから、鈍重な斧とは思えない鋭き一撃だ。
しかし、クアルトゥスは動じること無く大盾を傾けると、丸みを帯びた芯金でその一撃を受け止める。
鋭い金属音と共に斧が大盾の芯金を打つ。
しかし、斧は芯金をへこませることも砕くことも出来ないまま、刃先がその上を滑り抜けた。
驚く戦士の体勢が崩れる。
クアルトゥスはわずかに大盾を引き上げると、その下縁を斧の柄に引っかけた。
「甘いな」
『ぬわっ!?』
体勢を崩しながらも慌てて斧を引こうとした戦士だったが、その前に大盾の縁で地面に落ちかけた斧を縫い止められてしまう。
驚愕する戦士の首筋に、クアルトゥスの肘が落とされた。
『ほう……』
『なかなかやるでは無いか』
ユリアーネと同じ場所に居る、ファシナの長老達が感心したように声を漏らす。
3人の血気盛んな戦士の内、既に2人が倒されたのだ。
しかも、上級戦士達が本物の武器で、その上本当に殺すつもりで掛かっているにも関わらず、拳と肘を使った一撃で倒されたのである。
一方のユリアーネは、胸の前で拳を握りしめ、目を輝かせてその光景を見ていた。
「まだやるのか?」
『ぬぐぐ……』
大盾を片手で背負う格好になって、最後に残った戦士を挑発するクアルトゥス。
唸り声を上げる戦士。
何故彼らがこのような決闘を繰り広げる羽目になったのか。
その理由は、クアルトゥスとユリアーネが村に到着した時に遡る。
『ローマへ使者を送れじゃと?』
ユリアーネの通訳で長老の1人が発した言葉の内容を知ったクアルトゥスは、大きく頷いた。
ローマの大軍が越境攻撃の準備をしているという情報がユリアーネからもたらされ、恐慌状態に陥った長老や戦士長達だったが、立ち上がって使者の派遣を要請する内容の言葉を発っしたクアルトゥスに訝しげな表情を見せる。
そして、少し冷静さを取り戻しつつ話を聞く姿勢を見せる長老達。
クアルトゥスは、彼らの様子を見回してから、芝居がかった仕草でマントをはね除けつつ言葉を継ぐ。
「蛮族ながら理解が早いな、そのとおり!」
ユリアーネの通訳を経て、長老達が顔をしかめる。
明らかにローマの指揮官としての装束をまとい、ふるまうクアルトゥスに、あからさまな敵愾心を向ける者もいる中で、クアルトゥスは淡々と語った。
「別に降伏の使者じゃない。友好使節でも交易使節でも何でも良い。とにかくローマと交渉や交流を正式にすることが大切なんだ」
『その理由を聞かせて貰おうか、ローマ人』
別の長老が発した言葉の意味をおよそ理解したクアルトゥスは、口を開く。
「今の皇帝陛下は対外的には融和策を執っている、これを継続させ、カッティ族の一部なりともがローマには敵対的でないと印象付け、政策の転換をさせないように図るんだ。蛮族も平和を求めているとな!」
『ほう……』
『なるほどの』
ユリアーネの通訳で、今度はクアルトゥスの言葉の内容を知り、長老達が唸る。
蛮族とは言え、彼らも部族や氏族を率いる政治家だ。
クアルトゥスの言葉の意味を正しく理解し、その有効性に理解を示したのである。
いくら末端の属州総督や軍団司令官が独断専行を決めても、最終的な判断は皇帝のもとにある。
ゲルマニア攻撃を追認するか、反逆として訴追するか。
恐らくゲルマニア属州の軍司令官や属州総督、また有力者達は、皇帝や元老院に対してゲルマニアは脅威であることや、不穏な動きがある事を積極的に訴えていることだろう。
その結果の戦争となれば、事前にゲルマン人の印象に対する宣伝工作、つまりはネガティブキャンペーンが効果を発揮してしまうことになる。
言ったとおりだ、やはり、事前に聞いていたとおりだ、噂は、情報は正しかったのだ、と。
そうなれば、ローマは一気にゲルマン人討伐へと傾き、平和は破られて長い戦役が始まることとなる。
しかし、それに相反する友好的な使節がローマを訪れればどうなるか。
噂とは違う、情報は間違いだったのではないかと、好戦的な評価を多少なりとも和らげ、上手くいけば融和的な世論を喚起できるかも知れない。
つまり、クアルトゥスの言わんとしている所は、ゲルマン人は決して争いを求めていないと言うことをローマ帝国全体、そして皇帝に宣伝することによって、開戦の雰囲気を阻止しようと言うことだ。
事情や情勢は理解した。
やって来たローマ人の言葉も、ローマへ急使として派遣したユリアーネが保証しているし、どうやら信頼に足りるようだ。
ローマへの正式な使者の派遣は確かに有効な策で、それを認めるのにやぶさかではない。
しかし、外部の者の意見に左右されては氏族やひいては部族の沽券に関わる。
『これは……いかがするか?』
『そうだな、まあ、情報や意見は正しいのだろうが……問題があるな』
『そのとおり、奴はローマ人だ。カッティ族どころか、ゲルマン人ですらない』
『先程から蛮族蛮族と……うるさいのう』
『ユリアーネの担保があっても……そう簡単に言うことを聞く訳には行かぬ』
『よろしい、ならば決闘じゃ!』
申し訳なさそうなユリアーネの通訳内容を聞き、クアルトゥスは口を歪める。
「まあ、鼻持ちならないローマ人の肝を冷やしてやりたい気持ちも分かる……ははは、まあ予想どおりの展開だ」
「……ひょっとしてクアルさんが蛮族蛮族と強調していたのは?」
クアルトゥスの言葉に、何かを察したユリアーネが問うと、当の本人はにっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
これで確定だ。
クアルトゥスは長老達を挑発したのだろう。
「力を見せつけてやれば、話が通りやすいのは、ゲルマン人ならではだしな。まあ、早い話がその方が決定が早い」
確かにクアルトゥスの言うとおり、誠心誠意話をした所で全く聞き入れないか、聞き入れたとしても長い議論が必要になったことだろう。
それを思えば、決闘の結果に全てを委ねるのは、ゲルマン人にとって一番早い解決方法であり、意思決定の方法でもある。
クアルトゥスは意図的に彼らを挑発することで、意思決定の時間を著しく短縮することに成功したのだ。
ただし、それには大きな条件がある。
「絶対に勝たなくてはなりません……卑怯な手段も、策略もダメですよ?」
「ああ、分かってるさ」
周囲の目もあるので、あからさまに心配している様子を見せることの出来ないユリアーネは、それでも心配そうに、小声でクアルトゥスへ声をかけたが、クアルトゥスは至って平常心。
余裕すら窺える。
「はあ……どうなっても知りませんよ?」
「まあ、大丈夫だろう。退役したとは言え、一応武略には自信がある」
そう自信たっぷりにのたまうクアルトゥスの前に現れたのは、3人の上級戦士。
「おい、お嬢……」
「ですから、知りません」
「は、話が違うっ!?」
やる気満々の3人を目の前にして、クアルトゥスが顔を引きつらせるが、時既に遅し。
『ふん、やたら自信ある様子だが、これでどうじゃね?』
「なにがどうじゃね、だ!卑怯だろうが!」
ユリアーネの通訳が終わるのを待たずに叫ぶクアルトゥスへ、長老は鼻を鳴らす。
『わしらを挑発して言うことを聞かそうと言うのだ、これくらいの試練は乗り越えて貰わねば割に合わぬわ……始めよ!』
「うおおおおいっ?」
そうして決闘は開始されたのだった。
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