神話大戦
かつて、戦神エスケンデレを信仰する小さな部族に、一人の女性がいた。
褐色の肌に、全身にペイントされた白い紋様を施したこの女性は名をクラミッシュという。
彼女がどのように生まれ、どのように育ったかは残念ながら記録に残ってはいないが、彼女の名が記録に残るようになってからの生涯は、あまりにも有名である。
『道路舗装人』と呼ばれたグランセリウス将軍が、老齢を理由に退役した後、後任の将軍たちはグランセリウス将軍に続けとばかりに競って東方に勢力を伸ばし始めた。そんなある日、レス・プブリカ中央議会に一つの凶報がもたらされた。
――――遠征軍一個軍団が丸ごとひとつ壊滅――――
この国の一個軍団は、戦闘要員だけで20000人にもなる。これは「国」という概念を持たない東方の諸部族の1部族当たりの人口すら上回る規模であり、実際に報告を受けた人々は、これが現実だと受け入れるのに数日を要した。
レス・プブリカ第3軍団は、大規模な遠征を前に野営をしていたところ、強烈な夜襲を仕掛けられ、闇夜の中で何も見えぬままほぼ全員が斃された。殴り込みをかけてきたのは他でもない――――クラミッシュと、彼女の率いるわずか300名の戦士たちだった。
××××××××××××××××××××××××××××××
セネカは、獰猛な笑みを浮かべながら剣を片手に一歩一歩大股で「獲物」へと向かった。隙だらけで、胸を張って偉そうに歩く姿は、戦士というよりは裁判官のようで、相手を対等としてみていない何よりの証拠であろう。
一方、いつもと違った雰囲気をまとうセネカをみたラヴィアは、特に驚くこともなく、彼女に向かって無言でゆるりと頭を下げた。
「おお『盟友』よ、言わずとも分かる。生きているうちにこのようなものと相見えることになろうとはな。この出会いに感謝し、『戦神エスケンデレ』に祈りをささげよう」
セネカは一瞬、祈るように顔の前で両手を合わせ、ゆっくりと指を組みながら、人差し指と人差し指を真っ直ぐに伸ばして合わせる、奇妙なポーズを行った。これはおそらく、古代は単一の神であった東の戦神エスケンデレに対する礼拝のポーズであろう。真っ直ぐに伸ばした人差し指は、剣を真っ直ぐに掲げているのを模していると言われ、共和国時代になってもこの独特の祈りをささげる軍人やスポーツ選手が少なくないとか。
「隊長さん…………いったいどうしてしまったのでしょう?」
「う~ん、セネカさんに何かが乗移ったのかしら……? それともあの本に、特殊な術が掛けられているか、はたまたあの人自身の深層意識なのか……」
物陰で様子をうかがう聖職者二人も、豹変したセネカを不安そうに見ていた。
現代っ子の彼女たちは知る由もないだろうが、セネカに憑依した……あるいは変貌したのは、共和国開拓時代に「神敵」と名指しされたこともある蛮族の英雄である。もし彼女を知る神官がこの場にいたら、本能的な怒りと恐怖で絶叫するだろう。
そうしている間にも、地下書庫の怪物は、新たに表れた人間一体に対して、油断なく狙いを定めている。
小さくとも、体を射抜きそうな鋭い眼光が、必殺の一撃を狙うべく、力を溜めているのだ。
『GHHUUUUUU…………』
セネカはさらに歩みを進める。彼女にとって、目の前の怪物は恐ろしく感じていない。むしろ、久しぶりに自分の限界を超えているかもしれない強敵に出会えたことを自身の信奉する神に感謝するくらいだ。喜びを抑えきれない様子で、近づく一歩一歩がどんどん広くなる。
両者の間合いはすでにセネカ――――
いや、セネカの身体を乗っ取った蛮族の英雄クラミッシュの歩幅で30歩ほど。お互い、必殺の射程圏内はとうに踏み越えている。
「幼少の頃聞いたことがある。重厚な鱗と鋭い爪牙、樹の幹ほどもある手足と鞭のようにしなる尾。何者も恐れぬ勇敢さを持ち、その知能は人など比べるまでもないという。神話の中より出し偉大な獣よ、まさかこの目で見られるとは思っていなかった。ま、想像していたよりか、遥かに醜いがね」
クラミッシュの言う偉大な獣とは、おそらく伝説の魔獣『ドラゴン』のことだろう。
だが、「醜い」の一言が気に障ったのだろうか。ついに、爬虫類の怪物がクラミッシュに飛びかかった!
