西ローマ帝国の砦
あかつき
西ローマ帝国の砦
夕闇が世界を包む。
黄金色に輝いて地上を照らし出していた太陽は去り、静かな白銀色の光を放つ三日月が天空から下界を見下ろす秋の夜。
月光の慎ましやかな光が映し出したのは、戦場。
折れた槍や欠けた剣が月光を反射し、鈍色の光をあちこちで燦めかせ、薄汚れた鎧兜がぼんやりと三日月をその身に写し込む。
あちこちに矢が突き立つその戦場には、早くも死臭を嗅ぎ付けた野山の獣がその屍肉を漁るべく集まり、ぎらぎらと異様な対の光がそこかしこを跳ね回っていた。
その戦場からいくらも離れていない場所。
黒々とした陰を夜景に際立たせているのは、石造りの城塞であった。
100年以上も前にこの地へ進出してきたローマ帝国が築いたものだ。
かつては国境警備施設として建造された長い防壁の一部であったこの城塞は、時代と共に付属の防壁が蛮族に討ち破られ、その頻度が高まるにつれて修復が追いつかなくなっていったのである。
その後ローマ帝国の国内事情により維持費や修理費が捻出できなくなると、防壁はあっさり放棄されてしまった。
そんな理由から個別の城塞となった、言わばかつての国境警備所のなれの果てなのだ。
それでもローマ帝国の全盛期に建造された石造りの城塞は、堅牢無比。
とても100年前の建築物とは思えない頑丈さと美しさを維持し続けている。
その砦の中心部、主塔の最上階に設けられた部屋の中。
使い込まれた銀色の鎧に赤房付きの兜を被った中年の男が、部屋の中に1本だけ置かれた蝋燭の前で佇んでいた。
腰には装飾の剥げた鞘に入った剣、背には色あせた赤いマントを付けている。
男自体も装備に負けず劣らず随分くたびれた様相で、兜から覗く毛髪や無精髭には白い物が目立っていた。
彼はこの砦で抵抗を続ける大隊の隊長。
大隊が砦守備の命令を受けてから既に10年が経つ。
ここ最近はフランク族との戦いが激しくなり、補給も滞りがち。
食糧をはじめとする物資は欠乏し、武器防具は古びてしまって毎日の手入れが欠かせない。
それでも爪に火を灯すようにして物資を使い伸ばし、必要な物や武器は敵から奪って何とか遣り繰りしている。
しかしそれも終わり。
既にフランク族の部隊に包囲されてから1年が経とうとしている。
戦いは今正に佳境。
しかし隊長は淡々と日々を過ごす。
そんな彼の居る部屋は、1本の蝋燭だけで光を賄っていた。
決して広くは無いのだが、それでも蝋燭1本では光量が少なすぎる為、部屋はどうしようも無く薄暗い。
からん
乾いた金属音と共に、青銅製の水盆に紋章の刻まれた指輪が1つ落とされた。
からからからから……からん
続いて、2つめ3つめ4つめ5つめ、そして6つめ。
「……すまんな」
小さくつぶやいた隊長のごつく傷だらけの手が傾けられ、空の水盆へ指輪が落とされる。
やがて全ての指輪を水盆へ落とし終えた隊長が深いため息をついた。
「もう、こんな人数になってしまったか」
途中で数えるのを諦めた指輪は、すでに水盆一杯にまで達している。
全員が彼の部下であり、有能な兵士であり、そして掛け替えのない友であった者達の形見となった指輪だ。
「今日も凌いだ……諸君のお陰でまた明日が迎えられる」
幾つもの水盆に山と積まれた指輪へと語りかける隊長の顔は、深い陰と皺に彩られ、その表情は苦痛と苦悩に満ちていた。
隊長がこの砦を守備するよう最後の軍司令官から命ぜられて5年あまり。
命令を受けた当時辛うじて残っていたローマ帝国の威風と遺領は、急速に失われていった。
彼に砦の守備を命じた最後の北ガリア軍司令官シアグリウスが、ゲルマン人の一派、統一フランク族を率いる大族長クローヴィスに首府ソワソン近郊における一大決戦で大敗。
その後彼の率いたローマ軍は一部を残して雲散霧消。
ガリア西南部でローマと同盟関係にあった西ゴート族へ援軍を求めに行ったシアグリウス軍司令官は、その宮廷で口上を述べる事も出来ないまま捕らえられた。
