第117話 聖職者を普通の人と見るようになった
学校の先生、病院の先生、看護師さん、そういった人たちの事を数年前までは聖職者として見ていた。
あ、ここで言う聖職者は宗教家ではなくて、倫理観の元、正しい気持ちを持ち続けて仕事にあたる人の意味合いで使っています。《ルビを入力…》
そういう職業の人は間違わなくて、立派で、失敗もしない。
例え何らかの失敗をしたとしても、こちらが我慢しなきゃいけないものなんだ。
と思い込んでいた。
一番最初に、この人たちは聖職者では無いのではないか?と思ったのは小学校の時のある先生の態度だった。
私はその先生を厳しいけれど立派な先生だと尊敬していたのだが、やけに薄っぺらい言動をして一気に鼻白んだ記憶がある。
子どもだったからこそ、先生だって人間だと見る余裕が無く、より失望感が強かった。
そして大人になってから実感したのは、病院の先生についてだ。
子宮体癌と診断される前に入院してた病院で、採血が中々出来なくて、鼠蹊部から採血をしたことが数回あったのだが、若い女性の先生と看護師さんが2人してキャッキャ言いながら腕や手の甲からの採血を何度も失敗し、その後に鼠蹊部での採血をするのだが、鼠蹊部なので下半身は脱がされての採血なのだ。
その際の配慮が全く無いどころか、失敗した時に先生と看護師さんで何やら楽しそうにワキャワキャしている様に、さすがに私は不快感を覚えた。
ああ、先生も看護師さんも聖職ではないんだな。
この人たちだけなのかもしれないけれど、と思ったものだった。
それでもこの頃はまだ、治療してもらっているのだから、私は何も言っちゃいけないと思い我慢をしていた。
けれど昨年、がんセンターの担当医の内診を受けた後に体調が不自然に悪くなった時は、さすがに我慢できず担当を変えてもらうというお願いの電話をしたのだった。
この先生には、その出来事の前にも2度ほど不快な言動とモヤモヤする事があり、もう我慢出来なかったのだ。
そういう事があったので、最近では病院の先生を少し信じられないというか警戒してしまうところがある。
とはいえ、本当は聖職者とまではいかなくても、聖職者であろうと気持ちだけでも思っていてほしいと、先生や看護師さんたちには思ってしまうのだった。
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