常人にはワープしたとしか思えない残像も残さぬ突進を、クラミッシュはなんと蹴りで威力を相殺した。下顎を打たれてほんのコンマ0.数秒動きが止まった怪物の脳天めがけて、右手に持つ剣を振り下ろしす。
「
バコッという鈍い音が響き、怪物の頭が谷間のように窪み、押し出された血肉が眼光と砕けた頭蓋骨の間から噴出する。いったい何が起きたのか? なんと怪物は、武器が振り下ろされる時に自らの頭を当てに行ったのだ! 当然自身の頭もただでは済まないが、振り下ろされた剣――――セネカが戦場で振るってきた愛用の鋼鉄剣――――は、怪物の攻撃で粉々に砕け散ってしまった。
「ちっ、
クラミッシュはいったん数歩後ずさり、セネカの剣を放り投げた。代わりにどこから持ってきたのか、身の丈ほどもある巨大な鉄の大剣をその手に握る。だが、直後にクラミシュの視界に巨大な爪が飛び込んできた。
確かにただならぬ相手だとは思っていたが、普通の生物ならほとんど致命傷となるほどのダメージを、頭部に与えたはずなのに、動きが一切鈍っていない。クラミシュは驚異の反射神経で、直撃こそ免れたが衝撃をもろに受けてしまい、数メートル後方の本棚まで吹っ飛ばされ、体を強かに打ち付けた。
「ぐっ!」
彼女はすぐに追撃を警戒し立ち上がったが、怪物は追撃するどころか、むしろ若干後退していた。
なぜ仕掛けてこなかったのか。その理由はすぐに判明する。
「なるほど…………姿かたちだけでなく、しぶとさも噂通りってわけか」
おお、見よ! 砕いたはずの頭部が、赤く膨らみ始め、骨と肉が再生していくではないか!
飛び散った眼球はあっという間に鋭さを取り戻し、剥がれていた鱗は以前にも増して重厚になったようだ。それだけではない、その体躯が震え、徐々に肥大化している。これは人間でいうところのパンプアップ――――つまり怪物はいままで本気の身体で戦っていなかったのだ。
だが、クラミッシュはますます嬉しそうな顔をしている。
相手が強ければ強いほど、気持ちが昂る戦神の眷属は、手に持つ大剣をステッキのように片手でブンブン振り回しながら、次の一撃を加えるべく歩き出した。
××××××××××××××××××××××××××××××
一方そのころ、ラヴィアから秘密の指令を受けた司書ネルメルは、広大な地下25階書庫を、時計回りの方向に壁伝い走っている。
古の書物がずらっと収納された本棚の間を抜けた先に、彼女が目指すものはそこにあった。
「あった! 二つ目!」
壁の一角に若干窪んだ場所があり、そこには石造りの机と木で出来た祭壇のような棚が飾られている。
木組みの祭壇に置かれているのは…………赤一色の大きな蝋燭が一本だけ。そして、赤い蝋燭には、煌々と黒い灯が燈っている。
「はー、見れば見るほど不思議だよねこれ。触るとちゃーんと温かいのに」
ネルメルが蝋燭の黒い火に手をかざすと、きちんと温かみを感じる。感じる……が、直接触れても温かいだけでやけどしない。ふーっと息を吹きかけても、手で仰いでも、火は揺れるだけで消えることはない。