クローヴィスの軍事的才能と統一フランク族の勢威を恐れた西ゴート王アラリックは、惨めに敗れた同盟者を裏切ったのだ。
シアグリウス軍司令官はそのまま大族長クローヴィスの元へと送られ、敗残の王として蛮風により敢え無く処断される。
その情報が隊長や彼の部下達に伝えられたのは、全てが終わってから半年も経ってからの事で、しかもそれを伝えたのは敵であるフランク族の戦士長であった。
もちろん彼は同時にこれ以上の抵抗は無駄で無意味である事と、抵抗の根拠と寄る辺を失った事を強調してローマ人通訳を通じて宣告し、降伏を迫る事を忘れなかったのだが……
そのフランク軍に包囲され、補給と通信の途絶えたここ1年間。
それは隊長や部下の兵士達にローマ帝国最後の領土が失われた事を予想させるには十分な材料だった。
ただ、そういう事態に陥っているだろうと予想こそしてはいたが、実際にその事実を突きつけられた時、隊長は恥ずべき事に呆けてしまった。
隊長はこれで全てが終わった、と一瞬思ったのだ。
しかし、これは終わりではない。
新たな戦いの始まりなのだ。
項垂れた後、すっと背筋を伸ばして剣柄を握りしめ、それを思い出した隊長の口から出た言葉は、部下の兵士達の予想をも裏切るもの。
しかし、兵士達がどこか心の奥底で望んでいたもの。
「降伏はしない」
毅然とした態度に加えて、朧気ながら言葉の意味を理解できるフランクの戦士長が驚きで目を見開き、慌てて降伏したローマ人通訳に何事かを囁く。
「……理由がないだろう、と言っていますが」
次いでその意味をラテン語に翻訳して恐る恐る告げた通訳を一切見ず、隊長はフランク族戦士長の目をしっかり見据えて言う。
もう、ぶれる事はない。
迷いもない。
「……今更退く事など出来ない。我々には目的がある」
「目的とは、何かと尋ねています」
「理解して貰おうとも思わないし、理解も出来ないだろうから言葉で説明はしない。互いに誇り高き兵士と戦士、戦ってその意志を示そう」
戸惑いを隠し切れない通訳のあやふやな言葉にも、一切自分の態度や調子を崩さず、隊長は相変らずフランク戦士長の目を見据えたまま答えた。
フランク人戦士長は、隊長が降伏を拒絶する理由は理解出来ないものの、その意志は固いと見て取り、黙って腰を上げると外に向って歩き出す。
後を慌てて追う通訳だったが、ふと足を止める。
そしてしばらく躊躇ってから振り返って隊長に言葉をかけた。
「私にも……理解が出来ません。あなたは意地だけでこの砦の兵士を死地に追いやり、彼らの家族に悲哀と辛酸を強いるのですか?」
「ローマ人である……君にも理解出来ないか」
ローマ人通訳の質問に少し寂しそうに答えた隊長が踵を返そうとした時、再度鋭い言葉が飛んだ。
「ですから聞いています」
通訳の時の自信のなさが嘘のような粘り強い、そして強い口調の問に隊長は驚くが、すぐにそれまでの硬い表情を崩して言う。
「……説明はしない。兵士やその家族に悪いと思うが、言い訳はしない。君は今の仕事をしっかり果たして長生きする事だ」
「分かりませんよ……それじゃあ、何も分からない」
悲しげな顔で首を左右に振りつつ未だ年若い通訳が言い募ると、隊長は優しく言葉を継ぐ。
「それで良いのだ……さあ、早く戻った方が良い、余計な詮索をされてしまうぞ」
通訳は隊長の言葉に頷いたものの、名残惜しそうにちらちらと振り返りつつ立ち去った。
「今は……それで良いんだ」
その後ろ姿が部屋の外へ出てしまったのを確認してから隊長は席を立ち、静かにつぶやきつつ従兵を従えて自分も部屋の外へと出る。
「今は、まだ分からなくて良い」
敵であるフランク人戦士長と行った遣り取りを思い出し、ふっと小さく笑みを浮かべる隊長。
あの時にやって来た通訳の若者は、これからもきっとフランク人に重用されていくだろう。
