第20話 「人のため」という名の「人のせい」

「人のため」は本当に純粋に「人のため」なんだろうか?


前にエレベーターの「閉」関連の、つぶやきや日記を読んでいて

何かとても、もやもや感があったのだ。


多くの人が「自分が急いでるから閉を押すのでは無く、周りの人や次の階で待っている人のために押す」

と答えていた。


分かる、その気持ち。

私もそう考える事ある。


けれど、あまりそれが当たり前とするような意見ばかり読んでいると


「人のため」と言いながら

「他人に自分もそうしてもらいたい」という思いがあるからこその

「人のため」

なんじゃないだろうかと感じられてくるのだ。


それがいけないと言っているのでは無い。

それならそれで、それを前面に出すべきだと思う。


そうでないと、ゆくゆくは「人のため」という純粋な他人への気遣いがそれをしない人が「マナーのなってないダメな奴」という見方になってしまうから。


他人への気遣いは、あくまで「こうしたら人が助かるだろうな」という

先回りの思いやりであり強制行為でも、しない人がダメな奴認定される行為でも無いはず。


自分が、気遣ってくれない他人にイラつくから

「人のため」

何かをするのだったら堂々と

「待たされるとイライラするんだよね、だから、自分も他人をイライラさせないために気を使ってる」

そう言えばいい。


その方が「人のため」という名の「人のせい」にしていない。

スッキリしていて、潔い。

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