この蝋燭こそ、この地下25階書庫の仕掛けを構成する仕掛けであり、人手がないにもかかわらず永遠に燃え続ける火を消すことが、仕掛けを解除する唯一の方法になる。
ついつい興味深く観察しようとするネルメルだったが、時折遠くから響く大きな音が、彼女を使命へと駆り立てる。
「いけない。こうしてる間に、司書長が体を張って抑えていてくれるんだから。早く消さなきゃ」
普通の方法では、たとえ水をかけても消えない特殊な蝋燭の火。
だが、火を消すことができる唯一の方法は、実はいたってシンプルだ。
「消えろっ!」
そうネルメルが呟くと、ろうそくの火はふっと消えてしまった。
「よし、次はどこだっ!」
火が消えたのを確認すると、ネルメルは一目散に、次の仕掛けを目指し、走って行った。
××××××××××××××××××××××××××××××
「
掛け声とともに、巨大な鉄の塊が一閃し、怪物の爪を前足ごと切断した。
『BAAAAAOOOOOWWWAAAAA!!!』
怪物の怒りの叫びがフロア全体を揺らす。四肢の一部が切り落とされたのだから、その痛みは相当なものだろう。だが、怪物はその痛みすらエネルギーに変え、まだ片方残っている前足の爪をクラミッシュに振り下ろす。
彼女は爪を大剣で正面から受け止めるも、胸甲に三本の深い傷が縦に走り、鮮血が噴出した。
これを見たラヴィアは、さすがに彼女一人では厳しいかと、援護を申し出た。
「傷が…………! 今治療します! 私も援護しますから……!」
「『盟友』よ、それは不要だ! 神に祝福されし戦士である私には、この程度の傷など痛くもなんともないわ!」
ところがクラミッシュは、ラヴィアの共闘の申し出を断った。あくまで自分一人で怪物を打倒そうというのだろう。驚くことに、切り裂かれてできた傷からの出血はすぐに止まった。何も治療をしていないに…………目の前の怪物に匹敵する、呆れた生命力である。
「ヤー、ハー!
再生したばかりの怪物の爪が、再び彼女をとらえるも、今度は受けることなく身を思い切り屈め、まるで相手が以前そうしたように、隙ができた一瞬のうちに胴体の下に潜り込む。続いて、大剣を下から上へ振り上げ、怪物を空中高く跳ねあげた。
空中にかちあげられた怪物も、お返しとばかりに口から火炎放射を滝のように浴びせ、相手を焼き尽くそうとする。だが、炎が本棚の回廊を満たした時には、クラミッシュの姿はすでに地上にはない。彼女がいるのは…………なんと、怪物よりさらに数十センチ上空!
彼女は、怪物を空中に跳ね飛ばした直後に、本棚と本棚の間を素早く三角飛びに駆け上がっていたのだ!
「異形よ! 地の底深く、地獄まで落ちるがいい!」
クラミッシュはまたしてもどこからか新しい武器――――刃先が黒く塗りつぶされた短槍を両手に持ち、怪物の背中をハチの巣にする勢いで乱れ突いた。鱗が砕け、血が噴水のように吹き出し、肉がちぎれる。
この間1秒に満たず、両手に持った短槍は使用者の乱暴な扱いに耐え兼ね、刃を怪物の体内に残したまま砕け散った。クラミッシュもはじめから短槍を一度の攻撃で消耗するつもりだったのだろう。放り投げていた大剣がちょうどいいタイミングで手元まで落ちてきた。
「ぶちまけろっ!
