第2話

 食堂を出て手早く身支度を済ませたポンタンは、タンク軍の駐屯地へと向かうべく従者のイワンを探した。

 イワンはポンタンに仕える男子で彼女よりは年上だがさほど離れてはいない。身の回りの世話は同性の侍女たちが担当しており、彼に与えられた仕事とは、簡単な手荷物の持ち運びや、ポンタンの無鉄砲を引き留めること、彼女が暇なときに求められれば話し相手や語り手になること、それからポンタンから唐突に発せられる無数の無邪気ともアホくさいともいえる疑問に無難な対応をすることであった。

 イワンにとってポンタンは可憐な異性である。したがって彼女とのやりとりは楽しいといえば楽しい。また、名誉なことでもある。イワンの立場をうらやむものが大勢いることも確かである。だがその一方で、ポンタンが単なる浮世離れした世間知らずのお姫(ひい)さまというだけでは片づけられないほどに「抜けている」ことに動揺や自我の崩壊すら感じてしまうことがある。


「ああ、イワンたらここにいたのね。ちょっと着いてきてもらっていいかしら」

 ポンタンが例のごとくろくでもないたくらみを抱いていることにイワンは直ちに気づいたが、ではそれにうんざりするのかといえば全然そんなことはなく、やはりポンタンに笑顔で話しかけられれば条件反射的にうれしさを感じてしまうのであった。それがイワンのような男子に限らず、ポンポコリーナ国の臣民としては当然の反応なのである。

「かしこまりました。それで、どちらまで?」

「私ね、いろいろ考えたんだけどタンク軍に入隊してみようと思うの」

 全く想定していなかった発言にイワンは不意打ちを食らったようなものであった。すぐには返事をできずに、なんとか頭をひねってみた。なにゆえ我らが姫はタンク軍に入隊するなどいっているのだろうか? いや、言葉のあやというやつで、タンク軍のところに慰労訪問をするだけなのかもしれない。ただそれだけのことが、姫が独自に編み出した独特な表現になっているだけなのではないだろうか。

 イワンがなるべくあり得そうなことを考えようと努めている間も、ポンタンはあれやこれやと口を開いた。慣れないものにとってはポンタンの発言が独り言なのか提案なのか質問のたぐいなのか判断するのは困難を伴うものだが、それなりの年月にわたって彼女の傍らに付き添って修行を積んできたイワンにとってはさほどのことでもない。歩きながら聞いたポンタンの離れ島々のような話を要約すれば(これにも相応の技術を要する)、つまり彼女は最前線に立つタンクになりたいらしいとイワンは理解した。いや、表面的に文法的には理解はできたのだが、その意図するところや話の文脈は全く解せずにいた。


 ポンポコリーナ軍はここ一、二世代ほど、外交や政策が実って周辺諸国との関係はまずまずであった。喫緊の軍備は必要とせず、兵隊は志願兵でまかなっていた。

 さしあたり戦闘のおそれがないために志願者は常に大勢いろいろなやつで充足されていた。頑健な肉体と高邁な精神を持ったすばらしい人間だが隣人には欲しくない選良、趣味や学問が嵩じ過ぎて行くところまで行くことを目的にした変なやつ、由緒は正しいが金はない貧乏貴族、生活破綻者、性倒錯者、なんとなく、その他もろもろ純、不純、清濁混ぜ合わせた動機で人間が集まっていた。

 軍隊は大きく分けてタンク軍、ヒーラー軍、アタッカー軍の三つに分かれていた。志願者自体の数は充足していたのだが、そこから更にどの軍を希望するかで振り分けると、タンク軍は常に員数不足に悩まされていた。タンク軍の広報担当は手を変え品を変え、タンクのイメージ向上のためにパンフレットを頒布したり、ポスターをどこそこ貼りまくっていたし、総務担当はほかの二つの軍よりも待遇が良くなるように努力していた。しかしそれでもタンク軍はヒーラー軍、アタッカー軍よりも明らかに人気が低かったのである。

 タンク軍の採用担当が志願者や市井の人々にアンケートを取ったところ、タンクをやりたくないのはだいたい次のような理由であった。

  ・怪我しやすそう、ほかの職と比べてすぐに死にそう

  ・盾とか鎧が重そう、体力に自信がない

  ・集団行動とか苦手だから

  ・先端恐怖症だから

 このアンケート結果の報告を受けたタンク軍の長であるカトピン大将は憤慨するでも反論するでもなく、たださびしそうなため息をついただけといわれている。後日、いくらかの近しい人間にだけ「痛いところをつかれた」と弱気な声を漏らしたという。


 そんな不人気な職を我が姫様はやろうというのである。タンク軍の人気向上のための広報活動の一環なのですかとイワンが問えば、あら、一介の兵士として最前線に立つのよウフフ、との笑顔を賜った。この笑顔を見られただけでもう十分じゃないかとイワンは無理矢理自分を納得させることにした。そうでもしなければ、自分はいったい何をやっているんだと自責の念にとらわれてしまう。

 ポンタンの笑顔にイワンも笑顔で「それはすばらしいことです」と合わせた。そうすると、先ほどまで頭の中に立ち込めていたせせこましいもやが晴れてくるのであった。

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