土鍋

凡木 凡

第1話

「最初はね、目止めってするの。ほら、土鍋って実は隙間だらけだから」


鍋子はそんなことを言いながら、ご丁寧に持参してきた米を

さらさらと土鍋に注ぎ込んだ。どうやら僕らは本当にここで鍋をするらしい。


「具材は?」

「だめだめ。さいしょはおかゆ」


鍋子、何を頭のおかしいことを言っているんだ。

鍋と言ったら野菜や肉の煮えてる、あの、あれだろ。

だのにお前は、その立派な土鍋に一生懸命何を注いでいるのだ。

そんな具材じゃ、灰汁もすくえないじゃないか。あっ水まで注ぎやがった。




俺は、俺は鍋が好きだ。

鳥鍋が、水炊きが、キムチ鍋が好きだ。


「気が合うね」


鍋子はそういって僕を見て笑った。


クラスにとりたてて仲のよい友達のいない僕は、

休み時間のほとんどを今日の夕鍋の具材を何にするかだけを考え

ふわりと宙空に目をやっていたのだ。


突然、女の子が視界に入ってくればそれは動揺する。


「どうせまた鍋の具材の事でも考えていたんじゃないの」


異性に話しかけられるなんて今日はどうかしてる。

どうかしてるのだから、どうかしよう。

僕は勇気を出して何ヶ月ぶりかに女の子に話しかけた。


「お、お前はエスパーか。人の思考を勝手に読むなよ」

「だって君、さっきからブツブツ鳥鍋、鳥鍋って」


どうやら妄想が捗りすぎて口に出ていたらしい。


「鍋好きなんだね」


好きどころではない。愛している。結婚したいぐらいだ。


「わたしもだよ、大好き」


女の子の口から好きなんて言葉を聞いた事は今までなかった。

その言葉が色恋の意図としてかけられてる訳ではないと知っていても

僕の胸の小鍋はコトコト沸騰し汁が吹きこぼれる。


「なんだよいきなり、世間話なら他の奴にしてくれ」


心にもない事を口に出した。だがこういうセリフが女の子には

薬味のように効くのだ。


「ねえ、良かったら今日一緒に鍋しない?」


効いた。


こうして僕は彼女に自分の家の場所を教え、

鍋パの約束を取り付け、そして今に至る。


だのにだ。


鍋子はおかゆを作るというのだ。

この、鍋に、米を。


おいおい、順番が違うだろ。

本来ならそいつは最後の楽しみのはずだ。


様々な具材の出会いと別れの終着点、

出汁のしみ込んだスープの中に沈むのがそいつの役目じゃないか。

無味無臭の水の中にぶち込むなんてどうかしてる。


「いかれてる」

「何?」


「いかれてる」

「何が?」


「お前の」

「私の」


「鍋」

「……」


がさりという音がして、鍋子の後ろでスーパーの袋が床に落ちた。


「……ひどい」


それだけ言うと鍋子はおかゆの半分以上残った土鍋を残して

部屋から走って出て行った。


奉行のいなくなった鍋は混ぜ手を失い

自らのその熱で内包する白濁した液体を少しずつ焦がし始める。


その香ばしい匂いで呼び戻された僕は無意識に3歩ほど前に出て

足下のビニル袋に躓きその中身をぶちまけた。

横に倒れた袋の口からは人参や春菊が顔をのぞかせている。


「具材だ……」


鍋子は、おかゆの後は俺と本当に本格鍋を囲むつもりだったらしい。

慌てて半開きのドアに手をかけ、廊下に顔をのぞかせたが既に鍋子の姿はそこにない。

突き当たりの踊り場の端、最後にひらりと鍋子のスカートの裾だけが見えた。

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土鍋 凡木 凡 @namiki-bon

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