『GAAAAAAAAAAHHHHH!!!』
大剣が怪物の頭とふたたび衝突した瞬間、すべての時間が止まったかのように思われた。怪物頭は凄まじい一撃を食らい、陥没どころか爆発した。脊柱が押しつぶされ、怪物は見てわかるほど短くなっている。
巨大な力の衝突よって、怪物は狂った
クラミッシュが床に着地した時、反動かあるいはいつの間にか怪物が抵抗したのか、体中に無数の傷ができていた。大剣は怪物の頭をつぶした衝撃でひん曲がり、多数の亀裂が生じている。
彼女は持っていた大剣をあっさりと後ろに捨て、
怪物はすでに再生を始めている。より重く、より分厚く、そしてますます岩のような見た目に……
頭まで再生した瞬間、クラミッシュが投げた戦斧が怪物の眉間に深々と突き刺さる。虚を突かれた怪物が一歩さがった瞬間、クラミッシュは怪物の頭から戦斧を無理やり引っこ抜き、怪物の身体に爆撃のように何度も打ち付けた。
「死ね死ね死ねェーッ!」
確かに、強敵と戦うことは楽しい。
しかしながら、戦うからには勝たなければならない。
目の前の怪物に打ち勝つには、再生する以上のダメージを与え続けなければならないのだ。
クラミッシュの額に、大粒の汗がにじむ。彼女もそろそろ余裕がなくなってきている証拠だ。
『GUUU・・・・・・・・・』
だが、怪物の攻撃が止まった。振り下ろされる戦斧を尻尾で弾き返すばかりで、守備に徹し始めたのだ。
動きの変化にクラミッシュはすぐに気が付いた。それと同時に、それが何を意味するかも理解できた。このまま攻撃をつづけたら危険だ…………しかしながら、今手を止めてしまえば、それこそ敵の思うつぼだ。
「
相手を粉みじんにするまで、彼女の攻撃は止まらない。
いや、止まらないというよりも、止める意思はないと言ったほうが正確か。
彼女の強すぎる意思に、やがて武器はついていけなくなり……………砕け散る。
その隙を怪物は逃さなかった。その眼に宿る感情はただ一つ。
――コロス――
怪物の腕が伸びた! 伸びた腕から繰り出される鋭い鉤爪がクラミッシュの肩を鷲掴みにした。肉が裂け、骨が砕け、鮮血が噴き出す。
「ぬぅっ!?」
クラミッシュは体勢を崩した。もう片方の鉤爪が、彼女の腹部に突き刺さり、彼女の身体を床に縫い合わせる。両腕で押さえつけている限り、クラミッシュは動くことができない。
怪物は勝利を確信し、満を持して大きく口を開け、憐れな獲物をかみ砕かんとした!
『!!??』
だが、かみ砕こうとした空間に、標的の姿はなかった。それどころか、クラミッシュを押さえつけていた両腕が肘の先から途切れていることにようやく気が付いたようだ。
「よくもやってくれたではないか。今度こそバラバラにして豚のエサにしてくれる、ハハハ!」
今彼女が持っているのは、片刃の剣…………いや
そして左手には、黒壇製の立派な鞘が握られている。先ほどまでの野蛮な印象が精錬され、どことなくセネカの趣が戻ってきたように思われる。
「その身に刻め、
音速で振るわれる刀から衝撃波が飛び、怪物の肩の肉をえぐる。怪物は次の攻撃を繰り出すため、口から炎をまき散らしながら、再生した鉤爪でクラミッシュをとらえようとする。クラミッシュは、瞬間移動したかのような機敏な動きで本棚を蹴って怪物の背後に回ると、まず尻尾を切断。振り返りざまに繰り出される後ろ足の攻撃を左手に持つ鞘で防ぎ、逆に後ろ両足を根元から切断する。沸騰した鉄のような熱さの鮮血が降り注ぐも、彼女の攻撃は止まらない。
口から飛ばされる何十本もの牙の弾丸を鞘で払いのけ、渾身の一撃で頭を左右真っ二つに切断した。
「悪魔め! この世に存在した痕跡すら消し去ってやる!」
ビュンビュンと風を切る音とともに、不可視の斬撃が怪物の身体を外側からスライスしていく。再生しても再生しても、斬る速度が速すぎて間に合っていない。そしてとうとう、首が切り落とされ、首から尾の付け根まで真っ二つになる……………その時であった!
『GAAAAHHH!!』
「―――っ!!」
クラミッシュの目の前に、無数の鋭い牙をはやした赤黒い「口」が突然現れた。
クラミッシュはとっさに刀で上あごを突き刺し、下あごを鞘と片足で押さえつける。
彼女に飛びかかったのは…………怪物の「胃袋」だった。
怪物は、最後の最後。内臓だけになっても獲物を殺さんとしているのである。
「ぬぅおあああありゃぅぁああああ! いああはああうおおおあああアアアア!」
クラミッシュを飲み込まんとする胃の力は尋常ではなかった。彼女の全力を持っても、押し返すのが精いっぱいだった。だが、こうしているうちに、胃の周りに内臓や皮膚が再生している。これで手足が再生したら彼女は――――――――
「まけぬ………! 私は、負けぬ! 戦神よ! 私に力を!
彼女が、全身に力を込めた途端。周りの世界が、大きくゆがみ始めた――――
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