最後の魔法使いシュライン

舎模字

第1話

 僕は、王城のもとにあるその街に来ていた。


 僕の名前はシュライン。世界最後の魔法使いだったお師匠さまの、唯一の弟子だった僕は、やはりこの世界最後の魔法使いとして、世界の各地をめぐっている。


 今日、魔法はとても希少で、世界との関わりは微々たるものとなってしまっているものの、必要とされることがあるのもまた真実だった。

 ひとところに居ては、魔法を必要とする事柄に遭遇することはまず無いので、僕はこうして世界を巡っては、魔法を求める声に応えている。


 そのとき、路銀の乏しかった僕は、一人の農夫の少年の家に宿を求めることとなった。少年の名前はエヴァン。気の良い、というか、少し気弱な印象なのが気がかりな少年だ。両親は早々に亡くなっていて、受け継いだ農地をひとりで切り盛りしているようだ。

 エヴァンは、僕が魔法使いだと知ると、魔法の使い方を教わりたい、と頼み込んできた。


 ちなみに、こうした話は、こうした旅をしていると、たびたび起こる。


 教えを求められた魔法使いに、弟子を拒む道理はない。

 なにせ、魔法使いは、圧倒的な後継者不足なので……。

 けれども、僕が『最後の魔法使い』となってしまったのには、当然理由がある。

 世界の秩序、コトワリを壊そうとする者には、魔法は使えない、のだ。


 しかしながら、そもそも魔法というものは、世界のコトワリを壊す行いでもあるわけで……。

 このあたりの、さじ加減が、魔法をマスターする上での最大の障害となっている。

 規制緩和きせいかんわを望む声も多い。




 そこで僕はエヴァンに、初歩の魔法の手ほどきをすることにした。


 僕の知る魔法に、『ドロップ・シングス』というものがある。

 これは、なにも無いところからモノを作り出す魔法のことなのだが、初歩においては、飴玉キャンディーを作り出そう、というのが常道になっている。


 僕は、前腕ほどの長さの魔法の杖を、軽くひとふりする。

 空中に飴玉キャンディーが数つぶ出現し、エヴァンの手のひらに落ちた。


 エヴァンはそれに驚き、そのやりかたを熱心にせがむ。

 この初歩の魔法は、お師匠メンターが付き添う場合であれば、初心者でも簡単に行える場合が多い。


 だが、エヴァンは残念ながら、魔法が不得手なタイプであったようだ。


 エヴァンの杖は、何度もなんども空を切るが、一向に飴玉キャンディーが出現する気配はない……。

 しかしながら、その根気だけは、人並み外れていて。

 昼頃に始めた手ほどきだったが、いつしか外には夕闇が落ちていた。


 夕食が恋しくなってきた頃、エヴァンはようやく、ひとつぶの飴玉キャンディーをこしらえることができた。

 大喜びするエヴァン。

 僕はその飴玉キャンディーを噛んでふたつに分け、片方をエヴァンに渡し、もう一方をそのまま自分の口に放り込んだ。


 その飴玉キャンディーは、……なんか、苦かった。




 そんな、できの悪い魔法使い見習いエヴァン、に、魔法の手ほどきをしつつ、この街での滞在も、一週間が過ぎようとしていた。


 僕は、この街で魔法を必要とするできごとが起こるだろうことに、確信めいたものを感じていたのだ。

 そしてそれは起こった。


 ある日、農作業から帰ってきたエヴァンだったが、その表情は固く暗い。

 僕は、なにが有ったのかを聞く。

 それは、次のような内容だった。


 エヴァンと同じように、早くに身寄りを亡くした娘がいる。

 娘は、ジュジュ、という名で、街の露店で果物を売って生計を立てていた。


 そのジュジュという娘には、僕も見覚えがある。

 ちょうど、エヴァンとともに、街に買出しに出かけたときのことだ。

 露店で果物を売る看板娘は明るく、街中のみなから好かれている様子だった。

 そのときミカンが食べたかった僕は、露店でおいしそうな果物を見つくろったのだったが、その間中、エヴァンは気恥ずかしそうにうつむき、距離をおいていた。

 露店の傍らには、白い大きな犬がおとなしく座っており、僕とその犬は、エヴァンのその態度を、いぶかしげに眺めたものだった。




 話を戻すと。

 その、ジュジュ、という娘だが、今日は様子がおかしかったそうなのだ。その顔にいつもの明るい表情は無い。