フランク人の支配を受け入れた多くのローマ人達も、その扱い方を見ている限りおそらくそう酷い事にはならないと思われた。
誇りは失ったが、彼らはそれと引き替えに安全と生活を手に入れた。
自分達は幸か不幸か、それと全く逆の道を歩もうとしている。
その行き着くところは死、つまりは大隊の全滅でしかないのだが、それでも隊長は決して後悔していなかった。
隊長とその兵士達は文明薫るローマ帝国の再服を信じ、多大な犠牲を払って今までこの砦を守備し、敵の攻撃を尽く退けてきた。
命令を受けた時には200名を超えていた彼の同胞は、今や100名を切るまでになっている。
昨日も大勢死んだ。
世界全体から見れば微々たる数字だろうが、彼らの失った命は単なる数字ではない。
しかし隊長として割り切って数えれば、おそらくあと1回戦ったところで、彼の部隊は名実ともにこの世から消え、砦は焼き捨てられて何も残らないことだろう。
この地にローマという名の大帝国の文化と法の支配が行き届き、素晴らしき秩序と安寧の日々を人々にもたらし、そして消え去ってしまったという記憶と共に。
フランク人の戦士長は極めて勇敢で、なかなか同義の分かる良い人物だったが、それはあくまでもフランク人としてはという事。
ローマという物に拠った自分の思想や思考、願いや意志は彼には届かない。
届かない物は残らない。
届ける為、そして残す為には命を懸けなければならない。
それも生半可な命のかけ方ではダメだ。
苛烈で情熱的、それでいて人の心を恐怖以外のもので打つような命の燃やし方をしなければならない。
「……残念だ」
ぽつりとつぶやく彼の目に涙が溢れる。
それは自分の意志がこの様な形でしか実現出来ないからなのか、それとも賛同しているとは言え、結果的に巻き添えとなる部下の事を思ってか。
生に未練が無いと言えば嘘になるが、周囲の者たちのものを含めて命が失われるという事に対し、怖いという感情はとうにない。
それは長年にわたる戦闘の日々でいつしか擦り切れ、とうとう突き抜けてしまったのだ。
実際涙を流すのも久しぶりだ。
友が目の前で死んで行くのを平然と受け止められるようになっている自分に、最初は戸惑い、罪悪感に苛まれたが、いつしかそれも、それすらも受け止められるようになっていた。
ただ毎日生き残る為だけに蛮族との戦いを続けていた隊長。
そこに自分達の誇りの証を残したいという、そんな意志が宿ったのはいつからのことだっただろうか。
そしてその意志に賛同した200名のローマ兵達。
彼の記憶には、200名の名と人生と、最期が刻まれている。
しかしそれ以外に記憶は残らない。
彼らが戦いの舞台とした砦は残るだろう。
とっくに機能を失っているが、砦の元となった長城や国境線を形作った設備の遺構は石材であるから、これらも残るだろう。
ローマを率いた指導者の名や、その好敵手であった蛮族の英雄も名を残すに違いない。
おそらく今この世界を動かしている、かつてのローマ帝国に代ってこれから世界を作って行くであろう統一フランクの大族長クローヴィスは王として、その敵であったシアグリウスは邪魔者として名を残すことだろう。
ひょっとして更に時代が過ぎれば、シアグリウスはローマ帝国の威風を守ろうとした英雄として語られるかも知れない。
しかし、歴史に残る記録はそこまでだ。
この小さな砦で圧倒的に不利な中、5年に渡ってフランク族の攻撃を防ぎ続けた。
今、ローマ帝国が滅びた後も遺領を守っていた軍司令官でさえ敗れて処刑され、その遺領自体が失われてもなお1年間の攻囲に耐え、抵抗をしている自分達の事は、これ程の苦闘と苦悩を重ねているにも関わらず歴史に残る事は無いのである。
隊長は自分達の存在が余りに小さく、余りにささやかである事を知っているし、自分達の行動が今の世界の流れに何ら影響を与える物で無い事も理解している。
では何故戦うのか?何故抵抗を続けるのか?