 エヴァンがその理由を街の人に聞いたところ、彼女が唯一の家族としていた犬が、昨晩死んでしまったそうなのだった。

 そういえば、いつも露店の傍らに居る、白い大きな犬が、今日はいない。


 エヴァンの話したのは、そのようなことだった。

 一息つく。

 そこで、思いつくことがあったのか、僕にこんな願い事をしてきた。


「魔法で、ジュジュの犬を、生き返らせることはできないだろうか」




 魔法で、死んだ者を生き返らせる方法は、ある。


 だが、それはとても難しい。

 すでに言ったように、世界の秩序、コトワリを壊す魔法は、実現しない。

 そして、コトワリに反する、最大の法が、死者を生き返らせることであるのは、想像にむずかしくないと思う。


 エヴァンの表情は必死だ。


 道理に反する行いなのか、そうでないのか……。それを人の身で判断することは、到底かなわないが、僕はこのエヴァンの気持ちの中に、ひとつの正しさを見た気がしたのだった。

 とうてい叶うはずのない願いではあるのだが、今回ばかりは、エヴァンの思いに応えるのが、正しい道であるように感じられた。


 僕はエヴァンに、魔法に使う、種々の道具をそろえさせ、儀式に備えた。

 また、犬が埋葬されたという場所も聞き出した。

 教会脇にある墓地の一角に埋められているのだという。

 それら、ひとそろいの用意ができたその夜。僕とエヴァンは、墓地へと向かった。




 朝霧の中、僕とエヴァンは、魔法の儀式を終えていた。

 空はきれいな朝焼けで、ほのかな赤から薄い青へのグラデーションが美しい。


 昨晩の儀式をやり終えて、僕とエヴァンは、すっかり疲れきっていた。


 儀式の結果は、失敗だ。


 最善の準備をし、最大の労を費やしたが、犬は生き返りなどしなかった。

 単に、なにも起こらなかった。


 人は、魔法というものに、いろんな夢を見るのだろうが、最後の魔法使いである僕の見解としては、魔法なんてものは、いつもこんなものだ。


 魔法といえども、叶うはずもない願いは、叶わない。

 ……でも、もうひとつ、つけ加える言葉もある。


 そこに、一人の娘が現れる。黒い服に身を包んだ娘。ふくしているのだろう。それは、ジュジュの姿だった。


 墓の前にエヴァンが居るという、思いがけない出来事に、ジュジュはとまどっているようだ。

 もちろん、魔法使いなんていう、風変わりな格好をした僕がここにいるのにも、困惑しているのかも知れない。

 僕は、そこで閃いた。

 この街で、必要とされていた魔法が、判った瞬間だった。




「エヴァン。初歩の魔法の練習してみよっか」


 僕は、エヴァンにそう声をかけた。

 エヴァンは、あの日、いくどとなく練習した、杖を振る作業を、そらで繰り出す。

 本当に何気なく。そして自然に手が動いた感じだった。


 宙に飴玉キャンディーが数粒出現して、それは、とっさのことにとまどうジュジュの手のひらに、あやうくも収まった。


「これ……。あの子へのお供えなのかな?」

「う、うん」

「……エヴァン。あなた、あの子のお参りに来てくれたの?」

「あ、ああ、そうだね。今朝は暇だったから」

「……ありがとう」


 ジュジュは、とても嬉しそうに、微笑んだのだった。




 僕は、その城下の街を取り囲む城壁の門をくぐり、ばくたる地平に足を踏み出す。


 あのあと、数日はふくしていたジュジュだったが、その後、エヴァンと顔を合わせることも多くなったようだ。

 僕もなんどか、お気に入りのミカンを買いに果物屋の露店に顔を出したが、ジュジュの顔は会うたびに生気を取り戻しているように見え、それどころか、以前よりも輝きが増しているほどだった。

 エヴァンは最近、果物の作付けを始めたらしい。ジュジュは、エヴァンの作った果物を売るのを楽しみにしている、と言っていた。


 荒れ地を歩きながら、子袋から飴玉キャンディーを取り出す。

 あの日、エヴァンが創った飴玉キャンディーを、ジュジュにおすそ分けしてもらったのだ。


 ひとつぶ、口に含む。

 ……やっぱり、苦かった。


 ジュジュは、とても、嬉しそうに食べてたんだけどね。

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