「……意地を張るなとは言われたが、そうでは無いのだ」
フランク族に降伏したローマ人通訳の言葉が耳に蘇る。
抵抗を止め、砦を明け渡せば武装解除だけで済ませる。
後は農民になるなり商売をするなり、はたまたフランク族に雇われて兵士をやるなりすれば良いと言われたのだ。
しかしそう言う事ではない。
確かにそれで平穏な生活は曲がり形にも得られるだろうが、はっきり言えばそれだけだ。
そこに誇りやローマの名や法は残らないし、文化もいずれ失われる。
彼が、そして先に逝った彼らが欲したのはローマ帝国の一員であったという誇りの証。
しかしそれは極めて難しい物だ。
ローマ人の官吏や農民達が渋々とは言え、蛮族フランクの支配を受け入れている事は知っているし、支配者となったフランク族も初期の混乱こそあれ次第に彼らに対して支配を浸透させている事も知っている。
そこにローマ人官吏や軍人が介在し、蛮族の支配を円滑ならしめている事も。
一度ならず降伏したローマ人が降伏勧告をしに来ているのだ、嫌でも知れる。
彼らには彼らのやり方や考え方、それに守るべき家族や生活がある、それを責めるつもりはない。
しかしそれでは誇りの証は立てられない。
「……たとえこれが無駄な犠牲だとしても、私達にはやらなければならないだけの理由と誇りがある。この場で最後まで戦い続け、この地にローマがあった事を知らしめ、私達が誇りを胸にこの地で散る事が必要なのだ」
隊長とその兵士達の意志は、遺構では残らない。
文章では伝えられないだろう。
しかしそれでも人の気持ちや記憶には残す事が出来るはずだ。
それには最後まで戦う事こそが必要とされている。
敵は疑問に思うだろう。
かつて自分達同様ローマに属し、蛮族に降伏して平穏な生活を手に入れた人々は不思議に感じるだろう。
何故隊長や兵士達は最後まで戦ったのだろうか?と。
「……我々が残せるのは、言葉や文書じゃないし石碑でもない、ただの疑問と謎だ。しかし疑問と謎はいつか解かれるだろう」
人は好奇心旺盛な生き物。
謎があれば解かずには居れないものだ。
そしてその謎が解かれた時、後世の人々は隊長達の意志を知るだろう。
その想いを知るだろう。
そしてその元となったローマ帝国を知るだろう。
ローマの誇りと文化と強さと滅びの原因を知るだろう。
それこそが彼らの願い。
そして唯一後世に自分達の証を立てる術。
少なくともこの砦に居る者、居た者達は全員そう考えている。
「さて、明日も激しい戦いが待っている……早めに休むとしよう」
フランク族の戦士長も明日が最後と決めている事だろうから、きっと夜襲はない。
今日は不寝番を立てず、明日の早朝の戦いに全員で備えるのだ。
万全の態勢で、命を燃やし尽くすのだ。
翌早朝から開始された一斉攻撃に激しく反撃した、ローマ帝国北ガリア・ソワソン軍管区に所属する“最後の”大隊。
雨霰と降り注ぐ矢弾を犠牲を払ってかいくぐり、砦に取り付いたフランクの戦士達は、どこにこの様な戦力があったのかと驚嘆させられるような、ローマ兵の苛烈な反撃を受ける。
隊長の指揮の元、全盛期のローマ軍団を思わせるような一糸乱れぬ用兵でフランク戦士を迎え撃った最後の大隊。
5度にわたって攻勢を跳ね返し、砦の壁が破られてからも凄まじいまでの白兵戦を展開してフランク軍を寄せ付けなかったが、それも多勢に無勢。
やがて体力が尽き、負傷による消耗を誤魔化せなくなったローマ兵達は、相次いで討ち取られ、次第に数を減らす。
そんな激戦の末、半日掛かりで砦はようやく陥落した。
『何故そうまでして抵抗するんだ?他のローマ人達はみんな降伏しているぞ』
フランク族の戦士長が発した言葉を、当の降伏したローマ人である通訳がラテン語に訳して隊長へと伝える。
色あせていた赤いマントは既に返り血と味方の血、そして自分の血で深紅のマントになっている。
刃があちこち毀れ、剣先の掛けたグラディウスは既に杖として以外の役目を果たしていない。
肩を上下させて行う息も荒く、血は身体中いたる場所から流れ出してその足下に血溜りを作っていた。
目は血液の不足のせいか白く霞んでしまっており、通訳はおろかフランク人戦士長の顔すら見る事が出来ない。
はっきり言って立っていられる事が不思議な程の深傷だ。
「……知りたければ考えるんだな」
通訳人が隊長の発した言葉の意味を翻訳して戦士長に伝えると、戦士長は眉を寄せる。
『何を言っているのか分からないが……』
「ほう?そうか……だが答えは教えてやらん」
『むうっ』
不遜とも取れるその態度に、フランク人戦士長が苛立つ。
翻って隊長は静かに刃毀れた剣を真っ直ぐに右手で構えた。
そして痛みに耐え、言う事をなかなか聞かない左手を僅かに上げると、腰のベルトに結わえ付けた革袋がその手に当たった。
今や隊長にとって何よりも大切なものが詰まった袋。
その感触に安堵し微かな笑みを浮かべて隊長が言う。
「……ローマ最後の斬撃となるか、はは、これは歴史的だなっ」
不敵な笑みを浮かべながらも覚束ない足取りで、前のめりに、むしろ倒れかかるようにしてフランク人戦士長へ辛うじて斬りかかる隊長。
しかし一瞬後。
ばさりと布を裁ち切るような音と共に、フランク人戦士長にあっさりと隊長は斬り捨てられた。
しゃららん……
その後に軽やかな音が響く。
短く噴いた血と共に空中へ上がったのは、金銀銅の小さな金属片。
隊長が切られる寸前に目を背けていた通訳が、不思議な音に顔を上げて目の当たりにした光景に驚く。
「……印象の指輪?」
血と共に上がった金属片と見えたのは指輪。
199個の指輪だった。
ロ-マの兵士達が家紋を刻み、誇りの拠り所の1つとした指輪が隊長の周囲へ噴水のように飛び散る。
その燦めく指輪の光に包まれつつ、隊長はくるりと剣筋に沿って一回転してから仰向けにゆっくりと倒れた。
その周囲に指輪が、燦めきつつ指輪が次々に落ちる。
最後の指輪が地に落ち、ころころと円形に転がり、そして隊長の身体にあたって静かに倒れ、止まった。
『……他愛ない、この後に及んで一体何がしたかったのだ?』
息を呑む通訳を余所に、満足そうな笑みを最後に浮かべて事切れている隊長を気味悪げに見下ろすフランクの戦士長。
貴金属で出来たローマ人の指輪は立派な戦利品。
咄嗟に通訳は呪われた指輪だとウソを付こうとしたが、フランクの戦士長も周囲の戦士達も指輪には見向きもしない。
こんな不吉な現れ方をした指輪を手に入れる気にはならないのだろう。
『嫌な砦だ……こいつらのせいで俺は手柄を立て損なった』
粘り強く抵抗を続けていたローマ軍大隊を足止めするべく居残りを命じられたフランクの戦士長は、そう愚痴ると前に倒れている隊長に視線を移す。
『まあ、最近見ない歯応えのある相手だったが……火を掛けろ』
好敵手と呼ぶべき相手に敬意を払いつつも、フランク人戦士長は容赦なく砦に火を掛けるよう命を下す。
その命を受けたフランク人戦士達が全滅した砦内へ松明を用意して入る。
やがて砦のあちこちから火の手が上がり、真っ黒な煙が空へ上がった。
『引き上げるぞ!』
フランク人戦士長の号令で、撤収準備を始める戦士達を尻目に、通訳人は指輪に包まれた隊長が握ったままになっているグラディウスをそっと手に取った。
「あなたの行動の意味、私には分かりません……でも、あなたのした事は私が皆に伝えます……それしか、出来ませんが」
やがて時が過ぎ、隊長の行動は地方にあった悲劇の物語として語り継がれる。
そして何故その悲劇が生み出されたのか、どうして彼らは全滅したのか、当然誰しもが疑問に思うのだった。
ある者は文明人と称する種類の人間の意固地さを揶揄し、またある者は蛮族の残酷さを語った。
そして別の者は彼らの悲劇こそがこの地にローマ帝国の支配が届いていた事を示す歴史的証拠であると、その効果のみを唱えた。
しかしその真意が説き明かされるのは、そう遠くない。
20世紀後半、ヨーロッパ北部、古代ローマ帝国遺構発掘現場
「……198、199っと、へえ、印象の指輪が199個もある」
「さっき出てきた切り傷だらけだった鎧兜姿の人物と関係あるのかな?」
「うむ、おそらくあの鎧兜から推定するに上級100人隊長だ、つまり200名程の部下を率いていてもおかしくない」
「時代は帝国崩壊後か……焼けた砦とこの人物の状況を考えれば、ここで激しく戦って全滅したのじゃろう。ローマ軍最後の抵抗かのう?」
「シアグリウスの敗北以降って事ですか?どうしてまたそんな時期に?」
「ふうむ、指輪は部下の物か?剣もないし……興味深いな」
いつの時代も人の気持ちは複雑だが、いつの時代も歴史は同じ人の気持ちが作るのだから。
西ローマ帝国の砦 あかつき @akiakatuki
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